第24話「不穏な影」

 緑の中をひたすらに進む。人工的な建造物は見当たらず、ただ様々な木々が入り乱れた、不自然なほどに自然豊かな迷宮だ。

 あちこちから鳥の囀りや獣の声が聞こえるのに、その姿は見えない。むせ返るような熱気と、じっとりと肌にへばりつく湿気が思考を鈍らせる。快適な〈魚鱗の水路〉からの変わりように、思わず怨嗟の声が漏れ出した。


「全部伐採してやろうかしら……」

「魔樹を切り倒すのは、大変だよ」

「分かってるわよぉ」


 ウィニに正論を叩き付けられる。しかし、冗談でもそんなことを言いたくなるほどの不快感だ。暁の勇者もよくこんな緑の地獄を突破したものだ。


「申し訳ありません、ルビエラ様。我々にはこの環境が最も心地よいのです」


 そう答えるのは、私たちを先導してくれているドライアドの少女だ。普段は〈魔樹の庭園〉の守護者であるコンポールの代理として会合に出席している、側近でもある。

 緑の前髪で顔の半分ほどを覆い隠した彼女は、恭しく頭を下げた後、再び歩き始める。


「それに、これでも草木の勢いは衰えています。コンポール様が傷付き倒れてしまったため、迷宮中の栄養をその治療に集中させていますので」

「これで衰えてるって……。まあ、普段はもっと賑やかだったわね」


 私たちが訪れているのは第五迷宮〈魔樹の庭園〉。守護者コンポールを中心に据える、巨大な森の迷宮だ。全盛期は更に鮮やかな緑が繁茂し、奥に進むほど鬱蒼と枝葉を伸ばす巨木によって行く手を遮られた。

 言われてみてみれば、確かに今の迷宮はどことなく元気がないようにも見えてしまう。


「ウィニも辛そうね。こういう所は平気かと思ってたけど」


 隣を歩くウィニも額に汗を滲ませ、口を固く結んでいる。てっきり、こういう自然の多い場所は得意なのだと思っていたから、少し意外だった。

 彼女はそんな私に振り向いて、唇を尖らせる。


「私は、アラクネーだけど、暑いところは苦手。虫の蜘蛛と一緒じゃない」

「それもそっか。ごめんなさいね」


 人間が猿と言われるようなものだろうか。そもそも彼女は上半身が可愛らしい女の子だった。

 私が謝ると、ウィニは頬を丸く膨らませた。


「ルビ様、お花あったよ!」

「触っちゃ駄目だからね」


 しかし、こんな所でもキィちゃんは相変わらず元気だ。ぱたぱたとドライアドの案内人の周囲を走り回りながら、初めて見る様々な植物に目を輝かせている。

 真っ赤な食人植物の花を見つけた彼女に注意しながら、その無限に湧き出る元気を羨ましく思った。


「コンポールの容態はどうなの? 依り代も使えないくらいだし、随分と危ないんでしょうけど」


 徐々に暗くなる森の中を歩きながら、案内人に話しかける。コンポールは動くことができないため、普段の会合でも花束の依り代を代理に持たせて出席していた。

 しかし、今回の勇者襲来によって倒され、その依り代すら使えないほどに衰弱してしまった。

 大きなスズランのような花を手折り、ぼんやりと光るそれをランタンの代わりしながら、ドライアドは曖昧な表情を浮かべる。


「もう少しで御前です。私の口から申し上げるより、実際にご覧頂く方が良いでしょう」


 悲しげに瞼を伏せ、彼女は再び歩き出す。

 緑の肌は焼けただれ、片腕も千切れたところがまだ癒えきっていない。側近である彼女もまた、コンポールと共に大きな傷を受けたのだ。


「この先です」


 ドライアドが道の端に寄り、振り返る。ここから先は私たちだけで行けということだろう。案内してくれた彼女を労い、ウィニと共に前へ進む。

 立ちはだかっていた木々が左右へ分かれ、道を作っていく。それに誘われるまま進むと、唐突に視界が開けた。


「これは……」


 燦々と陽光の降り注ぐ庭園。色とりどりの花が鮮やかに咲き誇り、蝶が羽を上下させて揺れている。牡鹿、熊、小鳥、蛇、様々な生き物たちが、そこに集まっていた。捕食者も、被捕食者も関係なく、庭園の中央に向かって目を向けている。

