187_猛る女傑1
「はぁっ!!」
「!」
迫りくる戦鎚の速さと圧力。
それは俺の心胆を寒からしめるに充分なものであった。
ラケルが超一流の戦士であることが、改めて分かる。
俺は後ろへ跳び
ラケルはそれを追い、さらに深く踏み込んできた。
そして素早く無駄の無い動きで再度戦鎚を振りかぶり、打ち下ろしてくる。
ラケルの強力な魔力が充満したあの鎚。
俺の場合、掠るだけでも大ダメージを受けてしまう。
それを警戒し、後ろに引いた足で強く床を踏みしめ、剣でガードした。
黒い剣と銀の鎚がぶつかり、がきりと音が響く。
「くっ!?」
声をあげたのはラケルだった。
本来、ここから押し込んで優位を取れるのがラケルの強みである。
彼女の戦鎚を受け切れる者はそう居ない。
対峙する者を、このかたちで正面から
だが、そうはならなかった。
煤の剣が戦鎚の魔力を消し去る以上、魔力抜きの力勝負になる。
その力勝負においても敵を圧倒出来るラケルだが、俺はその限りではない。
「ぜあっ!」
戦鎚とかち合わせた剣を、全力で押し込んだ。
ラケルは後ろに大きくよろけ、隙を晒す。
そこへ滑り込む、黒い剣。
「ちぃっ!」
だがラケルも本物だ。
彼女は、すかさず戦鎚でガードする。先ほどと攻守反対のかたちである。
しかし、帰する結果は先ほどと違う。
ラケルは力を吸収し切れず、後方へ弾き飛ばされた。
「ぐあ!?」
燃える壁を突き破り、炎の向こうに倒れるラケル。
むろん、それで終わりはしない。
ほぼ間を置かず、彼女は立ち上がった。
瞳が激情に震えている。
「てめぇ……!」
俺は短期決戦に狙いを定め、彼女へ向けて斬り込もうとする。
だが、それを遮る声があった。
「やめて!!」
一語で、誰のものか分かる声。
ラケルが入ってきた入口、今では大穴と炎で隔てられた向こう側に、エミリーの姿があった。
「どうしてこんな……! 二人とも武器を納めて!」
「エミリー。悪いけどよ……黙っててくれ!」
言うが早いか、ラケルは再び跳びかかってくる。
上体を低くしての突撃。彼女は下から戦鎚を振り上げてくる。
迎撃し難い角度であった。
しかし、落ち着いて対処すれば怖くはない。
俺は両足を開いて立ち、上段に構えた剣を振り下ろした。
剣は戦鎚と激突し、勢いを殺されぬまま、その戦鎚を床に叩きつける。
ラケルは鎚を手放さなかったが、その手を伝う衝撃にたたらを踏んだ。
そこへ向け、俺は再度、剣を上段に構える。
正着な挙動は、俺の最も得意とするところ。
構え、見据え、斬る。これを乱さず、省略せず、しかし一秒に満たぬ時間の中で行うのだ。
剣がラケルへ振り下ろされる。
躱せないと判断し、彼女は戦鎚で防御の体勢を取った。
その判断は正しかったが、やはり力では俺に分がある。
彼女はまたも、撥ね飛ばされて床を転がることになった。
「ぐは!!」
「ラケル!! 駄目よ、もう止めて!」
「黙れよ!」
すぐさま立ち上がり、叫ぶラケル。
こめかみに浮かんだ血管が怒りで脈動し、目も血走っていた。
「黙ってくれ……アタシの邪魔すんな」
ラケルは、エミリーに目を向けなかった。
ただ俺を睨み続けている。
会話が難しいと判断したのか、エミリーはこちらへ来ようとするが、見回しても道は無い。
エミリーと俺たちは、床の穴と炎によって隔てられている。
「ロルフ! 戦いを
絶叫するエミリー。
悲痛な声だ。
あの声を聞くのは辛い。
だが。
「エミリー。戦いを
「今のラケルは、私の言葉を聞いてくれない!」
「俺なら聞き届けると?」
剣を持って戦場に立っているのだ。
覚悟のもと戦っているのだ。
エミリーには悪いが、止めよと言われて止められるものではない。
「そ、そうだよ! だってロルフは……!」
ロルフは幼馴染だから? 婚約者だった男だから?
