第21話「クッキング」
突然降って湧いた休暇をどう使おうかと考える。今まで生活のほぼ全てを迷宮の管理に充てていたせいで、暇な時間というものはどうしても持て余してしまうのだ。
「キィちゃんと一緒に、〈幻影の書庫〉でも行こうかしら」
本を読むのは好きだし、たまには専門書以外のものにも手を出してみたい。手当たり次第棚を巡って、時間を忘れて乱読するのも面白いだろう。それに、キィちゃんにも文字の楽しさというものを教えてあげたい。
「ルビエラ、私のところに来るの?」
隣を歩いていたウィニが突然肩を跳ね上げる。彼女は焦った様子で、あわあわと両腕を動かした。
「あれ、都合悪かった?」
「そうじゃないけど。その、準備とか」
「準備?」
「い、いや。その、なんでもないよ」
挙動不審なウィニに首を傾げるが、彼女はそれ以降きゅっと口を結んでしまった。
いつもはカラスを使って必要な本を事前に知らせていたのだけれど、連絡もなしに向かうのは例え図書館であっても拙いだろうか。ああいう、一見するとごちゃごちゃと不整理な部屋や本棚も、所有者からすれば最適化された配置である、という話も聞くし、そういうことかもしれない。
「ルビ様、おかえりなさい!」
「ただいま、キィちゃん」
廊下を進むと、奥の部屋のドアが開いて隙間から金髪の可愛い女の子が飛び出してくる。キィちゃんは私の腰にぎゅっと腕を回し、鼻先を押しつけてきた。愛い奴め。
私がぐりぐりと彼女の柔らかい髪を撫でて上げると、くすぐったそうな可愛い笑声が響く。ああ、この声を聞く事でしか摂取できない栄養素が体に染みこんでいく。どこかのニチャついた笑いとはまるで雲泥の差だ。
「ルビ様、お仕事おわったんだよね。今日は、一緒にごはん食べよう」
「そうね。一緒にごはん食べましょうか」
以前、というかつい最近のことだけど、せっかくのキィちゃんとの団欒の食卓は空気の読めない勇者たちによって邪魔された。今回はそのリベンジと行こう。
「そうだ。ウィニも一緒にどう?」
「わ、私も?」
「ええ。この前の食事はめちゃめちゃになっちゃったし、そのお詫びも兼ねて。ね」
ウィニを誘ってみると、彼女はおどおどとしながらも頷いてくれた。気の合う友人も卓を囲んでくれるのなら、それほど嬉しいこともない。
そうしたとき、ふと私の脳裏に妙案が浮かんだ。
「せっかくなら、皆で料理を作ってみましょうか」
普段は
そう考えて提案すると、キィちゃんは青い目をキラキラと輝かせた。
「いいの!? キィ、お料理してみたいっ」
「よしよし、じゃあルビ様と一緒に作りましょうか。確か書斎に、何かしらの料理のレシピ本があったと思うし」
何百年前の本か分からないし、当時の流行などすでに何周かしてるだろうけど。まあ、食べるのは私たちだけだし関係ない。材料が揃うかどうかが問題だけれど、なければ〈餓獣の檻〉と〈魚鱗の水路〉と〈魔樹の庭園〉に行けば良いか。
廊下を歩いていた家妖精に、レシピ本の捜索を頼み、私たちは連れだってキッチンに向かう。居住区は広い館のような構造になっていて、生活に必要な部屋は一通り揃っている。キッチンも長らく使っていないが、家妖精たちがきちんと管理してくれているはずだ。
「ウィニも料理作ってみる? ていうか、普段から自炊してる方だっけ」
「はえっ。え、えと、一応自炊……なのかな?」
ぽけっと宙を見ていたウィニが驚きつつも答える。
彼女は日頃寝食を惜しんで研究に没頭しているわけだけれど、私じゃないので食べないと死ぬ。だから、多少は栄養も摂りつつ生活しているはずだった。
「スープみたいなの作ってるんだっけ?」
