178_上へ下へ

 同時に襲い来る二本の剣。

 俺は煤の剣を横に構え、その二本を受け止めた。


 がきりがきんと、金属音が耳に刺さる。

 衝撃が俺の腕に走るが、煤の剣はびくともしない。

 黒い刃は、煤を舞い散らせながら、しかし一寸たりとも動くこと無く、真一文字で剣を受け止めたのだった。


「ぐぅっ!」


 声をあげたのは敵の方だった。

 煤の剣。

 超硬度超重量は伊達ではない。

 敵はまるで、いわおに剣を打ちつけたような感覚を味わっているはずだ。

 この手にある剣を、誇りたくなる思いである。

 その思いのままに俺は前に踏み出す。

 一歩、二歩と、刃をかち合わせたまま敵たちを押し込んだ。


「く! こいつ……!」


 敵は二人とも、たたらを踏んで後退した。

 剣が離れるや、俺は上段に構える。

 そして右の敵へ、今度は、こちらから振り下ろしを見舞った。


 敵に構え直すいとまは無かった。

 肩口から入った刃は、胸までをざくりと斬り裂く。

 敵は声も無く絶命した。


 それと同時に、左の敵は再度の攻撃動作へ入っていた。

 僚友の死に動じること無く、中段を振り入れてくる。

 俺は剣を引き、ガードの構えをとっていた。

 縦に構えた煤の剣に、敵の剣が叩きつけられ、またも金属音が響く。


 二度目の攻撃も防がれ、敵は顔を歪ませつつも、三度目の攻撃を繰り出すべく、剣を振り上げる。

 それと同時に、黒い切っ先が彼の喉を貫通した。


「ごっ!?」


 突き入れた剣を俺が抜くと、彼は喉から血と空気を流出させながら崩れ落ちた。

 書庫への突入からおよそ五秒。

 この一階の敵は掃討されたのだった。


 俺はすかさず周囲を見回し、それから上を見あげた。

 上階にも敵は居るのだ。


 だが問題があった。

 ここは蔵書院ではなく書庫である。

 本棟の蔵書室に収めない書物を収蔵する場所なのだ。

 構造上はただの倉庫であって、階段などしつらえられてはいない。

 上階へは、梯子で上がる構造だ。


 梯子を上った先には、敵が待ち構えているに違いない。

 どうしたものか。


「…………」


 突っ込むか。

 書庫への突入は上手くいったのだ。

 敵には焦りがあるはず。落ち着くいとまを与える必要は無い。


 俺は剣を下段に構えたまま、梯子へ走り寄る。

 そして梯子に足をかけ、全力で蹴り上がった。

 数段を飛ばし、もう一方の足を梯子へ。そして再度蹴り上がる。

 俺は三歩で梯子の全段を駆け上がった。


 二階。梯子が通された穴から、俺が一瞬で飛び出す。

 投石機で射出されたかのような勢いで跳ね上がってきた俺は、敵の虚を突いていた。

 足元の梯子へ向けて戦棍メイスを構えていた敵は、それを振り下ろせなかった。


「せっ!」


 飛び上がってきた俺は、空中で剣を横薙ぎに振る。

 床と平行に半円を描いた剣が、敵の喉を捕らえた。

 すかさず俺は床に足を着け、横へ跳ぶ。

 直後、俺が居たところ、梯子の真上を、戦棍メイスが通過した。


「おのれ!!」


 まんまと俺を二階へ侵入させてしまった敵は、いま外した戦棍メイスを構え直す。

 その横で、喉を裂かれた敵が倒れた。

 俺も構え直し、敵たちに目を向ける。

 この階の敵は四人。

 一人倒れ、残るは三人だ。

 うち一人は槍を持っている。


 俺はその槍使いの懐へ跳び込む。

 長物ながもの相対あいたいする時の定石だ。

 だが、敵もそこは想定していたようで、槍の柄でかち上げを狙ってくる。

 どうやらこの敵は練度が高く、かなり素早い動きであった。

 俺は防御を選択し、かち上げを煤の剣で防ぐ。


 そこへ、右から戦棍メイスが振り下ろされてくる。

 俺はすぐさま左へ転がって逃れた。

 転がりながらもう一人の敵を捕捉し、立ち上がることなく床を蹴る。

 そして低い体勢から、その敵へ煤の剣を突き込んだ。


「あぐっ!?」


