第2話「可愛い泣き女」

 魔王城七迷宮、第一迷宮〈骨骸の門〉。

 空間が捻れ、大小様々な部屋が無数に連なり、どこまでも無限に広がり、複雑怪奇に入り組んだ、広大な洋館。内部は古く朽ち果てており、無数の不死者アンデッドたちが生者の肉と魔力を探して彷徨っている。

 入るのは容易いが、生きて出ることは敵わない。

 骨骸の堆積する、死の館だ。


「まあ、生きて出られないのは私も同じなのよね」


 さらさらとした灰が集結し、体を再構築していく。むず痒い独特の感触に身を捩りながら、私は棺の底から体を起こした。


「ああもう、今回もコテンパンにやられたわね! あの新顔、なかなかやるじゃないの」


 思い返されるのは、最期の記憶。私が殺された時の光景。

 呼び出した亡霊騎士ファントム屍鬼グールたちは、あの青年勇者に一掃された。なんなんだ、あの聖剣は。すこし卑怯チートが過ぎるのではないか。おそらくは、聖属性持ち。不死者アンデッドには火よりも恐ろしい力だ。

 それに、あの魔法使い。胸はないくせに魔力量だけは桁違いだ。頭の悪い暴発ばかりしているのに、その一つ一つがなまじ威力が高すぎるせいで、こっちはおいそれと手も出せない。

 苦労して傷つけたと思えば、神官の女の子が一瞬で治癒してしまう。

 極めつけはあの格闘家だ。四人の中で一番戦い慣れているし、人型の不死者をけしかけても眉すら動かさずにためらいなく殺している。


「だああああ! また負けたっ!」


 爪先から毛先まで、全ての再構築が完了する。

 私は内側に柔らかいクッションを縫い付けた棺の中に倒れ込んで、ふて寝した。


「またグウェルの野郎が怒鳴り込んできそうだなぁ……」


 魔王城を守る、七つの迷宮。そのうちの一つ、人間界から立ち入ることのできる唯一の門として機能しているのが、我が〈骨骸の門〉だ。

 “光の女神”にけしかけられて、大魔王様を討つためにやってくる勇者たちは、全員が例外なく、まず私と対峙することになる。つまり、彼らから見れば私は最初のボスと言うわけだ。

 私を倒さなければ、第二迷宮へと続く扉をくぐることは許されない。逆に言えば、私を倒せば第二迷宮へ行けてしまう。そして、ここのところ私の勝率はあまり芳しくなかった。


「私が弱くなってるんじゃなくて、勇者どもが強くなってんだよねぇ。そこんとこ、ちゃんと踏まえて貰いたいもんだけど」


 私の背後に待ち構える第二、第三の迷宮守護者たちを思い出し、憂鬱な顔になる。私が勇者に負ければ、彼らは仕事をしなければならない。

 そんなわけで、私は仕事を持ってくる奴と認識されている。


「あああ、嫌だぁ。定例会議行きたくねぇえええ」


 ボスとしての品位も風格も投げ捨てて、私は棺の中の枕に顔を押しつける。できることなら迷宮ごと仕事を投げ捨てて、魔界漫遊の旅にでも出たいところだ。

 そんな儚い望みなど、そもそも存在するわけもなく、じたばたと足を動かす。

 そんな時、部屋のドアが控えめにノックされた。


「ルビ様、だいじょうぶ?」

「き、キィちゃん!?」


 ドア越しのくぐもった声に、慌てて跳び上がる。

 跳ねた銀髪を撫で付けて、下品にめくり上がっていたドレスを直す。鏡に映る自分がどこに出しても恥ずかしくない魔王になっているのを確認してから、落ち着きを払ってドアを開けた。


「大丈夫よ。ちょっと反省会をしてただけ」


 努めて微笑みを浮かべて、ドアを開く。

 向こう側に立っていたのは、ふわふわした金色の髪の、可愛らしい女の子だ。白いパンみたいにふわもちのほっぺたが少しピンク色になっていて、大きくてまん丸な青い瞳が私を見上げている。

 黒いメイド服を着ているように、彼女は私の一番の側近だった。


「キィちゃんは安心してていいのよ。それより、寂しくなかった?」

「うん。キィ、ひとりでお留守番、できたよ」


 ぱっと笑顔で言うキィちゃんに、思わずくらりと視界が揺れる。どこかの勇者の聖剣よりも、よっぽど神聖で、守らねばならない、この笑顔。

 そのオーラだけで、勇者に向けていた怨念が霧散していく。


「ルビ様」

「なぁに?」


 キィちゃんに名前を呼ばれて、でれでれとしたまま首を傾げる。

 彼女は私を真っ直ぐに見つめて、その青い目いっぱいに涙を浮かべた。さっき守らねばと誓った筈の笑顔が、一瞬で失われてしまった。こりゃ大変だと慌てふためき、どうしたものかと考える。