「うん。大釜でお肉と野菜を煮溶かして、それを食べてる、よ」
「流石ねぇ。栄養バランスも考えて、ちゃんと三食食べてるんでしょ」
「栄養は考えてるけど、三食っていうか……その、三年に一食、かな?」
……うん、まあ、一日三食も三年一食もそんなに変わらないか。迷宮守護者くらいのタイムスケールになると、時間感覚はかなり曖昧なものだし。
「ルビエラ様、料理のレシピと思わしき書籍がいくつか発掘できました」
「ありがとう。助かるわ」
そうこうしているうちに
「えーっと“薬草学概論~愛する人へ供する惚れ薬から憎き仇敵へ送る劇薬まで。あらゆる完全犯罪を求む貴方に~”。これは駄目でしょ」
おかしい、一冊目から嫌な予感がする。
ウィニも興味を示したのか、別の本を手に乗って題名を読み上げた。
「“原始魔法理論に基づくまじない料理大全”。これって、800年くらい前に人間界で書かれたものだね。禁書指定されてると思うよ」
「どんな料理が乗ってるのよ、それ……。こっちは“全部煮る~ずぼらな貴方に鍋と火があればすぐにできる完全栄養食を~”か。こんな分厚いのにあらゆる料理の工程が“全部煮る”の一行しかないんだけど」
「あ、それ、私の料理のレシピ本だよ」
駄目だ、流行り廃りとかそういう話をする以前の問題がある。どのレシピ本も、たまの休日にちょっと手の込んだ料理をしてやるか、という面倒くさい父親の要求に答えてくれそうにはない。
当然と言えば当然か。私の書斎にあるのは、基本的に迷宮の管理運営に関わるものばかり。そういう生活大百科的な書籍とはほとんど縁のない生活を送ってきた弊害だ。
「ルビ様、ルビ様」
額に手を当てて項垂れていると、キィちゃんが私のドレスの裾を引っ張ってきた。どうしたの、と振り返ってみると、彼女は本を開いてこちらに突き出した。
レシピ本ではなく、薄い絵本だ。キィちゃんが寝る時に、家妖精たちが読み聞かせてくれているものなのだろう。何回も読み返されているようで、ページの端がよれている。
「キィ、これが食べたいな」
「これって……」
そこに描かれていたのは、悪魔の家族が食卓を囲む風景だった。父親は厚切りのステーキを、母親は大きな魚の丸焼きを、そして子供は小さなプレートに色とりどりの料理が詰まった、いわゆるお子様ランチを食べている。
お子様ランチの内容は、白いパン、カボチャのポタージュ、ハンバーグ、エビフライ、ナポリタン、ソーセージ。なるほど、これなら私たちでも作れそうだ。
「だめ、かな?」
絵本を覗いて考え込んでいると、黙ってしまった私を見てキィちゃんが不安そうに眉を下げた。
「駄目じゃないよ。でも、これを作るなら、ちょっと材料が足りないわね。やっぱり、他の迷宮を巡った方がいいと思うわ」
〈骨骸の門〉はそこで生活する住民の性質上、食料というものの存在が乏しい。一応、ある程度の肉獣とかは確保しているけれど、それだけでは色々と不足してしまう。
「それなら、わたくしがひとっ走りしてきましょうか?」
肩に乗ったカラスがそう言うが、私は首を振る。そうして、キィちゃんの手を握った。
「せっかくだし、みんなで行きましょう。キィちゃんも他の迷宮を見学できる良い機会でしょ」
「そうだね。本だけじゃ分からない、こともあるし」
ウィニからも太鼓判を貰い、キィちゃんも初めてのお出かけに跳び上がる。突然降って湧いた休暇を有効に使えそうな気配を感じて、私もほくそ笑む。
そうして、私たちは早速、最寄りの〈餓獣の檻〉へと足を向けた。
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