第3話「獣王グウェル」
“獣王”グウェル。獣の魔人で最強の称号を持つ、勇猛なる戦士。魔王城七迷宮、第二迷宮〈餓獣の檻〉の守護者。
――つまるところ、私が逃がした勇者を一番多く受け持っている同僚だ。
「はああ、嫌だなああああああっ!」
伝令役のカラスから伝えられた、グウェルからの招集命令。権限的には私も奴も同等だから、正当な理由があれば拒否できる。困っているのは、正当な理由がないことくらいだ。
私は執務机に突っ伏して、いっそこのまま癒着してしまいたいと頬を押しつける。無論、そんなことはできるはずもなく、ただ時間が過ぎてグウェルの機嫌がマッハで下っていくだけだ。
「ルビ様、それなら休んじゃう? ごめんなさいすれば、グウェルのおいちゃんも許してくれるんじゃない?」
「それで許して貰えるのはキィちゃんだけよ……」
とてとて、と可愛らしい足音と共にやってきたキィちゃんが、私の肩を叩いてくれる。ああ、このまま無限に甘やかされたい。
「ルビエラ様、早急に向かわれた方がよろしいかと。招集命令が下るのは、なかなかありませんぞ」
「分かってるわよ。だから行きたくないのよ」
行け行け、とせっつくカラスにうんざりしながら、仕方なく立ち上がる。せめてもの武装に、秘蔵の口紅を塗って、戦闘用のものより装飾を増やしたドレスに着替える。
「じゃ、行ってくるわ。キィちゃん、お留守番よろしくね」
「わかった。ルビ様も、頑張ってね」
「ありがと」
ぎゅぅぅうっとキィちゃんを抱きしめ、その可愛らしさを存分に摂取する。そうしなければ、〈骨骸の門〉を出るだけで砂になってしまいそうだった。
「カラス、行くわよ」
「えええっ!? わ、わたくしもですかっ」
机の上で暢気に毛繕いしていたカラスを、ちょいちょいと指で呼ぶ。奴は驚いているようだが、死なばもろともだ。招集命令など私に上げず、そっちで握りつぶしてくれれば良かったものを。ま、そうしたら乗り込んできたグウェルによって物理的に握りつぶされてただろうけど。
私は肩にカラスを乗せて、鉛よりも重い足取りで長い館の廊下を歩く。
〈骨骸の門〉は、無限にあるドアによって様々な部屋とランダムに繋がっている。空間は歪み、物理法則は意味を成さず、それ故に迷宮として勇者を彷徨わせている。
そもそも、迷宮という物自体が、一つの独立した異界なのだ。〈骨骸の門〉が第一で、〈餓獣の檻〉が第二の迷宮となってはいるが、その二つが物理的に繋がっているわけではない。門という転移装置によって、異なる世界へと移動しているのだ。
「はぁ、着いちゃった」
なので、廊下にあった小さなドアを開くと、私の何十倍もあるような石の扉をくぐる、ということもある。
そこは広大な荒野だった。
乾いた大地に巨岩が転がり、僅かな草が逞しく根付いている。人工物といえば、私が入ってきた巨石の扉と、遙か地平線上に霞む、遺跡のような影だけだ。
「相変わらずクソ暑いわね、ここは」
「ほんとですよ。なので帰って良いですか?」
「アンタ、私がいないとあの扉開けられないでしょ」「チクショウめ」
残念ながら、巨石の門扉はすでにぴったりと閉じている。このカラスも、カラスのくせして〈骨骸の門〉内部のドアなら器用に開けることができるが、迷宮同士を繋ぐドアとなると話は別だ。
こういうものは、生憎と手の形や純粋な力でどうこうなるものではなく、ドアノブに触れる者の権限に左右される。つまり、迷宮管理者クラスでなければ開けない。
「はぁ。ま、どうせ怒られるのはわたくしじゃなくてルビエラ様ですからね。ちゃっちゃと行きましょう」
「人ごとだと思って……。ていうか、ここはいっつもどんだけ歩かせるのよ」
尊敬の欠片も感じられないカラスと、やいのやいのと言い合いながら、何もない殺風景な荒野を歩く。道などという文明の利器を用いる知能が、あのグウェルにあるはずもなく、ひたすら歩きにくい道をてくてくと進む。
