第29話「閉ざされた輪廻」

「はあああああっ!」


 勇者が前に出る。

 彼の持つ銀の聖剣は輝きを増し、鋭く女神ルビエラへと斬りかかる。


「威勢が良いわね」


 しかし、渾身の力を込めた筈の剣は、あっけなく指先一本で止められる。非現実的な光景にレオンハルトが目を開き、その思考に一瞬の空白ができる。


「でも、まだ足りないわ」

「かはっ!?」


 その僅かな時間を縫って、おもむろにルビエラが足を蹴り出す。

 無造作で、力の籠もっていない蹴撃。だというのに、レオンハルトの体は砲弾のように後方へ吹き飛ばされた。


「レオン!」

「油断するんじゃないよ。ヤツは最弱の魔王なんかじゃない!」


 悲鳴を上げる魔法使いと聖職者に、格闘家が檄を飛ばす。彼女は硬く両拳を握りしめ、全身の筋肉を隆起させる。

 一見すると頼りなく見える格闘術だが、その身の底から溢れ出る“光の女神の加護”によって常軌を逸した破壊力を宿している。拳を打ち込めば巨岩が砕け、たとえ金剛石でも軽く握りつぶすことができるだろう。

 そんな鍛え上げられた鋼の肉体から放たれる打撃は、当然のように致命傷となる。

 太い脚のしなやかな腱から生み出された猛烈な速度によって、格闘家は一瞬でルビエラの懐へと潜り込む。


「獲った!」

「んなわけないでしょ」


 回避不能な超至近距離から放たれる、大砲のような破壊的な衝撃。それがルビエラの白い肌へと届く直前、格闘家の体がくの字に曲がった。


「んぎっ」


 腰骨が砕け、脊椎を損傷した格闘家が苦悶の表情で悲鳴を上げる。

 神速の一打はルビエラに届かず、一瞬にして側面の壁に強く叩き付けられた。衝撃を受け止めた壁のクレーターの中心で、格闘家は全身を痙攣させた。


「サラ! ――『紅蓮の大牙スカーレットファング』ッ!」


 魔法使いの杖の先に幾何学的な魔方陣が展開される。放たれたのは燃え盛る龍の頭を模した大規模な魔法だ。それは咆哮を上げて、ルビエラを呑み込もうと喰らい付く。


「だから、無駄だって」


 しかし、魔法使いが己の魔力の大半を注いで発動させた大魔法は、呆気なく霧散する。


「――は?」


 目の前で起きた現象を理解することができず、魔法使いは呆然と立ち尽くす。己の人生を賭して練り上げた力の全てが否定され、脆くも崩れ去っていく。

 急に杖が重たく感じてきた。その重みに耐えきれず、手から滑り落ちる。


「私を殺したいなら、物理攻撃だけにしなさい。魔力で構成されたものは、全部吸い取ってしまうもの」

「そ、んな……。ありえない……」


 魔法使いは驚愕し、足を震わせる。膝から崩れ落ちるようにして倒れ、床に手をついた。


「ティナさん」


 そんな彼女を守るように、神官が聖杖を構えて前に立つ。その表情は険しいが、足は今すぐにでも逃げたしたくて震えていた。


「そもそも、この世に満ちる魔力は全て混沌から生まれたもの。私かアイツの体から滲み出した力。それが返ってきたところで、傷がつくはずがないでしょ」


 勇者は沈黙し、格闘家は動けない。魔法使いは絶望し、神官に戦う術はない。圧倒的な状況のなかで、ルビエラはすぐさまトドメを刺すようなことはしなかった。

 妖艶な笑みを口元に湛え、ゆっくりと神官たちの方へと歩み寄る。


「ましてや、魔を術として扱うこともできず、ただ法則として従うだけの人間に」


 その言葉には、嘲笑があった。遙かな高みから少女たちを見下ろす、慈母の笑みを浮かべていた。


「さあ、そろそろ意識は戻ってるでしょう。起きなさい」


 不意にルビエラは視線を外し、神官たちの後方に向ける。

 一瞬訝しんだ彼女たちもはっとして振り返る。


「……何故だ?」


