176_自戒と驕慢3

 皆が静まり返っている。

 殿下は沈痛な面持ちを見せ、アルバンは腕を組んで瞑目していた。

 宰相も押し黙り、魔族の文官二人は狼狽えている。


「……あんたがやり直したくても、あんたのお仲間はそれを許さないわよ」


 沈黙を破り、リーゼが言った。

 私を見つめたままだ。

 負けじと私も視線に力をこめる。


「ロルフが王国に、第五騎士団に帰参してくれれば、彼を虐げた者たちには、必ずケジメをつけさせる」


「逆でしょ、順序。馬鹿な連中にケジメをつけさせるのが先に決まってるじゃない。なのに願いを聞いてくれたら頑張ります、って。アタマ沸いてるよね、英雄さんは」


「……っ!」


「さっきから言い過ぎだリーゼ。お前も少しわきまえろ」


 アルバンが声をかけるが、リーゼは私を睨みつけたまま、その視線を外そうとしない。

 そして私も、絶対に目を逸らさなかった。

 まるで、ごろつきの争いのように、互いの視線を受け止めたまま逃れようとしない二人。


 またも少しの沈黙を挟み、リーゼは口を開く。

 さっきまでより低く、静かな声だった。


「ねえ、気づいてる? あんた、追い出しておきながらロルフに謝罪してないんだよ」


「王国として会談のはじめに謝罪したわ」


「それは分からない振り?」


 問いかけてくるリーゼ。

 質問のかたちを取ったそれは、浅すぎる指摘だった。


 講和云々ではなく、私から直接ロルフに謝れと彼女は言っている。

 馬鹿なことを言う。

 私が悪いと思ってないとでも?

 でも私の立場で、会談という場で、謝罪などおいそれと口に出来ない。

 立場は、私に行動と言動の自由を与えないのだ。

 ……決して!


「分かってないのはあんたよ。私こそが誰よりも悲しい思いをしてる! それを知らないくせに!」


 そう言ってやった。

 この女は、リーゼは何も理解出来てない。

 それなのに彼女は、更に馬鹿げたことを堂々と言う。


「たぶんそれ、ロルフが聞いたらキレるわよ」


 あり得ない話だった!

