第9話「秘密の会話」

 私の発表から始まった定例会合は、多少のいざこざはあれど概ね平穏に進行した。守護者同士に仲の良し悪しはあっても、結局全員が同じ敵を持ち、同じ目的を共有することも大きい。


「では、これで全ての議題が片付いたな」


 最後に第七迷宮に建設中の宮殿の新しい区画の設計について、という死ぬほどどうでも良い議題を片付け、守護者たちが持参した議題が全て修了する。第七迷宮については毎度毎度、会合の最後にヤムボーンから持ち出されるものの、私たちは建築や装飾については素人も良いところだ。勝手にそっちでやってくれ、と言いたいところだが、そうもいかないのが悲しいところだ。


「それでは、グウェル、シューレイ、コンポールはそれぞれ食料の増産を。ウィニは光の女神に関連する書物の探索を。ホルムスは暗黒魔術を他の迷宮に付与する方法の研究を。そしてルビエラは、より効果的な勇者の撃退方法につてい研究を」


 議長気取りのヤムボーンが、最後に各守護者に課された仕事を纏める。ちなみに奴に課された仕事は宮殿建設の続行だ。暢気なものだ。

 とはいえ、自分の仕事に関しては不満もない。負け続けてはいるものの、第一の砦としてもっと勝率を上げたいとは常々思っている。またグウェルに呼び出されるのも面倒だ。


「では、大魔王。何かありますかな」


 ヤムボーンは最後に、ずっと沈黙を保っていたミラへと伺いを立てる。

 様々な拘束具で身動きを完全に封じられていた彼女は、背後に控えていた近衛に轡を外させる。艶のある紅の塗られた唇が開き、白い歯がまろび出た。


「皆、今後もよろしく頼む」


 短く簡素な言葉だ。

 それに対し、私たちは深く頭を下げる。

 大魔王ミラが言葉を放つことは、殆どない。強大すぎる魔力が漏出するせいで、ただの一言にも強い力が宿ってしまう。全身の拘束具も、自分の一挙手一投足に宿る力で弱い者が死んでしまうことのないように、という彼女の計らいだ。

 あらゆる力を封じた彼女が、ただその場にいるだけでも弱い者は死んでしまう。背後に控える近衛も、この後数年は使い物にならなくなってしまうだろう。最低でも、守護者クラスでなければ、この会議室に入ることすら敵わない。

