第6話「最後の砦」

 ドアを開けると、そこは冷たい空気に満ちた霊廟だった。石造りの入り組んだ構造で、左右の壁には石棺と墓碑がずらりと並んでいる。〈骨骸の門〉とは対称的に隅々まで綺麗に掃除がなされ、この迷宮の主の性格が滲んでいる。


「ホルムス!」


 細長い通路が複雑に交叉する薄暗い迷宮を駆けながら、ここの主の名前を叫ぶ。

 第三迷宮〈邪霊の廟堂〉の主ホルムスは、グウェルのように一箇所に留まっているタイプではない。自分の治めるこの国を隅々まで把握していないと気に入らない彼は、常にこの迷宮をふわふわと歩き回っているのだ。

 だからこそ、もし彼が勇者と出会ってしまったら、そして万が一にも滅されてしまったら、一巻の終わりなのだ。


「カラス、ホルムスの気配は?」

「わ、分かんないですよぅ。わたくし、そういうのは専門外ですから」


 動物なら本能的な所で何か感じ取るかと思ったが、そういうことはないらしい。仕方がないので、私は霊廟を駆け回る。


「ひええっ。ゆ、幽霊!」

「アンタ、毎日不死者アンデッドは見てるでしょうに」


 霊廟の壁からぬるりと現れた、半透明の人型を見て、カラスが情けない悲鳴を上げる。青白く僅かに白光する頼りない姿は、この〈邪霊の廟堂〉に棲むゴーストだ。


不死者アンデッドは実体があるからいいじゃないですか。ゴーストは物理法則が効かないので、苦手なんです」

不死者アンデッドも結構、世界の法則から外れてる存在だと思うけどねぇ」


 カラスの判断基準がよく分からない。

 けれど、怖がっている暇はない。私は出会ったゴーストに、主人の居場所を尋ねてみる。迷宮の主戦力となる低級のゴーストは知能が低く、言葉を理解しないことも多いが、幸いにして彼は多少の理性を有していたようだ。私の質問に対し、軽く頷いて、壁の方を指さした。


「……方角は分かったわ」


 ゴースト的には壁など障害にはならないのだろうが、こっちはそういうわけにはいかない。私は思わず額を抑えつつ、彼が指し示した方角に進めるように、歩き出した。



「ねえ、勇者の居場所とかは分からないの?」

「無茶言わないで下さいよ」


 一番マズいのは、ホルムスが勇者たちとかち合うことだ。けれど、私が勇者と出会ってしまうのも避けなければならない。自分の管理区域外で死ぬと、それなりに面倒なのだ。

 一応、〈邪霊の霊廟〉は〈餓獣の檻〉に次ぐ面積を誇っているし、内部構造も入り組んでおり、不定期に通路が変化する魔術も掛かっているから、そうそう勇者たちと出会うこともないはずだ。けれど、それと同じくらい、ホルムスと出会うのも難しい。


「ルビエラ様こそ、念話の魔術くらい使えないんですか?」

「私は霊錠魔術以外使えないわよ。知ってるでしょ」

「知ってますよ」


 知ってて言ったなら尚たちが悪い。私はカラスの嘴をぎゅっと握りしめた。


「る、ルビエラ様! 何を――」

「シッ」


 涙目で抗議するカラスを黙らせる。

 霊廟の壁に背を付けて、そっと曲がり角の際から耳を澄ませる。

 静かな霊廟の奥から、コツコツと複数人の足音が聞こえた。それと、金属の擦る音。

 実体のないゴーストは物音を立てない。ならば、生身の人間だ。


「運が悪いわね」


 ホルムスに出会う前に、勇者パーティを見つけてしまった。幸い、向こうはまだこちらに気がついていない。


「カラス、引き返すわよ――ッ!」


 言いながら振り返った私は、全身を硬直させた。思わず叫び声を上げそうになり、必死に唇を噛んで悲鳴を殺す。

 背後のすぐ近くに、血色の悪い、青白い顔をした青年が立っていた。


「こっちへ」

「ちょ――」


 古くさい貴族のような服を着た青年が、手招きする。

 口を開きかけた私は、近づいてくる勇者の存在を思い出し、ひとまず彼についていくことにした。

 地面から僅かに浮いた青年は、滑るように霊廟の奥へと進む。その進みに迷いはなく、不定期に入れ替わる構造を全て理解しているようだった。いくつもの角を曲がり、何枚もの扉をくぐる。そうして、方向感覚も距離感も完全に麻痺してしまった頃、ようやく小さな石室に辿り着いた。


