第8話「会議は踊る」
魔王城の広い会議室の大きな円卓に、七人の迷宮守護者が一堂に会した。
第一迷宮〈骨骸の門〉のルビエラ、第二迷宮〈餓獣の檻〉のグウェル、第三迷宮〈邪霊の廟堂〉のホルムス、第四迷宮〈魚鱗の水路〉のシューレイ、第五迷宮〈魔樹の庭園〉のコンポール、第六迷宮〈幻影の書庫〉のウィニ、そして第七迷宮〈古龍の祠〉のヤムボーン。
私たちはそれぞれに決まった席に腰を降ろし、この会合を開いた人物の到着を待つ。誰一人として口を開かず、先ほどとは打って変わって重苦しい静寂が部屋に充満している。これから始まる面倒ごとに、胃がキリキリと痛み出したその時、扉の前に立っていた衛士が声を上げた。
「大魔王様がお見えになりました」
その言葉で、私たちは一斉に立ち上がる。
扉の方に体を向けて、深く頭を下げる。
静かな空間に、扉が押し開かれ軋む音が響き渡った。絨毯を踏む柔らかな足音と、じゃらじゃらと鎖の擦れる音。部屋の最奥、扉から最も遠い位置まで進み、それは止まった。
「皆、面を上げよ」
荘厳な空気の中、凜とした少女の声がする。それをきっかけに、全身を圧迫していた不可視の力が霧散する。息苦しく詰まっていた肺を膨らませ、新鮮な酸素を補給する。
顔を上げて、振り向くと、円卓の向こう側には小柄な少女が立っていた。
一見すれば、子供かと見紛うシルエット。柔らかそうな金髪はゆるくウェーブし、広がっている。
しかし、両眼は分厚い布で隠され、両腕は太い鎖で胴体にキツく縛り付けられ、脚には頑丈な鉄の枷が嵌められている。全身を包むのは、動きを阻害する分厚い拘束衣だ。
後方に控える二人の衛士は屈強で、太く長い槍を油断なく彼女に向けて構えている。
「お久しゅうございます。――ミラ様」
ヤムボーンが守護者を代表して挨拶を述べる。彼の言葉に合わせて、私たちは再び頭を下げた。
大魔王ミラ。“鎖の魔女”、“縛めの女王”。魔王城の頂点に君臨する者、我々が守る存在。
全身の動きを固められ、大罪人のような出で立ちをした少女は、顔の中で唯一露出した口元に笑みを浮かべる。
「皆も元気そうで何よりじゃ。死んだ者はおらんな」
ミラが口を開く。一言紡がれるたびに、身の毛がよだつ程の恐怖が広がり、既に死んでいる心臓が千切れそうになる。横目でグウェルたちを見ると、彼らもだらだらと脂汗を垂らして、その威圧感に耐えていた。あのヤムボーンでさえも、ぎゅっと口を閉じ、床に爪を食い込ませている。
轡を外し、声を発しただけで、ここにいる歴戦の守護者たちを恐れさせる。大魔王の名にふさわしい力の片鱗を、私たちは会合のたびに実感していた。
「死んだ者はおりません。以前の会合から顔ぶれは変わっておりませぬ」
顔を強張らせたヤムボーンが答える。
会合が開かれるたび、ミラは死んだ者がいないかを確認する。私は死んでも甦るが、そっちの方が特別で、グウェルやシューレイなどは死ねば生き返ることもない。とはいえ、ここ数百年は守護者が代替わりしたこともなく、ヤムボーンの返答も変わっていない。
「重畳。皆、よくやってくれておる」
ミラは満足げに頷く。ジャラリと鎖が擦れ、彼女の拘束衣に深く食い込んだ。
「では、座れ。会合を始めよう」
ようやく腰を落ち着けられる。
私は固い椅子に座り、止まっていた呼吸を再開させる。いくら必要ないといっても、普段無意識にやっていることができなくなると、不死者でもキツいものがある。
「えー、まずはいつも通り〈骨骸の門〉からね。労働力供給だけど、〈古龍の祠〉と〈魚鱗の水路〉の消費が多すぎ。もう少し抑えてちょうだい」
息をついたのも束の間、再び立ち上がり、用意していた資料を配る。
会合が始まれば、ミラはほとんど話さない。口にも鉄製の轡を嵌めて、円卓の端から趨勢を見守る傍観者となる。
威圧感も消え、早速私の出番だ。
〈骨骸の門〉では、日々生み出される
会合では、それについての報告も大事な仕事の一つだった。
「宮殿の建設に使っておるのだ。むしろ、もっと供給を増やせと言っておろう。貧弱な
ヤムボーンが疎ましそうに文句を返す。奴の迷宮〈古龍の祠〉は正真正銘の防衛ラインだが、今まで一度たりとも勇者が足を踏み入れたことはない。そんなわけで、暇を持て余しており、無限に終わらない宮殿の建設を続けているのだ。
現場管理が杜撰なのか、送り出した
「こちらにも、もっと強い
ヤムボーンに同調するのは、人魚のシューレイだ。彼女の迷宮もお得意様と言えばそうなのだが、如何せん湿度が高いのが死体たちには相性が悪い。
「低位の
「ふん。
全く悪びれた様子もなく言い捨てるヤムボーンに、ピクピクとこめかみが痙攣する。
「貴方はご存じないかも知れませんが、ウチは日々勇者と戦っておりますので。迎撃要因が、そちらの注文に喰われてるんですよ」
「ならもっと増産すればいいじゃない。広さだけ言えば、七迷宮で一番なんだから」