 守護者でさえ、彼女の声を聞き続けることはできないのだ。


「――それと、ルビエラ」


 そんなミラが、更に言葉を続ける。

 名前を呼ばれた私だけでなく、ヤムボーンたち他の守護者も驚きの表情を浮かべている。


「な、なんでしょうか」

「この後、ここに残れ。少し、話がある」


 守護者がざわつく。

 私だって取り乱したい。

 しかし、他ならぬ大魔王の前で粗相は許されない。私はただ頭を低くして、了承の旨を伝えることしかできなかった。

 その言葉を最後に、ミラは再び轡を着けて口を閉じる。場に充満していた威圧感が霧散し、隣のグウェルが大きく呼吸を繰り返した。


「貴方、何をやらかしたの?」


 シューレイが見下すような笑みでこちらを見る。

 どうやら、私が大魔王に怒られるような事をやらかしたと思っているらしい。


「特に覚えは。一人だけお褒めを頂くかも知れないわね」


 大魔王本人がいる前で言うのもなんだか違う気がするが、シューレイには言い返しておきたかった。

 結局、彼女も要件を推し量ることはできないので、ふんっと鼻を鳴らして話は終わる。


「――では、此度の会合も終わりじゃ。皆、よくやるように」


 ヤムボーンの言葉で、守護者たちが立ち上がる。

 彼らは私を置いてそそくさと自分たちの迷宮へと帰って行った。


「ルビエラ」

「ウィニ。どうしたの?」


 去り際、ウィニが私の方へやって来て話しかける。

 大きな本を胸に抱え、黒い前髪の下にある丸い瞳に心配の色を滲ませていた。彼女は下半身を低くして、私の方へと顔を近づける。


「が、頑張ってね」


 何を言おうか迷った末、そんな言葉を選んで、彼女は言った。

 大魔王に一人だけ呼び出されるというのは、あまり前例のないことだ。ウィニは心配してくれているらしい。


「大丈夫よ。帰ったら、何があったか話してあげるわ」

「そ、そんな。守秘義務のあることかも知れないし……」

「そこまでは話さないから大丈夫よ」


 少し生真面目なきらいがあるウィニは、ほっと安堵した様子で肩を落とす。後ろの方の守護者の中では珍しく私に優しい彼女と話すと、気持ちも楽になる。


「それじゃあね」

「ええ。そっちも仕事頑張って」


 ウィニを見送り、会議室には私と大魔王だけになる。近衛の二人も、ミラが去れと合図すると、尻尾を巻いて逃げていった。

 椅子に座ったまま、ミラは私の方へ顔を向けて何度か顎を上げる。


「何か?」

「ンンッ!」


 轡を嵌めていると、大魔王の言葉も聞き取れない。しばらく彼女の言いたいことを推察したあと、そもそも轡を取れと言っているのだと思い至る。


「ぷはっ。全く、察しの悪い奴め」

「いや、事前に近衛に取って貰えば良かったじゃないですか」


 目隠しを着けた顔でこちらを睨むミラに、私は肩を竦めて対抗する。


「まあよい。……『誰も見てはならぬ、聞いてはならぬ。知ることは罪と知れ』」


 ミラは立ち上がると、魔力を帯びた言葉を放つ。

 ただ話すだけでも力を持つ彼女の、魔力を帯びた言葉となれば、それは強制力のある魔術だ。室内に声が響くたび、原始的故に強力で堅固な結界が構築されていく。


「よし、これでいいじゃろ」

「相変わらず、突然無茶なことをしますね……」


 キーンと頭の奥で響く耳鳴りに顔を顰めながら、文句を言う。

 ミラの魔術によって、この会議室には堅固な結界が敷かれた。それはもはや世界を切り取るような行為に等しく、一時的にここは異世界として周囲から隔絶された。

 今、この場所には例えヤムボーンであろうと干渉できない。


「こうでもせぬと、お主と話せぬじゃろうが」


 魔力を口の端から漏らしながら、ミラが言う。

 普通ならそれを僅かに聞いただけでも死ぬほど、濃密な魔力だ。それを真正面から受けて尚、私が平然としているのは何故か。


「ま、私は元から死んでるようなもんですから、いいですけどね」


 答えは単純。私はもう死んでいる。

 厳密に言うと少し違うのだが、まあ似たようなものだ。だから大魔王の言葉を真正面から受けても影響はなく、彼女からしても、自由に話せる唯一の相手というわけだ。


「ほら、他の拘束具も外せ」

「暴れません?」

「外さなかったら暴れるぞ」


 脅しを掛けられては仕方がない。私は彼女の全身を包み込む拘束具をガチャガチャと動かし、外していく。

 足枷を取り、手錠を外し、巻き付いた鎖を払う。錠のついた重い拘束衣を外すと、その下に黒いドレスが現れる。最後に目隠しを解けば、血のように赤い瞳がこちらを向いた。


「うむ。久々じゃな」

「そうですかねぇ」


 人形のように整った相貌の少女が、満足げに口を弓形に曲げる。大魔王ミラの知られざる素顔は、幼い少女のそれだった。


「ふぅ、すっきりしたわ。これだけ締め付けられると、全てが嫌になる」

「止めて下さいよ。世界が滅ぶので」

「流石に弁えておるわ」


 他の守護者が見れば、開いた口が塞がらないような光景だろう。

 一応、私は敬語を使っているとはいえ、大魔王ミラと対等に言葉を交わしているのだ。普段から私を見下しているヤムボーンなど、憤死してしまいそうだ。


「それで、わざわざ会合の後で呼び出したのはなんなんです」


 関節をポキポキと鳴らして、束の間の自由を楽しむ大魔王に話を切り出す。

 実のところ、私が素のままの彼女と会うのはこれが初めてではないし、珍しいことでもない。普段はもう少し密かに会っているだけだ。


「うむ。光の女神と勇者についてな」


 首を回しながら、大魔王が言う。

 そして彼女はむっと柳眉をひそめた。


「ルビエラ」

「なんです?」

「この場では大魔王と言うな」

「……口には出してませんけど」

「思うのもやめろ」


 強い口調に、私は眉を上げる。

 そうして、軽く肩を竦めて頷いた。ナチュラルに思考を読んでくるのは止めて欲しいが、彼女も読みたくて読んでいるわけではないから仕方がない。


「では、ミラと」

「うむ。それでよい」


 敬称もつけず、呼び捨てているが、彼女は満足そうに頷く。そうして、ようやく本題へと入っていった。


「近頃、ワシの力が強くなっておる」


 その言葉だけで、私は思わず顔を顰めてしまう。

 ミラが言いたいことは分かっていた。

 彼女の持つのは、闇の力だ。光の女神が有するものとは対極に位置する根源的な力であり、故に光の力とは強い結びつきがある。光が強くなればなるほど、闇もまた濃くなるように、光の女神が力を増せば、ミラの力も強くなる。


「奴は、人間の信仰を糧にしておる。それぞれは僅かなものだが、人間の繁殖力は突き抜けておるからな。塵も積もれば、というやつじゃ」

「なるほど。厄介ですね」

「特に勇者の信仰は異常じゃ。女神の奇跡を身を以て享受しておるからか、一人で数百人分の信仰を注いでおる」


 光の女神は、信者が増えるほどに力を増す。そして、その力を信心深い者へと加護という形で還元している。近頃の勇者たちが飛躍的に強化されているのは、それが理由らしい。

 ならば、こちらの陣営も何らかの措置を執らねばならない。迷宮のリフォーム程度では、大挙して押し寄せる勇者の津波に押し流されてしまう。


「七秘宝を解放するか?」

「それこそ愚策でしょ。そんなことをすれば、光の女神の思う壺よ」

「それもそうじゃな」


 冗談じゃ、とミラは手を振る。

 七秘宝は、それぞれの迷宮の深奥に封じられている強力な魔力の塊だ。異界である迷宮の心臓部と言っても良い。それだけ強力だが、だからこそ不用意には動かせない。


「では、ルビエラ。闇の力を高めるため、不死者アンデッドを増やせ」


 ミラは私の方を真っ直ぐに見つめて言う。

 生者の信仰が光の力になるのなら、死者の信仰は闇の力になる。単純明快な、この世の理。傾きつつある天秤の均衡を保つには、こちらも力を増さねばならない。


「いいんですか?」

「やむを得ん」


 ただでさえ、光の女神の増力でミラへの負担は増えている。そこへ更に追い打ちを掛けるような形になる。それでも、彼女の意志は揺らがない。


「全ては死する運命にある。それをねじ曲げようとするのは、世界に対する叛逆じゃよ」


 そう言って、ミラは赤い瞳をもの悲しげに伏せた。

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