第18話「快進撃」
第二迷宮〈餓獣の檻〉。
広大な原野の真ん中にある石造りの闘技場に、四人の勇者たちが立っていた。
彼らの周囲に斃れるのは、屈強な闘獣たち。それも迷宮守護者グウェルが手塩に掛けて育て上げ、幾人もの勇者を食い殺してきた歴戦の獣。特に優れたものだけを選び抜いた“八牙”と呼ばれる獣たちだ。
一頭だけでも、一日に通常の闘獣の50倍以上の肉獣を消費する大食漢でありながら、それだけの食料を費やすに値するだけの力を持っている。いや、持っていた。
「ぐ、う。何という強さダ……」
ルビエラからの通報を受けたグウェルは、決して慢心や油断などすることはなかった。彼女の弱さには怒りすら覚えていたが、彼女の危機管理能力に欠如があるとは思っていない。だからこそ、“八牙”の檻を解放し、闘技場に現れた勇者四人に襲わせたのだ。
それが、この結果である。
「“八牙”を全て倒シ、傷一つ追わぬとハ」
がらんとした客席の真ん中から勇者を見下ろして、グウェルは低く声を漏らす。
数でも、体格でも、力でも、間違いなく有利だったはずだ。敢えて死角から解き放ち、不意を突いたはずだった。
だというのに、勇者たちは、グウェルでさえも手を焼く猛獣を軽く猫でも相手取るかのように一蹴してしまった。
「通って良いか?」
「……なんダと?」
金色に輝く勇者がグウェルを見上げる。
「この迷宮、通過しても良いか?」
その声に、グウェルはたじろぐ。そして、たじろいでしまった自分に驚いた。
勇者の纏う空気が、覇気が、今までのそれとは全く違っていた。力を唯一の判断基準とする獣の魔人であるからこそ、グウェルは敏感に察していた。今、目の前に立っている勇者は、以前のものとはまるで別の次元にいる。
まさしく、神の力を得ている。
「――いいダろう。進メ」
無駄な抵抗はしない。
グウェルは強者としての責任と、弱者としての矜持を以て、第三迷宮へと続く扉を解放した。
第三迷宮〈邪霊の廟堂〉の守護者、ホルムスは一瞬で察した。第二迷宮から続く扉が開き、四人の勇者が入ってきたこと。彼らが今までとは桁違いの力を宿していること。だからこそ、彼は最終防衛ラインである守護者の間を離れ、真っ直ぐに勇者たちの下へと向かった。
「やあ。こんにちは、勇者たち」
「……お前がこの迷宮の魔王だな」
ホルムスが知っていたように、勇者たちも彼の存在を一瞬で察した。相見えるのは初めてだが、所作や纏う空気に全てが現れている。
「君たちは、怖くはないのかい?」
ホルムスが尋ねる。
間髪入れず、勇者は答える。
「怖くはない。今は」
「なるほど。……では、進みなさい」
迷宮が、石造りの霊廟が構造を変化させる。縦横無尽に入り組んでいた通路が組み代わり、真っ直ぐな道になる。
その最奥に構えるのは、解放された第四迷宮へと続く扉だ。
「いいのか?」
その潔さに、勇者たちでさえ瞠目した。
ホルムスは肩を竦め、仰々しく頷いた。
「恐怖のない者に恐怖させることはできない。そうなれば、僕の迷宮は何の意味も持たない。それ以前に、君たちの纏う神性は少し強すぎる」
迷宮に蠢く亡霊たちは、皆勇者が滲ませる力を恐れて逃げ惑っている。ある者は壁に埋まり、ある者は石棺に隠れ、ある者は無理矢理に突っ込んで消滅した。亡霊たちにとって、勇者の放つ神性はそれだけで毒だった。
「ただし、第四迷宮からは一筋縄ではいかないよ。心して掛かるように」
「当然だ」
勇者たちは真っ直ぐ、迷いなく歩み出す。
その背中を見送って、迷宮の扉が閉じた瞬間、亡霊の青年は疲れ果てて意識を途絶えさせた。
第四迷宮〈魚鱗の水路〉、第五迷宮〈魔樹の庭園〉。炎上。のちに破壊。
圧倒的な神性の暴力、そして止めどない炎の蹂躙により、水路は干上がり、草木は枯れた。魔獣たちは軒並み消滅し、各迷宮の守護者であるシューレイとコンポールも瀕死の重傷。現在は、生き残った眷属たちによって懸命な治療が続けられている。
「随分と拍子抜けだったわね」
そして、第六迷宮〈幻影の書庫〉。どこまでむ積み上がる巨大な本棚と、無数の本が入り乱れる迷宮図書館の中を歩きながら、魔法使いティナは退屈そうに唇を尖らせた。
彼女の持つ杖は紅蓮に燃え上がり、その体には一国を滅ぼせるほどの魔力が宿されている。勇者パーティの魔法使いとして、“光の女神の加護”を受けた彼女は、歴代のどの魔法使いよりも優れた技量と魔力を与えられた。
「あまり油断しない方が。何度も殺されかけたじゃないですか」
忠告するのは神官の少女メルト。彼女も“光の女神の加護”を受け、例え致命傷であっても、未知の猛毒であっても、一瞬で癒やすほどの力を得た。
第四、第五迷宮はホルムスの忠告通り、一筋縄では行かなかった。それでも四人が五体満足、ほぼ無傷でここにいるのは、彼女によるところが大きい。
「そうね。ここはまだ誰も到達したことのない、完全に未知の迷宮だから。何が起きても不思議じゃないわ」
格闘家のサラは無限に並ぶ本の森を見渡し、古い紙とインクの匂いを感じながら言う。
歴代の勇者が足を踏み入れることができたのは第五迷宮〈魔樹の庭園〉まで。ここは過去の文献にも載っていない、前人未踏の迷宮だった。
「サラの言うとおりだ。油断せず、ゆっくり進もう。急ぐことはない」