 そこにあったのは、無残に切り倒された巨大な老木の切り株だった。


「コンポール」


 魔樹コンポール。世界が果てしない混沌から光と闇に分かたれた時、泥濘んだ大地を固めるために蒔かれた二つの種。人間界の中心にある聖樹の片割れ。二つを合わせ、世界樹として根を伸ばす、老いた大樹。

 それが今、哀れな切り株となってそこにある。切り倒された幹はその背後で朽ちかけ、半分ほどがすでに土へ還っていた。


「やあ、珍しい客だ」


 切り株から声がする。視線を向けると、そこに腰掛ける少年がいた。淡い新芽のような緑の髪の隙間から、深い緑の瞳が覗く。その姿を認めて、私たちはほっと息を吐き出した。


「ずいぶんと若返ったわね、コンポール」


 不敵な笑みを口元に浮かべる少年は、ひとまず元気そうだ。安心して名前を呼ぶと、彼は「ひどいもんだよ」と肩を竦めた。


「根元からざっくりとやられてしまったよ。おかげで数千年分の魔力を失った」

「そこまで切られたのは、初めて見る。その姿も、初めて」

「ウィニと初めて会った時は、もう少し成長していたからね。僕もここまで切られるとは思わなかったさ」


 年齢的には私とタメを張れるコンポールが少年のような口調だと、かなり違和感がある。容姿的にはそっちの方が妥当だろうけど、中身は数千歳の老人だ。


「一命は取り留めたけど、次に暁が来たら今度こそ根の先まで枯れるだろう。元の状態まで戻るには、少なくとも2,000年は掛かる。ルビエラ、なんとか頼むよ」

「簡単に言ってくれるわね。“禁忌の果実”は無事なんでしょう?」

「当然。アレがなくなったら、いくら僕が生き残っていても、僕らの敗北だからね」


 それならいい、と頷く。

 七つの迷宮に封じられ、七つの異界のコアとなる、七つの秘宝。〈魔樹の庭園〉にある“禁忌の果実”が奪われることだけは、避けなければならない。


「しかし、一つだけ気がかりなことがある」


 顎に指を添えて、コンポールが口を開く。真剣な表情をして、こちらを見る。


「龍が七秘宝の在処を知りたがっている」

「……ふぅん?」


 彼の言葉に、思わず声がでる。

 抑えていた魔力が漏れ出し、庭園に集まっていた動物たちが脱兎の如く森の中へ逃げ出してしまった。


「教えたの?」

「いいや」


 コンポールが首を左右に振って否定する。良かった、彼はまともだ。

 七秘宝はそれぞれの守護者に委ねられている。その隠し場所は最大の秘密であり、他の守護者――それどころか大魔王ミラさえ知り得ない。迷宮の管理をヒュカに任せている私も、“死者の瞳”の場所は明かしていない。


「時間は毒だ。ただ無為に当たり続ければ、龍の精神すら蝕んでしまう。奴がただ石を積み上げているだけなら問題はない。しかし、やる気を出す方向を間違えれば、厄介だぞ」

「分かったわ。注意しておく」

「それに越したことはない」


 全く、野菜を貰いに来ただけなのに、悩みの種が増えてしまった。額に手を当て項垂れると、ウィニが慰めるように肩に手を置いた。


「ルビエラ、大丈夫?」

「一応ね。仕事してないのに、仕事が増えた気分だわ」


 思わず悪態をつき、ウィニの胸に頭を預ける。彼女が驚いて体を強張らせるが、それでも白い服に包まれた体が柔らかく頭を受け止めてくれた。彼女の低い体温が熱くなった頭を冷やしていく。


「る、ルビエラ、キィちゃんが見てるよ」

「別にいいけど――」

「よ、よくない。こういうのは、二人きりのところで……。こほん、とりあえず、立って」


 顔を真っ赤にさせたウィニに押されて体を離す。キィちゃんの方を見れば、彼女は不思議そうに首を傾げていた。


「さて、ルビエラ。野菜が欲しかったんだろう」

「そうそう。と言っても、在庫がないなら仕方ないと思ってるんだけど」

「畑は無事だ。好きなものを好きなだけ持っていくといい」


 切り株に腰掛けたまま、コンポールは快く頷く。私は彼の厚意に甘えることにして、キィちゃんと共に〈魔樹の庭園〉の農園へと向かった。

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