第10話「再封印」
「さて、話は終わりじゃ」
さっきまでの哀愁を霧散させ、ミラがぐっと背伸びする。コキコキと肩を鳴らし、首を回す。そうして、床に落ちていた拘束具を拾い集めた。
「……やだなぁ」
話が終わる。つまり、これから始まることを思い出し、私は思わず口をへの字に曲げる。大魔王と話すこと自体は別にどうでもいいのだが、そのあとにある一連の作業が、とてつもなく嫌だった。
「嫌だろうが何だろうが、やって貰わねばならん。これは必要なことなんじゃからな」
「心を読まないでください。はぁ……」
気は進まないが、やるしかない。覚悟を決めて、彼女に向き直る。
「ん」
ミラが手錠や鎖を抱え、こちらに突き出す。
こうして二人で話した後はいつもやっていることだが、こればかりは何度やっても慣れる気はしない。
「……自分でできませんか?」
「できるわけがなかろう。何のための拘束具だと
思うておるのじゃ」
一応抵抗を示して見るも、正面からド正論で殴られてしまう。自分で自分を拘束するのは、いくら大魔王と言えどできないらしい。
「さあ、早く。しっかりと力の限り、ギチギチにしてくれ」
「……やだなぁ」
赤い瞳を妙にキラキラと輝かせ、ミラが迫る。
資料纏めよりも嫌な仕事だが、私がやらないわけにもいかない。大きくため息をついて、覚悟を決めた。
「じゃ、拘束衣着て下さい」
「うむ」
ミラは素直に、分厚い拘束衣を纏う。頑丈な鉄の錠を掛ければ、それだけで彼女の動きは大幅に制限される。
「手錠掛けますね」
「マニアックじゃな」
「何がですか……」
ミラが突き出した細い腕に、銀の手錠を掛ける。カチカチと音を立てて輪が窄まり、柔らかい皮膚に食い込んだ。
「もっとキツくして良いぞ」
「もうだいぶガッチガチですよ?」
「まだ緩い。あと一目盛りいけるはずじゃ」
ミラ様の仰せのままに。銀の手錠が肉を噛む。下手に動けば皮が破れ、血が滲むだろうに、彼女は手を開いたり握ったりを繰り返していた。
「おお、良い感じじゃ。これでワシは何も抵抗できぬな」
「口開いてて目が見えてる時点で私をいつでもぶっ殺せるでしょ。ていうか、現在進行形でぶっ殺してますよ」
「そう言う話ではない。全く、風情の無い奴じゃ」
鎖を取りながら答えると、ミラは不満げに唇を尖らせる。なんで拘束する側が乗り気じゃなくて、される側が文句を言っているのか、よく分からなくなってきた。
「ほら、こっち持ってて下さい」
「うむ」
長い鎖の先端を、ミラに持ってもらう。そのまま、彼女の胸にキツく回していく。
「胸を押し潰す感じで頼むぞ」
「潰すも何も、ぺったんこじゃないですか」
「おっ! 今の言葉責めは良い感じだったぞ」
「冗談でも止めて下さいよ……」
できるだけ思考を排除する。私は機械だ。鎖を大魔王の体に巻き付ける機械。なんだその馬鹿みたいな奴は。開発者出てこい。
無心のまま、ぎゅっぎゅっと体重を掛けて鎖で縛めていく。大魔王の胸は見えなくなり、両腕は完全に動かなくなった。
「おっおっ。良い感じじゃ。痛いくらいに締め付けておる。これは痕が残ってしまうな。どうしようか」
「どうするも何も、痕を見せる相手もいないでしょ」
「にゅふふ。乙女の柔肌に傷が付く、それだけで尊厳もズタズタにされるものじゃ……」
「尊厳がズタズタにされた人の言葉じゃないわよ」
気持ちの悪いことをのたまう上司に、適当な言葉を返しつつ、仕事を続けていく。
最後に鎖に錠を取り付ける。それに対応する鍵は、私が腰に下げている鍵束の中に紛れている。
「むふふ。良い感じの圧迫感じゃ。ほれ、足も頼む」
言われるまま、足枷を嵌める。重い鉄球の付いたものだが、重量そのものはあまり関係がない。魔力の漏出を抑え、術式の成立を阻害するのが目的だ。