後に続く言葉は分からない。エミリーは言葉に詰まっている。
「……エミリー。俺が剣を鞘に納めても、ラケルは戦いを止めない。構えを解いた次の瞬間、俺は死ぬだろう」
「そのとおりだが、一部訂正させてもらうぜ。構えを解かなくても……てめぇは死ぬんだよ!」
「ラケル!」
エミリーの叫びを背に、赤い髪の戦士は突っ込んでくる。
彼女は、横に構えた戦鎚を大きく振り入れてきた。遠心力を存分に利かせた一撃だ。
本来なら紙一重で躱して、振り終わりの隙を突きたいところだが、障壁を持たぬ俺にはそれが出来ない。
加護なし。不便ではあるのだろう。神を仰がないからこうなった。
ラクリアメレクとの対話を思い出しつつ、俺は低い体勢で跳び、戦鎚を躱す。
跳んだ先は斜め前方、ラケルの横だ。
そして前転から膝立ちの姿勢に移り、剣を振った。
得意の形だが、ラケルの反応は早い。
すかさず戦鎚を手元で構え直し、剣をガードした。
「へっ!」
唇を吊り上げるラケル。
これまでと違い、彼女は力負けしなかった。
当然だ。この攻撃はガードさせるのが目的だったのだから。
弱い振りをガードさせ、すぐに剣を引いて二撃目を入れる。そういう連携である。
その二撃目を前に、彼女の笑顔は凍りついた。
「ちぃ!!」
だが、ラケルは恐るべき反射神経で後ろへ跳んだ。
必殺に近いタイミングだったが、流石と言うべきだろう。彼女がただの猪戦士であれば、騎士団の幹部になど納まっていない。
しかし、それでも躱し切ることは叶わず、黒い切っ先が前腕を捉える。
血を零しながら、ラケルは俺と距離を取った。
「くっ……!」
「ラケル! もう止めて! ロルフに勝つのは無理よ!」
エミリーは優しい。
元より、ただ穏やかな日々を願っていた人だ。
今の台詞も、ラケルを案じたものでしかない。
しかし、俺に勝てぬというその言葉は、ラケルを猛烈に追い立てた。
ぎりりと歯を食いしばり、彼女は俺を見据える。
瞳に、火花のような殺意が満ちていた。
その時、上階のどこかで爆音が響く。
まだ火薬が残っていたようだ。
この広間も大きく揺れ、無数の建材が天井から剥落し、降り注いだ。
「きゃ……!」
頭を押さえ、数歩下がるエミリー。
だが彼女の周辺は天井の剥落が少なく、問題は無かったようだ。
しかし俺とラケルの方には、固い梁の破片や尖った板が大量に落ちてくる。
「シッ!!」
俺は横へ一歩動き、最も落下物の少ない地点に立ったうえで、頭上から来る幾つかの木片を剣で払った。
結果、無事である。
だが、ラケルは違った。
「ぐうぅ!」
くぐもった声をあげ、梁の直撃に耐えるラケル。
咄嗟に頭を防御するも、額からは血が流れていた。
「くそ!!」
「ラケル! もうこれ以上は!」
「黙れ! 黙ってくれ! こいつは潰さなきゃならねえんだよ!」
王国において、唾棄すべき背信者への怒りは、いつも大きい。俺が誰よりも知っている。
だが、ラケルの怒りは、明らかにそれだけのものではない。
俺は僚友シーラの仇であるのみならず、そもそもラケルの世界に居られぬ男なのだ。
「無価値と断じていた者の価値を認めるのが、そんなに怖いのか?」
「黙れよ……!」
ラケルは、大きく息を吐くと、胸の前で右手を握った。
そこに、平素のラケルからしてみれば珍しいものがある。
彼女の右手の薬指には、
「えっ? それ……。そんな!!」
エミリーが血相を変えて叫ぶ。
同時に、ラケルの指環が白く光った。
「分かってたさ……。クロンヘイム団長すら倒したお前だ。そりゃあアタシより強いだろうよ」
俺を認める言葉が、ラケルの口から出てくる。
俺はやや驚かされた。
知る限り初めてのことだ。
「だけどさ……勝つのはアタシだ。そうすりゃアタシが強いってことになる」
言って、ラケルは再び戦鎚を構える。
白い光の中、彼女の纏う空気が変わっていた。
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