179_男爵家四男の述懐

[ホーカンソン男爵家四男 アンドレ述懐す]


 平和は貴重だ。

 誰だってそう言う。当たり前だよ。

 いや、別に誰もが幸せであれなんて全然思わねえよ?

 嫌いな奴にはヒドい目に遭ってほしい。


 たとえば俺んに居た侍女長。

 いつも俺を見下してやがった、あの女。

 石ころを見るような目を俺に向けてた、あの行き遅れ。

 そのまま行き遅れ抜いて欲しいと切に願うね。


 何の話だっけ。

 そうそう、平和の話だ。平和が貴重だって話。

 俺が言いたいのは、その貴重さを本当に理解してる奴が、どれほど居るかってこと。


 ガキのころ、親父に言われたもんだ。

 お前は一度、痛い目に遭わなきゃ分からない、って。

 あれな、真理だったよ。

 そう、真理。俺だけじゃねえの。人類にとって不変の、こう、ほら。真理。


 ピンとこねえか?

 逆に言った方が分かり易いかもな。

 つまり、痛い目を見たら分かるってことだよ。


 ガチのマジで恐ろしい目に遭った時。

 本当の本当に命の危機を味わった時。

 その時にこそ分かる。

 平和がどれほど貴重なのか。


 こんな世の中だけどさ、まあなんか、ヤバいことには巻き込まれず生きてきたわけ、俺は。

 でも、よりにもよって戦場に蹴り出されちまってさ。

 もう本当に、身の毛もよだつような経験をしたわけよ。


 思い出すだに震えがくるぜ。

 何って悪魔セイタンだよ悪魔セイタン

 いや説明したくねえよ。

 世の中にあんな恐ろしいものが居ると考えただけで、世界を嫌いになっちまいそうなんだから。


 まあ、だから。

 本物の恐怖を知ってる俺にしてみればさ、平和を本当に貴重に思えるわけ。

 いや、兵隊としてここに居るんだけどね。

 でも、少なくとも何事も起こってねえからさ。

 それに勝ることは無いって。


 ちなみに兵隊と言ったが、一応、大事な講和会談の警護だぜ。

 もっとも別に嬉しかないけどな。出世欲とか無いし。


 いくらかの聴取を経て、なんか選ばれたんだ。この役目に。

 俺、済生軍をクビになってるんだけど、それが良かったらしい。

 意味分からんだろ?

