191_戦場に想う

 リーゼや王女たちの視線の先で、西棟が炎に包まれていく。

 歴史を持つ貴重な学舎は、まもなく崩れようとしていた。


 多くの者が不安に表情を曇らせる中、リーゼに変わった様子は無い。

 彼女は、中に居るロルフが脱出してくると分かっている。

 それを信じるのみであった。


 また、カイゼル髭の近衛隊長、ビョルンは、何かを考えている。

 いつもどおりの厳めしい顔をしていた。


 彼は、昔を思い出していたのだ。

 ある日の息子との会話である。



 …………


 ………………


「……祝いをせねばな」


「無理するなって。そういうガラじゃないだろ、親父は」


 ビョルンの息子は、騎士の叙任を受けることになった。

 第三騎士団に所属し、従卒を経て、騎士の称号を得るに至ったのだ。


 騎士爵の無いロンドシウス王国において、騎士は職業であり称号である。地位ではない。

 ビョルンは平民で、当然その息子も同様だが、平民で騎士に至る者は大勢いる。

 特別なことではなかった。


 だが、それでも騎士への叙任となれば、嬉しい出来事だ。

 早くに妻を亡くし、男手ひとつで息子を育ててきたビョルン。

 苦労が多かっただけに、喜びも一入ひとしおである。

 それでも平素の険しい目つきを緩めないあたり、彼らしいと言えたが。


 何せ不安も大きいのだ。それを思い、一つ咳ばらいをするビョルン。

 息子の仕事は、命の危険を伴うもの。彼の赴く先は戦場である。

 父たる自分が浮かれていてはいけないと、改めて考えるビョルンであった。


「良いか。稽古を怠ってはならんぞ」


「分かってる。一日たりとも休んじゃいないよ」


 剣を手にする以上、危険の付きまとう人生になる。

 ビョルンも剣を生業なりわいとしているが、息子にそれを求めたことは無い。

 どのような道に進もうと、それが人の道に外れたものでなければ、好きにさせてやる心算つもりだった。


 しかし息子は、騎士という道を選んだ。

 それが彼の選択である以上、ビョルンは支持するのみ。

 せめてとばかりに、彼は息子へ心構えを言って聞かせるのであった。


「少しでも稽古を怠れば、体は剣を忘れる。そう心得よ」


「それも何度も聞いたって」


 息子の口調は、おどけるようでもある。

 だが彼が稽古を怠ったことは無い。この息子は真摯な若者であった。

 父親を見てきた結果、彼はそう育ったのだ。


 剣の道に進んだのも、父の影響であった。

 ビョルンの方も、薄々それに気づいている。

 父として、やや複雑な思いではあった。

 息子は危険の少ない人生を選ぶことも出来たのだから。


 しかし、我が子の思いを意気に感じぬビョルンではない。

 息子は父にならい、戦乱の世にあって、国のため、人のために戦う道を選んだ。

 ビョルンはそれが誇らしい。それは掛け値の無い事実であった。


「騎士としての初陣は、タリアン領への遠征であったな」


「ああ。魔族が攻めてくる。これ以上、王国を踏み荒らさせるわけにはいかない」


 少し前、辺境の砦が魔族軍によって抜かれ、ストレーム領が陥落したのだ。

 さらに魔族軍は、タリアン領へ攻め入ろうとしている。

 それを第三騎士団が迎え撃つことになっているのだった。


「油断するでないぞ。敵は手強い」


「こっちだって強いさ。ユーホルト団長が居るんだしな」


「他者を敬って頼みにするのも良いが、自身を磨くこと、疎かにしてはならん」


「ああ、もちろん」


 そう言って息子は、壁に立てかけてあった木剣を手に取る。

 そしてビョルンに言った。


「よし、それじゃあ久々に稽古をつけてくれよ」


 親に叙任の報告をするため、帰郷したこの日。

 そんな時にも稽古をという息子であった。

 確かに稽古を怠るなとは言ったが、ビョルンもこれにはやや面食らう。


「構わぬが、今ここでか?」


