最弱の魔王は死の香り

ベニサンゴ

第1話「骨骸の門の魔王」

 黒ずんだ骨が無造作に積み上げられ、死と退廃の空気に満ちた大広間があった。

 明かりと呼べるものは、年季の入った燭台に載せられた小さな蝋燭の、頼りなく揺れ動く小さな光のみ。

 床に敷かれた赤い絨毯は、毛が剥げ、端がほつれ、縁の方には厚く埃が降り積もっている。中央は激しく損傷し、幾度となく繰り広げられた激しい戦いが推察された。

 長方形の広間の前後には、それぞれ立派な彫刻の掘られた扉がある。どちらも古く、傷も多い。幾度となく開閉を繰り返され、蝶番は緩んでいた。


「魔王ルビエラ! 扉を開けっ!」


 広間の外、一方の扉の向こうから、威勢の良い青年の声が響く。間を置かず、ドンドンと強く扉を叩く音も後を追う。

 それに反応したのは、広間の最奥、後方の扉の前に置かれた玉座に腰掛けた、一人の女性だった。

 滑らかな褐色の肌を瀟洒なワインレッドのドレスで隠し、紅玉の瞳を退屈そうに細めた、長身の女だ。彼女は長く透き通るような銀髪を払うと、なおも激しく扉を叩く客に向かって口を開いた。


「――鍵など掛けてないわ。さっさと入りなさい」


 気怠げに発せられた声は空虚な広間を突き抜け、扉の向こうに立つ青年に伝わる。それから少しして、ゆっくりと扉が開かれた。


「わ、分かっていたぞ。貴様の準備が整うのを待ってやっただけだ!」


 扉の奥から現れたのは、傷だらけの鎧を纏った騎士だった。年はまだ若く、青い瞳には活力が漲っている。背中に負った両手剣も、良く使い込まれている。

 彼の背後に立つのは、神官の白い衣を纏い長い杖を持つあどけない顔立ちの少女。露出の多い服と金属の手甲を着けた、体つきの良い女。そして、つばの広い三角形の帽子を被った、魔法使いらしい女。


「チッ。またハーレム野郎か。最近増えたわね」


 青年一人と、女性三人。その姿を捉えた途端、玉座の女は忌々しげに言葉を吐き捨てた。

 幸か不幸かその声は四人の客には届かなかったらしく、青年は何も知らない様子で剣を引き抜く。そうして、玉座で肘をつく女に向かって、威風堂々と声を上げた。


「俺は“暁の勇者”レオンハルト! 魔王城七迷宮、第一迷宮〈骨骸の門〉の守護者、魔王ルビエラだな」


 蝋燭の火を揺らすほどの声を一息に吐き出し、少し息を乱しながらも勢いよく剣の切っ先を前に向けるレオンハルト。その言葉に臆した様子もなく、ルビエラは紅を塗った口元を緩めた。


「そうよ。私が魔王ルビエラ。第一迷宮〈骨骸の門〉の守護者。これより先に進みたければ――大魔王ミラの座する王城へ立ち入りたければ、まずは私を倒しなさい」


 ルビエラは威厳に満ちた声と共に立ち上がる。ぴったりと張り付くドレスは、彼女の双丘が大いに揺れる様子を隠さない。それを見た神官と魔法使いの少女が、奥歯を強く噛み締めた。二人は、平坦であった。