 どうも、教会から遠い奴を選んでるっぽいんだよな。


 一体どうしてだろうか。気になる。

 なんてな。嘘だぜ。

 余計なことを気にしちゃいけない。鉄則だ。

 俺みたいなもんにとっちゃ、詮索は命取りになりかねない。

 知らなくていいことは、知らないままでいい。

 これこそ賢者の処世術さ。

 無知を肯定する賢者なんて、我ながら哲学的だな。


 まあそんなわけで俺は、当たり障り無くつつが無く、警護をしてるわけ。

 場所はメルクロフ学術院。

 ここが講和会談の場所なんだってよ。


 その学術院の構内を、ぶらぶらと巡回中。

 当然っつーか、王女サマを直接護衛するような役回りじゃないからな。

 会談は講堂に隣接した尖塔でやってるらしいけど、その講堂には近衛やら騎士団の精鋭やらがちゃんと居る。

 それ以外の下っぱは見回りが仕事だ。

 こっちとしても、お偉い連中と関わりたいとは思わんし、これでいいのよ。


 ま、何事も無いし、歩いてりゃいいんだから楽なもんだ。

 学術院は人払いが済んでるから、今日は会談の関係者以外、誰も居ない。

 静かだ。そして天気もいい。

 なんとも穏やかな日だよ。


 だから改めて思うわけ。

 平和だな、と。

 かつて味わった、あの途方もない恐怖。

 あれを知ってるからこそ、この平和の貴重さが俺には分かるのよ。


 日射しは暖かく、そよ風は心地いい。

 青い空を、真っ白な雲がゆっくりと流れていく。

 ああ、何にも脅かされることなく、日々を生きてゆける。

 それはすごく幸せなことだ。

 いつの間にか、こんな当たり前のことを忘れてたんだな、俺は。


 何も起こらない日常。

 何も無いという幸せ。

 安穏とした感情が、じわりと暖かく胸を満たす。

 これを安らぎと言うんだろう。


 世はべて事も無し。

 空を振り仰ぎ、優しい陽光に目を細める。

 少し離れた場所に、会談場所となっている尖塔が見えた。

 古いが風情のある、その塔。

 青空によく合う佇まいだ。


 俺は立ち止まり、何となく尖塔を見あげていた。

 ぽかぽかと心地よい陽気に、つい笑顔になってしまう。

 ああ、平和だ。

 平和だなあ。





 その時。


 轟音が響いた。

 同時に尖塔の上部で外壁が弾け、爆炎が舞いあがる。


 ……………………。


 世界がスローモーションに見える。

 俺の視界で、ゆっくり、ゆっくりと塔に穴が開く。

 そして炎をまき散らしながら、外壁が崩れていった。


 がらりがらりと凄まじい音をあげ、瓦礫の群れが落ちていく。

 それが講堂の屋根を直撃し、やはり大きな音をあげた。

 屋根は崩れ、尖塔の下半分を隠すほどに巨大な土煙が舞い上がる。

 続いて、燃えた木片が一帯にばらばらと降り注いだ。


 半壊した塔。

 充満する煙。

 舞い散る炎。


 今なお、すべてがスローモーションだった。

 視界の中で、世界がゆっくりと姿を変えていく。


 俺の思考はどれぐらい固まっていたのだろうか。

 数秒なのか、数分なのか。

 土煙の焦げ茶色に脳を塗り潰されたかのような感覚。

 何も考えられなかった。考えることを拒否したかった。


 しかし、目に映る情景はあまりにリアルで。

 疑いようもなくこれは現実で。


 やがて俺の喉から、絶叫が迸る。


「ちょっと待てえええぇぇぇェェェェェェェェェェェ!!」


 ◆


 なんとも偉そうなおっさんの彫像。

 まあ実際、偉いんだろう。彫像になってるんだから。

 きっと初代学院長とか、そんなだ。知らねえけど。


 知らねえけど感謝するぜ、初代学院長に。

 こいつの裏がいい感じの死角になってて、俺はそこに隠れることが出来たんだ。

 つっても気が気じゃないけどな。


 どこから湧いてきたのか、武装した連中が、そこら中に居やがる。

 あれ多分、教会の人間だ。

 そんで、まあ、味方ではないわな。状況を見るに明らかだわ。

 あの爆発、あいつらの仕業だろ。


 俺のお仲間の警護隊連中が押さえようとしてたけど、返り討ちに遭ってた。

 隠れる俺の目の前でな。

 名も知らぬ仲とは言え僚友は僚友。

 俺に責任感があれば、仲間の危機に飛び出していっただろうけど、でも俺だからな。

 すまんが悪く思うなよ。


 それに敵の中には、済生軍っぽいのも居た。

 俺も済生軍に居たし、装備から何となく分かるのよ。

 連中、霊峰でがっつりやられてるけど、生き残りは居るからな。

 そんでやっぱり強えわけだし、立ち向かってもいいこと無いぜ。


 かくして俺は初代学院長の威光の陰に隠れ続けてるわけだ。

 さっき、門が閉まる音も聞こえた。

 外にも逃げらんねえ。

 どうすんだよ頼むよほんと。

 泣きそう。


 うお!?

 今また爆発音が聞こえた!

 このすぐ近く、中央棟の内部からだ。


 ヤバい!

 このへんに敵が集まってくるぞ!

 くそ! ここを離れねえと!


 ああもう!

 何なんだよ!

 何なんだよもう!


 見まわして敵が居ないことを確認すると、俺は脱兎の如く駆けだす。

 名残惜しさに彫像をちらりと見ると、前面のプレートには二代目出納長と書いてあった。

 すげえ微妙な人の彫像を作ったもんだな。どんな功績を挙げたんだろうか。

 いや重要な仕事なんだろうけどよ。


 違う! それどころじゃない!

 隠れ場所を探さないと!

 世話になったな出納長!


 ◆


 物陰から物陰へ移動していく俺。

 どれほど逃げただろう。

 気がつけば、よりにもよってあの講堂の傍に来ていた。

 敵を避けて逃げてたら、こっちに来ちまったんだ。

 マズいだろここは。


 ん?

