第27話「解放」

 龍の首が落ちる。

 血に濡れた聖剣を掲げた勇者が、巨大な骸の上で咆哮する。墜ちた龍の下に集う勇者たちが、その声に呼応して拳を、剣を、槍を、杖を掲げる。

 万を越える不死者アンデッドを使い、数千年の時を掛けて築き上げた石の宮殿は、一夜にして崩れ落ちた。

 如何に強大な力を持つ龍種といえど、その力を凌ぐほどの数を揃えた勇者には、まるで荒波に呑み込まれる小舟のように頼りない。一匹の龍が開いた小さな穴から湧き出した勇者たちは、瞬く間に龍の祠を占拠し、怠けきった龍たちを殺戮した。

 龍が5人の勇者を焼き殺すころ、100の勇者が龍を討つ。双方に多大の犠牲を払いながら、勇者の数は3,000を保ったまま、勝敗は決してしまった。


「千載一遇のこの機会、決して逃すな! 我らには“光の女神の加護”がある! 大魔王を討ち、永久の命を手に入れ、豊穣と繁栄をつかみ取れッ!」


 金色に輝くオーラを纏い、銀の聖剣を掲げ、勇者が吠える。“暁の勇者”と呼ばれ称えられた青年は、三人の少女と三千の仲間を引き連れ、第七迷宮の閉ざされた門を破壊する。

 光り輝く津波となった勇者の軍団は、固く閉ざされてきた堤防を打ち壊し、巨大な生物のように蠢きながら、魔王城へと繰り出した。




「おうおう。活きの良い魚の群れみたいじゃな」

「言ってる場合か! なんでそんなに余裕なんですか」


 魔王城の最奥。大魔王ミラを封じる牢獄。

 息せき切ってやって来た私が見たのは、水晶玉に映る勇者の侵攻を眺めながら、暢気に笑っている大魔王の姿だった。


「だって、ワシにはどうすることもできぬからな。今は迷宮守護者がバリケードを築いておるのじゃろ」

「そうですよ。アンタを守るために決死の覚悟でね」

「決死だろうがなんだろうが、ワシにできることは変わらぬからなぁ」


 水晶には勇者たちが鮮明に映し出されている。

 黄金色に輝く軍団の先陣を切るのは、あの“暁の勇者”と三人の少女だ。勢いに乗った彼らは、魔王城の兵士たちによる牽制など意にも介さず、多少の脱落者など見向きもせず、ただ只管に荒野を横断している。


「ほら、グウェルが一番乗りじゃったな」

「アイツも業腹ものでしょうね。ヒュカが勝手に第七迷宮まで勇者を送り込んでたんだから」


 無数の闘獣を率いたグウェルが勇者と激突する。

 荒波と荒波が正面から打ち合って、飛沫のように血肉が舞った。

 キィちゃんに見せた、好々爺然とした柔和な雰囲気など見る影もなく、荒ぶる本能のまま勇者たちをかみ殺し薙ぎ払う。獣の魔人の長としての実力を遺憾なく発揮し、瞬く間に数十人を屠り去った。

 それでも勇者たちの勢いは衰えない。腕を掴み、腰に手を回し、団子のようになったグウェルの動きを封じていく。自身の死など顧みない、狂気すら孕んだ捨て身の戦法だ。それだけに効果は抜群で、無防備に胸を曝け出したグウェルは無数の槍に貫かれる。


「死んだか?」

「もうちょっと部下を信頼した方が良いですよ」


 ミラの拘束具を外しながら釘を刺す。

 グウェルも私ほどではないが、連日無数の勇者を相手にしている歴戦の魔王だ。あの程度で死ぬはずもない。

 天を衝くような咆哮と共に、グウェルの筋肉が膨張する。取り付いた勇者を薙ぎ払い、槍を弾き飛ばして返り討ちにする。

 更には、泥沼になった戦場に無数の亡霊が飛来する。それを指揮するのは、亡霊貴族ホルムスだ。


「他の守護者も続々と到着してる。みんな怒り心頭って感じねぇ」

「ヤムボーンは一命を取り留めているようじゃが……」

「殺す者が変わったくらいでしょうね」


 闇龍ヒュカの罪は重い。なればこそ、彼を遣わせたヤムボーンへの糾弾も避けられない。今はそんな悠長なことをしている暇がないだけであり、このゴタゴタが片付けば、守護者たちの怒りの矛先は彼らに向けられる。