「ここまで来たら安心だ。迷宮墓区とは隔離したから、勇者たちも入って来れない」

「相変わらず物音がしないから心臓に悪いわね、ホルムス」


 こちらに振り返り、口元を緩める幽霊の青年の名前を呼ぶ。貴族の礼服で着飾ったこの青年が、第三迷宮〈邪霊の廟堂〉の守護者、ホルムスだった。

 自身も上位の幽霊であり、青年の姿をしているが、体は透き通っているし、何百年も前から変わらない外見をしている。見た目だけは若いが、これでも第二迷宮のグウェルよりも古株なのだ。


「まあ、世間話をしてる暇はないんだろう? とりあえず、要件を聞こうか」

「そうね。さっきの勇者、随分と早くグウェルの迷宮を突破したの。かなり強いと判断して、報告書を直接持ってきたわ」


 私は胸元に突っ込んでいた報告書をホルムスに渡す。

 そういえば、彼は幽霊なのに物質にも干渉できるようだ。問題なく書類を手に取り、パラパラと内容を確認する。

 とりあえず読んでくれるだけでもありがたい。


「今回が七回目の挑戦か。今まではずっと、グウェルに止められてたみたいだね」

「たぶん、対策を施してたのね。グウェルから報告書は?」

「今回も来てないね」


 肩を竦めるホルムス。私はがっくりと肩を落とす。

 あの野獣、まさか今までも報告書を上げていなかったのか。


「守護者の義務を放棄してるわね……。今度の会合で告発してやろうかしら」

「ま、そんなに怒らなくても。ルビエラの報告書だけでも、十分だよ」

「情報は多いに越したことは無いわよ」


 私一人の視点では、どうしても視野狭窄に陥ってしまう。だからこそ、勇者に破れた魔王は情報を纏め、後方に送る。そうして、勇者が勝ち進めば勝ち進むほど、情報は増え、対策も取られるようになっていく、というのが基本の迎撃システムなのだ。

 その原則を忘れては、守護者としての自覚が足りない。グウェルには何かしらの処罰を受けてもらわねば。

 決して、私だけ仕事していたからとか、奴がサボっていてムカついたからとか、そんな理由ではない。


「いざとなったら私も加勢するけど、どうする?」

「いや、大丈夫だよ」


 ホルムスはこともなげに言い切ってみせる。その妙に自信に満ちた表情を見て、何か秘策でもあるのかと首を傾げる。

 彼はそんな私の思いを汲み取って、口を開いた。


「今回入ってきた勇者は、〈邪霊の廟堂〉は初めてなんだろう? それなら、大丈夫。初見者の防御率は100%だからね」

「自信あるわね。でも、勇者が他の経験者からここの情報を聞いてたら、対策されてるかも知れないわよ」


 勇者は一人ではない。百年以上前から姿を見せなくなった者を合わせれば、千を下らない膨大な数がいる。彼らは互いに情報を共有し、対策を施してくる。そのため、こちらも頻繁に迷宮の構造を変えるなどして、対応しなければならないのだ。

 しかし、そう言ってもホルムスの余裕の表情は変わらない。


「それでも、大丈夫。〈邪霊の廟堂〉は、人間にとって防御不能で最も効果的な方法で攻撃するからね」

「どういうこと?」

「まあ、見てもらえば分かるよ」


 そう言って、ホルムスは小さな霊を呼び出す。

 ぎょろりと拳くらいの目玉ににょろにょろと触手の生えたような、奇妙な姿のソレは、ウチのカラスと同じような監視役の幽霊らしい。

 目玉は光を放ち、石室の壁に映像を投射する。

 そこには、暗い霊廟を角灯ランタンで照らしながら歩く勇者たちが映っていた。


「大盾持ち一人、魔法使い二人、神官一人。攻撃的だけど、防御力もある、バランスの良いパーティだね」

「扉を開けた瞬間に『猛火の海ブレイズオーシャン』で丸焼きにされたわ」

「第四位階の火属性元素魔法。魔法使い二人による共鳴詠唱発動だろうね」


 ホルムスは貴族らしく勉強が好きで、しょっちゅう第六迷宮を訪れている。魔法についても深い知識を有しており、魔法の名前を言っただけで、その分類から発動方法まで諳んじてみせた。