 今、半壊した尖塔から何かが飛び降りた。

 ように見えた。

 その跡をなぞり、空中に黒い線がまっすぐ引かれてる。

 墨を流したような線が。


 どこかで見たことがあるような黒い軌跡。

 俺はそれが気になり、慎重に講堂へ近づいて、入口から中を覗き見た。


 ………………。


 最初、その一角だけが、美麗な点描画のように見えた。

 誰かが戦っている。

 たぶん美しいが、あまりにも苛烈だ。

 しかし、それだけに惹きつけられる。


 現実離れしているような、だがそこには生と死があって、つまりは現実の極地でもあるような。

 点描画を為す黒い点たちは、意思を持つかの如く舞っている。

 煤。

 そう、あれは煤だ。


 そして煤を描き出しているのは黒い剣だった。

 講堂の屋根は崩れており、中には陽光が射している。

 だが剣は光をまるで反射していない。

 黒い。

 艶の一つも無い、どこまでも黒い剣。

 闇が躍っている。


 その闇を手にする男も、漆黒の出で立ちだった。

 いかにも腕っぷしの強そうな大男で……。


 ………………。


 ………………。


 ヒイイイィィィィィィィィィィァァァアアア!!


 手で口を押さえて、悲鳴を押し留めた。

 悲鳴の代わりに、冷たい汗が全身から噴き出す。


 あいつは!

 あの剣士は!!

 恐怖という概念が顕現したかのようなあの!!

 あの男は!!


 霊峰で見た悪夢!!

 悪魔セイタンだ!!


 た、確かに奴は将軍らしいから、講和会談に出席しててもおかしくない。

 でも、じゃあ何で戦ってんだよ! 講和はどうした!

 信じよう! 明日を!


 そんな俺の声なき叫びを余所よそに、奴は敵のほとんどを倒した。

 残った敵と何か話してるようだが、そんなのどうでもいい!


 逃げるんだ!

 急げ!

 生存本能のすべてが大音量の警鐘をかき鳴らしている!

 葬送曲のように!


 その葬送曲をバックに俺は走る!

 とにかくここから離れるんだ!


 ◆


 足をもつれさせながら、何度も転びながら、俺は走り続ける。

 酸素が足りず、目が回るが、それでも走った。


 やがて講堂から遠ざかり、僅かながら思考力が戻る。

 すると、前方の角の向こうから話し声が聞こえてきた。

 敵だ。二人いるっぽい。

 ヤバい! 引き返さねえと。


 ……ダメだ!

 引き返せない!

 この方向には足が動かない!

 俺の心が、奴に、悪魔セイタンに近づくことを拒否している!

 哀れにも慟哭している!


 どうする!?

 どうする!?

 俺は涙目になりながら周囲を見まわす。

 滲んだ視界に映ったのは、近くに置かれた荷車だった。

 荷台には布がかけられている。


 もうここしか無い!

 俺は荷台に乗り込み、布の下へ身を隠した。

 そして低く伏せ、息をひそめる。

 やがて二人組が近づいてきた。

 緊張に、心臓が早鐘はやがねを打つ。


「荷車は……これか」


「なるほど、目立たないな。こうやって武器をあらかじめ持ち込むとは、味方ながら巧みだ」


 ヒョッ!?

 荷車!?

 いま俺が積載されてるこれか?

 いや、きっと違う!

 これじゃありませんように!


「よし、行くぞ」


 俺の願いもむなしく、がたりと音がしてこの荷車が動き出す。

 そうだよな。

 これのほかに荷車なんて無かったもんな。


 くそ!

 こんなことってあるのかよ!

 もう最悪だ!

 本当に本当に最悪だよ!


「どこへ運べば良いんだ?」


「向こう。北側だ」


 荷台が揺れる。

 その荷台に伏せる俺の横で、がしゃりと荷物が音をたてた。

 そこにあったのは何本もの戦棍メイス。何本もの槍に剣。

 武器とか言ってたもんな。

 この荷台には、殺しのための道具が大量に積まれてるわけだ。

 それと人畜無害な俺が。


「あの魔法、認識を阻害しているのか? 誰も地下に立ち入れないんだろう?」


「ああ。秘された魔法の一つだろうな。隠し玉だよ」


 え、なに?

 それって俺が聞いてもいいやつ?

 よくないんじゃないの!?

 知った人間は消される方向性のやつなんじゃないの!?


「それにしても、爆発で王女を仕留められなかったのは痛いな」


「逃がさんさ。時間の問題だよ」


「連合側のやつらも殺し切れるか?」


「問題ない。増援も向かって来ているしな。袋のネズミだ」


 陰謀の中身をべらべら喋るのはやめろぉ!

 聞かせるな! 俺に!

 陰謀をやるなら、もっとちゃんと暗躍しろ!

 自覚が足んねえぞ畜生!


