174_自戒と驕慢1
「王女殿下。お怪我は?」
「私は大丈夫です。ありがとうヴァレニウス」
殿下はそう答えて下さるけど、表情は強張っている。
当然だ。この事態に焦燥を強めていることだろう。
何としてもお守りしなければならない。
とにかく状況を整理しないと。
殿下を連れて講堂を脱出できたのは良いけど、何がどうなっているのか、情報が少なすぎる。
まず、爆発は尖塔の外壁を破壊したけど、塔の崩落は招かなかった。
敵にとっては計算外だっただろう。
結果、塔内に居た私たちはいずれも、重大な負傷は免れたのだ。
私も、軽度の火傷こそ数か所に及ぶが、行動するに問題は無い。
ただ爆発後の講堂は混乱を極めていて、敵と味方の状況がかなり不透明だった。
連れ立って脱出し、いま同行出来ているのは、セラフィーナ殿下と宰相ルーデルス、そして私とラケルだけである。
「エミリー、どうする?」
そのラケルが訊いてくる。
決して判断を間違えてはならない状況だ。
「講堂の周囲に留まることは出来ないわ。とにかく身を隠しながら移動しましょう」
「やはり、門から外に逃れることは難しいのでしょうか?」
「はい、殿下。残念ながら」
門は確実に封鎖されている。
正門のほかに、西側にももう一つ門があるが、そちらも同じだろう。
封鎖されたこの学術院で、王女殿下を守りながら行動しなければならない。
何にせよ、今はここから離れなければ。
私たちは移動を開始する。
私とラケルが先頭と
たった四人、しかも二人が非戦闘員という状況では、隊列と言えるものにはならないけど。
「エミリー。やっぱり兵員が要るな」
私もラケルと同意見だ。
一応、私と彼女は強い。凄く強い部類に入る。
でも、最重要人物を連れて封鎖された敵地に居るという状況なのだ。
兵力が欲しい。
「そうね。
講堂に詰めていた兵たちのほかにも、味方が学術院全体の警護にあたっている。
出来れば彼らと合流したいところだ。
ただ、敵も確実に哨戒網を敷いているだろう。
こちらの兵たちも、多くは苦しい状況にあるはずだ。
「第五騎士団の幹部は、あなた方だけですか?」
「いえ、殿下。先遣隊に同行して、参謀長のエドガー・ベイロンも来ています」
「…………そうですか」
「それと、近衛の方々も健在であるはず。いずれ味方とは合流出来ます」
この学術院の敷地は広大で、しかも私たちは目立たないように移動している。
しかし、それでも合流は可能と見て良い。
ここには優秀な者たちが来ているのだから。
◆
「ヴァレニウス。今の音は、また爆発でしょうか?」
「そのようです」
慎重に移動する私たちの耳に、爆発音が聞こえてきた。
中央棟の方からだ。
「敵にとって不測の事態が起きてんのかもな」
ラケルの言うとおり、今の爆発は予定外のものだろう。
少なくとも、そう仮定するべきだ。
「今の爆発で敵が集まってくる可能性があります。中央棟を大きく迂回して反対側へ逃れましょう」
「分かりました。ヴァレニウスの判断に従います」
殿下は頷き、合意する。
それから私たちは、構内の南側を隠れながら進んだ。
途中、敵の一団を見かけたけど、物陰に潜んでやり過ごす。
交戦しても、私とラケルなら勝てるだろう。
でも王女殿下が居る状況で戦闘に及ぶことは出来ない。
とにかく殿下に万が一があってはならないのだ。
「ヴァレニウス。確認しておくことがあります」
その殿下が口を開く。
口調から、重要な確認であることが分かる。
殿下の問いが重要じゃなかった
「何でしょうか」
「貴方は先ほど、味方と合流すると仰いました。その"味方"に、ロルフ・バックマンは含まれているのですよね?」
その名を聞いて、僅かに肩が震える。
ロルフを味方と考えているのか、というその問い。
殿下に対して不敬の極みだけど、正直言って愚問だった。
味方と考えている。当たり前だ。
この心細い状況。
彼が、ロルフがここに居てくれたら。あの大きな背中がここにあってくれたら。
それなら私は何一つ心配しないで済むだろう。
この状況にあって安心感すら抱いたに違いない。
「………………」
本当はそうなるはずだった。
どこへ行っても、揺るぎようのない大木が傍にあって、私はそこに寄り添っていられるはずだった。
そういう未来が訪れるはずだった。
「ヴァレニウス?」
「……失礼しました。少し考えごとを」
何度繰り返したか分からない追想。
終わりの無い自責。
ロルフという人は、私にとって、ともすれば呪いのようだ。
甘やかな思い出と共にある後悔そのもの。
私の中から絶対に消せない存在である。
「もちろん味方です。彼は殿下の御身を守りました。どうして敵と
あの時。
殿下は、爆破の実行犯であるミルドのすぐ傍に居た。