先頭を歩くレオンハルトが、サラに同意する。
迷宮は広大で複雑に入り組み、全貌を掴むことは到底不可能だ。それでも彼らは第一迷宮からここまで、休むことなく歩き続けていた。
すでに体感時間では十日以上が過ぎている。それでも疲労や空腹や眠気を感じることなく、歩き続け、戦い続けることができているのは、ひとえに“光の女神の加護”があるからこそだった。
“光の女神の加護”さえあれば、食料も寝床も必要ない。傷を負えばメルトがすぐに癒やしてくれる。勇者たちは無補給でどこまでも歩き続け、戦い続けることができるのだ。
「けど、この迷宮は退屈ね。何もいないわ」
「勇者が立ち入ったことのない場所ですし、向こうもそういった準備はしていないのでは?」
勇者四人は歩き続ける。
本棚から溢れ、床に積み上げられた本の塔を戯れに崩しながら、ただ何処までも続く暗い館を歩く。照明となるのは、ティナの杖の赤々とした炎の光だけ。それだけを頼りに、ただただ歩く。
「いったい、何冊の本があるんだろうね。王国語、帝国語、共通語、古代語……。あたしの知ってる言語は全部ある」
「魔法語、精霊語。古代魔法語なんてのもあるわ。一冊適当に引き抜いて持って帰るだけでも、一財産築けるんじゃないの?」
疲労はせず、腹も空かず、眠くもならない勇者たちだが、歩き続ければ退屈する。何かが襲いかかってくるわけでもなく、ただ本が無数に積み上がっただけの、似たような風景の中であれば、尚更だ。次第に緊張が解け、口数が増えるのも、当然だった。
「止めておいた方が良い。精神を破壊される魔導書かもしれない」
「分かってるわよ。冗談言っただけでしょ」
レオンハルトの忠告を受け、ティナは伸ばしかけていた手を引っ込める。触れるだけでも危険な禁書の類は、彼女の古巣にも幾つか所蔵されている。その力について、知らないわけではなかった。
「気が緩んでるわね。気をつけないと」
「ほんとですよ」
しれっと言うティナに、彼女の行動を見ていたメルトが呆れた様に言う。
「随分と拍子抜けだったわね」
「ッ!」
ティナが弾かれたように動き出し、杖を背後に構える。
「どうした?」
「今、私の声がした」
「ティナの声?」
仲間の不穏な動きに、レオンハルトたちも周囲を警戒する。
周囲には濃密な闇が広がり、古びた紙とインクの匂いが充満している。物音はせず、風すらも吹かない。静寂の図書館だ。
「あまり油断しない方が。何度も殺されかけたじゃないですか」
再び声がする。
今度はメルトのものだ。
レオンハルトたちはメルトを見るが、彼女は顔を強張らせて強く否定する。
「そうね。ここはまだ誰も到達したことのない、完全に未知の迷宮だから。何が起きても不思議じゃないわ」
「サラの言うとおりだ。油断せず、ゆっくり進もう。急ぐことはない」
サラの声。そして、レオンハルトの声。
「ドッペルゲンガー?」
「いや、でも実体が見えない」
「なんにせよ、警戒しないとね」
メルトを中心に、四人が互いに背を内側にする。
周囲を見渡す陣を組み、何時でも動けるように武器を構える。
「随分と拍子抜けだったわね」
「あまり油断しない方が。何度も殺されかけたじゃないですか」
「そうね。ここはまだ誰も到達したことのない、完全に未知の迷宮だから。何が起きても不思議じゃないわ」
「サラの言うとおりだ。油断せず、ゆっくり進もう。急ぐことはない」
四人の声が再び繰り返される。
彼らはそれが、この迷宮に足を踏み入れた直後の会話であることを思い出した。
「随分と拍子抜けだったわね」
「あまり油断しない方が。何度も殺されかけたじゃないですか」
「そうね。ここはまだ誰も到達したことのない、完全に未知の迷宮だから。何が起きても不思議じゃないわ」
「サラの言うとおりだ。油断せず、ゆっくり進もう。急ぐことはない」
静かな洞窟に反響するように、声は何度も繰り返される。全く同じ声色で、全く同じリズムで。自分たちの声を聞くだけで、強烈な違和感に襲われる。
「何処よ! どこにいるのよ!」
「ティナ、落ち着け」
「落ち着いてるわよっ!」
ティナが魔方陣を展開する。敵が姿を現した瞬間、それを燃やすために。周囲を鋭く睨み付け、不穏な影がないか探す。
「随分と拍子抜けだったわね」
「あまり油断しない方が。何度も殺されかけたじゃないですか」
「サラの言うとおりだ。油断せず、ゆっくり進もう。急ぐことはない」
「随分と拍子抜けだったわね」
「そうね。ここはまだ誰も到達したことのない、完全に未知の迷宮だから。何が起きても不思議じゃないわ」
「あまり油断しない方が。何度も殺されかけたじゃないですか」
「サラの言うとおりだ。油断せず、ゆっくり進もう。急ぐことはない」
「随分と拍子抜けだったわね」
その時、暗い本棚の隙間に、小さな光が見えた。
「“
それを目で捉えた瞬間、ティナの杖が唸る。
莫大な魔力が注ぎ込まれ、杖の先で火球が膨れ上がる。それは瞬時に放たれ、刹那の時間でトップスピードに達する。
本を焼き、本棚を貫通し、火球が光へと迫る。それが目標へと着弾する、その直前。
「――“
勇者たちはあらぬ方向から飛来した極太の火柱によって燃やされた。
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