これがドラゴンやら悪魔やらの有翼の魔人ならば軽くひとっ飛びするだけで済むのだろうが、生憎と私はそんな便利なものを持っていない。ただ、この生まれ持った二本の足で歩くのみだ。
「ほらほら、頑張って下さいよ。もう少しですよ」
「アンタは私の肩に乗ってるだけでしょうが。むしろ飛ばないぶん楽してるし、私に負担かけてるでしょ」
「なんのことやら」
しかし、カラスも連れてきたのは良い判断だった。こんな長い道を一人黙々と歩いていれば、それだけで死んでしまう。一応、迷宮守護者の端くれではあるので〈餓獣の檻〉の魔物たちに襲われることはないが、そう考えると勇者も大変だ。
歩き疲れて変なことを考えていると、ようやく石造りの巨大な闘技場へとやってきた。第二迷宮〈餓獣の檻〉の最奥、守護者の間だ。
「おーい、グウェル。来てやったわよ」
無駄にデカい闘技場の中に入り、主の名前を呼ぶ。
空っぽの観客席がぐるりと周囲を囲む、円形の広場には、獣の骨や腐乱死体、糞尿が散乱していた。
「相変わらず汚いわね。少しは掃除したらいいのに」
汚さで言えば
「――最近は忙しくてナ。掃除する暇もないのダ」
近くにあった獣の骨を蹴っていると、頭上から重く響く声がする。明らかに怒気を孕んだ、そこらの凡百ならそれだけで縮み上がってしまいそうな威圧感を帯びた声だ。
事実、カラスの鉤爪が肩に食い込んでいる。こいつは後で焼き鳥にでもしてやろうか。
「まずは、謝罪シロ」
「何のことやら」
とぼけてみせると、睨まれる。
それだけで、まるで重力そのものが何倍にも増したかのような錯覚に陥る。“獣王”というだけあって、本能的な恐怖を呼び起こすのが上手い。
「はぁ。……今回は勇者を通しちゃってごめんなさい」
「今回も、ダ!」
乾いた空気に響く咆哮。
直後、闘技場の天辺から巨大な影が落ちてくる。
「ぐわっ!? げええ、ぺっぺっ! 荒々しいわね、登場の仕方が。砂入っちゃったじゃない」
巻き起こる砂塵をもろに受け、髪にも睫にもシャリシャリとした感触が残る。
「知るカ。そこにイルお前が悪イ」
高慢不遜な態度を崩そうともせず、砂煙の中で大きな影が立ち上がる。熱風が吹き、砂埃を晴らす。そこにいるのは、金色の鬣を持つ雄々しい獅子の頭の偉丈夫だ。
名はグウェル。ここ第二迷宮〈餓獣の檻〉の守護者。獣の魔人の中でも突出して強い力を持ち、フィジカル面だけで言えば七人の守護者の中でも最強だろう。どんな堅固な鎧も、彼の肉体と比べればただの錘にしかならず、今も戦闘時と同じ、簡素な毛皮の服しか着ていない。
ぶっちゃけ、直立歩行できる獣とほとんど同じだ。
「さっき送った勇者はどうだったの。たしか、暁がうんぬんって奴」
「ここに辿り着くまでに死んダ」
興味本位で聞いてみると、簡素な答えが返ってくる。
予想はしていたが、随分と呆気ない結末だ。ていうか、それだともしかして――
「私が送った報告書は?」
「目も通していナイ」
「そっかぁ……」
その事実の方がよほど私の胸に来る。苦労して纏めて書き上げた渾身の報告書が、またもや泡沫に帰すとは。本当に、やるせない。
「この程度で死ぬようナ勇者に殺されるトハ。鍛錬が足りヌのではないカ」
「私は筋トレしたって力が強くなったりしないのよ。ていうか、あいつらが死んだのだって、私が事前に消耗させてたおかげでしょ」
「言い訳などしても、弱さが露呈するだけダ」
私の抗議などどこ吹く風と言った様子で、グウェルは濡れた黒い鼻を鳴らす。猫じゃらしでおちょくってやろうかと思ったが、じゃれつかれた瞬間に体が潰されるので、まあ勘弁しといてやろう。
「貴様は、どれだけ勇者の侵攻を許せバ、気が済むのダ。最近はその間隔も短くなってイル。獣は、骨のガラクタとは違っテ、有限なのダゾ」
