194_老輩から君へ2
思いが、剣の形をとってぶつかり合う。
煤の剣と銀の剣は衝突を繰り返していた。
さらさらと静かに振り落ちる雨のなか、鈍い金属音が幾つも響く。
「でぇあっ!!」
俺は叫び、自身を鼓舞させると、刺突を放った。
ビョルンはそれを剣で払おうとしたが、膂力の差が出る。
黒い切っ先は、やや軌道を変えられながらも、ビョルンの肩を抉った。
「ぐっ!」
顔を歪めるビョルン。一瞬、構えが乱れる。
好機であった。
俺は一歩引いて間合いを作り、全力の上段斬りを放つ。
「はっ!!」
「ぬぅ!!」
ビョルンは剣を横に構え、ガードする。
そして黒い刃を
やはり巧みであった。
強振される煤の剣を正面から受け止めれば、受けた方の剣が折れても不思議ではない。
だが、彼は技術で力を分散させてくる。
かつて戦ってきた強敵たちと同じだ。
「言っておくぞ小僧。息子のことが無くとも、本職の道はお前と交わらぬ」
ビョルンは、そんなことを語り出した。
俺に覚悟の不足を見て取ったのだろう。
「近衛を辞しても、本職の忠誠が王国から離れることは無い」
「ビョルン。王国は命数を使い果たそうとしている。分かるはずだ」
「分かる分からぬではない。そうであってはならぬのだ!」
刃を鋭く振り入れてくるビョルン。
叫びたてながらも、しかし太刀筋には一切の乱れが無い。
規律を重んじるビョルンという人物を、体現するような剣だ。豪放なラケルの戦い方とは、まったく違う。
あまりに大きな落差に、苦慮する俺であった。
「く……!」
歯噛みしつつも、俺はビョルンの懐へ強引に踏み入っていく。
力技で、相手のリズムを崩すのだ。
正統的な剣術を使う相手には、こういう戦い方が有効である。
だが、ビョルンはそれに付き合わない。
乱打戦になる前に、距離を取ってリズムを作り直してくる。
俺の意図を理解しているのだ。
「ロンドシウス王国は決して終わらぬ!」
そして再度の攻撃に及ぶビョルン。
彼の剣は正確で、いちいち理に適っている。
それなのに、彼の台詞は理屈を無視していた。
納得出来ぬ思いで、俺は叫ぶ。
「終わらない国なんか無い!」
がしりと刀身がかち合い、つばぜり合いの体勢へ。
押し込むのは俺だが、後退しつつもビョルンは隙を見せない。
顔を近づけながら、絞り出すように彼は言った。
「終わらぬと言っている……!」
「ビョルン。国ってやつの命数は、人が思うよりずっと短いんだ」
俺の個人的な意見などではない。歴史における事実である。
誰もがその生涯のうちに、どこかの国の終焉を必ず見聞きするものだ。
「それなのに人は、自分の国だけは無くならないと信じ込む。そんな保証は無い!」
それを伝えながら俺は、一歩、さらに一歩と押し込んでいく。
だがビョルンは
「聞いたふうな口を叩くな!
するりと剣を外し下段を放ってくるビョルン。
見事な技術であった。
だが、俺もガードを間に合わせる。
鋭い下段斬りを煤の剣で弾き返し、俺は跳び
改めて距離を取り、互いに構え直す。
同時にビョルンは怒鳴りあげた。
「良いか! 人には
彼の眉間に刻まれる、深い皺。
ビョルンは怒っていた。
「皆、弱くて罪深いのだ! だから寄り添うしか無いのだ! お前とは違うと何故分からぬ! この馬鹿者が!!」
「……!」
一瞬、俺は半歩を
彼の
そこへビョルンは斬りかかってくる。
すかさず俺は応戦し、また幾つもの剣閃がぶつかり合った。
雨音と金属音が重なり続ける。
振り落ちる雨粒を弾き飛ばしながら銀の剣が閃めき、それを煤の剣が阻む。
濡れた俺の前髪から、雨が滴っていた。
「せあっ!」
最小の予備動作から繰り出される、ビョルンの刺突。
ガードが難しいと判断した俺は、横合いへ跳んだ。
そして水たまりのなかを転がり、低い姿勢から一気に反転。ビョルンへ向け跳び込む。
「ぬおっ!?」
俺が放った刺突が、ビョルンの大腿部を捉える。
刃は、やや深めに肉を抉り、血を零させた。
「やりおる! だが!」
だが戦意を萎えさせること無く、ビョルンは俺を睨みつけた。
そして再び斬りかかってくる。
またもぶつかり合う二振りの剣。
だが、徐々に黒い切っ先が、彼の体へ傷を増やしていく。
地力では俺が上を行っているようだ。
