第15話「光の勇者」

 “暁の勇者”レオンハルトは駆けていた。聖銀の鎧を纏い、聖剣“楔断つ銀の光ホーリーレイ”を抜き、迫り来る亡者たちを切り伏せながら、一心不乱に駆けていた。

 そこは荒廃した館だ。いくつもの部屋が、いくつもの廊下によって繋がり、分厚い埃と朽ちた骸が積み上がっている。生者はいない。眩しすぎる光を求めて彷徨う亡者達がいるだけだ。

 レオンハルトがこの迷宮に足を踏み入れたのは、今回が四度目だ。一度目は乗り越え、二度目は圧倒され、三度目は迷宮の主に相見えることなくカラスに啄まれて死んだ。三度の死を経験して、それでもなお、彼と三人の仲間は心折れることなく立ち上がった。


「ティナ!」

「分かってるわよ! ――“燃やし尽くす灼熱の火球ファイアボール”ッ!」


 金輪が幾重にも重なり、複雑な記号群が蠢く。杖の先に展開された魔方陣は、注がれた魔力を受けて、世界の理を僅かに書き換える。

 現れたのは巨大な火球。それはたちまち飛び出して、長い廊下に蠢く亡者共と、黒いカラスの大群を一撃で灰燼に帰した。


「やっぱり、いつもと様子が違う。十分に警戒していこう」

「言われなくとも。しかし、流石はレオンだね。門を閉ざした迷宮に、強引に入るだなんて」


 走る速度を少しも落とすことなく、レオンハルトの隣に並んだ格闘家――サラが言う。彼女からの賞賛に、レオンは気恥ずかしそうにはにかんだ。


「俺の力じゃない。光の女神の加護があったからさ」

「それでも、光の女神様は扱える者に相応しいだけの力を授けますから。レオンさんがそれほどの力を得たのは、レオンさん自身にその器があったからですよ」


 サラに同調するのは、神官の白衣を纏った少女メルトだ。神職である彼女に言われては、レオンハルトも強くは言い返せない。

 代わりに、その力を示すように、立ちはだかった亡者を軽く切り伏せた。

 その直後。


「ッ! みんな止まれっ」


 先陣を切っていたレオンハルトが、腐った絨毯に踵を当てて急停止する。大きく左右に広げた腕が、サラの撓わな胸に押し込まれるが、それに反応する余裕もない。


「ちょっと、あんなのが居るなんて聞いてないわよ」


 油断なく杖を構え、ティナが声を硬くする。


「迷宮の門が閉じたあとは、内部の様相も大きく変わる。アレも、その影響かもしれない」


 油断なく前方を睨み付けながら、レオンハルトは冷静に分析する。彼は聖剣を正面に構え、いつでも動けるように腰を落とした。

 彼らの視線の先、廊下が十字に交わった曲がり角から、どす黒い影が現れる。同時に漂ってくるのは、鼻をつく刺激臭と、胃が捻れそうほどの腐卵臭。ゴポゴポと濁ったヘドロの泡立つ音ともに、それは姿を現した。


「オ、オ? オ……オ。ニ、ニク。オレノ、ニク」


 たどたどしいが、はっきりと理解できる言語。それを話すだけの知能があると判断し、レオンハルトたちは更に一段階警戒レベルを引き上げる。

 無数の死体を汚水と共に煮込んだような、醜悪な塊だった。

 辛うじて顔に見えるパーツもあるが、それが感覚器として機能しているのかは定かではない。レオンハルトが見上げるほどの大きさで、表面は絶えず泡立っている。


「これは……」


 メルトが喉を震わせる。

 光の女神の教会で、迷宮の知識を学んできた彼女は、書庫の奥に埋もれている古びた本に、その存在についての記述があったのを思い出す。ここ数百年単位で存在が確認されておらず、忘却の彼方に消えかかっていたモノだ。それの名を知っていたのは、ただ彼女が勉強熱心だったからだ。


「“混沌の残滓”です。世界が光と闇に分かたれる時、僅かに残った混沌。全てを呑み込む、死の体現者。触れた瞬間、死にます」

「なるほど。サラは下がっていた方が良いね」


 メルトの言葉を受けて、レオンハルトは格闘家のサラを下がらせる。素手――手甲越しとはいえ、その体に触れた瞬間に死ぬのでは、格闘家は分が悪い。


「レオン……」

「大丈夫。俺がなんとかする」


 聖剣を上段に構え、レオンハルトは“混沌の残滓”を睨み付ける。高ぶる精神を沈め、深い集中状態に入る。雑念が消え、心は早朝の湖のように澄み渡る。


「女神よ、俺に力を」


 彼は強く信じる。三度、命を救ってくれた光の女神に。更なる力を。混沌を滅する力を。

 そして、彼の願いは神に通じる。


「――“闇を払う銀の光ホーリーレイ”」


 驚くほど静かな剣撃だった。

 凪の海のような、穏やかさ。自然な所作で放たれた。細波の一つも立たないような、それでいて驚くほど鋭い動き。

 人間が知覚できる速度を越えて、聖銀の剣から放たれた斬撃は“混沌の残滓”へと到達する。


「……オ?」


 混沌が消滅する。

 一瞬のことだった。

 〈骨骸の門〉の厳重な封印が無ければ、すぐさま世界を侵蝕するほどの強大な力を持った存在が、呆気なく敗れた。敗れたことすら気付かずに、一瞬にして存在が消えた。

 圧倒的で一方的な戦いに、レオンハルトすらも驚く。自身が握っている剣をまじまじと見つめ、遅れて口元を緩める。


「光の女神が応えてくれた。今までに無いくらい、力が溢れてる。今なら――今なら大魔王も倒せるぞ!」

「流石、私の見込んだ男ね」

「レオンさん、お見事ですっ!」

「あんまり油断するんじゃないよ。まだ、ピリピリした空気は残ってる」


 賞賛の声を浴びせる少女たち。油断なく警戒を続けるサラが釘を差す。あれほどの存在が消滅して尚、迷宮に立ち込める圧迫感は消えていない。


「ほら、お出ましだ」


 喜びも束の間、勇者四人の前に新たな影が現れる。

 粘液を纏った無数の触手を蠢かせる、巨大な黒いタコのような怪物。どす黒く染まった羽の、異形の天使。そして、赤い眼をしたスーツ姿の紳士。

 それぞれが“混沌の残滓”に匹敵する力を持っている。それをレオンハルトは直感的に察していた。


「流石に3体同時は厳しいね」


 冷や汗を流すサラ。

 彼女に対して、レオンハルトはしっかりと首を横に振る。


「大丈夫。こっちは四人だ」


 レオンハルトは真っ直ぐに聖剣を構える。

 光の奔流が、彼の胸から溢れ出した。

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