第23話「忠告」

 第四迷宮〈魚鱗の水路〉は、勇者がほとんどやって来ない。そのため、勇者迎撃施設よりも食料生産施設としての側面が強い。〈餓獣の檻〉が肉獣を育てる牧場なら、ここは魚を育てる養殖場だ。


「ルビ様、涼しいねぇ」

「ええ。水が流れてるだけでずいぶん違うわ」


 石造りの水路に沿って歩きながら、キィちゃんが表情を和ませる。全体を白い石材で構成されたこの迷宮は、目にも涼しく、日照りの厳しい〈餓獣の檻〉からやってくると、その環境の違いに驚いてしまう。

 ウィニもこちらの方が過ごしやすいのか、日傘をたたみ、アームカバーも外して身軽になっていた。


「ルビ様、お魚! 泳いでるよ!」

「あんまり近づいちゃ駄目よー」


 水路の透き通った水の中では、キィちゃんの身長ほどもある大きな魚が悠々と泳いでいる。不用意に近づけば、途端に水から飛び出して喰らい付いてくる凶暴な肉食魚だ。

 一応ここはまだ迷宮区なので、水路には入らない方が良い。


「シューレイは暁の勇者に負けたはずだけど、様子はどうかしらね」

「一命は取り留めたけど、瀕死の重傷って聞いてるね」


 勇者襲撃後の会合では、この迷宮の守護者であるシューレイは代理を立てた。彼女は暁の勇者に負けて、現在は眷属たちによって治療が続けられているはずだ。

 グウェルのところの“八牙”のように強い眷属を育てれば良いのに、彼女は自ら最後の関門として立ちはだかる方式を選んでいる。私は死んでも甦るが、彼女は生者だ。なぜそんな危険な方法を取るのか、いまいち理解が出来なかった。


「ルビエラ様ー」


 水路の側を進んでいると、奥からカラスがやってくる。例によって先に遣わせていた彼女は、無事にアポを取ってくれたらしい。

 カラスを受け止めようと肩に掛かった髪を払ったとき、彼女が足に何かをぶら下げているのに気がついた。

「カラス!? 何持ってるのよ」


 それは、青く濡れた鱗を持つ人魚だった。緩く波打つ髪から滴を落としながら、カラスの鉤爪に掴まれて空を飛んでいる。


「他人様の迷宮の物を勝手に持って来ちゃ駄目でしょ」

「いえ、そうではなくて」


 眉間に皺を寄せて叱ると、彼女は慌てて首を振った。それと同じくして、くったりとしていた人魚が顔を上げた。


「申し訳ありません、ルビエラ様。私がこうするように頼んだのです。水路を泳いで進むよりも、こちらの方が速いとのことでしたので」

「うわっ。喋れるのね……」


 カラスが鉤爪を離し、人魚は水路に落ちる。そうして、水面から顔を出して、改めて深々とお辞儀をしてみせた。


「ルビエラ様、ウィニ様。そしてキィ様。ようこそ、〈魚鱗の水路〉へ」

「ご丁寧にどうも。もしかして、貴女は会合に出てた代理の人?」


 人魚の顔は見分けづらいが、なんとなく覚えがあった。果たして私の直感は当たっていたようで、人魚は嬉しそうに頷いた。


「覚えて下さっていたとは、光栄です。私はシューレイ様の側近、ユラと申します」


 どうやら、彼女は随分と地位の高い人魚だったらしい。私の迷宮で言えばカラスと同格くらいか。どおりで会話が交わせるほどの知能を持っているわけだ。


「大変申し訳ありませんが、主は今動くことがままなりません。そのため、皆様にご足労願いたく」

「それは良いけど、シューレイの所に押しかけてもいいの? ちょっと魚が貰えればいいんだけど」


 私としては、適当な魚が手に入ればそれで目的は達せられる。わざわざ治療中の重傷人の元へお邪魔しなくとも別にいい。

 しかし、そんな私の思惑に反して、ユラは頷いた。


「むしろ、是非お会い下さい。主も他の守護者の方々との交流で乾いた鱗を濡らして頂けると思います」

「なるほど? そういうことなら、顔だけ見せに伺うわ」

「ありがとうございます。では、ご案内致しますね」


 ユラは嬉しそうに目を細め、水の中に入った。

 私たちは彼女の後を追って水路を進む。迷宮区だけあってかなり複雑な経路を辿りながら、奥へ奥へと進んでいく。

 例え迷宮守護者であろうと、管轄外の迷宮では当然迷う。〈餓獣の檻〉くらいならまだしも、〈魚鱗の水路〉のような本格的な迷宮となると、案内人がいなければすぐに現在地すら分からなくなってしまう。