しかし、なおも踏み留まるビョルン。
堅固であった。
ビョルンの戦いは華麗ではないが、本格の重厚さを持っている。凄味と言い換えても良い。
彼の剣には、分厚い
歩んできた長い道程が、彼にそれを与えている。
彼と時間を共にすれば、一体どれほどの学びを得ることが出来るだろう。
「であ!!」
気合の乗ったかけ声。
ビョルンの上段斬りが襲いくる。
俺はそれを、煤の剣で払った。
重量に勝る黒い刃が、ビョルンの剣をがきりと撥ね返す。
本来なら、これで相手は
ましてビョルンは、特別、体幹に優れるわけではない。
彼のダメージもいよいよ蓄積している。この局面に至れば、有利を取れるはずだった。
だがビョルンは、全身のバランスを崩さない。
衝撃に逆らわず体を横へ流し、俺の側面へ回り込んだのだ。
どこまでも巧みであった。
「せっ!」
横合いから飛来する中段の刃。
この攻撃は、ガードさせることを目的としたものだ。俺はそう察知した。
だが、俺が察知することを、ビョルンもまた予測している。
躱せぬ角度であった。
予定調和のガード。
煤の剣が、ビョルンの攻撃を受け止める。
二人とも、すかさず剣を引き、相手の攻撃を窺う。
双方が意図を理解し合い、後の先を狙ったのだ。
一瞬、至近で構えたまま視線をぶつける俺たち。
俺が先に動いた。
互いの考えが知れる以上、探り合いを止めて斬り込むのが正解である。
渾身の上段が、ビョルンへ振り下ろされた。
ビョルンは跳び
煤の剣が鎖骨を折り砕く感触を、俺は感じた。
しかしビョルンは動きを鈍らせること無く、素早く距離を取り、構え直した。
激痛を感じているはずだが、それをおくびにも出さない。
彼の構えにカウンターの気配を見て取った俺は、追撃を中止する。
そして互いに一拍を置き、改めて距離を測り合った。
「……見事なものよ。爆発に、その後の連戦。満身創痍であろうにな」
賛辞であった。
彼は俺を、見事と評したのだ。
「……光栄だ」
「ふん」
「あんたは、傷を押して立ち向かうに足る相手だ」
連戦を経てここに至っているのは、ビョルンも同じ。
今も重傷を負いながら、なお倒れない。
若い俺が、泣き言を口に出来るはずも無かった。
「小僧っ子が、百年早いわ!」
そんな思いに憤りを返し、斬りかかってくるビョルン。
なお的確な踏み込みである。雨に足場が悪くなってきたが、彼の挙動は乱れない。
俺は正面から迎え撃つ。足を止めての剣戟を選択したのだ。
そして一合、二合……幾合も剣を重ね合わせた。
ビョルンの上段を俺がガードし、俺の下段をビョルンが払う。
雨音に交じり、互いの息遣いが聞こえる距離で、俺たちは斬り結んだ。
その息遣いに変化が訪れる。
ビョルンの呼吸が乱れ始めたのだ。
息を整えるべく距離を取ろうとするビョルンだが、彼の後退に合わせ、俺は踏み込む。
そのまま間合いを維持し、持久戦に持ち込んでいった。
「ぬ、ぐっ……!」
肺活量の差は大きかったようだ。
技術では補えぬその差に、ビョルンはいよいよ動きを崩す。
その崩れた瞬間を狙い、俺は煤の剣を横薙ぎに振り入れた。
ビョルンは、なおも技巧を見せ、
だが、黒い刃は彼の脇腹を捉えた。
しかし流れは途切れる。
俺は
その隙にビョルンは距離を取り、
そして息を整える。
だが彼の脇腹には大きな傷が走り、血が流れ出していた。
「はぁ……はぁ……」
それでも戦いは終わらない。
彼は呼吸を回復させ、なおも剣を構えた。
降りしきる雨のなか、正眼にまっすぐ剣を持ち、その切っ先をぴたりと俺へ合わせるビョルン。
美しい所作であった。
「……ビョルン。今一つ、言っておくことがある」
「……何だ?」
互いに、じりじりと間合いを詰め合う俺たち。
雨に濡れる剣先の向こう、ビョルンは俺を見据えている。
彼のダメージは許容量を超えつつあるはずだが、視線は力を失わない。
「エーリク・リンデルのことだ」
「第三騎士団の、団長だな……。彼がどうした?」
ビョルンは、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。受けた傷の深さが窺えた。
しかし、声音に変わりは無い。
その