 やっぱりこいつは分かってない。

 にもかかわらず、調子に乗って言葉を続ける。


「みんな悲しんでる。みんな奪われてる。私も母をうしなった」


「…………」


「それなのに、自分だけが優しくされるべきだと叫んでる! 泣くことで親の気を引こうとする幼子おさなごのように!」


「貴様!!」


 生まれて初めて口にした二人称だった。

 そして手が、腰の剣に伸びる。

 私だけではなかった。

 リーゼの手も、腰の後ろに差した双剣へ伸びている。

 私たちは、同時に怒りの限界を超えたのだ。


「……!」


「……ッ!」


 しかし二人とも、剣に触れることなく手を止めた。

 その手と、そして瞳が震えている。

 周りの皆は、一触即発の空気に冷や汗を流していた。


「……抜いてたら私が勝ってたわ。私の方が速い」


 リーゼが、さも当然のように言う。

 私には、武力を笠に着る価値観は無い。

 でもこの女に負けることはあり得なかった。


「本気でやり合えば、私の魔法剣で貴方は消し炭になる。敵地で目立てないから使わないであげるだけ」


「使うことの出来ない技を誇ってどうすんの? やっぱりアタマ弱いんだね」


「痴女みたいな恰好で人の知性を云々するのは滑稽よ。少し考えた方が良いと思うわ」


「…………」


「…………」


 睨み合う私たち。

 互いの顔が、数センチの距離まで近づいていた。

 視線で人を害することが出来たら、と私は初めて願う。


「……いいかげんにしろ」


「……ヴァレニウス。そこまでです」


 アルバンと殿下が制止に入る。

 野太い声と透き通った声はいずれも落ち着いているが、しかし力が込められていた。


「……失礼しました、殿下」


 言って、私はリーゼから距離を取る。

 そして息を大きく吐いて感情を落ち着かせた。

 見ると、リーゼも同じようにしている。


「リーゼ。今は協力せねばならんのだぞ」


「信用するの? 爆発したのは向こうの出席者なのよ」


「どうか信じて下さい。私にあなた方への害意はありません」


 ミルドの自爆は、王国側の不手際ではある。

 でも、この陰謀の裏に居る者たちは、殿下や私にとっても敵なのだ。

 ここで私たちを疑っても、敵を益するだけ。

 リーゼには、それが分からないらしい。


「!」


 そのリーゼが表情を変える。

 さっきまでの怒りに満ちた顔つきとは別種の、しかし真剣極まる表情。

 それが何を意味するのか、私は理解した。


 彼女は敵の姿を捉えたのだ。

 当然だが、この状況にあっても周囲への警戒を緩めてはいないらしい。

 彼女の目は、私の背後へ向いている。

 一瞬、私はリーゼと視線を合わせると、剣を抜いて振り返った。


 果たしてそこには、敵の一団が居た。

 男が四人、戦棍メイスを構えている。

 私は彼らへ向け、駆け出していた。


『雷迅剣』フィアースヴォルト!」


 走りながら、魔法剣を発動する。

 目立てないと言ったけど、こうせざるを得ない状況だ。

 でも、私も修練を怠ってはいない。

 膨大な魔力に任せ、雷を振りまくばかりの私ではなくなっている。


 私は、剣に流し込んだ魔力を、そこで押し留めた。

 そして、その魔力を制御し切る。

 大量の魔力を一気に剣へ注ぎ、逃がさず刃に滞留させるのだ。


 ぱしり、と火花が一つ、剣先で弾けた。

 一個小隊を殲滅出来るほどの雷が、細い刀身の中で荒れ狂う。


 そして私は、剣を上段に振り入れた。

 先頭の敵は、戦棍メイスでそれをガードする。

 その瞬間、彼は絶命した。


 魔法の雷撃が、彼の全身を貫いたのだ。

 それだけではない。

 雷は彼の体から空気中へ伝播し、その両隣に居た敵を捕らえた。

 結果、三つの心臓が同時に停止したのだった。


「くっ……!」


 後方に残っていた一人が、背を向けて走り出す。

 逃がすわけにはいかない。


 私がそう考えた時には、すでにラケルが動いていた。

 肉食獣の狩りを思わせる走りと眼光。

 ものの数秒で敵に追いつくと、戦鎚を凄まじい勢いで振り下ろす。

 ぐしゃりと音をあげ脳漿が飛び散った。

 さらに横薙ぎの一撃。

 男は、ぼろきれのように吹き飛んだ。


「ひ……」


 声を漏らしたのは、魔族の文官だ。顔を青くしていた。

 ラケルの戦いは、見る者に恐怖を植え付ける。

 戦場を知らない者が目の当たりにすれば、ああいう反応になるだろう。


 私は王女殿下へ目を向ける。

 殿下が同じくショックを受けていないかと案じたのだ。


「…………」


 しかし殿下は、その光景を受け止めていた。

 沈痛な面持ちを見せつつも、唇を引き結んで敵の遺体を見据えている。

 自分が戦争の当事者であるという事実から目を逸らそうとはしない。


 私も改めて、地面に転がっている敵たちを見定めた。

 手前の三人は、私が殺したのだ。

 魔族以外を、人間を殺めたのはこれが初めてだった。


「…………」


 叫びとも嗚咽ともつかない何かが、喉から出そうになる。

 それを抑え込み、大きく息を吐くと、剣を鞘へ納めた。

 それからあの女へ、リーゼへ視線を移す。


 彼女は、文官たちの前へ出ていた。