手錠による圧迫も、鎖による縛めも、それ自体は大魔王にとってはほとんど影響がない。あくまでも、この物々しい拘束具の数々は、彼女の身から滲み出す濃密な魔力を抑えるためのものなのだ。
「うむうむ。良い感じじゃ。ルビエラの拘束は容赦が無いのがいいな」
「手加減したら怒るじゃないですか」
「当然じゃろ」
足枷の錠を掛けながら、ちらりとミラの顔を伺う。人形のように整った白い顔を赤らめ、恍惚の表情を浮かべている。
いつもミステリアスな雰囲気を纏う大魔王の素顔がこんなものだと知れば、他の守護者たちはどう思うだろうか。
「首輪は一番小さい所まで締めて良いぞ」
「だいぶキツいですよ?」
「それが良いのじゃ」
分厚い革の首輪を、ミラの首に掛ける。ぎゅっと締め付ければ締め付けるほど、彼女の首を圧迫して食い込む。か細い骨が折れないか少し心配になってしまうが、すぐにそれも杞憂に終わる。
「んひっ。おおっ、良い感じじゃ。締め付けられておる。おっおっ」
「せめて黙って」
苛立ちを覚え、思わず力を込めて更に首輪を締め付ける。しかし、それすらも彼女に変な声を出させて、フラストレーションが溜まるだけだった。
「ふう、やっと終わった……」
ともあれ、ここまでくれば、苦行もほとんど終わりだ。あとは目隠しを着けて、轡を嵌めるだけ――
「ルビエラ」
声を失う直前、ミラが私の名前を呼ぶ。
先ほどまでとは打って変わって、真剣な声色。私は轡を手に持ったまま、彼女の方へと向き直る。
「光の女神は確実に、日増しに力を増しておる。それは、人間が増え続ける限り止まらぬ。今はまだ、我々が優勢じゃが、いつかその均衡が崩れる時がくる。その時は――」
未来を憂う、少女の顔。
先ほどまでの緩みきった表情とは違い、どこまでも真剣で、鋭利な眼差しをこちらに向けている。目の前に立っているのは、魔王たちの頂点に立つ、大魔王その人だ。
「分かってるわよ。そんな泣きそうな顔をしないで」
だからこそ、私も立場を変える。
第一迷宮〈骨骸の門〉の守護者――負け続けの魔王から、大魔王を慰める方へ。
「例え守護者全員が死んでも、ミラが死んでも。最後に私が生きていれば、負けはない。だから、安心して眠りなさい」
「……うむ。ワシはあくまでも、ルビエラの残滓じゃ。その時が来たら、この身を投げ出す覚悟はできておる」
ミラが歩み寄り、私の胸に顔を押しつける。その柔らかな金髪を優しく撫でてやると、彼女は少し安心したように肩の力を抜いた。
「貴方が死ぬ必要は無いわ。私を誰だと思っているの」
ミラの小さな肩に手を置いて、身を屈めて正面から向き合う。赤い瞳に滲んだ涙を指で拭ってやり、微笑みかける。
「魔王、ルビエラ」
「ええ。――最強の魔王、ルビエラよ」
力強く断言する。
それだけで、ミラはふわりと花が咲いたように表情を和らげた。
「――よし、では轡を着けてくれ」
「……良い雰囲気だったのになぁ」
ガラガラと余韻の崩れる音を聞きながら、手に持った轡をミラの口に嵌める。大きな球を咥えた彼女は、口の端から涎を垂らす。流石に大魔王としての威厳も無くなってしまうので、その上から革のマスクを取り付けた。
最後に瞳を隠す分厚い目隠しをキツく縛れば、大魔王の再封印は完成する。
もう二度とやりたくない。
「ほふぁへっはいふぉふぁいほふふふぁ」
「はいはい。よろしくお願いします」
誰に見せても恥ずかしくない封印大魔王が完成したことで、会議室に張られていた結界が解除される。仕事が終わり、会合よりも遙かに大きな疲労に襲われながら、私は扉の方へ向かう。
「じゃ、後は頑張って下さいね」
「ふふ。ほひふぁほふぁ」
じゃらじゃらと鎖を鳴らしてついてくるミラとも、扉の前で別れる。彼女はこのまま、魔王城最奥にある部屋に収容される。
私は自分の迷宮に戻り、再びいつもの仕事に戻るだけだ。
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