 水面下で始まった女たちの戦いに気付く素振りも見せず、レオンハルトは二つ返事で言葉を返す。


「いいだろう。正々堂々、我が聖剣“楔断つ銀の光ホーリーレイ”に賭けて、貴様を打ち倒す」

「元気が良い子は好みよ。では、戦いを始めましょう」


 妖艶な笑みを浮かべて、ルビエラが一歩踏み出す。

 その機を見計らっていたように、ローブ姿の魔法使いが巨大な火球を放った。


「“燃やし尽くすファイア灼熱の火球ボール”ッ!」


 爆炎が吹きすさぶ。風が堆積した埃を舞い上げ、黒煙が広間の壁を伝う。

 先手必勝とばかりに放たれたその魔法は、レオンハルトすら予想していなかったらしい。彼は驚きに目を見開いて、杖を前に突き出して笑みを浮かべている少女に詰め寄る。


「ティナ! 不意打ちを狙うなんて、卑怯じゃないか!」

「レオン、これは悪を滅するための戦いなのよ。相手は魔王だし、不意を突かないと倒せなかったわ」

「そうですよ。光の女神もよくやったと言ってくれるでしょう」


 騎士に両肩を掴まれ、頬を朱に染めながらも魔法使いの少女は平然と言う。神官の白い服を着た少女も、何度も深く頷いてその味方に立っていた。

 レオンハルトは、そんな二人に少しだけ失望の表情を浮かべながら、ゆっくりと銀色に輝く両手剣を鞘に収める。


「レオン、それとそこの二人も。まだ終わってないみたいだよ」


 そんな中、ただひとり。油断なく黒煙が晴れるのを見届けていた格闘家が口を開く。その言葉を聞いて、三人はまさかと顔を強張らせる。

 魔法使いが限界まで魔力を注ぎ込んだ、正真正銘の最大火力だ。あの火球をもろに受けて無事だった魔物は、彼らの旅の道中には存在しなかった。

 しかし、


「――随分なご挨拶じゃないの。ったく、これだから最近の若者は無礼だって言われるのよ」


 黒煙が晴れる。

 その奥で、重く響く低い声がする。

 現れたのは、銀の長髪の毛先を僅かに汚した女性。その褐色の肌にも、細く伸びた耳にも、瀟洒なドレスにも、他の汚れはない。紅玉の瞳には怒りが宿り、その手には無数の鍵が連なる大きな鍵束が握られていた。


「あの程度のチョロ火で殺せると思ってるの? あんまり魔王を舐めるんじゃないわよ。――雑魚が」

「なっ――!」


 唾と共に吐き出した言葉に、レオンハルトが聞き捨てならないといきり立つ。一度は収めた大剣を再び解き放ち、大声を上げて詰め寄っていく。

 それを見ながら、ルビエラは鍵束から一本を選び取った。


「“霊錠解放:亡霊騎士ファントム”」


 虚空に鍵を差し込み、回す。

 一見すると、なんの意味も成さないはずの、戯れのような行為。だが、鍵が錠を開く。

 騎士と魔王の間にあった空間に、黒々とした扉が現れる。ゆっくりと開くその奥から漏れ出すのは、冷たい瘴気の黒い靄だ。

 現れたのは、錆が浮き、歪み、欠けた鎧の騎士。中程で折れた直剣を掲げ、緩慢な動きで扉から出る。兜のシャフトの奥に肉体はなく、ただ虚ろな暗闇だけが広がっている。


「ひっ」


 人に似て、決して人ではない騎士。そのおどろおどろしい姿を見て、神官の少女が怯える。


「狼狽えるな! 魔王ルビエラは死霊術師ネクロマンサー。つまり、あの騎士も不死者アンデッドだろう。メルト、神聖魔法で浄化してやれ」


 レオンハルトが冷静に分析し、指示を下す。

 それを聞いて、神官の少女も落ち着きを取り戻したようだ。白い杖を掲げて、朗々と神を祝福する詠唱を始める。


「ティナ、サラ、神聖魔法の発動まで時間を稼ぐぞ!」

「分かってるわよ!」

「さ、こっからが本番ね」


 レオンハルトが剣を構える。

 ティナが杖を中心に、大きな魔方陣を展開する。

 サラが金属の手甲を打ち鳴らし、不敵な笑みを浮かべる。


「――まさか、魔王の力がこれだけだとでも?」


 そこへ、冷徹な声が響いた。

 一瞬、虚を突かれるレオンハルトたちの目の前で、ルビエラが別の鍵を手に取る。


「魔王に慈悲などないのよ。――“霊錠解放:屍鬼の骨塚グール・マウンド”」


 再び黒い扉が現れ、開かれる。靄の奥からなだれ込んできたのは、古く朽ちた人骨の山。それを踏み砕きながら現れるのは、小さく痩せ細った醜い姿の小鬼たち。

 神経を逆なでするような下品な声で笑いながら、屍鬼は足下の骨を拾う。黄ばんだ牙をギリギリと擦らせて、小鬼の群れが襲いかかった。


「卑怯だぞ、魔王ルビエラッ!」

「何を言うかと思ったら。先に不意打ちを狙ったのはそちらでしょう」


 悠然と勝ち誇った顔で答えるルビエラに、レオンハルトは歯がみする。そうして、彼は決意を固め、剣を振り上げた。


「――“闇を払う銀の光ホーリーレイ”」


 横薙ぎに振るわれる聖剣。その銀色の輝きが、戦場に広がった。


「はっ?」


 思わず間の抜けた声を上げるルビエラの目の前で、屍鬼の群れが薙ぎ倒される。その後ろに控えていた亡霊騎士も、両膝を切られ、金属の拉げる音を立てながら、古びた絨毯の上に倒れる。


「できることならメルトの光で、汚された魂を浄化して、解放してあげたかった。――だが、貴様が冷徹になるならば、こちらもそう対応させてもらおう」

「な、なるほど。結構やるじゃないの。でも、それなら――!」


 鋭い眼光を向ける騎士に、ルビエラも気を取り直して対峙する。

 彼女が再び鍵を選び取り、門を開く。

 勇者レオンハルトと仲間たちは、一気呵成に動き出した。0

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