「遠征までに、もっと鍛えないとな。不安を抱えたままデカい戦に行っちゃ駄目だろ?」


「うむ。憂いがあっては剣も鈍るというもの」


 ビョルンがそう言うと、息子はにやりと笑った。

 白い歯を見せて、得意げに言う。


「憂いは足に絡む蔦のようなもの。除かぬまま進むことは出来ない」


「ふん。良い言葉だが、自分で考えたものではあるまい」


「誰が言っても、意味は変わらないんだから良いだろ?」


 そう口にして、息子は木剣を構えた。

 ビョルンから見ても、日頃からの研鑽が窺える、良い構えであった。


 ………………


 …………



「そうか……騎士物語であったか……」


 小さく零した言葉は、形容し難い感情を孕んでいる。

 ビョルンのカイゼル髭が、風に揺れた。


「……お前とまったく同じ言葉を引用していたぞ、ニルスよ…………」


 低く重い声で、ビョルンはその名を口にする。

 そこへ、音が聞こえてきた。

 正門の方向、かなり遠くからだ。壁の向こう側だろう。

 微かに聞こえるだけの音だが、そして五十を過ぎ、目と耳に衰えもあるはずのビョルンだが、その音を聞き違えることは無い。


 剣戟音に、そして怒号。

 戦闘が行われていることを示す音である。

 見ると、周囲に居る者のうち、幾人かは同様に気づいたようだ。


 ロルフが言ったとおり、連合の援軍が到着したのだろう。

 長すぎた一日が終わろうとしていることを、ビョルンは察知していた。


 ◆


「賢いとは言えんな」


 メルクロフ学術院に到着せんとしていた彼らは、リンデルを無視して進軍してきた、第三騎士団の分隊である。

 その司令官である男は、視線の先に現れた敵軍を評してそう言った。


 敵軍は、明らかな寡兵で現れたのだ。

 王国側が先着することが分かっており、そこへ間に合わせた結果であろう。

 普通に進軍しても後れを取るのだからと、兵数を絞り急行して来たのだ。


 勝ち目が薄くとも戦場へ馳せ参じる。その意気は褒めてやっても良い。

 だが、それは結局、命を無駄にする行為でしかない。

 司令官はそう考えた。


 見れば、数の差は明らか。

 連合側の兵数は、王国側の半分にも満たない。

 しかも戦場は起伏の無い平原で、奇策が弄される隙も無い。

 正面から兵をぶつけ合うかたちになる。

 そうなれば数がすべてだ。

 結果は覆りようが無い。


 気の毒だが早々にケリをつけ、学術院へ突入する。

 それを思い、司令官は右手を上げ、そして振り下ろした。


「全軍、攻撃開始!」


 その声に呼応し、部下たちの怒号が響き渡る。

 王国兵の群れが、その物量を叩きつけるべく、連合軍へ向けて真っすぐ突っ込んでいった。


 勝ち戦の一番槍を譲る道理は無い。

 我先にと攻め入っていく兵たち。

 その先頭の兵たちが、一瞬で弾け飛んだ。


「……?」


 司令官は最初、戦場に獣でも紛れ込んだのかと思った。

 肉食獣に食い千切られでもしたかのように、彼の部下たちは血煙をあげ、派手に転がされていくのだ。


 次に彼の目が捉えたのは燃え盛る魔法の壁であった。

 『炎壁』フレイムウォールである。

 しかし、今までに見たどの『炎壁』フレイムウォールより大きい。

 壁は、最前列の兵を呑み込んでいく。


「これは……」


 司令官は、マズい相手にあたったことを理解した。


 ◆


「なるほど。あれは余程の者でなければ相棒にはなれぬ」


 アルが感想を漏らす。

 彼の視線の先ではシグが戦っていた。

 だがその戦いは、アルが知る類の戦いではない。

 シグは、ただ暴力を振りまいている。


「おおおぉぉうるるぁぁぁぁーーー!!」


 アルは昔、酒席で見た光景を思い出した。

 どこかの下級貴族の確か五男坊あたりが、酩酊を極めて喚きたてる光景である。

 今のシグと同様、妙に巻き舌で叫んでいた。

 人は、粗暴を極めると巻き舌になるのだろうか?

