192_雨
正門方向から届く怒号と剣戟音は徐々に大きくなる。
今では、皆の耳にハッキリ聞こえていた。
落ち着かない表情の王女セラフィーナ。
壁外の戦闘に加え、エミリーらが戻らぬことも、彼女を不安にさせている。
そんな中、王国兵の一人がエドガーへ報告した。
「西側にも動きがあったようです」
頷くエドガー。
彼だけでなく、王女たちにも報告の意味が分かった。
西門でも戦闘が行われているのだ。
「
感想を漏らしたのはアルバンだった。
正門側で戦っているのは、王国の主戦派と連合軍だろう。
とすれば、西門を突いたのは王国の別派となる。王女の味方だ。
正門側で戦いが起きている間に、西門を落としにかかったのだ。
狡知に長けた用兵と言える。
彼らは漁夫の利を得ることになるだろうと、アルバンは予想した。
そうなれば、この学術院の封鎖は解ける。
脱出への障害が無くなるのだ。
アルバンはそれを考え、一つ息を吐くと、王女へ顔を向ける。
「王女殿下。同道も、ここまでのようですな」
「アルバン殿……」
間もなくここに、西門を突破して王国兵たちがやって来る。
会談に際して両陣営は、軍を遠ざけ、互いの安全を保証していた。
その保証が崩れるのだ。
王国の一軍が来ようとしている中、連合の盟主がここに留まることは出来ない。
それが分かっていながらも、しかし王女は翻意を望んだ。
「私がきっと安全を確保します。ここで別れる方が危険です」
「いや、正門の戦いも、まもなく終わります。連合軍が勝つでしょう。我々はそちらから出ます」
何人かの騎士が、顔に不快感を浮かべた。
正門側に居るのは、王女に仇なす反対勢力とはいえ王国軍である。
それと対峙しながら、寡兵のはずの連合軍が勝つという。
当然のことのようにそれを言うアルバンに、彼らは苛立ったのだ。
それに気づきながら、しかし騎士たちを一顧だにせず、アルバンは続ける。
「両軍が数個小隊を投入し、構内に残った味方を救出することになるでしょうが、私と貴方は、槍交わるこの地から離れねばなりません」
「では、再度の機会を持てませんか?」
「そうしたいが……お気づきのはずだ」
アルバンの返答に、王女は俯いてしまう。
少なくとも現時点において、講和は成らない。
双方とも、譲れないものが多すぎる。
王女も、それを認めるよりほか無かった。
「しかし今日、同じテーブルに着くことは出来た。意味あることだったと信じます」
言って、アルバンは胸に手を当て、目礼した。
リーゼもそれに倣う。
一拍遅れ、表情に心残りを滲ませながら、王女も目礼を返した。
「では」
顔を上げ、簡潔に別れを告げるアルバンであった。
◆
「っしょおおぉ!」
気合に満ちる声をあげたのはマレーナである。
彼女は、平素の柔和な様子からは想像もつかない圧力を全身から発し、敵を押し込んでいく。
「マレーナに続け! このままこじ開けるぞ!」
兵たちも、彼女に負けじと剣を振り上げる。
ロルフたちと壁を隔てた門外で、敵軍と
彼らは数で劣りながらも、戦況を優位に進めていた。
「あのデカい女だ! これ以上、暴れさせるな!」
怒りに上ずった敵の声。
それを皮切りに、何本もの槍が、マレーナへその穂先を向ける。
しかしマレーナは焦らないし、まして退きもしない。
リーチの短い戦鎚という武器に、的の大きな巨体。
槍は相性が悪いように見えるが、彼女は気にせず、正面から迎え撃った。
ずしりと大地を踏みしめ、両手で戦鎚を握りしめる。
歯を食いしばり、
鎚は、敵の槍を的確に捉えた。
がきりがきりと打ち返される槍。
マレーナはその場から動かず、敵の攻撃を悉く凌ぎ切った。
王国に居たころより、彼女は明らかに強くなっている。
より正確に言うと、強さが発露し得る環境と心を手に入れたのだろう。
そして一歩、前に出るマレーナ。
地が揺れそうなほどに強く踏み込み、戦鎚を振るった。
「ぐぁっ!?」