「そうだな……。このまま片付ければ良いだけの話だ。講和など、世界に対する冒涜でしか無いのだから」


 だから聞かせるな! そういうのを!

 世界がどうとか、そんな話は余所よそでやってくれ!

 巻き込まれたくねえんだよ!

 コオロギはなあ、物陰に居たいんだよ!

 大きな舞台に踏み出したいとか思ってねえんだよ!

 考えろ! コオロギの気持ちを!


 ああダメだ。

 感情が、ぐちゃぐちゃになっていく。

 どうしてこうなった?

 どこでしくじった?

 答えの出ない問いを繰り返しながら、それでも死ぬ気で息を潜める。

 そんな俺は荷台に揺られながら、ただ運ばれていくのだった。


 ◆


「よし、この辺りで良いんだな?」


「ああ。ここに置いておけば、仲間が回収に来る」


「あそこの書庫は誰がカバーする?」


「間もなく別の班が配置につく。ここに哨戒網を敷けば、西棟へのルートを塞げるからな」


 そんなことを話し、奴らは去っていく。

 計画に対してよほど自信があるのか、連中は荷台をあらためなかった。

 まだ俺には運が残ってるのかもしれん。


 布の下から這い出て、俺は荷台を降りた。

 しかし上手く立てない。

 膝がガクガクと震えてる。

 くそ。

 深呼吸だ、深呼吸。


 落ち着いて、肺の中の空気を入れ替える。

 とにかく冷静にならなければ。

 脳に酸素を送るんだ。


「ふぅーーー……。はぁーーー……」


 少しずつ膝の震えが収まっていく。

 危険から遠ざかれば、冷静にもなれるというもの。

 どうにか、まともな思考力が戻ってきた。


 さっきの連中、書庫と言ってたが、じゃあここは西寄りの北側だな。

 少し離れたところに建物が見えるが、確かにあれは書庫だったはずだ。


「…………」


 それにしても。

 世界だの冒涜だの、何だかな。

 ま、世のくすえを決める講和会談だからな。邪魔したい奴も出てくるか。

 くっそ下らねえことで得しようとする連中って居るもんな。


「うーむ……」


 なんか、落ち着いたら少し余裕が出てきたな。

 度重なる危機を乗り越え、俺も成長したと見える。

 問題はこれだよ。この荷車。

 このままここに置いといていいのか?

 積まれてる大量の武器、奴らが使うんだろ?

 あの二人の話を聞く限り、明らかにいけ好かねえ連中なんだよな。


「……隠しちまうか?」


 武器を手に立ち向かえと言われたら断固御免こうむるが、隠すだけなら別にな。

 ええと……おっ。

 植栽が途切れてる箇所がある。

 あそこにこの荷車がすっぽり入りそうだ。


 決めるが早いか、俺は荷車を引いた。

 重いなこれ。

 よくもこれだけの武器を揃えたもんだ。


 よいしょ、よいしょ。

 ごろごろと車輪を鳴らし、植栽と植栽の間へ。

 そこに荷車を押し込むと、一つ息を吐く。


「オーケー。これでいいだろう」


 さて、俺はどうする?

 上手く隠れたいが、どこへ行けばいい?

 あの書庫は敵が配置につくって言ってたしな。


 ん、この植栽。

 中に入れそうだな。

 こりゃあいい。

 植栽の中まで探す敵は居ないだろう。

 冴えてるな俺は。

 やはり成長してる。


 よしよし……。


 ◆


 植栽の中は、思いのほか居心地がよかった。

 外の様子も分かる。

 あの後、奴らが言ってたとおり、敵がやって来て書庫に陣取っていた。

 あそこに隠れてたらヤバかったな。


 連中、窓から外を監視してやがる。

 王女サマや魔族どもは元より、目撃者は全員逃がさんってはらだろうな。

 おっかねえ話だ。

 だが、ここに居りゃあ見つからんだろ。

 やり過ごすとするさ。


 なかなか冷静なんじゃねえか? 俺。

 戦場を知るだけのことはあるな。

 おっと、一応ほかの方向も確認しないと。

 状況の把握が大事だぜ。


 ん?

 誰か来た?

 書庫と反対の方角からだ。

 あれは……。


 ………………。


 ………………。


 ホギャアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァ!!


 悪魔セイタン!!

 何でだよ!

 何でまた現れるんだよ!


 分かるぞ。

 奴のお仲間である死神が、いま俺の背後に居る。

 そんで長い人差し指で、長い爪の先で、俺の背筋を撫でてる。

 つーーー……って。


 ぞくぞくと全身が震えた。

 間近に迫った絶望を、ありありと感じる。

 ダメだダメだ!


 頼むよ悪魔セイタン

 近寄ってくるな!

 どっか行ってくれ!

 お願いだ!


 奴には連れが居るようだ。

 おのおっさん、確か近衛か?

 いや、それより悪魔セイタンだ!

 来るなよ!

 こっちに来るんじゃねえぞ来たァァァァァァ!!

 ぐおおおお! 何でだ!

 俺をイジめるのが楽しいのか?

 俺が何したってんだよ!


 どうやら奴は、書庫へ攻撃をかけようとしてるようだ。

 側面からの突入を狙ってるんだろう。

 植栽の陰に隠れながら、こちらへ向かってくる。


 そう。植栽だ。

 まさにその植栽の中に、俺は居る。


 鮮明に憶えてる。

 あの霊峰で谷へ落ちた時。

 滑落する中、俺の脳裏を埋め尽くしていたのは奴の黒い瞳だった。

 あの時、俺に刻み込まれたんだ。

 本物の恐怖ってやつが。


 そして今、近づいてくる。

 あの黒い瞳が。

 そこに。

 すぐそこに!

 荷車の後ろを通って、こっちへ来る!


 うおおおぉぉぉぉぉ!!

 居る!!

 目と鼻の先!!

 この植栽の陰に身を隠して、書庫の様子を伺ってる!!


 ダメだ!

 震えるな! 音を立てるな!


 カチカチと暴れそうになる歯の根を、死ぬ気で食いしばって抑え込んだ。

 そして逆流してくる胃液を、喉で押し留める。

 口の中は完全に乾き切り、全身を冷たい汗が覆っていく。


 くそう! 調子に乗っちまった!

 成長したとかワケわかんねーこと言ってたらこんなことに!

 俺みたいのが分不相応なことを考えたらこうなるんだ!

 荷車なんか放っときゃよかったんだよ!

 あああああもう!!

 居る! そこに居る!

 悪魔セイタンが!

 ヤバいヤバいヤバい!


 とにかく気配を消すんだ!

 いや、でもこんな達人から気取られないようになんて出来るのか?

 俺だぞ?

 そんで敵意を感知したらオートで剣が飛んできたりするんじゃねえのか!?

 絶対そうだろコイツおかしいもんよ!

 次の瞬間に、俺は死んでるかもしれねえ!


 落ち着け! 落ち着け!

 敵意なんか持っちゃいねえ!

 ただコイツとお近づきになりたくねえだけだ!


 気配を消せ!

 無になるんだ!

 俺は路傍の石!

 石だ!

 得意なはずだぜ!

 石ころみてえな人生を送ってきたんだからな!


 そう! 石なんだ!

 どうもこんにちは! 石です!

 無価値な石だぞ!

 分かるよな!?


 俺は全身の震えを抑え込みつつ、ひたすら自身の存在を消す。



 ………………。


 ………………。


 …………全力で石くれになり切った結果、目の前から奴は消えていた。


 植栽の中、振り返ると書庫の方で矢が飛んでいる。

 悪魔セイタンが突入していき、そこへ矢が射かけられてるんだ。


「ぶはぁっ!!」


 いつの間にか呼吸を止めてたようだ。

 大口を開け、俺は酸素を吸い込む。

 汗みずくの顔で、ぜひぜひと息をした。


 霊峰で一生分の恐怖を味わったと思ってたのに。

 手が、唇が、まだ震えてる。

 一方、奴は書庫へ入り込んだ。

 遅れてあのおっさんも入っていく。


 書庫を守ってる連中は迎え撃つようだが、正気なのか?

 あれと戦う気かよ。

 意味が分からん。


 呆然と見守る俺の視線の先、ほんの数分だろう。

 戦いは終わり、書庫は制圧された。

 そりゃあそうなる。

 言わんこっちゃねえ。


 悪魔セイタンは書庫を出て、おっさんと連れ立ち、歩き去った。

 西側へ向かったみたいだな。


 いや、どこへ向かおうと関係ない。

 関わっちゃダメなんだよ。

 動かず、ずっとこの植栽の中に居るべきだ。


 俺はもう、ここから二度と出たくない。

 このままここで生きていこう。

 今後は植栽として頑張っていくんだ。


 決意を固める俺だった。



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