第16話「対話」
その異変は一瞬で分かった。
苦渋の決断で封印を解いた、“
守護者は迷宮内部の事はある程度把握できるが、そうでなくても――たとえその辺を彷徨っている
だが、理解はできても納得はできない。私はカラスに状況を報告させる。
「こ、“混沌の残滓”“
「確かなのね」
「はい。信じられませんが。どれも、反応が見つけられません。封印されたわけでも、隠されたわけでもなく、消滅しました」
カラス自身も俄には信じがたい様子で、声を震わせる。けれど、何度検証してもデータはそれを示している。ならば、そこに疑う余地はなかった。
“四呪骸”は文字通りの切り札、私にとっての虎の子だった。あれならば数時間は時間を稼ぐことができるだろうと高をくくっていたのに、なんと呆気ない敗北か。
そして、この事実はつまり“暁の勇者”が世界を破壊するだけの力を有していることを示しているのだ。
私は思わず、玉座の肘掛けを拳で叩く。じんじんと熱い痛みが、僅かに思考を落ち着かせてくれた。大きく深呼吸を繰り返し、自分が何をすべきかを考える。
「――カラス。各迷宮守護者へと警戒レベルを最大に引き上げるように通達してちょうだい。特にグウェルには、迅速に迎撃態勢を整えるように。私も頑張るけど、10分持てば良い方だから」
「わ、分かりました。すぐに」
カラスが飛び去っていく。
それを見送って、私は玉座に身を沈めた。
「ふぅ……」
守護者の間には静寂が満ちている。けれど、私の感覚に直結された〈骨骸の門〉は、めちゃくちゃに蹂躙されていた。
ウィニが構築してくれた最新鋭の幻影魔術も意味を成さず、彼らは真っ直ぐにこちらへと近づいている。ループがあれば壁を破壊して強引に脱出し、閉ざされたドアがあれば無理矢理に蹴破る。勇者とは名ばかりの、強盗のような荒技だ。
「全く。迷宮も
毎秒被害を拡大させていく勇者の侵攻に、思わず額に手を当てる。彼らは知らないのだろうが、こっちは相応のコストを掛けて対応しているのだ。ただでさえ切り札である“四呪骸”を瞬殺されて、もう取り返しのつかないことになっている。
――だから、私は迷宮を改変させた。
壁が、床が、廊下が、部屋が。〈骨骸の門〉を構成する古びた館が蠢き、間取りを変える。これ以上闇雲に壊されても敵わない。ならば、いっそのこと真正面から受け入れよう。
「入りなさい、不埒な者よ」
目の前にある扉の向こう側に向けて呼びかける。
返答はないが、隠しきれないほどの神性が分厚い石の扉を貫通している。ジリジリと肌を焦がすような、不快な感触だ。ただ、魔王の威厳を保つため、表情だけは余裕を見せておく。
石扉がゆっくりと開かれる。
現れたのは“暁の勇者”とその仲間達。四人の人間は油断なく、すでに臨戦態勢を整えていた。
「随分と成長したわね」
心からの言葉が思わず口をついて出る。
“暁の勇者”レオンハルトと、三人の少女は、私が殺した時とは見違えるほどの変貌を遂げていた。
装備は変わっていない。容姿にも大きな差異はない。しかし、纏う空気が全くの別物だ。
“光の女神の加護”を強く受けた勇者は、その力が周囲に滲み出し、黄金色のオーラとなって現れる。薄く纏うだけでも一騎当千の力を示すそれを、レオンハルトは周囲を明るく照らすほどの濃さで纏っていた。他の三人も同様だ。レオンハルトほどではないが、それでも常軌を逸する濃度の加護を受けている。
「本当に。――よく、生きているわ」
私の言葉に、レオンハルトがぴくりと眉を動かす。どういう意味なのか理解しがたかったのだろう。丁度良い、時間稼ぎも兼ねて少し話してやろう。
「“光の女神の加護”は強力な力。けれど、そんなものをたかが人の子が何の代償も無しに受けられると思っていたの?」
考えてみれば、当然のことなのだ。
“光の女神の加護”とは、人をより強くするもの。つまり、人の器には多すぎる水を無理矢理押し込めるようなもの。当然、水を詰め込めば詰め込むほど、器には強い負荷が掛かる。