シューレイの皮肉たっぷりな言葉。たしかに、彼女の言うことは事実ではある。〈骨骸の門〉は魔王城七迷宮の中で最も広い面積を誇っている。
「広いからこそ、迎撃要因も沢山必要なのよ。それくらい、少し考えたら分かるでしょ」
「んなぁっ!」
意趣返しのつもりで少し煽ると、シューレイは面白いように反応してくれる。その悔しそうな顔を見るだけで、少しすっきりした。
「ともかく、最近は勇者が強くなってるし、数も増えてる。守護者が一丸となって対策しないと、ジリ貧よ」
資料には、最近の勇者の動向についても纏めている。それを見ればどんな馬鹿でも対策の必要性が分かるはずだ。
「フン、自分が弱いから他に押しつけているだけでしょ。貴方の頑張りが足りないのよ」
資料すら見ずに断ずる馬鹿がいた。
それでも迷宮を管理する守護者かと疑いたくなるが、シューレイは堂々と言い切った。
「でも、資料を見たら、勇者は確かに増えてる」
見かねたウィニが援護してくれるが、シューレイの勢いは止まらない。苦労して書き上げて、わざわざ防水もしてやった資料を丸めて筒状にして、ぽんぽんと手を叩く。
「数字を嵩増ししてるだけかもね。最近、勇者の突破率が高くなってるのも、たるんでるからなんじゃないの?」
シューレイは私だけでなく、隣にいるウェルドにも視線を向ける。突破率が高くなっているのは、彼も一緒だったからだろう。しかし、そんな彼女の言葉は獅子の逆鱗に触れた。
「ガアアアアッ! オレは、断じテ、怠けてなどイナイ! ルビエラを貶すのは自由だガ、その言葉は撤回しロ!」
椅子を蹴倒して立ち上がり、ウェルドが吠える。
迫力だけは百万点の獅子に迫られ、さしものシューレイもたじろいだ。そのまま喰われろ。で、ウェルドも腹を壊してしまえ。
「まあまあ、落ち着きなよ二人とも。勇者の質と量が加速的に上がっているのは事実だよ。〈邪霊の廟堂〉に到達する勇者も増えているし、一度撃退しても再びやってくる奴も増えているからね。――それとも、守護者三人が結託して嘘をついているとでも?」
仲介に割って入ったのはホルムスだ。彼の妙に圧のある笑みがトドメとなって、シューレイは俯く。
「そもそも、僕ら守護者が自分の負い目になるような虚言をする理由がない。この会合では、勇者が強くなっている事実を共有したいね」
「『そちらの方が建設的だろう』と、申されております」
ホルムスがとりまとめ、コンポールが賛同する。
そうしてようやく、私は次の報告へと進むことができたのだった。
「じゃあ、次ね。〈骨骸の門〉の改装について幾つか案を持ってきたから、見てくれない? 特にウィニには、幻影魔術の構造から見て貰えると嬉しいわ」
続いての議題は、迷宮の改装について。定期的に構造を変えていかなければ、勇者たちが学習してしまう。突破率が上がってきたのも勘案して、少し予定を前倒しして、再構築しようと考えていた。
迷宮の構造を考える時は、一人よりも複数人で意見を出し合って話し合った方がいい。その方が視野が広がり、より複雑で効果的なものになるからだ。そんなわけで、他の守護者も迷宮の改装の時は、会合に持ち込んで相談するのが慣例となっていた。
「貴様の迷宮は荘厳さが足りん。もっと装飾を増やせ」
「『緑があれば心が安らぐ』と、申されております」
「水よ。水路があれば美しさも心の安らぎも両立できるわ」
「そういうのが聞きたいわけじゃないのよ……」
しかし、どの守護者も自分の迷宮には一家言持っているわけで。意見を請えば、自分の迷宮の要素をぶち込もうと虎視眈々と目を光らせている。私は効率的に勇者を殺せる、実用的な迷宮が欲しいのに。
「幻影魔術を設計段階から変えるなら、構造変化の理論を思い切り弄った方が、いい。その方が、より効果的に、勇者を混乱させられる。最近、新しく作った魔術もあるから、取り入れてみて欲しいけど」
普段は物静かにウィニも、専門としている幻影魔術の事となると口数が多くなる。とはいえ、彼女の魔法は防衛に際して大きな武器にもなっているし、技術者の意見は真摯に受け止めるべきだろう。
少なくとも、柱や緑や水路を増やすよりはよほど効果的だ。
「とりあえず、私の案を検討するところから始めてくれるかしら」
水を得た魚のように賑やかになる円卓に向かって、私は言う。それでも守護者たちは好き勝手に話し続け、思わず額に手を当てた。
「皆、ルビエラの話を聞け」
収拾がつかなくなってきた頃、唐突に大魔王様が口を開く。その一言だけで、口々に喋っていた守護者たちが沈黙する。
そうして、彼らはようやく私の回した資料を手に取り、私の考えた案を検討し始めた。
サンキュー大魔王様。
感謝を込めて、大魔王様に軽く会釈すると、彼女は口元に笑みを浮かべた。
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