グウェルが私の二倍はある巨体を折り曲げ、デカい顔を近づけてくる。太く鋭利な牙を剥き出しにして、鼻息荒く迫ってきた。
その獣臭い口臭に口をへの字に曲げて、私はグウェルから距離を取る。
彼の迷宮〈餓獣の檻〉に住んでいるのは、魔獣だ。私が〈骨骸の門〉で
九割ほどは勇者を食い殺すための闘獣だが、残りの一割には食用の肉獣が含まれている。〈骨骸の門〉、〈幻影の書庫〉に次いで広大な面積を誇るこの迷宮では、他の迷宮や魔王城で日々大量に消費される食肉の供給も行っているのだ。
「どうせまぐわえば増えるでしょ。じゃんじゃか産ませなさいよ」
「そう簡単でハないから、こうして呼び出して警告しているノダ。強い闘獣ハ育てるのにも時間と手間ガかかる。消費する肉モ多い」
「苦労して育てたご自慢の闘獣を見せつける良い機会を作ってあげてるんじゃないの」
「ソレでこちらが殺されてハ、本末転倒なのダ!」
がうがうと吠えるグウェルに辟易とする。
どうやら、私が勇者をどんどん通しているせいで、こっちも消耗が激しくなっているらしい。たしかに、前までは行っても第三迷宮くらいがほとんどだったが、最近の勇者はちょいちょい第四、たまに第五まで行き始めている。
あれ、何だかんだ言って、コイツも結構勇者の侵攻を許しているんじゃないか。
「そうは言っても、もともとこの戦いは私たちにめちゃくちゃ悪い条件だしなぁ」
思わず漏れた言葉。勝利こそ至上である、と日頃から憚らないグウェルは怒り出すかと思ったが、予想に反して奴も立派な三角耳をぺたんと畳む。
「ソレハ、本当にそうダ。大魔王様ハ、何も対策ヲなさらない。このままでは――」
そこまで言い掛けて、グウェルははっと目を開く。
「どぅわっ!?」
いきなり立ち上がった彼は、幹のように太い両腕で自分の顔を猛烈に殴りつけた。雄叫びを上げて走り出し、闘技場の石壁に頭をしこたまぶつける。
「な、なんですか!? ついにグウェル様の脳みそまで筋肉に?」
「アンタも大概よねぇ」
うごおおお、と大地の怒りを体現するかのように、グウェルが盛大に吠える。
しばらくして落ち着いたのか、奴は頭からダラダラと血を流しながら戻ってきた。
「否、否であル! 我らは魔王城七迷宮の守護者。いくら勇者どもが来ようとモ、――
ごう、と吠える獅子王。少々暑苦しいが、奴の言葉には全面的に同意する。でなければ、私もこんな仕事はやっていない。
「結局、グウェルは何が言いたかったの」
「全力で戦え! たるむナ、怯むナ、狼狽えるナ! 全ては大魔王様のタメ! 己が命を投げ打っテ! ウジのように湧く勇者ドモを撥ね除けるのダ!」
グウェルは感情の昂ぶりに身を任せ、立て続けに咆哮を上げる。獅子王と言えど、所詮はデカいネコである。理性が欠片ほどしかないのが、たまにキズだし、扱いやすいところでもある。
「にゅっ! ルビエラ様、守護者の間に近づく勇者どもが報告されましたよ」
肩に止まっていた烏がぴくりと体を動かす。コイツには、迷宮の深奥――守護者の間へやってくる勇者の存在を知らせる仕事も命じていた。
「もう仕事かぁ……。名前は分かる?」
「ええ、ええ。四人組、男一人、女三人。騎士、格闘家、神官、魔法使い。これはまさしく――」
カラスの物言いに、グウェルも落ち着きを取り戻す。そして瞬間的に沸騰し、怒りの咆哮を空に向かって放った。
私は思わず額に手をやり、項垂れる。
「“暁の勇者”レオンハルトの一団です!」
勇者たちはいくらでもやってくる。何度倒されても、その心がくじけない限り。光の女神の加護を受けた彼らは、迷宮で死んでも甦る。死ぬまでの知識を保持したまま、再びしつこく挑んでくるのだ。
だからこそ、これは私たちにとって、とても分の悪い戦いなのだ。
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