「レオン、魔王の言葉を信用するな」
勇者の傍らに立つ格闘家の女が忠告する。
「別に騙してるわけじゃないわよ。ま、信じるも信じないも貴方達次第だけど」
私は肩を竦め、話を続ける。
信じられなくてもいい。ただ話を聞いて、時間を浪費してくれればそれでいい。
「光の女神は加護を与える側なんだから、後ろめたいことを言うわけがないわ。加護を与え、力を注ぎ、器が割れる直前まで愛し続ける。100人の勇者のうち、1人でも頑丈な器があれば、それが100人ぶんの力となる。あとの99人が壊れてしまっても、女神としては問題ない」
「だ、黙りなさいっ! 光の女神様を侮辱するのは許しません!」
神官の女が憤る。
自身が日頃より深く信じている存在を貶されれば、怒るのは当然だ。けれど、私からしてみればその怒りさえ滑稽に映る。
「ならば聞きましょう。今までに、何人の勇者が死んだ?」
私の問いに、彼女はきょとんとする。質問の意味が分からなかったのだろうか。
「たしかに、勇者は何度死んでも甦る。それは“光の女神の加護”の力だ。けれど、その効力があるのは迷宮内での死だけ。心折れ、迷宮の外で死んでいった勇者は、今まで何人いる? 苦しみ、絶望し、若くして自ら終焉を選んだ者が、何人いる? そのうちの何人に、女神は手を差し伸べた?」
勇者は女神の力で甦る。けれど、死の記憶は残り、それは心を蝕む。
足を前に出せなくなった勇者たちに、光の女神は前へ進めと背中を押す。決して、優しく抱擁して慰めようとはしない。
「たしかに、光の女神は人間を愛しているわ。勇者を迷宮に向かわせるのも、人間に永遠の命を与えるため。――けれど、光の女神が愛しているのは人間であって、貴方達ではない」
女神はあくまで女神だ。人間と対等な存在ではない。個々の区別を付けることなく、ただ“人間”という種そのものを愛している。
“人間”という種が繁栄に向かうのであれば、その道程でこぼれ落ちた多少の犠牲者に注意を払うこともない。過酷な道を切り開く中で死んでいった者に敬意を払うこともない。
人間と、光の女神。そこには越えられない壁がある。
「嘘です。まやかしです! 光の女神様は、わたしたちを愛し、その証として加護をお与えになるのです!」
神官が激昂する。
良い感じに暖まってきてくれたようだ。
「それなら、光の女神の名前でも言いなさいよ」
「――え?」
虚を突かれたように、神官は口を開く。
「神官なのでしょう? 日頃祈っている神の名前を、言いなさい」
「そ、それは……光の……」
「“光の女神”は名前じゃない。間接的に言い表すだけの言葉の羅列。“光の女神”の本質を示す名前を言いなさい」
面白いくらいに神官の眼が泳ぐ。そんなこと、考えたこともなかったのだろう。おそらく、恐れ多いからとか、名前を呼ぶのは無礼だから、などともっともらしい理由を付けて、何百年とその問題から目を背けてきたのだ。
光の女神の方も、そう仕向けた。名前を教えると言うことは、その身を露わにするのと同義だ。名前には意味があり、存在に直結している。
仮に人間がその名前を呼んで助けを請うた時、彼女は否が応でも行動を起こさねばならない。人間が憎悪を込めてその名を呼んだ時、それは必ず彼女の神性にひびを入れる。
「言えないの? 光の女神の名前なんて、私でも知っているのに」
「なっ」
人間とは弱い生き物だ。少し煽るだけで、覿面に心が揺らぐ。
「嘘をつくなっ! メルトも、魔王の言葉に耳を貸すな」
震える神官を守るように、格闘家が前に出る。
勇者も剣を構え、魔法使いも杖を握る。
どうやら、時間稼ぎもこのあたりが限界らしい。私は勇者達に向けて最後の言葉を投げた。
「教えて上げましょう。光の女神の名は――」
燃え盛る火球が迫る。
私は薄く笑みを浮かべていた。
「――サフィーラ」
どこかで絹を裂くような絶叫が響いた。
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