第4話「勇者の殺し方」
魔王城七迷宮、第一迷宮〈骨骸の門〉。守護者の間にある玉座に座り、来訪者を待つ。
「魔王ルビエラ! ここを通して貰おう!」
聞きおぼえのある若い青年の声。
鍵の掛かっていない扉は、今回は私が言葉を発するよりも早く開かれた。
「誰かと思えば、獣に喰われて死んだ勇者様じゃないの。もう戻ってくるとは、案外根性はあるのね」
玉座から四人の客人を見下ろし、余裕たっぷりの笑みを口元に含んで言う。若さとは活力に溢れて魅力的だが、だからこそ直情的で煽りやすい。“暁の勇者”くんも、大きく目を開き、尖った眉を斜めにして、背中の聖剣を引き抜いた。
「舐めるなっ。お前は俺に呆気なく殺されただろう」
「面白いことを言うわね。貴方は私を殺してなどいないわ。なぜなら、私は今ここに座っているのだもの」
ま、嘘はついていない。私はたしかに、彼らにあっけなくやられていたけれど、本当に殺そうとするのは少々骨が折れるだろう。私だって、殺されるわけにはいかないので、弱いなりに色々と保険を掛けている。
むしろ、私からしてみればレオン某たちの方がよっぽど卑怯だ。彼らは確かに、グウェルの飼っている闘獣が食い殺したはずなのに、こうして五体満足、それも武器や防具まで綺麗に揃った状態で再びここへやってきた。“光の女神の加護”とやらは、本当に忌々しい。
「貴様っ!」
「レオン、あまり挑発に乗るな。奴は
激昂する勇者の肩に、格闘家の女が手を置く。色々と癪に障るが、彼女の言っていることは正論だ。煽りに乗ってしまえば判断力が鈍り、それだけ私の勝率が上がる。
やはりこのパーティの要となっているのは、あの格闘家だろう。彼女が一番経験が豊富だろうし、一番強そうだ。だからこそ――
「“
「かはっ――!?」
彼女を潰せば、パーティは瓦解する。
口から血を吐き、格闘家の女が膝から崩れ落ちる。目を開き、玉座に座る私を睨み上げている。
私は彼女の期待に応えて、にっこりと美しい笑みを向けてあげた。
「サラ!?」
「サラさん!」
「い、今助けますから、耐えて――」
一瞬呆けていた勇者たちが、私から視線を外して格闘家の元へと集まる。やはり経験が浅い。若さと才能だけでここまでやって来たのは賞賛に値するが、戦場で油断する甘さはただの愚行だ。
「次は、治癒術師ね。――“霊錠解放:
鍵束を鳴らす。
選び取った真鍮の鍵を虚空に突き出し、扉を開く。
古びた扉の黒い靄の奥から飛び出してきたのは、襤褸切れを纏った化け物。錆の浮いた巨大な鎌を振り上げ、神官の少女の元へと滑るように近寄る。
「メルトッ!」
レオンハルトが、神官を庇うように前に出る。引き抜いた聖剣は銀色に輝き、
「闇払う――」
「その間合いで大技は選択ミスよね」
シャドウリーパーは易々と剣を掻い潜り、大鎌を振り上げる。ボロボロの頭巾の奥にある影に滲んだ、赤い双眸が冷たく少女を見下ろす。
「レオン――」
呆気ない事切れ。
少女の真っ白な衣に深紅が滲む。悲壮な表情を浮かべたまま、少女の頭が絨毯の上に転がる。
「貴様ァ!」
大きく口を開き、唾を飛ばして勇者が吠える。
「グウェルと比べると子犬みたいね」
それを見て、私は思わず笑いを堪えきれない。それすらも彼の神経を逆撫でしたようだ。
声を上げ、剣を振り上げて勇者が駆けてくる。しかし、そこに鋭さも速度もない。ただ感情に任せた、野生じみた下品な攻撃だ。
「“霊錠解放:
振り下ろされる、銀の聖剣。それを受け止めたのは、より大きな鉄錆の大剣だった。
黒靄の中から現れた大柄な騎士が、ほの暗い眼窩を勇者に向ける。そうして、何の躊躇いもなく、剣を振り上げ、振り下ろす。
「ぎゃっ」
それだけで、勇者は死ぬ。
人の死とはなんとも呆気ないものだ。
「さて」
入り口の扉へと視線を戻す。
杖を落とし、床に倒れた魔法使いがひとり、涙を流して震えている。シャドウリーパーとファントムが、ゆっくりと彼女の元へと近づく。
「なんで……」
喉を震わせて、魔法使いが声を絞る。
「なんで、どうして……。前はあんなに弱かったのに……。どうして……」
彼女が詠唱を始めるよりも先に、シャドウリーパーが首を落とすだろう。ファントムは私の前に立ち、盾となっている。
身の安全が確保されていることを確認して、私は魔法使いの問いに答えてあげることにした。
「前にも言ったわね。あんまり魔王を舐めるんじゃないわよ」
魔法使いの顔には、絶望が浮かんでいる。もう少し、死の気配を濃くしてやれば、やがて腰のあたりに染みも広がるだろう。
「アンタら勇者が“光の女神の加護”を持っていて、いくらでも甦ることくらい、折り込み済みなのよ。だから、一度目は練習試合」
「れんしゅ」
魔法使いが眉を曲げる。私の言葉の意味が理解できないようだ。
「アンタらの能力を試し、戦い方を知り、弱点を探す。何が得意で、何が苦手なのか。誰が中心なのか」
魔法使いの隣には、一番綺麗な状態で死んでいる格闘家の体が転がっている。
彼女はパーティの年長者として、勇者たちを支え、導く存在だった。だからこそ、彼女を崩せば、つっかえ棒を外したように、パーティは崩壊する。