馬車に撥ねられたかのような衝撃に、敵兵が大きく飛ばされる。
その体が別の敵兵の一団に激突し、がしゃりと数人が弾け飛んだ。
目の当たりにする暴威に、王国兵らは言葉を失う。
それを
その背中に鼓舞された味方が、彼女へ続いた。
◆
「厄介な……」
苦々しく言ったのは王国側の司令官だった。
マレーナに対する感想である。
遠目から見るだけでも、その恐ろしさは充分に伝わってきた。
「この際、左翼は捨てても良い。数的優位を効かせて右から包囲を……」
そう指示を出そうとした矢先、その右翼方面で大きな雷が爆ぜた。
それを見て、司令官は舌打ちを零す。
敵の中に居る、ひときわ強力な魔導士。
さっきまで左翼に居たはずだが、今度は向こうへ移動したらしい。
魔術師にしては、積極的に前線を移動している。
「ひょっとしたら……」
ひょっとしたらあれは、敵に回ったというアルフレッド・イスフェルトかもしれない。
だとしたら、これもやはり厄介だ。
本来なら、敵に数人、手練れが居たとしても、それで戦が決まることは無い。
だが、全体の士気でも練度でも、どうやら上を行かれている。
今回、この門外での会敵を想定していなかったこともあり、王国軍の準備は充分とは言えない。
その状況で会いたい敵たちではなかった。
歯噛みする司令官。
連合軍は予想より精強。戻ったら、評価をそう補正しなければならない。
いや、それを考えるのは後だ。
今は、勝って帰ることをのみ考えねば。
危険な状況を前に、司令官は気を引き締める。
周りを見れば、味方の隊列も密度が薄くなっている。
兵を前線にだいぶ吸い上げられてしまった。
数で勝っていると言っても、このままでは本当に危険だ。
加えて、空に分厚い雲が出てきた。
雨が降って混戦にでもなれば、さらに事態は予想し辛くなる。
だが、
連合軍の本隊が向かって来ているはずだし、あの油断ならぬエーリク・リンデルも動いているだろう。
本来なら、とうに学術院の構内へ踏み入り、すべてを片付けているはずなのだ。
「やむを得ん。被害を覚悟してでも、全軍で前へ……」
そう言いかけた時、司令官の目が、おかしなものを見つけた。
斜め前方、二十メートルほど先に、敵が居る。
戦場に敵が居るのは当然だが、この周囲には、自軍が隊列を組んでいる。
司令官が居るのだから、当たり前である。
だが、そこに敵が居る。しかも一人だ。
その男の周囲には、倒れ伏す王国兵たち。
さらにその周囲には、男へ斬りかかることが出来ず、顔に恐れを浮かべた王国兵たち。
男は、彼にとっての敵陣であるその只中を、無遠慮に歩いてくる。
そして、ぎらぎらした目で周囲を見まわした。
やがてその目が、司令官で止まる。
「てめぇがアタマだな」
「そいつを殺せ!!」
司令官の口から、叫喚のような命令が飛んだ。
彼の全身に、ぶわりと汗が浮く。
王国兵たちに取り囲まれる中、彼───シグは、犬歯を剥き出しに、獰猛な笑顔を見せた。
◆
西棟から出た俺は、正門へ向けて移動していた。
外からは、散発的な怒号が聞こえる。
連合軍が間に合い、戦っているのだ。
「…………」
空を見上げると、厚い雲が陽光を遮っていた。
今日はよく晴れていたが、いつの間にか、灰色の雲が遠くまで広がっている。
ぽつり、と。雫が肩に落ちた。
そして、ぱらりぱらりと、幾すじもの雨粒が地面を打つ。
「雨は嫌いではないが……今日はどうにも気が滅入るな」
「……同感だ」
声に振り返る。
ほかに人影の無い雨の中、男が一人、近づいてきた。
「…………」
細身ながら均整の取れた体。
歴戦の風格を感じさせる眼光に、カイゼル髭。
そして……手に長剣を持っていた。
「ビョルン……」
「小僧……」
ぱらりぱらりと、雨が降る。
静かな雨だった。
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