 そんな私のドレスの裾を握って、キィちゃんは口を開いた。


「ルビ様、痛かったでしょ。それに、辛そうだよ」

「んえええっ!? いや、辛そうなのはこの後の残業が憂鬱だからなんだけど。いやでもキィちゃんは優しいねえ」


 柔らかい金髪のふわふわ具合を楽しみながら、わしゃわしゃと撫でてあげる。

 キィちゃんは小さな両腕を大きく開いて、私をぎゅっと抱きしめてくれた。


「辛かったら、キィが泣いてあげるからね。ちゃんと言ってね」

「分かってるわよ。その時はよろしくね。でも、今はまだ大丈夫だからね」

「ぐすっ。それなら、キィも我慢する」


 人差し指の背で、零れかけた涙を拭ってあげる。

 賢いキィちゃんはぎゅっと唇を噛んで、泣くのを堪えてくれた。

 キィちゃんは泣き女バンシーだ。死者を悼み、彷徨える魂のために泣く。その声はどこまでも響き渡り、不死者たちの祝福となる。けれど、彼女はまだ泣いてはいけない。今はその時ではない。


「キィちゃん。私はこの後少しお仕事があるから、何か飲み物を持ってきてくれない?」

「うん。すぐに持ってくるね!」


 元気な笑顔を取り戻し、軽快に駆けていくキィちゃん。その小さな背中を見送って、私は部屋の机へと向かった。

 不死者アンデッドをメイン戦力としている我が〈骨骸の門〉は、ある程度戦力を使い捨てすることができる。最初の関門ということもあって、特にさっきの勇者たち見たいな新顔の能力を測るのも、役目の一つだった。

 使い捨ての不死者アンデッドによって、勇者の能力を分析し、後方の迷宮に情報を共有する。その積み重ねもあって、迷宮を進めば進むほど勇者たちは窮地に立たされるのだ。


「しかし、報告書は面倒なのよね……」


 立場上、報告書を書く機会は他の迷宮守護者たちと比べてもダントツに多い。それでも、慣れるということはなく、私は憂鬱な気持ちでペンを取った。


「だああ。もうやだぁ」


 数行書いて、思わず机に突っ伏す。

 勇者を後ろの迷宮に通した守護者は、情報を纏めて報告することが義務づけられている。私の迷宮では、直接戦闘には参加しない不死者アンデッドによって詳細に記録され、膨大な資料が送られてくる。

 それを捌くのは正直言って勇者に殺されるよりも面倒くさい。もともと、デスクワークに向いた性格をしていないのだ。


「これじゃ死霊術師じゃなくて、資料術師ね。ははは」


 部屋には私ひとり。

 笑ってくれる者などいない。

 私は机に積み上げられた資料の束を手に取り、パラパラと捲っていく。


「迷宮突入から守護者の間まで、三時間って速すぎるでしょ……。マッピングでもしてるのかしら」


 第一迷宮〈骨骸の門〉は、無限の部屋がランダムに繋がり、どこまでも広がる巨大な館の迷宮だ。第六迷宮の友人の魔術も借りているため、更に迷いやすく、抜け出しにくい。

 だと言うのに、勇者たちの行動記録を見てみれば、過去最速クラスの時間で私の待つ部屋までやってきていた。これは、次の勇者が来るまでに何かしらの対策を打つ必要がありそうだ。


「あと単純に総合戦力が高いわね。不死者アンデッドは基本的に脆いし、ある程度火力があれば纏めて倒されちゃうのよねぇ」


 さっきの勇者たちは、物理攻撃、魔法攻撃、遠距離、近接、治癒、速度。どの面から見てもバランスの取れた、ある意味では面白みのないパーティだ。だからこそ受け手である私たちにとっては厄介この上ない。

 何か一つの長所に頼っているパーティなら、そこを突けば私でも倒すことができるのだが、最近はそういうのも減ってきた。


「まあでも、仲間の結束が強すぎるから、そこを突けば勝てそうね。行けてもグウェルの序盤かしら」


 戦力分析報告書を纏めて、第二迷宮の窓口まで送る。

 一仕事終えて体を伸ばしていると、ティーセットを携えたキィちゃんが戻ってきた。


「ルビ様、お茶持ってきたよ!」

「わー! ありがとね、キィちゃん。それじゃあ反省会しましょっか」


 ポトポトと音を立てて、美味しい紅茶が注がれる。

 それで喉を潤して、私は次の挑戦者がやってくるまでの、束の間の安息を楽しもうとした。のだが……。


「ルビエラ様、迷宮守護者のグウェル様から、招集命令が!」

「はァ!?」


 部屋に飛び込んできたカラスの焦った声によって、憩いの時間も粉々に砕け散った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る