180_敵陣へ1
講和会談の舞台であり、そしてロルフが意に沿わぬ戦いを強いられている地、メルクロフ学術院。
そこは王国屈指の伝統を持つ学府である。
構内の建物は、いずれも長い歴史を感じさせ、東端にある講堂および尖塔は
この日、それらが爆破の憂き目にあって大きく姿を変えてしまったことを、人々は大いに嘆くだろう。
だが、講堂と尖塔より更に古い建物がまだ残っている。
構内西端に位置する西棟。
ここは院内で最初に建てられた棟であり、今日においても、学術院創立時からほぼ変わらぬ姿のままなのだ。
その重厚な木造りの学舎は、古めかしさと共に権威を醸しており、もはや史跡と言って良い佇まいであった。
また、五階建ての構造となっており、建設当時の技術を思えばかなり大きい。
今日においても、尖塔を除けば、この西棟より高い建物は構内に無い。
周りの棟を増築する際、歴史と権威に対する遠慮があったとも言われており、この最古の学舎が如何に特別であるかが分かる。
その西棟が、この日は常に無く、剣呑な雰囲気に包まれていた。
武器を手にした兵たちが駐留しているのだ。
講和の阻止を企図した者たちが、この西棟を本部としているのだった。
だが、陰謀の舞台にしては、やけに騒がしくもある。
彼らの敵が侵入し、攻撃を仕掛けているのだ。
「相手はたった二人だ! 追い込め!」
中級指揮官の声は焦燥に上ずっている。
確かに敵は二人のみだが相当に手強く、棟内を巧みに移動しながら各個撃破に及んでくるのだ。
兵たちは走り回り迎え撃とうとするが、着実にその数を減らされていた。
「居たぞ! 奥だ!」
兵の一人が敵を捕捉する。
彼が指さす先に、敵の二人組が居た。
だが二人は慌てることなく、黒剣と短剣を構えるのだった。
◆
「この場は掃討出来たようだ。だが、やはり敵が多いな」
「ふん、次々に湧いてきおって」
俺とビョルンの周りに、数人の敵が倒れ伏している。
西棟に侵入した俺たちは、棟内を移動しつつ敵を潰していった。
やはりここが敵の本部であるらしく、敵兵の数はかなり多い。
もう随分戦ったが、未だ敵の本丸には届かない。この棟のどこかに奴らのリーダーが居ると思われるのだが。
今のところ、こちらの消耗は少なくはある。
屋内では寡兵であることにも利があり、つまり身を隠しながらの奇襲が可能だ。
また年の功と言うべきか、ビョルンは老獪な男で、この種の撹乱戦法に長けている。
結果、俺たちは被害を負うことなく、敵へ少しずつ打撃を加えていた。
だが、未だ敵の大将には届かない。
リーゼたちとの合流も果たせておらず、中々に事態の好転が見えない状況である。
どうしたものかと考える俺の耳へ、ここに居ない者の声が届く。
どうやら敵の声であるらしかった。
「侵入者に告ぐ」
声はやけに反響している。
しかめ面でビョルンが反応した。
「遠くから語りかけているかのような声。奴らが秘匿している魔法か?」
「いやビョルン、あれだ」
俺が指さす先には、壁に這わされた銅管がある。
あれを用いて声を舎内に響かせているのだ。
学府という場所に特有の設備だろう。
「そうか。銅は音を伝えるからな。ふん、学徒のための設備を下らぬことに使うものだ」
声に憤りを乗せて吐き捨てるビョルン。
険のある表情には迫力があった。敵が見たら、たじろいだかもしれない。
むろん銅管の向こうに居る敵に、その表情が見えるはずもなく、声の主はそのまま続ける。
「投降せよ。この学術院は封鎖されており、逃げ場は無い。間もなく我らの増援も到着する」
「予想どおりのことしか言えぬ奴らめ。この投降勧告は、余裕が無いことの表れであろうな」
ビョルンの言うとおりだ。
徐々にだが兵を討ち減らされ、敵にも焦りはあるはず。
状況を変えるための勧告なのだ。
もっとも、なお敵が優位であることは間違いない。
兵力の面から言ってもそうだが、この学術院が封鎖されているのはまず事実だろう。
増援も嘘ではないと前提すべきだ。
それらの状況を鑑み、この先の展開について俺は考えを巡らせる。
そして一つの結論に至り、それを口にした。
「ビョルン。いっそ招待に応じてみるか」
「ふん。向こう見ずなことだ。若輩者はこれだから呆れる」
このまま時間をかけるよりは、飛び込んだ方が良いかもしれない。
そう考えた俺の提案に、ビョルンは険のある顔を変えぬまま呆れて見せた。
だが
何とも分かりづらいことであった。
「………………」
俺は、そんなビョルンの腰へ目をやる。