 そこには、よろよろと立ち上がる傷だらけの勇者の姿があった。

 それを認めた魔法使いと神官は、敵の目の前であることも忘れて喜色の声を上げる。


「レオン!」

「生きてたんですね。今、治癒を――」

「何をした!!」


 そんな二人の言葉を遮って、レオンハルトは声を荒げる。彼は側に落ちていた聖剣を乱雑に拾うと、肩を怒らせてルビエラの元へと詰め寄る。


「俺は、俺はたしかに死んだ。なのになんでまだここにいる? どうして教会で復活しない」

「――それは、あたしも聞きたいね」


 瓦礫の崩れる音がする。

 壁にめり込んでいた格闘家が、立ち上がり、関節を回す。痛々しい音はするが、砕けたはずの骨は彼女の体を支え、真っ直ぐに立ち上がっている。


「どうして、死なない。いや、死ねない?」


 頭上でやり取りされる会話に取り残され、魔法使いと神官は困惑する。

 ルビエラは笑みを湛えたまま、その問いに答えを返した。


「ここが第八迷宮〈奈落の廻廊〉だからよ。ここに迷い込んだモノは、例え何であっても外に出ることは叶わない。例え魂でさえも世界の壁に阻まれ、肉体に回帰し甦ることを強制される」


 彼女の赤い唇から紡がれた言葉は、四人の理解の範疇にないものだった。

 肉体が傷を負い、それが止められないものならば、勇者たちは“光の女神の加護”によって魂だけが人間の世界へと戻り、そこで新たな肉体を得て蘇生する。だからこそ彼らは死を厭わず、勇気ある者として果敢に攻め入ることができるのだ。

 しかし、この迷宮の中ではそもそも死ぬことができない。致命傷を受けても、魂は逃げ帰ることを許されず、強引に傷を癒やし再び甦る。


「何故だ……? なぜ、普通に殺さない?」


 レオンハルトの疑念は当然のものだった。

 ただ勇者を排除するだけなら、わざわざ魂を肉体に押し込め、蘇生する必要は無い。なぜそんな手間をかける必要があるのか。


「殺すことが目的じゃないから」


 勇者の問いに、ルビエラは簡潔に答える。


「私は、貴方たちを鍛えているのよ」

「鍛える?」


 およそ敵の口から飛び出したとは思えない言葉に、勇者たちは眉を寄せる。


「そう。殺し、蘇生し、再び殺し。何度も何度も戦いを繰り返して、魂そのものを鍛える。逃げ道を塞いで、追い詰めて、極限状態の中でその輝きを研ぎ澄ませていく」

「それをして、何の利になるんだ」

「貴方たちは鏡よ。磨けば磨くほど、そこに映った像は本物に近づいていく。極限まで磨かれた鏡に手を伸ばせば、そこに映る像そのものをつかみ取ることができる」


 ルビエラが八枚の翼を大きく広げる。

 死臭は濃密になり、腐臭が立ち込める。


「戦いなさい。磨きなさい。そして“光の女神の加護”を増しなさい。そうするしか、道はないのだから」


 ルビエラの翼が僅かにぶれる。

 突如、暴風が聖堂の中を蹂躙し、勇者四人を吹き飛ばす。鋭い風は肉を斬り、骨を断つ。痛みを感じるよりも早く魂は死を選択し、肉の衣を脱ぎ捨てる。


「さあ、甦りなさい」


 しかし、黒い魔力に追い立てられるようにして、四つの魂は再び肉体へと押し込められる。

 傷は癒え、骨は繋がる。激痛の中で覚醒し、ほんの僅かに“光の女神の加護”が強くなる。強制的なレベルアップ。強引な育成。

 まるで獅子が深い谷へ我が子を突き落とすかのように、ルビエラは愛を持って四人を殺す。


「何度でも立ち上がりなさい。そして、その魂を高みへと昇華させるのよ」


 ルビエラと、弱い弱い勇者たち。

 圧倒的な力量差による長く苦しく果てしない戦いの時間が始まった。

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