「わぁい! 待って待って-」

「キィさん、転ばないように気をつけて」


 水面に白い尾を引いて進むユラの後を追って、キィちゃんとウィニが軽快に走る。

 ウィニは足が八本もあるからか、普段引きこもっている割に足が速い。キィちゃんは若さ故か無尽蔵の体力を持っている。


「ぜぇ、ぜぇ。ちょ、みんな……はや……」

「ルビエラ様、情けないですねぇ」

「羽もぎ取るわよ」


 対して私はというと、息も絶え絶え、足を引きずり、遠くなる彼女たちの背中を追っていた。カラスが器用に宙に浮いたままこちらを振り返り、私を見下ろす。

 こっちは心臓も動いてない老体なんだ。もう少し気遣ってくれてもいいんだぞ。


「日頃から運動した方が良いですよ」

「しても鍛えられないし、しなくても衰えないのよ。知ってるでしょ」


 生意気なカラスに返しながら、自分でも情けなくなる。

 仕方がないとは言え、こういうところで自分と他との差を見せつけられると、心まで苦しい。生まれた時からずっと、激しく動くのは苦手だ。だから霊錠魔術を使って、他の者に戦わせている。

 かなり離れたところでユラが私に気付いてくれて立ち止まる。私は這々の体で彼女たちに追いつき、水路に足を突っ込んで体を冷やした。


「申し訳ありません。少し急ぎすぎました」

「はぁ、はぁ……。いいのよ、こっちが遅いだけだし。……もうちょっとゆっくり進んでくれるとありがたいけど」


 足は遅いし息も上がるが、疲れるわけではない。すぐに動けるようになり、立ち上がる。

 再び歩き出した時、先導するユラはかなり速度を落としてくれた。


「なんか、魚の種類が増えてきたわね」


 余裕ができ、周囲を見渡す。

 ユラの周囲には肉食魚以外にも様々な魚が見え始めた。中には色鮮やかな種類もいて、キィちゃんが楽しげに指を差している。


「このあたりは迷宮でも裏に近い区域になります。勇者迎撃の主力である肉食魚や魚人シーマンの主食となる魚も少し放しているのです」

「なるほど。ちょっとした休憩ポイントになるわけね」


 不眠不休で動き続ける不死者アンデッドが主体の〈骨骸の門〉とは違って、〈魚鱗の水路〉に棲むのは生きた魚たちだ。当然、食べて寝て英気を養わなければ戦えない。このような休憩ポイントは各所に点在しているのだろう。


「そして、この先が居住区です。私から離れずついてきて下さい」


 そう言って、ユラはふわりと水面から浮かび上がる。会合の時のシューレイがそうしているように、体の周囲に水を纏い、水球ごと浮遊していた。

 彼女は水路の壁の一部に手を伸ばし、何事か呟く。積み上げられた石材が滑るように左右に移動し、隠されていた通路が開いた。


「ふわぁ、きれい!」


 そこをくぐったキィちゃんが歓声を上げる。秘密の通路の先にあったのは、全てが水で満たされた鮮やかな青の世界だった。


「こちらへ」


 ユラが水の中を進む。

 さっきまでとは逆に、私たちが泡の中に包まれたまま水の中を奥へと向かうことになった。周囲には魚が群れを成し、長い海藻が揺れ、鮮やかな珊瑚が彩っている。幻想的な光景に、キィちゃんのテンションもうなぎ登りだ。


