第26話「つつぬけ」

 キィちゃんたちと楽しい食事を堪能した後、私は特大のステーキを載せたワゴンを携えて〈骨骸の門〉の守護者の間へと向かっていた。

 今回の休暇も、闇龍ヒュカが仕事を代わってくれているおかげだ。何かしら差し入れを渡すのもいいだろう。そう思って、グウェルからとびきり大きな肉獣を締めて貰っていた。なにせ相手は龍だ、これくらいはないと食べ応えも何もあったものじゃない。


「そう考えると、図体が大きいのも困りものよね」


 体が大きいのは戦う上では有利な事も多いが、生活するのは大変だ。燃費が悪いし、住居も選ぶ。本を読むのも一苦労だろう。

 家妖精シルキーたちが総出で焼いてくれたステーキは、クローシュの下でぱちぱちと脂を弾けさせている。そう冷める物でもないが、できるだけ早く渡した方がいい。


「ヒュカ。良いもの持ってきてあげたわよ」


 迷宮の守護者の間に続くドアを叩いて声を上げる。そうすると、向こう側から何やらドタバタと騒がしい音がして、ヒュカの声が返ってきた。


「う、うむ、ご苦労。そこに置いておけ」

「どうせなら持ってってあげるわよ。とりあえずドア開けるわよ」

「待て! す、少し待て!」


 ドアノブに手を掛けようとすると、切迫した声色で拒否される。その強い口調に驚いて思わず動きを止めるが、冷静になって何かがおかしいことに気がついた。


「ヒュカ、もしかして何かあった?」

「い、いやそんなことはない。我が迷宮に君臨しているのだぞ。お前は立ち去ればいい」

「……なんかあったでしょ」

「なんでもない! とりあえず入ってくるな!」


 ドン、と強い衝撃がドアに伝わる。どうやらあの龍が、自分の体でドアを抑えているらしい。龍種の巨体を遺憾なく発揮して、この私の立ち入りを禁ずるとは……。


「正直に話せば、許してあげるわよ」

「許すも何もない。我は……そう、少し腹が痛いのでな。うむ、案ずるな!」


 明らかな嘘だ。龍種とはこれほどまで愚かな存在だったか。ヤムボーンが見ればどう思うだろう。


「――ヒュカ、一つ言っておくわ」

「な、なんだ」


 ワゴンを廊下の端に寄せて、関節を回す。ポキポキと音が鳴り、鈍っていた体が元に戻っていく。


「怪我しても知らないわよ」

「は?」

「――“霊錠解放:魔人の脚鎚”」


 古びた鍵が回り、扉が解放される。突き出されたのは巨大な黒い脚。それは凄まじい勢いでドアを突き、破片を広げて砕く。


「ぐおあっ!?」


 扉を抑えていた黒龍の巨体も諸共吹き飛ばす。

 私は非力だが、私が使役するものは強力だ。齢千と少しの龍程度、雑作もなく蹴り飛ばせる。

 我が迷宮に穴が開くのは業腹物だが、それはあとでゆっくり直せば良い。それよりも今は、迷宮の主に隠れてコソコソと何かをやっているトカゲに怒りを覚えていた。


「は、入るなっ! 入ると殺すぞ!」

「やってみなさい」


 子供のように喚くヒュカを無視して迷宮の間に立ち入る。そこにあったものを見て、私は思わず硬直した。


「……これは、どういうこと?」

「……」


 骨骸が積み上げられた、荘厳な広間。玉座は潰れているが、その威容は健在だ。

 私が何人もの勇者を出迎えてきたその広間に、穴と門があった。


「おい、ヒュカ」

「ぐっ」


 膨れ上がる怒りの炎を抑えながら、部屋の隅で縮こまる龍を睨む。彼も自分が何をしたのか、分かっていないわけではないはずだ。


「――どうして、守護者の間に迷宮の門がある?」


 勇者たちが入ってくる扉の前に出現している、太い柱で支えられた石造の門。その表面は揺らいでおり、空間が不安定になっていることが分かる。

 それは、迷宮の門。

 〈骨骸の門〉と人間たちのいる世界を繋ぐ、勇者たちの入り口。本来ならば迷宮の端にあるはずのも門が、なぜ最奥とも言える守護者の間にあるのか。

 そして、その門のすぐ側にある黒い靄を吹き出す穴は。


「し、仕方がないだろう!」


 私の視線に耐えかねたのか、ヒュカが叫ぶ。


「あ、あ、あんなに多くの勇者共が、ウジのようにわらわらと、さ、際限なく……。あんなもの、処理できるわけがないだろう!」

「お前……そんなことも知らずに……」


 情けない言い訳に愕然とする。

 ヤムボーンがわざわざ送り込んできたコイツは、何も知らなかったのか。いや、何も知らされていなかったのか。

 〈骨骸の門〉は魔王城七迷宮の第一番目。つまり、全ての勇者たちにとっての最初の関門。ならば、七つの迷宮の中で最も多くの勇者を相手にする。

 その数は、一日におよそ5,000人。パーティで言えば1,000組を越える勇者がやってくる。


「多すぎるだろう! 勇者の侵攻が、激しすぎたんだ! 貴様が居ないのを知って、攻めかかってきたのだろう!」

「今日はいつもより少ないくらいだったでしょ。たったの5,000人で文句言うんじゃないわよ」


 “光の女神”によって人間という種族は栄華を誇っている。増殖に増殖を繰り返し、やがて世界という箱庭すら手狭になった。それでも“光の女神”は飽き足らず、更なる繁栄を人間に与えようとしている。