 とにかく、私は大盾の戦士の後ろに隠れている、双子らしい魔法使いの少年に焼かれたのだ。恐らくグウェルの闘獣たちも、同じく丸焼きのステーキにされてしまったのだろう。


「ま、大丈夫だよ」

「余裕ねぇ」


 それを聞いてなお、彼はその態度を崩さない。遠回しに、その程度の奴らに負けたのかと言われたような気がして、なんだか腹が立ってきた。

 私の胸の内を知ってか知らずか、ホルムスが口を開く。


「ルビエラは、あんまりウチには来てないよね」

「そうねぇ。第六迷宮ほど面白くないし、第四ほど遊べるわけでもないし」

「この廟堂の美しさが分からないとは、全く、嘆かわしいことだよ」


 大仰に手を振って嘆く似非貴族。こめかみが痙攣するが、黙って話の続きを促す。


「第三迷宮〈邪霊の廟堂〉は、幽霊を主軸に据えた迎撃態勢を組んでいる」

「知ってるわよ、それくらい」


 何百年一緒に仕事してると思っているんだ。と腕を組んで目を向けると、彼は驚いたように眉を上げた。


「知っているなら、わざわざこんな所まで駆け付けないだろう?」

「簡潔に言って」


 コツコツと石の床を靴で叩く。

 ホルムスは肩を竦め、目玉の霊が映し出す映像の方へ向き直った。


〈邪霊の廟堂〉ウチはね、どれだけ分厚い盾を持っていても、どれだけ強力な魔法が使えても、意味が無いんだよ」


 彼の語るなか、映像に変化が起きる。

 廟堂の左右にずらりと並んだ石棺から、青白い幽霊たちが現れた。口を半開きにして、焦点の定まらない目で、ふわふわと空中を浮いている。死者の残した強い感情を核に、死の理から逸脱した彼らは、生者の持つ光を求めて集まる。

 戦士が盾を構え、魔法使いの双子が詠唱を始める。

 それに気付いていないかのように、幽霊たちは続々と姿を現し、密集していく。


「――『猛火の海ブレイズオーシャン』ッ!」


 二重の声が高らかに、暗い廟堂へと響き渡る。

 二本の杖から濃密な魔力が流れだし、高熱の炎となって渦を巻く。四人の勇者の周囲を、炎の海がうねり広がる。

 石を焼き、暗闇を晴らす。

 無数の幽霊たちは、荒れ狂う炎に呑み込まれた。


「あの魔法も、意味が無い」


 それでもなお、ホルムスは言い切った。

 注ぎ込まれた魔力が尽き、炎が消える。

 余裕の笑みを浮かべた勇者たちは、周囲を見て硬直する。緩んだ口元が、次第に震える。

 再び暗闇を取り戻した霊廟には、無数の幽霊たちが五体満足で残っていた。

 幽霊たちは動き出す。

 彼らが勇者に触れた瞬間、耳を劈くような絶叫が響いた。


「幽霊を殺すには、純粋な聖属性の攻撃が必要だ。魔力の炎を当てても、全部吸収されてしまうからね。そして、幽霊は人間の本能にある根源的な恐怖を増幅させる」


 屈強な戦士が大盾を投げ出して逃走を始める。

 双子は互いに身を寄せて蹲る。

 神官は崩れ落ち、石の床に染みを広げた。


「体の内部に直接流し込まれる、死の恐怖だ。どんな防御もすり抜けるから、避けようがない。精神は急激に消耗し、酷い時は廃人になってしまう」


 勇者たちは、強烈な刺激に気絶と覚醒を繰り返しながら、急速に衰弱していく。血色の良かった顔は、段々と青白くなり、力も失っている。

 やがて、立ち上がることもできなくなり、四つの体が霊廟に転がる。

 それでも、血は流していないから、すぐに死ぬことはない。

 じんわりと、心だけが先に壊されて、ゆっくりと死に向かっている。


「ほらね、大丈夫だったでしょ」

「……そうみたいね」


 心配して損した。

 ここまで一方的に撃退できるとは、数百年目にしてようやく知った驚きだ。


「初見防御率は100%。そのあとの挫折率も90%以上だ。ウチが実質的に、最後の砦となっている理由が分かったかい?」

「ええ、よく分かったわ」


 誇らしげに胸を張るホルムスに、思わず力が抜ける。

 悔しいが、今回はこの迷宮について勉強不足だった私が、一人先走っただけらしい。


「また気が向いたら遊びに来てよ」

「そうね、他の迷宮について調べるのも良いかもしれないわ」


 行きしなよりも数倍重くなった足で、とぼとぼと帰路に就く。

 そんな私の背中に向かって、ホルムスは元気な声で見送ってくれた。

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