190_二度目の別離

 握力を失ったラケルの手から、戦鎚が離れていく。

 銀色のそれは床にごとりと落ち、そして彼女はよろめいた。

 腹を押さえ、震える足でふらふらと後ろに下がっていく。


「クソが……。アタシが、負けたってのか……? こいつに、この、でくの坊に……」


 押さえる手の下に、赤黒いはらわたが見える。

 口から、斬られた腹から血を溢れ出させ、ラケルは俺を見据えた。

 ここに至ってなお敵意に満ちた視線。彼女らしくはあった。


「ふざけ……やがって……。てめえが、アタシより……」


 強さと戦いを信奉する者が一様に持つルール。

 "勝った者が強い"。

 死を突きつけられ、ラケルは今、それを思っている。

 彼女の胸を満たす屈辱は如何ほどだろうか。


「ちく……しょう、が……」


 六年半も前になる。

 ラケルを含む梟鶴きょうかく部隊の面々と初めて会ったのは。

 旧知とは言え、覚悟を決めた以上、彼女らとの戦いに感情の揺れはあるまいと思っていた。

 しかし、ラケルの命を刈り取った剣は、やけに重い。


「…………」


 勝者からの言葉など、彼女のような者にとって不快なだけ。

 それを知る俺は、ただ黙った。


 ラケルは、ふらつきながら後ろへ歩き、対岸にエミリーが居る大穴の前へ行った。

 一瞬、エミリーと視線を交わらせ、そして俺を見る。


「…………」


「…………」


「ロルフ……ラケル……」


 エミリーが俺たちの名を呼んだ。

 それから、ラケルは口角を上げる。

 いつもどおり獰猛で、いつも以上に凄惨な笑顔であった。


 手を腹から離し、だらりと下げるラケル。

 右手の薬指から、光を失った指環がするりと抜け落ち、床を打った。


「殺されて……やらねえ。てめえ、には……」


 そう言って、仰向けに自ら倒れゆくラケル。

 倒れる先に床は無く、彼女の体は大穴へ。

 互いが視界から消えるまで、彼女はずっと俺を睨み続けていた。


「あ……」


 エミリーが小さく声をあげ、視線でラケルを追う。

 俺も穴へ近づき、下へ目を向けた。


 眼下の地下空間にも、火が回っている。

 二十メートルほども下、燃え盛る炎の中で鮮血が大きく石の床を濡らし、その中心にラケルの遺体があった。

 彼女は敵の剣で絶命するのではなく、自ら最期を選んだのだ。

 馬鹿馬鹿しいようだが、あれが彼女なりの幕引きなのだろう。


 俺は足元にあった指環を踏み潰した。

 神器、魔環フリストフォル。神威を結集した指環はひしゃげ、嵌っていた石も砕ける。

 それからエミリーに視線を向けると、彼女も顔をあげて俺を見た。


 俺たちの間には大きな穴が開いており、その下にはラケルの遺体が横たわっている。

 旧知の死を挟み、炎に照らされるなか、俺とエミリーはしばらく見つめ合った。


「…………どうして」


 やがて、ぽつりとエミリーが言った。


 どうして彼女を斬ったのか。

 どうして戦いを止められないのか。

 どうして戻ってこないのか。


 多くの意味が込められた問い。

 俺は答えることが出来なかった。


「私はただ、みんなと信じ合いたかった……」


「…………」


「……ねえ……私のせい……?」


「…………」


「私が……ちゃんとロルフを信じていられたら……こんな事には、ならなかったのかな……」


 この問いにも答えられない。

 俺には分からないから。

 答えを知らずとも、彼女の望む言葉を返せればまだ良いのだろうが、それも出来ない。


 子供のころ。

 あの鈴蘭の丘で共に遊んだころ。

 俺にはエミリーの考えが理解出来ていた。

 それは幼さゆえの思い上がりだったかもしれないが、少なくとも、かける言葉を見失うようなことは無かった。


 だが今、俺は彼女の前で沈黙している。

 立ち尽くしている。


「……エミリー」


 それでも俺なりの矜持を振り絞り、張りつく喉をこじ開ける。