「私たちの仕事は、勇者の侵攻から魔王城を守ること。けれど、アンタたちはいくら殺しても甦る。だから――」
シャドウリーパーが、錆び付いた鎌を魔法使いの首に添える。
それだけで、彼女は面白いほど震え、表情を歪ませた。命乞いしないのは、ここに一人残されても無意味だと悟っているからか、死んでも甦ると分かっているからか。
「二度と迷宮に挑めないように、完全に、完膚なきまでに、心を折るしかないのよ」
肉体は、忌々しい加護によっていくらでも甦る。記憶も死の直前までを持ち帰り、それを元に戦略を改善していく。
戦えば戦うほど、殺せば殺すほど、勇者は強くなってやってくる。
そんな卑怯極まりない存在から、魔王城を守る唯一の方法。それが、できるだけ派手に、鮮烈に、心に深い傷を刻みつけて、再起不能になるように殺すことだった。
「――ッ!」
「自殺はさせないわよ」
魔法使いがローブの下から取り出したナイフを、“
「言ったでしょう。――あんまり魔王を舐めるんじゃないわよ」
ゆっくりと、シャドウリーパーの鎌が首筋を滑る。血が滲み、鉄の臭いが広がる。血管と神経を断ち切る激痛に、魔法使いは絶叫し、身を捩る。
そうして、四人の勇者たちは一度は打ち負かした魔王に呆気なく破れ、その血で絨毯を赤黒く染めることとなった。
「――ぃよっしゃあああっ! 勝ったどーー!」
四人の死体が透明な結晶となり、砕け散る。細かな欠片が光となって溶けていくのを見届けて、私は思わず拳を突き上げた。
敵に絶望感を与えるために気を張っていたが、内心心臓がバクバクと拍動していたのだ。もし格闘家が抗魔の護符あたりでも持っていれば、“心臓潰し”が効かなかった。
私は賭けに勝ったのだ。
「いやぁ、あれだけズタズタにすれば当分はやってこないでしょ。これで少しはキィちゃんと遊ぶ時間が取り戻せるわぁ」
どっかりと固い玉座に腰を降ろし、胸に溜まった息を吐き出す。
緊張が解けて、一気に疲労が押し寄せてきた。
殺すだけなら簡単だけど、惨たらしく殺すとなると、あまり得意ではない。もともと、人がカサブタを剥がしているのを見るのも苦手なのだ。
本当なら生かさず殺さず拘束して、じわりじわりと拷問しつつ殺す方が効果的なのだろうけど、流石にそれは勘弁して欲しいし。
「いやぁ、良かった良かった。今回は報告書書かずに済むわぁ」
ルンルンと鼻歌なども歌いつつ、〈骨骸の門〉の隔離領域内にある館に通じるドアを作る。
複雑怪奇に入り組む荒廃した館の迷宮ではあるが、流石に私やキィちゃんたちが住む場所はある程度整えて、安全性も確保している。そこに戻れば、やっとリラックスできる。
「ルビ様! おかえりなさい。どうだった?」
無邪気な笑顔で出迎えてくれるキィちゃんを抱きしめる。ふわふわな金髪が鼻をくすぐり、幸せの香りがひろがる。うーん、かわいい。
「バッチ、グーよ! 今夜はワインも開けちゃおっかな!」
「わっ! おめでと、ルビ様! やっと勝てたんだねっ!」
「うぐ……。うん、今日は勝てたんだぁ」
無垢な言葉が心を貫く。
いや、他意はないんだろうけどね。むしろだからこそ余計に、というところもあるかも知れないけれど。なんだかちょっと、誰かに心臓を握られたようだ。
「おおっ!? ルビエラ様が勇者を倒しましたか。これは明日は槍でも降るかもぎゃああっ!」
「アンタは随分と敬意を忘れているようね。今一度、改めて体に叩き込んであげましょうか?」
「いやアハハ、申し訳なかったです。ちょっとしたカラスジョークですよ」
ケタケタと笑うカラスの翼を掴んで引き延ばしてやると、奴は一変してヘコヘコと頭を揺らし始める。本当に、調子の良い奴だ。
「ふん。今日は気分が良いから許してあげましょう。さーて、キィちゃん、一緒に沢山遊ぼうねぇ」
「わぁい! ルビ様と遊ぶの久しぶりだねっ」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶキィちゃんの、小さくて柔こいおててを握り、館の廊下を歩く。普段は仕事ばかりであまり構えていないから、今日くらいは満足するまで遊んであげよう。
私だって、キィちゃん成分を思う存分取り込みたい。
「それじゃあ何して遊ぼっか――」
「ルビエラ様、新たな勇者の接近を感知しましたよっ!」
「――あ?」
そんな私へ、カラスが無慈悲な声を上げる。
「キィちゃん、ごめんね」
「うん。キィ、大丈夫だから。ルビ様も頑張ってね」
唇を噛み締めるキィちゃんを、ぎゅっと抱きしめる。彼女の青い瞳に浮かんだ涙を拭う。
久しぶりの家族団らんの時間を打ち砕かれて、機嫌が一気に下落する。しかし、カラスは自分の仕事をこなしただけで、悪くは無い。悪いのは――
「私とキィちゃんの時間を邪魔しやがって……。絶対許さんッ!」
私は私怨の炎をメラメラと燃やし、守護者の間へと舞い戻ったのだった。
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