 腹を突き通すと、すかさず剣を抜いて後ろへ跳んだ。

 血を吐いて倒れる男の横、あと二人のうち、戦棍メイス使いの方が俺へ踏み込んでくる。

 その背後から、槍使いも構えをとっていた。

 やはり、あの槍使いの動きが巧みだ。


 戦棍メイスが振り下ろされるのとほぼ同時に、その脇を通って槍も突き入れられる。

 俺は煤の剣を下段で構えたまま半身はんみになって、棍と槍を同時に躱した。

 そして目前の戦棍メイス使いへ斬り上げを見舞う。


「……っ!!」


 ざくりと前面を斬られ、彼は声なき悲鳴と共に倒れた。

 その時点で、槍使いは既に二撃目のモーションに入っている。

 距離を取るべく、俺は後方へ跳ぶが、長い槍がそれを追ってきた。

 それを剣で払い落そうとした瞬間、俺の脇腹で、傷がずきりと痛む。


「つ……!」


 一瞬、動きが鈍る。

 しかし思考は加速し、目に映るものがゆっくりと動いていく。

 槍の穂先が俺へ迫っていた。

 視線の先、柱の間に蜘蛛の巣が張られている。

 槍はその傍を通過してきた。

 無駄な力の籠らぬ、かつブレの無い突き込みは、蜘蛛の巣を少しも揺らさない。


 見事な槍さばきであった。

 俺は歯を食いしばって痛みに耐え、迎撃すべく剣を繰り出そうとする。

 その時、槍の穂先は力なく俺の横を通過した。

 そのまま槍は床に落ち、それを持つ敵も倒れ伏す。

 うつぶせに倒れた敵の背には、短剣が突き刺さっていた。


「…………」


 それを認め、俺は構えを解く。

 倒れた敵の後ろには、ビョルンが立っていた。


「助かった。感謝する」


「ふん、今のは助かったという程のことでもなかろうが。だいいち不要だ」


 不要とは、戦場ではいちいち感謝など口にするなということか、それとも大逆犯からの感謝など要らぬということか。

 彼はどうにも言葉が足りていない。


 しかし、その点は俺も人のことを言えないだろう。シグに指摘されたこともあった。

 俺と話す者はこんな気分になるのかと、自省を新たにする次第である。


「一人でずいぶんと暴れてくれたものだが、まだ終わっておらぬぞ」


「分かっている。やろう」


 余計なことを考えている暇は無い。

 残るは三階。最上階だ。

 この二階と同じく、上へも梯子が掛かっているのみ。

 梯子が通じる天井の穴を、俺とビョルンは見あげた。


 それからビョルンは投擲の構えで短剣を持ち、俺へ視線を送る。

 俺が頷くと、彼はそれを上へ投げつけた。


「がっ!?」


 上階で悲鳴が聞こえる。

 ギリギリの角度を狙ったビョルンの巧みな投擲は、梯子の上で待ち構える敵に命中したのだ。

 その敵が倒れ込む前に、俺は梯子を蹴り上がり、三階へ至っている。


「おのれ!!」


 その台詞は、二階への梯子を蹴り上がった時に聞いたものと、まったく同じであった。

 およそ敵というものは、語彙に無頓着であるようだ。


 この階に居たのは弓兵たちである。

 彼らは、得物を短剣に持ち替えており、それを振り上げて向かってきた。

 俺は正面から踏み込み、煤の剣を振るう。


 リーチの差が活きる距離を選択し、いちばん近い敵を斬り伏せた。

 そして半歩を下がって剣を構え直す。

 そこへ左右から敵が躍りかかってきた。


 防御は選択しない。

 もう半歩を下がって敵を引き込みながら、下がった空間へ置くように剣を振る。

 それによって一方の敵は胸を斬り裂かれた。


 もう一人の敵は、恐れずなおも斬りかかってくる。

 横合いには、更に二人の敵。彼らは、俺に続いて梯子を駆け上がってきたビョルンと交戦している。


 ビョルンは素早く短剣を回収すると、無駄の無い老練な動きで敵へ密着する。

 そしてその胸へ短剣を見舞った。

 同時に俺は、斬りかかってきた敵へ煤の剣を見舞う。


 ビョルンは動作を切らさず、敵の胸から短剣を引き、もう一人の敵へ向けて振り抜いた。

 短剣は敵の喉を掻き斬る。