でもロルフが殿下を引き剝がし、かつミルドを蹴り飛ばしたのだ。
彼がああしていなければ殿下は亡くなっていた。
それに、恐らく私たちも危なかった。
私はまたしても、彼に救われたのだ。
「それを聞けて安心しました」
殿下が小さく微笑む。
そして私は、自分の体に目を向けた。
あちこちに負っている火傷。あの爆発によるものだ。
魔法以外の、非物理に類される加害は防御出来ない。
つまり爆風と熱波からダメージを受けたのだ。
「…………」
でも、それだけ。
それだけである。
あの場にあって、私は大した負傷をしていない。
高次の訓練を受けてきた私だ。即座の障壁展開に、問題なく成功している。
だったら私がミルドに対応するべきだったのだ。
しなければならなかった。
それなのに、即座に動いて殿下を救ったのはロルフで、次いで動きミルドを斬ったのは、あの女、リーゼだった。
私だって、何もしなかったわけじゃない。
殿下を庇い、結果、彼女は無事だったのだ。
でも、引け目を感じずにはいられなかった。
「ヴァレニウス。とにかく
「仰せのとおりです」
胸に痛みを自覚しつつ、私はそう答える。
まさに彼を見誤ったことを、いちばん信じるべき人を信じなかったことを、私は何よりも悔いているのだから。
あの爆発の時、なおも味方として動けなかった私なのだから。
「…………」
「……?」
見ると、ラケルが、いつに無く険しい目をしている。
ロルフの話が出たことを不快に思っているのかもしれない。
確かに彼女はロルフと折り合いが悪かった。
今回の再会で、そのあたりの改善も期待したのだけど。
ラケルは信頼できる友人だ。
本当は、ロルフとも仲良く出来るはずなのだ。
ロルフを含めた皆で、ノルデン領の第五騎士団本部に帰りたい。
それこそが私たちにとっての最良。諦めたくはない。どうしても。
「戦場を知らない私が、過ぎたことを言いました。ごめんなさい」
考え込む私を見て、殿下が申し訳なさそうに言った。
誤解させてしまったようだ。
「いえ。殿下のお考えは何も間違っておりません」
「ヴァレニウス団長。私も戦場を知らぬ身ゆえ恐縮だが、いずれかの棟内に潜んではどうか?」
提案したのは、宰相ルーデルスだった。
確かに、可能なら隠れて事態の好転を待ちたい。
敵が集まってくる中央棟は論外だけど、そこ以外なら屋内の方が当然隠れやすい。
でも、残念ながら適切な隠れ場所が見当たらないのだ。
「西側に出て、潜めそうな場所があればそうしましょう」
「あそこに詰所のような棟があるが」
「あれは駄目です。挟撃や包囲に遭う危険性があります」
「うむ……そうか」
敵を倒すことが目的なら、屋内へ入ってる。
一度に
寡兵であれば狭いところで戦うのが一つの定石である。
ただ、それもやっぱり、私とラケルだけならそうする、という話でしか無い。
王女殿下という、これ以上無く重要な警護対象が居る以上、退路の取れない場所は駄目だ。
今は外で警戒していた方が良い。
「…………」
だから周囲を入念に見まわす私だったが、その目が一点で止まった。
花壇だ。
そこには、釣鐘状の白くて小さい花が沢山咲いている。
鈴蘭だった。
故郷にも、あれがいっぱい咲いていた。
あの鈴蘭の丘が忘れられない。
ロルフが居て、フェリシアが居て。
「…………」
ロルフが居てくれたら。
何度それを考えなければならないのか。
この一年半で、一体それを何度考えたのか。
いま私は、
心細い。あまりにも。
ロルフなら、孤独に押し潰されたりしないのだろうか。
…………考えるまでもないか。
エルベルデ河では、たいへんな重傷を負いながら一人で敵地を征き、戦い抜いたのだ。
ゴドリカ鉱山でもそうだ。暗い坑道の中、一人でカトブレパスと戦い、倒した。
彼は強い。
当たり前のことなのに。
誰より知ってたはずなのに。
誰より、私こそが……。
「!」
その瞬間、前方から足音が聞こえた。
振り返ると、ラケルが真剣な目つきで頷く。
彼女も気づいたようだった。
殿下たちをラケルに任せ、私は前に踏み出る。
前方には背の高い生け垣。
足音はその向こうから聞こえた。
足音は複数。兵のそれではない。
たぶん、非戦闘員を連れているのだろう。
そして、それはこちらも同じだ。
殿下と宰相の足音は向こうにも聞こえたはず。
剣を構え、慎重に生け垣の横へ出る。
同時に、向こうも出てきた。
私と同じく、武器を構えている。
そしてこちらを見るや、口を開いた。
「ふん。いちばん見たくない顔だわ」
「こっちの台詞よ」
目に鬱陶しい金色の髪。
双剣を持つ両手を、気取るように交差させて構えている。
リーゼだった。
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