「タリアン領での戦い、領境における王国軍の大敗は、恐らくリンデルが意図的に引き起こしている」
「…………」
近づいていく俺たち。
もうすぐ剣の間合いに入る。
この距離まで来て、ビョルンの顔が白いことに気づいた。
雨に冷えたのではない。出血によるものだ。
しかし、表情は厳めしいまま。ビョルンのままである。
「小僧。リンデルは、野心が
「俺はそう見ている。砦攻めの別動隊に居たご子息は、捨て駒にされたわけではないが……」
しかしリンデルの野心が、死なずに済んだはずの者たちを死なせている可能性は高い。
「……なるほどな。その後、リンデルが、団長の座に収まっている点から見ても……それは、事実であろうよ」
ビョルンは、この話も信じる。
斬り結ぶ相手のことを、彼は信頼している。
「だがお前は……我が息子ニルスの死が、リンデルの
「ああ。俺の戦場だ。他者に責を求める気は無い」
「で、あろうよ……。本職もだ」
他者に責を求めないのは自分もだ。父たる自分にこそ責がある。
彼はそう言っている。
だが、それでもビョルンは、俺に剣を向けた。
「ゆえにこそ戦え。戦い、そして……」
────そしてお前が、
それが聞こえた。
声には出さなかったが、確かにビョルンはそう言った。
「く……!!」
名状し難い感情に押され、俺は剣を振り上げる。
ビョルンもそうしていた。
二本の剣が交錯する。
瞬間、ぎりりと脇腹の傷が痛む。
だが、眼前のビョルンも深手を負いながら戦っているのだ。
その姿に、俺は痛みを無視した。
「でぇあ!!」
渾身の振りであった。
響いたのは、ばきりという甲高い音。
次いで、銀の刀身が宙を舞う。
煤の剣が、ビョルンの剣を断ち切ったのだ。
ここへ来て、ビョルンの技巧を俺は力で押し切った。
しかしビョルンは表情を変えない。
彼は剣を捨てつつ身を低くし、腰に差した短剣に手をかけた。
対して俺も、追撃の刃を振り上げる。
反省すれども後悔は要らじ。俺の信条の一つだ。
だが、自分の行いを俺は後悔している。
短剣など渡さなければ良かった。
そうすれば、この剣を振り下ろさずに済んだかもしれない。
まるで
彼があの短剣を手にしなかったら、きっと俺は今日を戦い抜けなかったのだから。
雨が俺たちを冷たく刺す。
ビョルンは淀み無く短剣を抜き、その切っ先を俺へ向け、突っ込んできた。
「………………」
ほんの数時間前のことだ。会談の席で、ビョルンが激昂したのは。
あの時は、露ほども予見していなかった。
こんな思いで、剣を振り下ろすことになるなんて。
「……!!」
声なき叫び。俺の叫びである。
溢れそうな叫び声を、喉で押し留めたのだ。
斬った感触が、剣から手に伝わる。
それから、ばしゃりと水音をたて、ビョルンは両膝をついた。
その手から短剣が落ちていく。
◆
「………………」
「………………」
沈黙。
ただ雨の音が周囲を満たした。
「………………」
「…………ビョルン。貴方の教えは、俺にとって……」
「……よせ。不要だ」
ビョルンは、両膝をついたまま腰を落とし、雨のなかに座り込む。
顔も地面を向いてしまった。
「…………惑うなよ、小僧。そんな暇はあるまい……」
ぼそりぼそりと言うビョルン。
穏やかな声であった。
「世界を……変えに、行くのだろう……?」
「………………」
「……そうすれば良い……そうすべきだ……」
雨が降る。
静かで冷たい雨が。
「だって、許せぬよな……こんな、世界……」
「………………」
頬を流れるのは、ただ雨ばかりなのか。
俺にも分からない。
それからビョルンは、ゆっくりと顔をあげる。
立ち尽くす俺へ向けたその顔は、優しげに微笑んでいた。
「若人だものな……」
数秒の間、俺たちは視線を交わらせた。
それから彼は笑顔を消す。
見せたのは、眉間に皺を寄せた、厳めしい顔。
今日、ずっと見続けた顔である。
「
力強い声であった。
それだけ言うと、ビョルンはまた俯き、顔を地面に向けてしまう。
「ビョルン」
「………………」
「なあ、ビョルン……」
「………………」
俺は空を見上げた。
雨が降る。
静かで冷たい雨が。
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