 自分の言葉が無力だと分かっていても、彼女の前で黙り込む理由にはならないと思った。


「俺たちは……遠すぎる場所へ来てしまったな」


 穏やかな少年時代がいつまでも続くと信じていたわけではない。

 だが、その先にある世界が、こんなにも苛烈だとは思っていなかった。


 死と戦火が世界に溢れていると、理解していなかったわけではない。

 だが、それがこんなにも心を凍らせるものだとは知らなかった。


 知らなかったんだ。

 エミリーも、そして俺も。


「……ロルフは……いつだって、私を思ってくれた。だからこれからも……そうでしょう?」


「…………君と共にある日々は、俺にとって幸福だった。時々、思い出している……」


「………………」


 せめて伝える。

 過去は共有していると。

 それが精いっぱいだった。


「……エミリー。よく聞いてくれ」


「…………?」


「聖者ラクリアメレクは生きている」


「え……? 何を言ってるの……?」


 涙に濡れた目を見開くエミリー。

 いつも見ていた青い瞳がそこにある。


神疏しんその秘奥は思想を誘導する契約魔法だ。それをヨナ教と組み合わせ、奴は人類に間違った歴史を刷り込み、世界の姿を変えてしまった」


「ロ、ロルフ……?」


「奴の目的は分からない。だが、これだけは断言出来る。あの男は邪悪そのもの。聖者ラクリアメレクは、世界に仇なす最悪の敵だ」


「な、何……? ロルフ、どうしちゃったの……?」


 エミリーは動揺している。

 だが、俺が告げた事実に動揺しているのではない。

 荒唐無稽な言葉をぶつけられたことに動揺しているのだ。


「せ、聖者様を……そんな、ロルフ……どうして……?」


 まだ俺にも、多少はエミリーのことが分かるようだ。

 俺の言葉を、彼女は完全な妄言と捉えている。それが分かる。


 俺は、僅かな安堵を感じた。

 この事実を知ることは彼女にとってリスクになる。

 それでも、彼女を慮ることを言い訳に、口をつぐんだまま去ることを俺は選ばなかった。

 極々ささやかな成長である。


 だから告げた。

 だが、信じてはもらえなかった。

 それで良い。

 いま言った事実をエミリーが王国内で喧伝しても、事態は好転しない。

 彼女に危険が及ぶだけだ。


 だから、信じてもらえない方が良い。

 我ながら理屈に合わないことをしているが……。


「エミリー。俺はもう行くよ」


「ま、待って。まだ……」


「ここはもうじき崩れる。君も早く退去するんだ」


「ロルフ……私は……」


「頼む。逃げてくれ」


 隔てる穴がここに無かったら、俺は彼女の手を引いていただろうか。

 俺でも、それぐらいはすると思うが……。


 対岸のエミリーは、何かを言おうとして俯いてしまった。

 そして俺は背を向け、歩き出す。


「………………」


「………………」


 ラケルとの戦闘中に突き破られた壁を通り、廊下へ。

 窓から外へ出られそうだ。

 エミリーも反対側の廊下から外へ出られるだろう。


 リーゼや皆は無事だろうか?

 結局、ここに至るまで合流出来なかった。

 それに王女の安否も気になる。

 彼女に何かあれば、エミリーは糾弾を免れ得ない。

 そうでなくとも、会談場の爆破を防げなかったことや、ラケルが神器を勝手に使い、それが失われたことは取り沙汰される。


「…………」


 いや、それで職を解かれてしまった方が、彼女にとっては余程マシか。

 しかし、多分そうはならない。

 例によって旗印としての利用価値を優先されるだろうし、それに、彼女もまたピースの一つと見做されているような気がする。


 奴に。

 ラクリアメレクに。


「ふざけた話だよな。エミリー……」


 ひとちて、俺は燃える西棟を後にするのだった。



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