そこに剣は無い。
彼は書庫で敵の長剣を回収しようとはしなかった。
ビョルンの短剣
だが、彼は本来、長剣を武器としてきた男であるはずだ。
なのに彼は、険しい顔で短剣を振るばかりである。
近衛は、着任時に主君から長剣を賜ると聞く。
彼はあの会談の席で、王女にそれを返した。
それはビョルンという男にとって、この上なく重大なことなのだ。
彼はきっと、腰に長剣を
やはり今日が終われば、近衛を、ひいては王国兵を辞するつもりだろう。
つまりビョルンは今、最後の戦場を戦っている。
優秀な敵兵が戦場を去るのは、連合の将として歓迎すべきことだ。
それは疑いない話だが、しかし、その背を引き止めたくなってしまう。
彼が去るのは如何にも寂しいと、そう感じる俺であった。
◆
敵が指定した、五階の北側。広い場所へ俺たちは来ていた。
周囲を取り囲む敵たち。柱の陰にも居る。
二十三……二十四人だ。
ずいぶん倒したはずだが、敵の兵力には尽きる様子が無い。
いったい、どこに隠れていたのだろうか。
いずれにせよ、敵はまだまだ自分たちの優位を信じている。
たった二人を相手に取り囲んでいるのだから当然だが。
「ヴィルマル様。奴らが来ました」
「うむ」
奥に居る男が
この場にいる敵ら全員が畏怖のこもった視線を彼へ向けた。
ヴィルマルと呼ばれるこの男が、敵の頭目であるようだ。
年のころは五十代。
柔和にも見える顔つきが、却って油断ならぬ印象を与えてくる。
「勧告に応じる気になったのは賢明だ。まずは武装を解除してもらいたい」
「その前に王女殿下の安全を保証せよ」
「無論だ。講和の中止を約してもらうことになるが、さすればこちらも矛を納めよう」
ビョルンの言葉に即答するヴィルマル。
彼の出で立ちは、改めて目を引いた。
襟元に金の
確かこの格好は司祭のものだ。
やはり、リーダーはヨナ教の有力者だった。
そして手に持つ杖は、戦闘用のものである。
どうやら彼は魔導士らしい。
霊峰の戦いの敵将であったイスフェルト侯爵などもそうだが、教会の実力者はしばしば、強力な魔導の使い手でもあるのだ。
「君たちに対しても当然、害を為すことは無い。勇戦に、払うべき敬意を払おう」
司祭ヴィルマルの言葉を聞き、ビョルンが僅かに歯噛みした。
見え透いた嘘が人を不快にさせるのは当然だ。
まして聖職者である。
もっとも、その聖職者の手には武器がある。俺たちと同じように。
である以上、これも俺たちと同じように、少なくとも聖人ではないのだ。
あるいは、嘘を正当化する技術に長けた者たちこそが"聖人"に成りおおせる。
彼は王女の安全を保証したが、しかし王女に対する殺意は明らかだ。
ただ講和を妨げたいのではなく、講和を選ぶ為政者が許せないのだ。その存在を受容出来ないのである。
故にこそ、ここまで大がかりな陰謀を企んだわけだ。
まして、この状況で、この俺に対して敬意を払うという物言いは到底信用出来ない。
俺は今日、敵と信じ合うことを望んで講和の場へやって来た。
しかし、信じたいから信じる、では敗れるだけだ。
目の前に居る、さぞ名望に厚いであろう司祭は、残念ながら嘘つきなのだ。
「…………」
ヴィルマルは敵たちの最奥に居る。
仕掛けるにはまだ遠い。
まして力のある魔導士であるなら、距離を与えたくない。
ビョルンと目配せをする。
この後の行動について思考する俺たち。
沈黙が、場の緊張感を高めていく。
そこへ、やや調子外れの声をあげる者が居た。
「よ、よし! 俺も剣を置こう! だからお前らも!」
敵の一人が、そんなことを言い出したのだ。
ここに居る敵たちの中で、最も若そうな男だった。
動かない俺とビョルンを見て、事態を好転させようと思ったのだろうか。
しかし、二十余名のうち彼一人が剣を外したところで、何の意味も無い。
それが分かっていないのか、あるいは意味を云々する以前に、意思表示が重要と考えたのか。
後者だとしても、やや焦点を外した行為だ。
だが、こちらが虚を突かれたことは否めない。
敵の中に、こういう者が居ることは想定外だったのだ。
考えを纏めようとする俺をよそに、若い男は剣を置こうとした。
そして、別の敵が苛立たしげに言う。
「おい。余計なことをするな」
「し、しかし。王女殿下を害さずに済むなら……」
「黙れ」
若い男の態度は演技に見えない。
もともと、王女セラフィーナは民に支持される為政者だ。
それを排除することに疑念を持つ敵も居なくはない、と考えて良いのか?