 どさりどさりと男たちは倒れ、この階の敵も掃討された。


「足りぬ!」


「下だ!」


 ビョルンが叫び、俺が答える。

 そう。敵が足りない。

 ここへ突入するとき、三階から弓を射かけてきた敵は、正面に三人、側面に四人居た。都合七人である。

 だがここに倒れているのは六人。


 俺たちが突入した後、一人は飛び降りたのだ。

 そして一階から入り直し、いま階下へ来ている。

 ビョルンの足元から聞こえた風切り音に、俺は下からの危機を伝えたのだった。

 即座にそれを理解し、ビョルンは横へ跳ぶ。

 その瞬間、彼が居た床から、槍の穂先が突き出てきた。


 同時に俺は、煤の剣を振り上げていた。

 以前、バラステア砦でも、この剣で床を打ち砕いたことがある。

 二度目ともなれば、難しくない。


 剣を打ちつけると、ばきりごしゃりと床が割れた。

 舞い立つ埃のなか、俺は二階へ降り立つ。

 そこに居た敵は、手にしていた槍を捨て、腰の剣を抜いた。

 淀みの無い動作である。

 弓兵ながら長剣をいていたようだ。


 あの状況で、即座に飛び降り、階下からの攻撃を企図出来た男だ。

 この書庫に居た敵のうち、最も手ごわいのが彼だろう。

 構えを見ても、その予想が間違いないと分かる。


 埃が舞い上がる中、くっきりと黒い煤が降っている。

 そして俺と男は視線をぶつけ合った。


 その時、視界の端で何かがばたばたと動いた。

 蛾である。

 蜘蛛の巣にかかった蛾が、はためいたのだ。


 敵の視線が、僅かに蜘蛛の巣へ向く。

 もう一人、ビョルンが居ることは彼にも分かっており、そのため周囲を強く警戒していたのだ。

 結果、蛾のはためきに反応してしまったのだろう。

 隙であった。

 その瞬間、黒い刃が彼を袈裟懸けに捕らえる。


 がふりと血を吐き、彼は膝をつく。

 そして倒れ、動かなくなった。


 訪れる沈黙。

 埃が晴れ、そこへビョルンが下りてくる。


「今のはあんたの助力を待つべきだったか?」


「構わぬ。単騎で押し切れる状況なら、そうせよ。貴様の場合はそれで良い」


 答えるビョルン。

 これで制圧完了だ。学術院の西側へ向かえる。

 剣を鞘へ納めつつ、俺は蜘蛛の巣へ目をやった。

 そこでは、あの蛾がまだ必死に動いている。


 俺は近寄り、蛾に手を伸ばす。

 そして蜘蛛の巣から外し、逃がしてやった。

 蛾は、ひらりと円を描くと、窓から外へ出て行った。


「それを美しい行為だと思っているなら、思い上がりだ」


 ビョルンの口調は、まるで説諭するかのようなものだった。

 部下にもこんなふうに話すのだろうか。


「そういうのじゃない。これはヨスジグモの巣だ。あの蛾は誰の糧にもならず、無為に死ぬことにしかならない。それも自然の摂理ではあるが」


 ヨスジグモは、頻繁に移動しては、その度に巣を張る習性を持っている。前の巣に戻ることは無い。

 主を失った巣に絡め取られる虫は、そこでただ干からびるだけなのだ。


「摂理云々ではない。欺瞞なのだ。分からぬであろうがな」


「俺が若輩だからといって、そう馬鹿にするものじゃない」


 ビョルンの目を見る。

 なお険しい目であった。


「こう言いたいんだろう。命のやり取りを生業なりわいとする者は、戦場の外では、あらゆる生命の去就に関わるべきではない」


「………………」


「それはたぶん正しいと思うが、でも俺はな、ビョルン。俺はあの蛾が飛ぶのを見たかった」


「………………」


 ビョルンは俺の視線をただ受け止めた。

 それから背を向けると、階下へ向かう。


「……行くぞ、小僧」


 俺の呼び名は、大逆犯から小僧になっていた。

 俺に言わせれば、それは降格なのだが、彼の心境は如何に。

 何にせよ、俺たちは書庫を後にするのだった。



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