 自身の知らぬ世界について、思いを巡らせるアルであった。


「だが、粗暴ではあるにしても……」


 粗暴ではあるにしても、シグの行動は妙に正鵠を射ている。

 プレッシャーに押され、及び腰になる者があれば、即座にそこを突く。

 数を頼んで陣を敷こうとする者たちがあれば、その前に崩す。

 シグは明らかに、それらを思考ではなく、感覚によって為していた。


「ああいう者も居るということだ。世は広い」


 どこか感慨深げに言うと、アルは杖を掲げた。

 そして魔法を詠唱する。


『炎壁』フレイムウォール!」


 それは、戦場に居る者なら誰もが何度も見たことのある、平凡な魔法である。

 だが、現れた炎の壁は、誰も見たことが無いほどに巨大であった。

 なぜなら術者は、魔導の天才なのだ。


 その天才、アルは、炎の壁を完璧に制御し、敵の隊列へ押し付けた。

 敵兵たちが、なぎ倒されていく。

 だがアルの目的は、敵兵を討ち減らすことではない。

 この魔法は、敵の陣形を乱すために行使されたのだ。


 それを瞬時に、そして正確に理解したのはフォルカーである。

 アーベルの総督という立場にある彼だが、"お嬢"と可愛がるリーゼを案じたらしく、今回は指揮官として同行していた。


「崩れたぞ! 突け!」


 最適なタイミングで発せられたフォルカーの号令を受け、連合の兵たちが突撃する。

 そして敵の隊列に開いた穴を、見る間に広げていった。

 霊峰の戦いを経て彼らの練度は上がっており、それが遺憾なく発揮されている。


 だが当然のこととして、味方ばかりが優秀というわけではない。

 敵の中にも戦場をよく見通している一団が居た。

 左翼に展開していた彼らは、連合軍の隊列に薄い箇所を見つけたのだ。


「弓兵隊! 斉射三連!」


 王国軍の中隊長が、その薄い部分への攻撃を命じる。

 そして矢の雨が降りそそぎ、今度は連合軍の隊列が乱された。

 兵数で大きく劣る彼らには、隊列を回復させる手段が無い。

 穴を開けられたら、敗北が大きく近づく。

 連合の兵たちは一瞬、嫌な展開を想像した。


 だが、その想像を振り払うかのように、巨体が最前列に躍り出る。

 魔力障壁を張りつつ両腕を頭部の前で交差させ、矢の雨に立ち向かっていった。


 何本かの矢が障壁を貫通し、前腕や肩を突くが、それは当人にとって想定の範囲内である。

 大きく分厚い体に対し、食い込むやじりは浅すぎた。

 そして彼女───マレーナは、矢に次いで襲いかかってくる敵たちへ向け、戦鎚を振り抜く。

 好機に槍を突き込むはずであった敵兵らは、思惑に反して撥ね飛ばされた。


「お、おい、マレーナ!」


「大丈夫か!?」


 マレーナの背後に居る兵たちが、彼女へ声をかける。

 今の局面、マレーナが前へ出なければ、彼らは死んでいたかもしれない。

 危険な矢をマレーナが引き受けたのだ。

 だが、それを気にしたふうも無く、彼女は振り返って言った。


「大丈夫だあよ! おらが敵を引きつけるから、みんな踏んばるだ!」


 マレーナは巨躯ながら馬の扱いが巧みで、急行軍に付いてくることが出来た。

 そしてこの戦いに参加しているのだ。


 戦鎚を大きく振り立て、敵に向かっていくマレーナ。

 目立つその様に、敵たちが集まってきた。

 戦場でヘイトを集め、負荷を引き受けるその戦い方は、大いに味方の助けとなっている。

 巨躯を揺らして戦鎚を振るう姿から、かつて魔族軍にあって誰からも慕われた将、ベルタを思い出す者は少なくなかった。


「せえぇい!」


 平素は柔和そのものの表情に力を込め、叫ぶマレーナ。

 彼女に視線を取られているのは敵ばかりではない。

 やや離れた場所から、アルは彼女を見ていた。


「見事なものよ」


 感嘆に満ちた言葉。

 マレーナに高貴な精神性を見出すアルであった。


「………………」


 アルは考える。

 彼には自戒があった。

 王国での自身の戦いは誤ったものであったと、そう捉えている。


 戦争である以上、一方だけが正しい道理など無く、彼とて剣を向けられ続けた。