「自分で歩かなくて良いのは楽ね」

「そんなだから駄目なのでは?」


 私たちを包む泡はユラが引っ張ってくれているようで、たゆんと柔らかく揺れる泡の中でゆったりと過ごすことが出来る。

 ひんやりとしていて涼しいし、なかなか快適だ。

 広い水中を進むことしばらく。ようやく目的地らしいものが見えてきた。大きな二枚貝の中に作られた、水中の宮殿だ。珊瑚や貝で飾られた豪勢な建物の中に、ゆっくりと入っていく。

 矛や剣で武装した近衛の魚人シーマンたちに見られながら、建物の奥へと向かう。そうして何枚もの扉を抜けた先に、彼女はいた。


「遅かったわね。ルビエラ」


 貝のベッドに横たわる青髪のマーメイド。珊瑚の髪飾りを外し、化粧も落とし、あどけない顔をこちらに向けている。いつもの重たそうな衣装も脱ぎ、簡素なドレス姿だ。


「貴女の準備が整うまで待ってて上げたのよ」

「よく言うわね」


 もう少し口答えしてくるかと思ったが、呆気なく言葉が途切れる。傷は隠しているが、恐らくドレスの下には今も激痛が走っているのだろう。


「暁の勇者、強かったでしょ」

「……」


 ベッドに近づいて言うと、シューレイはキッと私を睨み上げた。


「よく生き残ったわ」


 言葉を続ける。

 彼女はそれを聞いて、一瞬呆けた顔を見せた。すぐにそれを隠し、誤魔化すようにそっぽを向く。


「私に掛かれば楽勝よ。……それに、皆が身を挺して守ってくれたもの」


 彼女は一命を取り留めたが、そこには大きな犠牲があったはずだ。不死者アンデッドであれば、時間さえ掛ければ取り戻せる。しかし、生者はそうもいかない。彼女に近しい立場であれば、思い入れもあったのだろう。

 シューレイのもの悲しい横顔に、私は思わず片眉を上げた。


「シューレイ。貴女が生きていれば、負けではないわ。先代――貴女のお父様が勇者に敗れた時も、貴女が生きていたから、この迷宮は今もあるの」

「分かっているわ。当たり前のことを言わないでちょうだい」


 〈魚鱗の水路〉の守護者はシューレイが最初の一人ではない。彼女の前には、その父親がいた。言わば、シューレイは迷宮守護者の家系に名を連ねている。

 私は死んでも甦るが、他の守護者はそうではない。勇者に敗れ命を落とし、代を変える迷宮も、たまにある。


「それよりもアンタ、自分の迷宮を放っておく暇なんてあるの?」


 シューレイが話題を変える。


「ヤムボーンの眷属が代わってくれてるのよ。知ってるでしょ」

「知ってるわよ……。でも認めたくないけど、あの迷宮の守護者がアンタ以外に務まる気がしないわ」


 ある意味で素直なシューレイは、歯に衣着せぬ言動をする。傷を負っていてもそれは健在で、ずいぶんとすっぱりと断じた。


「今のところ異常はなさそうだし、多分大丈夫でしょ。何かあったら報せが来るでしょうし」

「どうかしら……。ああいうプライドだけ肥大した奴らは、信じられない事をしでかすわよ」


 以前はヤムボーンと同調していたくせに、すっぱりと言い切る様子は一周回って潔い。彼女は迷宮守護者の中では一番の若手だったからこそ、突然現れたヒュカには思うところがあるのだろう。


「ともかく、気をつけなさい。何かあった後じゃ遅いのよ」

「分かってるわ。一応、保険は用意してるもの」

「……まあ、アンタはそう言う性格よね」


 疲れたわ、とシューレイはベッドに背中を倒す。

 どうやら言いたかったことは言い終えたらしい。


「魚は適当に見繕っておくわ。コンポールの所にも行くんなら、帰りに取りに来なさい」

「ありがと。お大事にね」


 シューレイは枕に頭を預けたまま、こちらを見ずに手を振る。まるであっちに行けと言いたげな様子に思わず吹き出し、背を向けた。


「キィちゃん、ウィニ、行こっか」

「うん!」


 そうして、私たちは貝殻の宮殿を後にした。

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