188_猛る女傑2

 ラケルは、じりじりと近づいてくる。

 暴威をもって、駆け引きも許さず挽き潰しにいくのがラケルの戦いだ。

 ゆえに、これは珍しい攻め口であった。


 だが、こちらとしても斬り込めない。

 あの指環がどういうもので、如何なる効果を及ぼすのか。

 それが分からない以上、まずは警戒しつつ間合いを保たねばならない。


「ラケル! 駄目!」


 エミリーが制止するが、構わずラケルは詰めてくる。

 そして戦鎚を振りかぶった。


「らぁっ!」


 鎚が上段から孤を描き、飛来する。

 圧力に満ちた攻撃だ。

 しかし、先ほどまでのそれと、さして変わりは見られない。

 俺は剣によるガードの体勢を取った。


 剣と鎚が、がちんとぶつかり合う。

 両腕に響く衝撃。やはりラケルのパワーは侮れない。

 だが、ここにも変化は見られなかった。

 俺は戦鎚を押し返し、すぐさま下段の構えを取って斬り上げを放つ。


「せい!」


 これが会心の一振りであった。

 幾十を振るうちに一つという剣閃が、ここで出たのだ。

 刃は淀み無く、滑るように動き、最善の角度とタイミングでラケルを襲った。


 だが彼女は表情を変えることなく、片足を引いて半身はんみの体勢を取る。

 最小限の動きであった。

 煤の剣は、紙一重でラケルの傍を通過する。


 斬り上げの刃は天井を向き、俺は隙を晒すことになった。

 開いた体へ、ラケルは戦鎚を振り入れてくる。

 剣を戻してガードする余裕は無い。床を強く蹴り、俺は後ろへ跳んだ。

 しかし戦鎚は俺の胸元を掠める。


「ぐぅっ!」


 鎚に纏われた魔力が、俺にダメージを与えた。

 巨大な鉄球が胸を直撃したかのような衝撃だ。

 弾き飛ばされた俺は後ろに倒れるが、後転しつつ、すぐさま起き上がる。


 肺を潰されたような感覚。呼吸が覚束おぼつかない。

 脇腹の傷が、ずきりと痛んだ。


 機を逃さじと、ラケルは突進してくる。

 だが、これはカウンターのチャンスだ。

 俺は痛みに耐えながら、彼女が跳び込んでくるタイミングに合わせて、剣を突き入れる。


 しかし、この剣も紙一重で躱された。

 ラケルが顎をあげると、その下を、首に沿うように剣が通過していく。

 そして直後、戦鎚が飛来した。


「うぐ……!!」


 こちらも回避行動を取るが、今度は肩を抉られる。

 俺はまたも床を転がされた。


「駄目! それは駄目よ! ラケル!!」


 エミリーの声が響く中、俺は立ち上がる。

 そしてラケルを見据えた。

 優位を取っても、油断なく構えたまま近づいてくる彼女へ、俺は語りかける。


「エミリーの狼狽ぶりから察するに、その指環は……」


「ああ、そうだ。魔環フリストフォル。神器だよ」


 彼女は神器を、正規の手段で持ち出したわけではあるまい。エミリーの様子を見れば明白だ。

 思い切ったことをする。


「どういう神器なんだ?」


「こいつに魔力を込めると、全身に力が漲ってくるのさ」


「力は変わっていない。感覚強化だろう」


「分かってんなら訊くなタコ」


 ラケルの動きは格段に良くなっている。まるで別人だ。

 だが、パワーもスピードも変わっていない。

 変わったのはアウトプットではなく、インプットなのだ。


 あの指環は、持ち主の五感を、その感度を高めるものだろう。

 それも尋常じゃないほどに跳ね上げている。

 そうとしか思えぬ動きなのだ。


 いま彼女は、視界に入る火の粉の一つまでを捉え切っているに違いない。

 さらにごく僅かな音、匂いや、空気の流れまでを感じ取り、かつそれを瞬時に脳で処理している。


 まさに超感覚である。

 五感のすべてが大幅に高まり、それを知覚するスピードも凄まじいものになる。

 彼女の目には、俺がスローモーションに見えていることだろう。


「ラケル! その神器の代償は大きいのよ!? 使えば寿命を縮めることに……!」


「知ってるよ、そんなの」


 魔環フリストフォルは、命数を縮めるほどに、使用者の生命力を吸い上げるようだ。

 つまり、そうまでしてラケルは、俺を殺したいらしい。

 光栄とは思えぬ話であった。


「ふぅ……。よく見えるぜ、でくの坊。てめえの呼吸が、筋肉の動きがよ」


「あんたに見つめられても嬉しくない」


「はん、抜かせ」


 霊峰でシグが倒した済生軍の剣士、スヴェンも神器を持っていた。

 こういうものが出てくる戦場になってきたのだ。

 終局が一歩近づいたと言えるのだろう。


 とにかく、今は眼前の異能とどう戦うかだ。

 相手はこちらの動きを容易たやすく捉え切ってしまう。

 本来なら、下手に仕掛けて隙を晒すより、落ち着いてラケルの出方を見るべき場面である。


 だが、そう考えて臨んだ先ほどの攻防では、後の先を取ることが出来なかった。

 違ったアプローチも必要だ。

 リスクを取ってでも、こちらから仕掛けてみるか?