 相手にとって対等な敵手であったはずだ。

 だがそれでも彼は、歩んだ道程を誇れるとは思っていない。


 いま思えば、いつも胸中のどこかに、ささくれのようなものを感じていた。

 それに気づかぬ振りをして自身を誤魔化し、与えられた世界をただ受け入れていた。

 自分は間違っていたのだ。今ならそれが分かる。


 ゆえにこそ、今度こそ選ぶべきを選んだ。

 正しいと信じたことに身を投じた。

 恥多き身と自らを律しつつ、戦場に立つアルであった。


『火球』ファイアボール!」


 放つ魔法は正確で、敵軍を追い散らしていく。


 自戒の一方でアルは、自身を罪に縛りつけるようなことはしない。

 彼は建設的な男である。なにより、記憶の果ての昔日から、彼を優しく見つめる友が居るのだ。

 その友は、アルに未来を望んでいる。

 いつまでも少年のままである友の顔。その顔を曇らせる生き方は選べない。


 それを今、改めて思い、アルは一つの考えに至る。


「……ふむ。マレーナを食事に誘おう」


 八面六臂はちめんろっぴの活躍を見せるマレーナ。

 盾となって皆を守り、剛腕をもって敵を倒す。

 果敢で力強く、且つ他者を護り慈しむ。

 かくも魅力的な女性には、ついぞ覚えが無い。


 ただアルは、王国にあって誘われたことこそ幾度もあるが、自分から女性を誘ったことは無い。

 食事に、と思い至ったは良いが、どうすれば良いのか。


 それを思索しつつも、杖を構える。

 関係の無いことを考えているようで、彼は意識を戦場から逸らしてなどいない。

 智者で鳴るアルのこと、並列思考はお手のものである。


『聖帳』グリームカーテン


 アルの前方に物理障壁が張られる。

 それにより、彼を襲おうとしていた敵兵たちの槍は阻まれた。

 霊峰でもそうであったが、アルは魔導士でありながら、前線まで上がって戦う。

 そのため剣や槍への対応にも充分長けていた。


 だが、この日は彼我の兵力差が大きい。

 前方と同時に、側面からも襲いくる敵があった。


「そりゃあっ!」


 気合と共に突き込まれてくる槍。

 アルはこの敵に気づいていたが、前方を優先した結果、やや対応が遅れる。

 だが、それでも間に合うタイミングだ。防御か迎撃か、彼は選択しようとした。


 だが、いずれも選ぶ必要は無かった。

 大きな体が割って入り、戦鎚で敵を撥ね飛ばしたのだ。


「せいっ!」


「ぐあ!?」


 マレーナである。

 敵を排除すると、彼女はアルに顔を向けた。


「アルさん! 大丈夫だか?」


「む? うむ」


 危機的状況という訳でもなかったはずだが、アルは僅かに動揺してしまう。

 無理からぬことであった。

 考えていた相手が、いきなり目前に現れたのだから。


「すまぬ。考え事をな」


「何か気にかかる事があるだか?」


 アルほどの人物が戦闘中に気を取られる何か。

 マレーナとしては心配せずにいられない。


「そうだな。気になっている」


 それだけ言って、杖を掲げるアル。

 そして前方の敵へ向け、魔法を繰り出した。


『雷招』ライトニング!」


 決意した顔で放つ雷は、いつにも増して強力であった。



────────────────────

書籍版『煤まみれの騎士』 最新第5巻 発売中!!

加筆も含め500ページの大ボリュームとなっております!

どうぞよろしく!

https://kakuyomu.jp/publication/entry/2024011702


さらに電撃の新文芸は2024年1月で5周年!!

この5巻(紙書籍)に封入されている"しおり"のQRコードで10作品の書き下ろしSSが読めます!

もちろん『煤まみれの騎士』もありますよ!

しおり封入は初回出荷分だけですので、この機会にぜひ!

https://dengekibunko.jp/novecomi/fair/entry-30537.html

────────────────────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る