第20話「闇龍ヒュカ」
臨時の会合を終え、這々の体で〈骨骸の門〉の居住区に戻る。
「ルビ様、おかえりなさい」
「ただいま。キィちゃん」
出迎えてくれたキィちゃんを抱きしめ、荒んだ心を少しでも癒やす。今回ばかりは衝撃が大きすぎて、彼女を少し抱きしめたくらいでは収まらないが、それでも何もしないまま棺の中に籠もるよりはマシだった。
「どうかされましたか、ルビエラ様」
パタパタと飛んできたカラスに尋ねられる。私が留守にしている間の迷宮は平和そのものだったらしく、向こうからは特に報告すべきこともないようだ。
「実はね――」
私は気怠さを隠すことなく、会合で決まったことをカラスたちに伝える。それを聞いた彼女たちは、一様に目を見開いて驚いていた。
「め、迷宮を明け渡す!? それも、ヤムボーン様の配下に、ですか……」
「キィちゃんたち、おうち無くなっちゃうの?」
絶句するカラスの隣で、キィちゃんが涙を滲ませる。
「そういうわけじゃないわ。私たちは居住区に押し込められるだけ。そうだ、キィちゃんと毎日遊べるわよ」
「ほんと!?」
ヤムボーンも、わざわざ私から〈骨骸の門〉の全てを奪い去ろうとしているわけではない。おおかた、自分たち龍種の威厳を見せつけようとでもしているのだろう。私に迷宮区への立ち入りを禁じ、
裏を返せば私は仕事をする必要が無くなり、キィちゃんと過ごす時間が増えるとも言える。
「ほんとほんと。ルビ様嘘つかない」
「うん! じゃあ、これから毎日一緒にあそぼうね!」
キィちゃんはそういって、無邪気に笑う。
私も彼女の笑顔を見ているうちに煩雑な思考が吹っ切れた。初めての長期休暇を頂いたと思うことにして、いっそのこと迷宮はすっぱり忘れてしまおう。
「カラスもたまには羽を伸ばしなさい」
「いいんですか? わたくしは迷宮の防御要員ですが……」
「アンタは私の側近だし、家族みたいなもんよ。ていうか、アンタとリンクできるのは私だけだし、後任が来ても自滅特攻要員くらいにしかならないでしょ」
「そういうことなら。久しぶりに群れで飛んできましょうかねぇ」
もうすぐ迷宮の管理権限は失われるが、今はまだ私が守護者だ。迷宮で働く防御要員の人事も好きにできる。長年仕えてくれたカラスも、たまには暇を出してやろう。
「それじゃあ、私は後任との引き継ぎ作業があるから。カラスはついてきて。キィちゃんは良い子にして待っててね」
「うん。ルビ様、行ってらっしゃい」
カラスを肩に乗せ、最後の仕事を終わらせるため守護者の間に向かう。そこにヤムボーンが遣わせた彼の眷属、〈骨骸の門〉の新しい守護者がやってくるはずだ。
「おや?」
守護者の間に続く扉の前に立った時、カラスが不意に声をあげる。どうやら、予想しないことがこの奥にあるらしい。特に制止はされなかったので、そのまま扉を開く。
「あれ、ウィニじゃないの」
「お、お邪魔してます」
そこに立っていたのは、アラクネーの少女ウィニだった。彼女は黒い蜘蛛の体を丸く縮ませて、おどおどとしながらこちらへやって来た。
「貴女が後任、ってわけじゃないわよね」
一応尋ねてみると、彼女はふるふると首を振って否定した。彼女は第六迷宮の管理があるし、魔術の研究も行っている。わざわざこんな忙しい迷宮にやってくるのも大変なはずだ。
「何かご用件でも?」
「うん。その、大魔王様の勅命だっていうのは、分かってるんだけど。やっぱり、納得できなくて」
いつもは寡黙なウィニが、珍しく魔術以外の事で口数が多い。彼女は心配を強く顔に滲ませて、私の手を握った。
「や、やっぱり第一迷宮はルビエラじゃないと駄目だと思う。みんな、分かってないんだよ」
「ウィニ……」
彼女の優しさが身に凍みる。
しかし、大魔王ミラの言葉は絶対だ。
私が従っているのも彼女の命令だからであって、ヤムボーンや他の守護者に唆されたからではない。守護者同士はあくまで対等な関係であって、何かを頼むことはできても、強制することはできない。
「大丈夫。ウィニには新しい幻影魔術もかけて貰ってるし、そうそう迷宮が破壊されることもないでしょ」
「でも……」
なおもウィニが食い下がろうとした、丁度その時だった。守護者の間の扉が開き、奥から黒い首がぬっと現れる。
「ここが〈骨骸の門〉の守護者の間か。随分と安っぽくて狭い部屋だな」
「ごめんなさいね。アンタみたいなデカブツを入れる予定なんてなかったもので」
扉を押し開き、嫌味と共に現れたのは、漆黒の鱗を持つ龍だ。ヤムボーンよりは小柄とはいえ、守護者の間が窮屈に思える程に大きく、体から漏れ出す魔力も濃密だ。
「闇龍ヒュカ。一応、歓迎して上げましょう」
「ここを去る者に歓迎される理由はない。我はここの主になるのだからな」
最低限の礼儀として両腕を広げるも、龍は真横を素通りして玉座に向かう。そうしてわざとらしくその上にのし掛かり、石の玉座を自重で砕いた。
「ふむ。安っぽい椅子だな」
正直、腸は煮えくり返っているが、どうせ会うのは今日が最後だ。微笑みの仮面を着けたまま、ヒュカのもとへ歩み寄る。
「ルビエラ……」
「大丈夫。ありがとうね」
心配そうに細い眉をひそめるウィニに小声で感謝しつつ、龍の鼻先に立つ。
「それじゃあ、引き継ぎを始めるわね。まずは――」
「必要ない」
「……は?」
胸元から急いで書いたメモを取り出して、読み上げようとしたその時。ヒュカの口から放たれた言葉に遮られる。その言葉の意味するところを理解できず、思わず頓狂な声を出してしまった。
そんな私を、ヒュカはヤムボーンに似た粘着質な笑みで見る。
「要らぬ、と言っているのだ。我は賢き龍だぞ。そんな我に貴様風情が物を教えようなど、無礼千万と心得よ」
「えっと……。ええ……」
平の龍から突然迷宮守護者に成り上がって、ルンルン気分なのだろうか。物凄く調子に乗っている。
私は思わずカラスを見て、背後にいるウィニを見る。
「こちらの言葉は通じないでしょうね」
「ルビエラ、やっぱりミラ様にもう一度訴えた方がいいんじゃない?」
こそこそと声を抑えて二人が伝えてくる。
そんな様子が龍の逆鱗に触れてしまったらしい。
「何を鳩のように集まって密談している。偉大なる龍の御前におるのだぞ」
ヒュカは、ふしゅう、と鼻息荒く苛立つ。大きな鼻の穴から吹き出したのは、黒い闇だ。
闇龍はその名の通り、闇を繰る龍。たしかに、
てっきり、死龍や邪龍あたりが出てくるかと思ったが、ヤムボーンはそこまでの勇気はなかったらしい。
闇龍なら能力的に問題はない。しかし、本人の資質のは大いに難あり、と私の脳裏で警鐘が鳴り響いていた。
けれど、それを今更どうこうできるものでもない。私は小さくため息をついて、諦めの境地に至る。
「ごめんなさいね。貴方の隠しきれない威厳に少し動揺してしまったわ」
丸っきり大根役者の棒読み芝居だが、調子に乗っている奴にとってはどうでもいいらしい。気をよくした様子で鼻から黒い煙を吹き出す。
その余裕が何日で崩れるか、私も少し楽しみになってきた。
「そういえば、貴方はお幾つなの?」
年齢はある程度実力と比例する。彼の年齢がそれなりにあるのなら、性格がアレでも多少は信頼できる可能性が無きにしも非ず、と言ったところだ。ぶっちゃけただの興味本位だが、ヒュカは偉ぶって笑みを深める。
「我は齢1,000と268。あと732年も経てば古龍と称される」
「……なるほどぉ」
堂々と放たれた年齢に、思わず呆然とする。
そんな私たちの反応をどう察したのか知らないが、ヒュカは今度こそ大きく口を開いて笑声を上げた。
「それじゃ、私は潔く去るわ。ウィニも行きましょう」
「え、うん。えっと……」
「いいから。ヒュカ様のお邪魔をしちゃ申し訳ないわ」
後ろ髪引かれるウィニの手を引いて、守護者の間を出る。
重い扉が完全に閉まり、居住区と迷宮区が隔たれた瞬間、ヒュカは早速二つの区画を分離してしまった。
「ルビエラ……。大丈夫?」
「どうでしょうねぇ」
自分たちの声が向こうには聞こえないと確認した瞬間、ウィニが私の方へ近づいて、覆い被さるようにして顔を寄せた。
カラスもどう動いたらいいのか分からない様子で、私の肩の上で首を傾げている。
「たった千歳とちょっとの子に〈骨骸の門〉は、荷が重すぎるよ……」
「まあ、本人はやる気みたいだし。任せて上げても良いんじゃないの?」
本気でヒュカの身を案じているウィニは、守護者の中では突出して優しい子だ。そんな彼女のことが私は大好きだけれど、私は彼女ほど優しくはない。
「まあ、なるようになるでしょ。偉大な龍種様なんだし」
そう言って、私はキィちゃんの待つ部屋へと歩き出した。
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