 そう考え、そしてすぐに決断する。長考などしていられない。

 俺は後ろへ大きく跳び、柱の陰に入った。


「隠れるってか。いいぜ、そこからどうする?」


 挑発するように言うラケル。

 だが無為に踏み込んではこない。

 戦鎚を握りしめ、少しずつ近づいてくる。


 それに対し、俺は柱から飛び出した。

 飛び出した先は、特に火勢の強い場所であった。敢えて踏み込んだのだ。

 耐火耐熱に優れた、ディタの手になる外套が、俺を炎から守ってくれた。

 そして炎の壁を目隠しとしつつ、俺はラケルへ斬りかかる。


「うっ!?」


 火の中から突然現れる黒い刃に、彼女は短く声をあげた。

 すべてがスローで見えるとしても、相手を視界に収めねば、対応し切れないはず。

 髪が少し焦げるのを感じつつ、俺はラケルへ向け、剣を突き入れる。


 びしりと音をあげ、刃がラケルの肩口を抉った。

 血が飛び、床に赤い染みを作る。


「ラケル! お願い二人とも! もう止めて!」


「クソが! 足りねえってのか!」


 エミリーの悲鳴に被せ、ラケルも叫ぶ。

 そして跳び退すさると、彼女は胸の前で右手を握り込んだ。更なる魔力を指環に送っているのだ。


「させん!」


 負けじと叫んで距離を詰め、追撃の剣を放つ。中段の横薙ぎだ。

 瞬間、指環が光った。先ほどより強い光であった。

 ラケルの瞳も獰猛な輝きを増す。


 彼女は、その場からほぼ動かず、半歩だけ下がった。

 黒い刃が、彼女の胸から一センチに満たないところを通っていく。

 その間、彼女の視線は剣先を捉え続けていた。

 どうやら完全に見えている。

 神器の効果は発現し、知覚はさらに強化されたようだ。


「うらぁ!!」


 気合と共に、戦鎚を下段から振り上げるラケル。

 だが先ほどと違い、反撃は予測の範疇だ。

 俺はギリギリで剣を手元に戻し、ガードに成功した。

 そして衝撃を殺さず、そのまま後ろへ跳ぶ。


 着地し、すかさず剣を構え直すと、そこへラケルが忌々しげに言った。

 苦虫を噛み潰したような顔であった。


「てめえ……今のも防ぐのかよ。この状態のアタシとやり合えるとはな」


「…………」


「お前が女神を裏切りさえしなければ、アタシらは仲間になれてたんだぜ。つええのに、どうして……てめぇはよ!」


 強さには敬意を払うラケルのこと。

 俺が魔力を与えられ、梟鶴きょうかく部隊の者たちと共に剣を振るえていたなら、彼女は俺を認めていただろう。

 だが、そうはならなかった。

 ラケルは目の前の裏切者を強く睨みつける。

 炎を背に、迫力のある佇まいであった。


「戦う力を手に入れたなら、その時点で帰ってくりゃ良かったんだ。エミリーの呼びかけにも応じやしねえ!」


 そのエミリーが、炎の向こうからこちらを見つめている。

 ラケルと対照的に、惑い、悲しむ表情であった。


「信義なく人品に欠ける者たちの元へ帰れと? 御免こうむる」


「てめえ……!」


 炎の向こうで表情を歪めるエミリーには申し訳ないが、戦場なのだ。

 生き残って帰るために必要な戦術であれば、挑発もする。

 それは奏功したらしく、ラケルは跳びかかってきた。


「っだらぁ!!」


 冷静さを失いながらも、彼女は戦鎚を嫌な角度で振り入れてくる。

 これは神器の効果ではないだろう。

 元よりラケルが持っている当て勘だ。彼女には野性的な凄味がある。

 このあたり、彼女の戦闘スタイルは、俺の友に似ている。


 だがハッキリ言って、その強さは確実に奴より劣る。

 神器で強化されたこの状況でなお、その後塵を拝しているだろう。

 そんな獣と、しょっちゅう訓練している俺である。

 この攻撃には対応可能だ。


 俺は防御も回避も選ばなかった。

 カウンターの刃を、向こうより速く振り入れる。

 果たして剣はラケルの胸を斬り裂いた。


「ぐぁっ!?」


 浅い!

 およそ反応出来ない斬撃だったはずだが、あの神器の効果であろう。彼女は咄嗟に戦鎚を止め、上体を反らしていた。


「ラケル!!」


 エミリーが叫んだ時、ラケルは既に後ろへ跳び、俺から距離を取っていた。

 手のひらが胸を押さえている。

 そこに刻まれた真一文字の傷から、血が流れ落ちた。


「畜生め……!」


「二人とも、今すぐ戦いを止めて! 止めなさい! どうして聞いてくれないの!?」


 エミリーは、なお叫ぶ。

 燃え盛る炎が彼女を照らし、頬を伝う涙を血のように赤く染めていた。



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