「シューレイとコンポールも来てるわね」

「傷も癒えてなかろうに。健気なものじゃな」


 津波が荒野を覆い、グウェルの闘獣諸共勇者を呑み込む。それが収まればすぐに太い木の根が地面を突き抜け、勇者を絞め殺していく。

 三つ叉の矛を携えた魚人シーマンたちがグウェルの陣営に合流する。ドライアドたちが勇者たちの体に根付く植物の種を蒔いていく。

 巨大な氷の槍が蹂躙し、硬い種を宿した果実が勢いよく爆ぜる。亡霊は勇者の心を挫き、闘獣たちが喉笛に喰らい付く。

 やがて、戦場には鉄錆の匂いが立ち込め、勇猛な喊声に悲鳴が混じる。勇者たちは懸命に戦っているが、守護者たちも背水の陣でそれに応じていた。


「ふむ。勝敗は決したか?」

「んなわけないでしょう」


 だからこそ、勇者は優勢になる。

 3,000の勇者が死にゆくほどに、残った勇者へ注がれる“光の女神の加護”は濃く強くなる。勇者は剣を振るい続け、呪文を紡ぎ続け、そして勝ち続ける。戦場の高揚が実力以上の力を引き出し、“光の女神の加護”がそれを爆発的に増幅させる。

 闘獣が勇者を食い殺すたび、水が勇者の肺を満たすたび、木々が勇者の体を締め付けるたび、亡霊が勇者の心を破壊するたび――生き残った勇者は更に強くなる。

 骸を晒す同胞を踏み越えて、彼らは荒野を進んでいく。その勢いは衰えることなく、むしろ熾烈なっていく。


「さ、全部外れましたね」


 大魔王ミラを拘束していた、全ての器具が外される。滲み出す魔力は強大で、戦闘を繰り広げていた荒野にまで届く。

 闘獣は怯え、水は勢いを無くす。木々は枯れ、亡霊は姿を消した。勇者たちも生者である以上、魔力をその身に宿す以上、それを無視することはできない。

 どこまでも濃密で、どこまでも凶悪な魔の気配は否応なく感じ取れてしまう。目の前に今まさに対峙している魔獣など、その存在ごと霧散してしまうほど、圧倒的な気配。本能的な恐怖を揺り動かす、その存在。


「なんじゃ、ワシが解き放たれただけで足が竦んでおるぞ」

「大半は、ですけどね。数人はそれに耐えています」


 勇者の中でも特に手練れの数人。ごく一部の濃い“光の女神の加護”を受けた者は、大魔王の存在感にも屈せず立っている。


「では、やろうか」

「ええ」


 大魔王ミラが私の前に立つ。互いの瞳を見つめ合い、肌を覆っていた衣を全て脱ぎ捨てる。


「“霊錠解放:死の扉”」

「“開け、我が力”」


 二つの扉が開き、胸の奥に封じられていた力が溢れ出す。轟音と暴風を伴って、堅牢な魔王城を崩しながら、その力は混じり合い、勢いを増していく。

 私とミラの物質的な肉体は消滅し、二人の意識が融合する。鏡の中に秘めていた記憶と力が流れ出す。


「“力よ、我が下に”」


 呼びかけに応じ、七つの光が飛来する。

 第一迷宮〈骨骸の門〉、“死者の瞳”。

 第二迷宮〈餓獣の檻〉、“鉄錆の牙”。

 第三迷宮〈邪霊の廟堂〉、“魂魄の首飾り”。

 第四迷宮〈魚鱗の水路〉、“呪氷の槍”。

 第五迷宮〈魔樹の庭園〉、“禁忌の果実”。

 第六迷宮〈幻影の書庫〉、“忘却の書”。

 第七迷宮〈古龍の祠〉、“原初の血”。

 かつて混沌より分かたれた光と闇。

 闇はその力を更に七つに割り、封印し、そして隠した。自身の記憶と魔力を分け、厳重に封じ込めた。

 今、固く閉ざされていた錠に鍵が刺さる。

 割り分けられていた力が再び集結する。

 現れるのは、闇そのもの。何人たりとも逃れることは許されない“死”そのもの。混沌より分かたれた、光の対となる存在。


「――開け、第八迷宮〈奈落の廻廊〉」


 荒野に黒い穴が開く。

 それは全てを呑み込んだ。

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