193_老輩から君へ1
戦場となっている門外からの喧騒は途絶えていた。
雨だけが静かに降りしきる。
静かで、そして冷たい雨だった。
「…………息子が居たのだ」
語りかけるビョルン。
居た、と。我が子のことを過去形で語っている。
「早くに妻を亡くしてな。本職が一人で育てた」
正面から、俺の目を見つめるビョルン。
彼の視線は悲しみで満ちている。
「出来た息子だった……。彼は戦う道を選び、騎士になった」
「…………」
「第三騎士団の一員として、息子はタリアン領の戦いに赴き、そして死んだ」
「……お悔やみを」
「かたじけない」
弔意を伝える俺に、返礼するビョルン。
敵方の兵であろうと、その死を悼むのは欺瞞ではない。
「ご子息は、
「分からぬ。バラステア砦を突く別動隊に参加したらしい」
「そうか……」
タリアン領の戦いで、俺は既に将軍の責を帯びていた。
つまり、あそこは俺の戦場だった。
ビョルンの息子はそこで死んだのだ。
そして、バラステア砦の攻防では、実際に俺が剣を振るった。
何人も斬った。
「息子は、名をニルスという」
ビョルンにとって、棄てたはずの剣。
鞘も無く、剥き身のそれを彼は手にしている。
刃を、雨粒が伝っていった。
「ニルスのために剣を……?」
「……そういうことになる」
雨の向こうに見えるビョルンの顔。
そこには、御し得ぬ感情が見て取れた。
「…………本職は、息子の死に囚われず、責を全うしようとした。かつては、当の息子に対してもそれを望んだ」
「…………」
「だが、お前の口からニルスと同じ言葉を聞いた時、傍に息子の存在を感じてしまったのだ。本職は父であることを思い出した」
「よく……分からない」
「であろうな。小僧、お前は機知にも思慮にも富む。だが、親の心だけは決して分からぬよ」
「…………」
「本職は、戦わねばならぬのだ」
ビョルンは剣を掲げた。
切っ先を俺に向け、そして告げる。
「構えよ」
「…………」
俺は構えなかった。
構えることが出来なかった。
親の心はともかく、戦う者の心は解するつもりでいる。
だが、それでもこの戦いに付き合いたくはない。
「……戦いはいつだって、望まぬかたちで起こる。小僧よ、構えるのだ」
「…………」
次の瞬間、ばしゃりと水音があがる。
ビョルンが踏み込んできたのだ。
そして鋭い剣閃。
その剣を、黒い刃が阻んだ。
雨の中、がきりと金属音が響く。
「それで良い。ゆくぞ、小僧」
「く……!」
ビョルンは、俺を強く睨みつける。
瞳を満たすのは、悲壮感とそして覚悟。
「ロンドシウス王国 近衛騎士隊長、ビョルン! 参る!!」
痛みに満ちた戦いが始まった。
◆
「そりゃあっ!!」
気合と共に繰り出されるビョルンの剣。
短剣
上段、中段、下段。
ビョルンは幾度も剣を振り入れてくる。
妥協の無い研鑽に裏打ちされた剣技。それが俺に襲いかかった。
「
彼が憤るとおり、俺は反撃出来ていない。
今のところガード一辺倒である。
だが、ビョルンの剣が重すぎるのだ。
一撃一撃が強い衝撃を与えてくる。
煤の剣を持つ腕に、ずしり、ずしりと負荷がかかっていた。
ビョルンの膂力は、取り立てて強いというわけではない。
鍛えてはいるようだが、しかし歳は五十を超えているのだ。
だというのに、剣は力に満ちている。
思いの込められた剣には、これがあるのだ。
大事なものを胸に戦う時、その重さが剣に乗る。
理屈に沿わぬ話だが、事実である。
「ぐっ……!」
押されている。気迫が違う。
年輪の差が、胸に秘すものの差が、戦いに現れている。
「小僧! お前の戦いは、そんなものか!」
「……シッ!!」
戦う理由を、生きて帰らねばならぬ理由を、絶対に軽んじてはならない。
軽んじているように見られてはならない。
彼を失望させるのは嫌だった。
その思いから迸る反撃の一振り。
黒い刃は、ビョルンの上腕を掠めた。
だが、血を零しながらもビョルンは斬りかかってくる。
「これぐらいで本職は倒せぬ!」
オーソドックスな構えから繰り出される、鋭い振りの数々。
長い時をかけ、実直に修め続けたことが窺える太刀筋であった。
やはり彼は一流である。
しかし、隙が全く無いわけではない。
後の先を取れそうな瞬間はある。
だが俺は、その瞬間をモノにすることが出来ないでいた。
一瞬の差し合いで後れを取っている。
迷いがあるのだ。
それは、眼前の
「臆すか小僧! 覚悟無きまま剣を取ったか!」
恥が、胸を締めつける。
そうだ。覚悟で負けるわけにはいかない!
「でぇあ!!」
鍔ぜり合いから、ずいと踏み込んで体を押し込む。
力勝負に持ち込み、ビョルンを後退させると、大きく剣を振り下ろした。
相手のガードを誘う一撃であった。
上段を防御させ、すかさず下段に斬り込む算段である。
だが、ビョルンは乗らない。
彼は跳び
そして、ゆったりと剣を構え直す。
緩急のある展開。
戦をよく知る者の戦い方である。
「やはり油断は出来ぬな」
ビョルンはそう口にするが、彼が油断などするわけが無い。
これまでの生涯に油断した経験があるかも疑わしい。
そんなことを思いながら、俺は語りかける。
「……ビョルン。俺はあの西棟で、敵の首魁に会った」
「そうか。何者だったのだ」
「聖者だ。聖者ラクリアメレク」
「………………」
沈黙の中、雨音が響く。
強くも弱くも無い雨が、しとしと、しとしとと世界を濡らした。
「永きを生き、世を
意外な台詞だった。
ビョルンは俺の言葉を信じたのだ。
問い返すこともしなかった。
「受け入れるのか。あんたにとって、信じ難いはずだが」
「今日、
「しかし、荒唐無稽に過ぎるとは思わないのか?」
「思うとも。荒唐無稽だ」
言って、ビョルンは半歩を踏み出した。
剣を構え、少しずつ間合いを詰めてくる。
俺の目をしっかりと見据えて。
「
「……ビョルン。俺に信を置くと言うなら、それならば、共に
「分かっているだろう、小僧。本職が決意を
「………………」
「分かっていても、訊かずにはおれんか。まだまだ青いな」
つまるところ、俺は叫んでいる。
戦いを止めろと。どうして止められないのかと。
「……そのようだ」
立ちはだかるもの悉くを打ち倒すと覚悟し、戦いに臨んできた。
肉親と戦い、旧知を斬った。
だが今ここには、確かに相通ずるものがあるのだ。
そして立ち向かうべき邪悪の存在を、彼は信じてくれたのだ。
同じ方向を向けるのだ。
それなのに戦わねばならない。
戦いとは、そういうものらしい。
御し得ぬ心の向く先、いつだって御し得ぬ戦いが待っている。
雨が俺たちを濡らしていた。
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