177_寡兵の突撃

 ロルフとビョルンは、西棟へ向けて進む。

 目的を同じくする今、行動を共にしている二人であった。


 しかし、だから仲間であるということにはならない。

 特にビョルンの方には、相手に対する強い敵対心がある。

 ロルフは背信者であり、大逆犯であり、敵軍の将なのだ。

 好きになれるはずも無かった。


 ビョルンは今年で五三歳。自他ともに認めるベテランである。

 四十年近く、王国兵として生きてきた。

 その間ずっと、女神を信じ、魔族を敵と見做みなし、王国の為に戦ってきたのだ。

 彼にとって、ロルフは明確に敵である。


 しかし王女セラフィーナは主君であり、絶対的な忠誠の対象である。

 加えて、平民である彼を取り立ててくれた恩人でもあった。

 そんな王女が対話を望んだ相手へ剣を向けるわけにもいかない。


 複雑な思いを視線に込め、隣を歩くロルフへ向ける。

 どうしても、その目は険しいものになるのであった。


「む……」


 その時、ビョルンの意識が何かを捉える。

 考え事をしながらも、周囲への警戒を解いてはいなかった。そのあたりは、さすがにベテランである。

 彼は、普通ならまず気づき得ない、大きく離れた位置の敵に気づいたのだ。


 斜め前方、三階建てのやや小ぶりな建物。

 事前に確認した情報では書庫と聞いている。

 その三階の窓から、弓を持った敵が外を見張っているのだ。


 まだこちらには気づいていない。

 だが、先に進むには、その建物の前を通らなければならないようだ。

 王女の捜索を急ぎたいビョルンにとって、嫌な状況であった。

 彼は、訓練中に部下と交わした会話を思い出す。


「隊長。こんなに距離があっては、ほとんど敵の姿も見えませんが」


「見える見えないの問題ではない」


「は、はい」


 恐縮する部下たち。

 心構えを叱責されていると受け取ったのだ。

 ビョルンが精神論を語っているように聞こえたのだろう。


 だが、ビョルンはノウハウに根差した話をしているつもりだった。

 兵は戦場を見通し、敵が陣取るであろうポイントを常に想定しなければならない。

 敵の位置にあたりがついていれば、自ずと遠くや死角に居る敵を捕捉出来るようになる。

 ビョルンはそういうことを言っているのだ。

 実際、何度もそれに類する話をしてきた筈だった。


 だが部下の中に、高く遠い位置に居る敵を見つけられる者は皆無だった。

 今、ビョルンの視線の先、遠く書庫の三階に敵が居るが、まさにこういうケースである。


「それではお前たち、このような状況で次に取るべき行動は何だ?」


 これも今と同じような、行く手を哨戒網に遮られている場合についての問い。

 部下の一人が答える。


「消極的なようですが、様子を見るべきです。敵の動きを待つのが正解かと」


 それは模範解答の一つではあった。

 敵が待ち構えていると分かっているのなら、本来そこへ踏み込む理由は無い。

 下手に進まず、落ち着いて様子を見るのが妥当だろう。

 だがビョルンは、部下の回答に満足出来なかった。


「待つことで都合よく状況が好転するなどと思うな」


 ビョルンを隊長とする彼ら近衛部隊は、王女の身辺を守る者たちである。

 王女の身に危険が迫るような状況であるなら、それは確実に、抜き差しならない事態なのだ。

 時間をかけるだけ状況は悪化すると思わなければならない。

 ビョルンに言わせれば、近衛の戦場とはそういう戦場である。


 今この時も、まさにそうだ。

 時間をかければかけるだけ、王女の身に敵の手が迫る。

 こういう戦いを想定していたからこそ、ビョルンは何度もうるさく部下たちに告げていた。

 常に最悪の状況を考えよ、と。


 それでも中々に伝わらなかった。

 部下たちは皆、決して無能ではなく、近衛部隊には能力のある者たちが揃っていた。

 また誰もがビョルンを尊敬しており、彼の言葉には素直に傾聴する。

 だが、それでもビョルンの意図を正確に汲み取れる者は居なかった。


 無理からぬことだったのだろう。

 実際に王女が襲われるような事態など、これまでまず発生し得えなかった。

 叩き上げのビョルンには戦場で積んだ経験があるが、部下たちは実戦を知らないのだ。


 ビョルンは、自身が古い人間であることを理解しており、若い部下たちとの間に隔世の感を禁じ得ない。

 ゆえに、部下の育成には悩んだものであった。


 しかし今、このような事態を前に、忸怩じくじたる思いを抱く。

 王女と合流できない焦燥は、自責となってビョルンをさいなんでいるのだ。

 部下の近衛たちは、この状況で機能しているだろうか?