 異世界であるこちらへ侵攻しているのも、それが理由だ。

 そして、“光の女神”にとって人間とは文字通り掃いて捨てるほど、いくらでも代わりのいる存在だ。彼女は人間を個として見ることはない。ただ“人間”という種族が栄えていれば良い。だから、彼女は人間を送り込む。完全な物量作戦だ。


「向こうが5,000人送り込んでくるなら、こっちは4,999人を倒す。残りの1人を確実に潰すため、その弱点を調べ上げて後ろの迷宮に送る。それが第一迷宮〈骨骸の門〉の仕事なの」


 伊達に七迷宮で一番の広さを誇っているわけではない。昼夜を問わず入り込んでくる勇者どもを受け入れるだけでも、広大な面積が必要だ。奴らを殺すには、無限に迫る不死者アンデッドが必要だ。

 それでも倒しきれないほどの、5,000分の1を、守護者が相手にするのだ。


「お前は……お前は何人の勇者を倒した! それと、この穴はなに!」


 怒らずにはいられない。怒らなければならない。この龍は龍としての誇りすらなく、迷宮守護者の矜持も捨てて、尻尾を丸めて部屋の隅で震えていたのだ。

 ヒュカに詰め寄り問いただす。如何に頼りない龍でも、守護者の間は戦った形跡がない。門の前にある黒い穴に何かカラクリがあることを信じて、彼の言葉を待つ。


「――さ、三人だ」


 初めて顔を合わせた時の勢いなどすっかり無くして、ヒュカが口を開く。その隙間から漏れ出した言葉に、一瞬理解が追いつかなかった。


「さ、三人? 三千でも、三百でもなく?」

「そうだ……。最初にやってきた三人の勇者を、焼き殺した」


 何をやっていたんだ、こいつは。

 怒りを通り越して呆れ、思考が停止する。


「それ以外の勇者はどこに」

「……」


 押し黙る龍。

 苛立ちを抑えきれなくなった私は、再び魔人の脚を呼び出して彼の腹を蹴る。


「言え。どこにやった」

「…………第七迷宮だ」

「は?」


 再び、予想だにしない言葉に虚を突かれる。

 今こいつはなんと言った。第七迷宮だと? 第二の盾たるグウェルの〈餓獣の檻〉すら飛び越して、最終防衛ラインである〈古龍の祠〉へ? 勇者たちを? 4,997人の勇者を?


「カラス!」

「はっ」

「すぐに守護者各位に連絡。大魔王ミラにも。緊急事態だ」


 緊急事態というのは、そう何度も発生されては困るから緊急事態だというのに。

 頭が痛い。苛立ちで腸が煮えくり返る。


「あ、安心しろ。第七迷宮には我以外の龍が多く待ち構えている。勇者共も羽虫のように焼かれて――」

「そういう問題じゃないっ!」


 どうして七つの盾が魔王城を守っているのか、こいつは何も理解していない。ヤムボーンもそれを忘れてしまったのか。

 へらへらと笑うヒュカの顔面を、魔人の脚が蹴り上げる。


「る、ルビエラ様!」


 焦燥した声でカラスが戻ってくる。

 私はぐったりと重い体を何とか両足で支えながら、彼女の報告を聞く。


「だ、第七迷宮〈古龍の祠〉が壊滅。3,000人を越える勇者が、魔王城へ侵攻中です」

「なっ!」


 ヒュカが驚愕に声を上げる。

 私としては、大して驚きもない。


「3,000人の勇者も、各個撃破できれば大したことはない。けれど、全員が結束してやってくれば、龍だって倒される。そうならないように、〈骨骸の門〉があるのよ」


 代役を立てたのは間違いだった。

 カラスを使って、監視はしておくべきだった。

 あらゆる後悔が去来して、苛立ちの炎に焼べられていく。しかし、今はそんなことをしている暇がない。ただ何か対策を打たなければ、こちらが負ける。


「カラス、大魔王の所へ行くわよ」

「ということは……」

「各迷宮守護者に通達しなさい。七秘宝の封印を解放、大魔王ミラの拘束を解き、最終決戦に挑む」


 私からの伝言を受けたカラスが飛び立っていく。

 それを見送る暇も無く、私もまた迷宮の扉を閉じ、守護者の間を出る。


「あんたはそこでしょげてなさい」


 一人残された闇龍ヒュカは、ぐったりと首を曲げた。

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