少し整理が難しい状況だ。
「放っておけ。さあ、二人とも剣を置いてくれ」
改めて、諭すような口調で武装解除を求めるヴィルマル。
俺とビョルンは、再度視線を交わした。
やや想定外の事態が起きているが、引き返してやり直すわけにもいかない。
状況を進めるしかないのだ。
俺の視線を受け、ビョルンは小さく頷くと、短剣を足元に置いた。
そして敵たちの方へ向け、床を滑らせる。
短剣は敵たちの足元へ行き、一人がそれを拾い上げた。
拾い上げた男の唇が、僅かに震えている。
笑いを堪えている表情だ。
「君もだ。剣を」
ヴィルマルの求めに応じ、俺は腰の剣に手を伸ばす。
だが、彼はそれを制止した。
「待て。君は剣に手をかけないで欲しい。そちらの近衛が剣を取ってくれ」
想定外の事態というものは、概して重なる。
ヴィルマルは、俺の手に剣を持たせることを嫌ったようだ。
クロンヘイム打倒の余波なのか、俺を強く警戒しているらしい。
しかし、この状況はあまり良くない。
「…………」
ビョルンは、無言で俺に近づく。
そして俺の腰に差された剣へ手を伸ばし、それを掴んだ。
次の瞬間、じりり、と小さな音がする。
俺とビョルンにしか聞こえなかったようだが、聞こえたとしても何の音か分からないだろう。
ビョルンの手が焼ける音である。
煤の剣は、俺以外の者を拒絶するのだ。
「…………」
だが、ビョルンは表情を崩さぬまま、黒い剣を両手に持った。
赤熱した鉄板へ手を置くような痛みであるはずなのに、顔色一つ変えずに耐えている。
恐るべき精神力であった。
そして彼は、急ぐ素振りも見せず、ゆっくりと煤の剣を床に置く。
それから先ほどの短剣と同じように、敵の方へ向けて滑らせた。
煤の剣は、ヴィルマルの数メートル手前で止まる。
ビョルンは、そこを狙ったのだ。
「……ふ」
前に踏み出てくるヴィルマル。
魔法を斬る黒い剣は、明らかに特別な代物である。
いかにも権威を好む司祭が、最初にその剣を手にしようとするのは予想出来たことだ。
果たして彼は、剣の傍らへ来た。
そして黒い刃を足元に見下ろし、笑う。
「く、くくく」
他にも何人かが笑っている。
耐え切れなくなったように吹き出している。
その中でヴィルマルは、自らの額に手をあて、肩を震わせていた。
口角は吊り上がっている。
そして、ひとしきり笑うと、笑顔のままに叫んだ。
「殺せ!!」
予想をなぞる展開に、やや安心感すら感じさせる号令であった。
無論、かと言って安堵の息を吐いたりはしない。
俺は煤の剣へ向け走り出していた。
────────────────────
書籍版『煤まみれの騎士』 最新第5巻 発売中!!
加筆も含め500ページの大ボリュームとなっております!
どうぞよろしく!
https://kakuyomu.jp/publication/entry/2024011702
さらに電撃の新文芸は2024年1月で5周年!!
この5巻(紙書籍)に封入されている"しおり"のQRコードで10作品の書き下ろしSSが読めます!
もちろん『煤まみれの騎士』もありますよ!
しおり封入は初回出荷分だけですので、この機会にぜひ!
https://dengekibunko.jp/novecomi/fair/entry-30537.html
────────────────────
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます