第19話「左遷」

「あ、死んだわ」

「なぬ?」


 魔王城の最奥。大魔王ミラの居室にいた私は、そう言って鍵束から手を離した。

 轡と目隠しを取ったミラも、すぐにその事実を確認したようで、何故か残念そうに唇を尖らせる。


「なんじゃ、案外呆気なかったの」

「いやいや。ウィニの所まで攻め込まれてるのよ。未曾有の事態だわ」


 大魔王としての自覚がなさ過ぎる発言に、思わず額に手を当てる。

 ウィニの迷宮〈幻影の書庫〉に勇者が足を踏み入れたのは、今回が史上初のことだ。私のことを馬鹿にしていたシューレイの〈魚鱗の水路〉や〈魔樹の庭園〉も易々と突破され、私は気が気ではなかった。


「ま、流石はウィニね。自分からは一切手を下さず、自滅させるなんて」

「アレの迷宮は、勇者が強ければ強いほど突破困難になるものじゃからのう。面倒くさいと言ったら……」

「アンタはどっち側なんですか。まったく」


 ともかく、無事に勇者は撃退された。急いでここまでやってきたが、その理由もなくなったわけだ。私はほっと胸を撫で下ろし、半分ほど拘束の解けていた大魔王を再び縛る。


「うおお!? ま、また縛られるのか!」

「当然でしょ。勇者は死んだし、封印を解く理由もないもの」

「そ、それはそうじゃが……。むぅ、仕方ないな」


 勇者の脅威が去ったなら、ミラが解放される理由もない。

 私もさっさとこの子を梱包して、自分の迷宮の後片付けに向かいたい。せっかく改装した直後だったというのに、すでにめちゃくちゃにされてしまった。“四呪骸”も消滅してしまったし、新しいものを育てる準備もしなければ。


「ああもう、やることが多いわね」

「くふふ。迷宮守護者は大変じゃのう」

「大魔王様はお気楽でいいわね」


 何せ彼女の仕事はこの監獄で眠り続けることだけだ。それだけで存在が許されるのだから、なんとお気楽なご身分だろう。


「しかし、残念じゃったな」

「どうしたの?」


 ミラは轡を嵌めようとする私の手に拒否を示す。いつもなら従順な彼女の反抗に首を傾げると、彼女は少し億劫そうな顔で口元を緩めた。


「ヤムボーンが登城しておる。他の守護者も招集して、何やら話でもするつもりじゃろ」

「ええ……」


 その言葉に思わず愕然とする。

 第七迷宮〈古龍の祠〉の守護者ヤムボーン。今回の勇者侵攻で唯一仲間はずれにされて、いじけでもしたのか。偉大なる“古代龍エンシェント”様が?


「ともかく、守護者は対等。ならば招集に応じぬ訳にもいかぬじゃろ」

「そうは言っても、シューレイとコンポールは瀕死の重傷よ? グウェルだって新しい“八牙”の育成を一刻を争う急務でしょう」

「奴にとってそんなものは全て些事。龍らしく尊大で高慢なのじゃよ」

「めんどくさいわねぇ」


 面倒くさい。むしろ、それを通り越して迷惑だ。

 私は下腹部に熱を感じて、思わず奥歯を噛み締める。そんな様子を見たミラは、愉快そうにケタケタと笑った。


「くふふ。同僚との関係は良好に保っておく方がよいと思うがな」

「保てるならそうしてるわよ。向こうが歩み寄らないぶんには、どうしようもないだけで」

「強い者同士とは大変じゃのう」


 守護者たちを指先一つで屠れるほどの力を持つミラが言うと、皮肉にしか聞こえない。そもそも、彼女が笑うだけで私が何回死んでいると思っているのだ。


「とりあえず、ミラも行くわよ。ほら、轡と目隠しを着けて」

「ぬぅ。ワシは呼ばれておらぬと思うが……」

「魔王城の主が行かないわけにはいかないでしょ。守護者全員が集まるってのに」


 こうなれば、いっそ彼女も道連れにしたほうがいい。

 私は多少自棄になって、大魔王を強引に拘束して牢獄から連れ出した。



 魔王城大会議室に私が入った時、中にはすでに他の守護者が勢揃いしていた。グウェル、ホルムス、ウィニはともかく、シューレイとコンポールもそれぞれの眷属を遣わせている。


「重役出勤、ご苦労。ルビエラ」


 大会議室の空間の半分以上を占める巨体が首をもたげる。皮肉たっぷりに名を呼ばれ、私は敢えて涼しい顔で頷いた。


「色々と忙しいのよ、こっちも。貴方には分からないかも知れないけど?」


 古龍というのは誇り高き種族だと言われているが、その実体は単にコミュ障なだけだ。ちょっと煽るだけですぐに激昂してしまう。


「貴様ッ! シューレイとコンポールが死んだのは、貴様が勇者共を止められなかったせいなのだぞ」

「シューレイもコンポールも死んでないでしょ。眷属の前で失礼よ」


 どっちが無礼なのか、と円卓の方を見る。そこではシューレイの代役の人魚と、コンポールの代役のドライアドが、複雑な表情でヤムボーンを見ていた。

 今も生死の境を彷徨いながら、眷属たちによって懸命な治療が続けられている主人のことを既に死んだものと扱われるのは、例えそれが遙かに格上な龍であろうと納得できることではないだろう。


「ふん。今はそう大差ないだろう。それよりも、今回の議題は、貴様の処分だ」


 早く席に着け、と顎で促すヤムボーン。


「私の処分?」


 随分と突飛なことを言うものだ。まさか、私がこの迷宮群においてどんな役目を担っているか、私がどのような力を持っているか、知らぬわけでもなかろうに。


「ルビエラ。貴様は先の会合で勇者の撃退率が著しく低下しているのを指摘されたばかりだ。今回もわざわざウィニを呼んで迷宮を再構成したにも関わらず、即座に易々と突破を許した」


 老龍はまるで若者に諭すように、私の働きぶりについて指摘する。

 ウィニが何か言いたげに身を捩るが、龍が一睨みして黙らせる。


「グウェルは長い時を費やして育てた“八牙”を失った。ホルムスは多くの霊が消滅した。シューレイとコンポールに至っては、ここで言う必要もないだろう」

「それら全てが私の責任って言いたいの?」


 思わず声を低くする。

 私が勇者を通したのは私の責任だが、その後の各迷宮での損害まで責められるいわれはない。あくまで各迷宮は独立した異界同士。そこで起きたことはすべて、それぞれの守護者の責任だ。


「少なくとも、勇者を通したのは貴様の責任だろう。よって儂は、貴様の守護者としての資質を問う」

「はぁ!?」


 あまりにも横暴だ。どう考えてもヤムボーンの権限の範囲を越えすぎている。

 私が担当しているのは第一迷宮、勇者にとって一番最初に立ちはだかる関門だ。普通に考えれば、一番撃退率が低くて当然であることなど、火を見るよりも明らかだ。


「ルビエラ。貴様は疲れているのだろう。何百年にもわたる守護者の役により、知らぬ間に疲弊しておるのだ」

「……何が言いたいの?」

「休め、ルビエラ。その間の代役は、我が龍の一門から出してやろうではないか」


 龍の醜悪な笑みに、思わず奥歯を噛みつぶす。

 そこに親切心など欠片もない。要は私の迷宮を横取りしようと言っているのだ。


「そんなこと――」


 許すわけがないでしょう。

 そう言い返そうとした丁度その時、会議室の扉が開かれる。途端に空気が重くなり、息が苦しくなる。シューレイとコンポールの眷属は瞬時に机に叩き付けられ、気を失った。

 圧倒的な覇気。濃密な魔力。

 かみ殺すような笑い声が部屋に反響する。


「くふふ。よい、面白い」

「っ! み、大魔王様――」


 現れたのは、大魔王その人。端正な顔に凶悪な笑みを浮かべて闊歩する。両腕こそ鎖で縛められ、足に枷を嵌め、目を覆い隠しているものの、鮮やかな紅の塗られた口は露わになっている。

 くそ、配下に無理矢理外させたな。


「ルビエラ」


 彼女はゆっくりと私の前までやってきて、顔を向ける。厚い布に覆い隠されているはずの視線が、はっきりと感じられた。黒い布の下にある深紅の瞳が、私を射貫く。


「少し休め。ヤムボーンに任せよ」

「ぐっ」


 言い返したいが、この場では拒否権などない。


「……わかり、ました」


 ミラの背後でヤムボーンが粘着質な笑みを浮かべている。私はそれを睨み付けながら、了承することしかできなかった。

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