 彼らに、もっと正しく教えておくべきだった。理解させておくべきだった。


「で、では隊長。こういうケースでは、どうすれば良いのですか?」


「うむ。敵の意識を散らすことが肝要だ。この場合は二正面以上からの接近を試みることで……」


 あの時も、もう少し詳しく教えなければならなかった。二正面作戦などと言われても、簡単に理解出来るものではない。

 こういう事態になってから後悔するのだ。

 ほぞを噛むビョルンであった。


「ビョルン」


 ビョルンの追想は中断される。

 声をかけたのは、傍らに居るロルフだった。


 ◆


「考えごとか?」


「……いや、それより、言っておくことがある」


 声をかけると、ビョルンは俺をじろりと睨みつけた。

 どこまでも険のある視線。

 だが彼の言おうとしていることには想像がつく。


「あの書庫に居る敵のことか。このまま進めば捕捉されるな」


「………………」


 沈黙するビョルン。

 なお険しい視線を俺へ向けている。

 職責を軽視しない彼のこと、あの建物が書庫であることは事前に調べてあるはずだ。

 また、あそこに居る敵にも気づいているはず。

 そう思ったのだが、意思の疎通というのは、いつも難しい。


「違ったか?」


「……いや、あの敵のことだ。それでどうする?」


「時間をかけてはいられない。二正面作戦でいこう」


「………………」


 ビョルンは、険しい視線を更に強める。

 彼の表情から、敵意以外の感情を読み取ることは難しい。

 だが、この男は戦場において一流だ。

 この場は信じて行動を共にするしか無い。


「ビョルン。あんたの考えを聞きたい」


「……いや、本職の考えも同様だ。二正面より突入して書庫の敵を排除する」


 低く、不機嫌極まる声で彼は同意した。

 ここは一先ひとまず安心することにし、俺は頷くのだった。


 ◆


 書庫の敵に見つからず先へ進むことは出来ない。

 敵方も、それが分かっているから、あの場所に陣取っているのだ。

 時間をかけることが出来るなら、大きく迂回するなり、援軍を待つなり、やりようはあるだろう。

 だが、それが許される状況ではない。


 ならば捕捉されることを承知で飛び込むしかない。

 単騎でそれをやれば蛮勇の誹りを免れ得ないが、一応こちらにはリソースがあるのだ。

 都合二人。寡兵だが単騎の二倍である。


 と、どのみち蛮勇の誹りを免れ得ないことを考える俺だった。

 しかし、俺とビョルンはやれると踏んだのだ。


 俺たちは物陰に隠れながら、ギリギリまで近づいていく。

 どのみち、この先で敵の視界に入ってしまうが、可能な限り近づいてから突入するのだ。

 その際に、二手に分かれて突入することで、敵の意識を分散させる。


「あれは……?」


 二正面作戦とはいっても、大きく側面へ回ることは難しいと考えていた。

 正面方向から角度を変えて突入するしか無いであろうと。

 だが、ここから書庫の側面へ、死角が続いている。

 植栽の陰に隠れて向こうへ行けそうだ。

 途中、植栽が途切れている場所があるが、何故かそこには、ちょうど荷車が押し込まれ、死角になっていた。

 かなり都合の良い位置に荷車が置かれているものだが、罠には見えない。

 誰があんなところに、あの荷車を押し込んだのかは知らないが、とにかく幸運である。


「よし、俺が側面で」


「抜かるなよ」


 ビョルンもすぐに状況を把握した。俺たちは言葉少なに確認を交わす。

 そして俺は隠れつつ、書庫の側面方向へ回っていった。

 後ろへ回れればなお良かったが、そこまで幸運は重ならない。

 死角は側面まで続くのみである。

 だがそれでも、このかたちを作れたのは僥倖ぎょうこうと言える。


 ビョルンは正面だ。

 前と横からの同時突入である。

 書庫までの距離はかなりあるが、仕掛ける。


 俺は配置につくと、ビョルンへ視線を送った。

 そして、どちらともなく頷く。

 それから俺は飛び出し、書庫へ向けて全力で走り出した。


「!! 敵だ! こっちへ来るぞ!!」


 即座に、見張りの弓兵が俺を捕捉した。

 やや遅れて、ビョルンも飛び出す。

 彼はわざと時間差を作ったのだ。


「待て! こちらも来た! 正面だ!!」


 もし、まったく同時に二方向からの敵襲があった場合、兵たちはそれぞれ近い方へ迎撃に向かう。

 意思決定に迷いは生まれない。

 そのため、まず先に一方を捕捉させたのだ。


 俺の方へ一度敵を吸い上げてから、ビョルンが姿を見せる。

 僅かな時間だが、敵は惑う。

 僅かであっても、時間を奪うことが重要なのだ。

 その隙を突くように、俺とビョルンは、全力疾走で書庫へ近づいていく。


「正面へ回れ! こっちは我々が!」


 敵たちが役回りを確認し合う間に、俺は更に距離を詰める。

 横目で確認すると、ビョルンもかなり書庫へ近づいていた。

 彼は五十歳を超えていると思うが、年齢を感じさせぬ走りである。


「近づけるな! やれ!」


 敵が矢を射かけてくる。

 何本もの矢が飛んでくるが、俺は足を止めずに走った。


 撃ち下ろしの行射ぎょうしゃは簡単ではない。

 矢というものは、どう射ても弧を描いて飛ぶ。

 相手と同じ高度で射るなら、弧が辿る曲線を予測し易いが、ここに高さが加わると難しくなる。


 そのため、拠点を守る弓兵は数を揃えるのが定石だ。

 矢の数を増やし、面の制圧力を発揮するのだ。

 だが、二方向に分散させたおかげで、相対あいたいする敵の数は減っている。

 俺の方に弓兵は四人。それが繰り返し矢を射るが、いずれの矢も、俺が通った後の地面へ刺さっていく。


「シッ!!」


 声をあげ、俺は剣を振った。

 矢のうちの二本が、俺へ向かってきたのだ。

 それを剣で処理する。

 足を止めざるを得なかったが、もう入口のすぐ近くまで来ていた。


「馬鹿な! 矢を剣で払ったぞ!」


「おい! あれは大逆犯ロルフだ!!」


 上階で敵が叫ぶ。

 その声を聞きながら、俺は入口へ到達し、書庫へ突入した。

 一階に居た敵は二人である。

 俺が入口をくぐると同時に、彼らの持つ剣が俺へ向け振り下ろされてきた。


「死ね!!」


 そうもいかない。

 こうして書庫での戦いが始まった。



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