 アルバンらだけではなく、王女殿下と宰相もカバーする位置だ。


 会敵した瞬間の私たちの配置から言って、私が敵に向かい、リーゼが非戦闘員を守るのがベストだった。

 視線で意思を疎通させたうえで、このかたちを選んだのだ。

 不快の極みだけど、それが出来てしまった。


 ち……と、リーゼが舌打ちをする。

 それから双剣を抜いた。

 交差させた両腕で二振りの剣を構え、腰を落とすと、一本の木へ躍りかかる。


 木は五メートルほども離れた場所にあったが、リーゼは一瞬で近づいた。

 そして双剣を振る。

 ひゅひゅ、と風切り音が二つ聞こえたが、剣閃は二つじゃない。


 十本近くの枝が宙に舞い、そのすべてが更に両断される。

 そして、それらが地面に落ちた時、リーゼは元の位置で、すでに納刀していた。

 もの凄い速さと正確さである。


「幼くはないかね、その振る舞いは……」


 額に汗を浮かべながらも苦言を呈したのは、宰相だった。

 今の行いを、幼稚な示威行動と取ったようだ。

 でも、そうじゃない。


 リーゼは私の技を見て、知った。

 だから自分の技も見せたのだ。

 フェアであるために。


 もし講和が成立するなら別だけど、そうでないなら、いずれ戦場で会うかもしれない。

 その時に対等であるために、彼女はそうしたのだった。


 そして、それが分かってしまうのが本当に腹立たしい。

 私は間違いなく、この女が嫌いだ。

 それはリーゼの方も同じらしく、彼女は既に背を向けていた。


 ◆


「ヴァレニウス。外からの救援は来るでしょうか?」


 再び移動を開始した私たち。

 殿下が思い出したように訊いてくる。


「はい。状況は伝わっているはずです」


「そうですか。アルバン殿、そちらは?」


 問われて、アルバンはリーゼを振り返る。

 彼女が頷くと、アルバンはそれを受けて返答した。


「ウチのも来るようです」


 講和会談の舞台となったこのメルクロフ学術院には、両陣営とも最小限の護衛しか居ない。

 軍は十数キロ離れた場所に待機している。

 それ以上近づかないよう、取り交わしてあったのだ。

 平和裏に会談を行うためだった。


 結果として、それが仇になってしまい、私たちは寡兵で追い立てられている。

 敵は一体、どこに潜んでいたのか。

 先遣隊も入って索敵していたと言うのに、どこからともなく敵たちは現れてしまったのだ。


 それに対し、私とアルバンが答えたとおり、待機している味方は救援に来てくれるはずだ。

 でも、離れた場所に居る味方へこの事態が伝わり、そして彼らがここに到着するまで、時間はかかる。

 いや、それどころか……。


「王女殿下。ヴァレニウス団長。遠方待機の貴軍は、本当に味方なのだろうか?」


「……そう願います」


 殿下はそう答え、私は沈黙した。

 そうするしか無かった。

 敵はこれだけの陰謀を企て、実行している。

 待機している軍のことを、知らないわけが無い。

 であれば、その軍にも敵の息がかかっているのではないかと、それを危惧するのは当然だった。


 待機しているのは第三騎士団だ。

 あそこの今の団長は……。


「…………」


 ああ、やっぱりロルフに居てほしい。

 やることも考えることも多すぎる。

 別に手伝ってほしいわけじゃない。

 ここに居てくれれば、それだけで私は頑張れるのに。


 ────たぶんそれ、ロルフが聞いたらキレるわよ


 さっきの、リーゼの台詞。

 あり得ないと思う。

 思うけど、じゃあロルフに今の私はどう見えているのか。

 それを考えるのが怖い。


 正直、一年半の別離は、時間は、幾つかの問題を解決してくれたのではないかと、そんなふうにも考えていた。

 彼が私の提案に頷き、戻ってきてくれることを、たぶん私は期待していた。

 だから、あの会談で拒絶された事実は、私の胸に激しい痛みを与えている。


「エミリー。大丈夫か?」


 私は、また思い詰めたような表情をしてたみたいだ。

 いつもならイェルドがかけてくれる言葉を、今日はラケルが口にする。

 粗暴なようで、こういう気遣いが出来る人なのだ。


「大丈夫。ありがとう。ラケルも問題ない?」


 敵を排除した、さっきの行動。

 彼女らしい強力な攻撃だったけど、一方で少し気になる面もあった。

 ラケルは、背後を見せて逃げる敵へ、頭蓋が砕けるほどの一撃を振り下ろし、さらに追撃を見舞った。

 しかも、相手は魔族じゃない。同じ人間である。

 あそこまでやる必要があったのだろうか?


「ああ。何も問題ないよ。何もな」


 長い付き合いだから分かる。

 ほんの僅かだけど、彼女の様子はいつもと違っていた。

 目の奥で、何かの感情が燻ぶっているように見えたのだ。


 もっとも、今はこういう状況だ。

 王女殿下の保護という最重要任務がある中、武器を握る手に力がこもるのは当然だろう。

 そう考え、私はラケルの様子について深く考えなかった。


 後でそれを悔やむことになるとは、当然、知るよしも無い。



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