173_忠義を携えて

 倉庫に捕らわれていた人質が二人。

 うち一人は近衛兵だ。会談の前に見かけた顔であった。


「申し訳ありません隊長。妹を盾に取られ……」


「不覚を取ったのは本職も同じ。それよりここは敵地だ。項垂うなだれている暇は無いぞ」


 近衛兵の隣には、年若い少女が居た。

 こちらも見覚えがある。王女の侍女だ。

 どうやら彼女は、この近衛兵の妹であるらしい。


「兄妹で仕えているのか」


「王女殿下の差配だ。殿下は平民を近衛に取り立てて下さったうえ、その家族に貧窮する者あらば、そこへも手を差し伸べられる」


 ビョルンが答えた。

 王女のことを誇る時は、多少饒舌になるようだ。


 ロンドシウス王国の近衛は、ほとんどの場合、貴族が務めてきた。

 だが王女セラフィーナは、むろん有能な者に限るだろうが、平民も用いたようだ。

 更にその家族のことも気にかけ、彼の妹などは侍女という職を賜ったという。

 王族の侍女となれば、これも通常は貴族の女性が務める。


 政務において独断的な行為は慎んだとされる王女だが、自身の周囲では慣習の見直しを図っていたのだ。

 何かに抵抗したかったのかもしれない。


「あの……それより、隊長」


 捕らわれていた男が言い淀む。

 警戒心のこもった視線をこちらへ向けていた。


「殿下が対話を望まれたのだ。さしあたり、排除も出来ぬ」


「…………」


 軍務において上官の言葉は絶対である。

 だが、それでも近衛の男は首肯できない。

 妹である侍女の方も、俺をちらちらと見ていた。

 こちらの瞳には、警戒よりも怯えが色濃く浮かんでいる。


「小指」


「え?」


「おい! 妹に話しかけるな!」


 男が怒声をあげる。

 だが、俺は構わず続けた。


「左手の小指、折れているだろう? 添木をしておいた方が良い。この倉庫の資材で出来るはずだ」


 言われ、侍女は驚いた表情を見せる。

 そして、もう一方の手で包むように指を隠した。

 秘しておきたかったのだ。


「相当痛むだろうに、大したものだ」


 侍女は俯いてしまった。

 捕らわれた時に折れたのだろう。

 だが、同じく虜囚となった兄を心配させたくなかったのだ。この危機的状況にあって、見上げたものである。

 そして兄の方はしばし呆然とし、それから口を開いた。


「……怪我に気づいたぐらいで、人を慮ったことにはならない。大逆犯が調子に乗らぬことだ」


 俺への嫌悪に加え、そこには兄として気づけなかったことを誤魔化す為の怒りがあった。

 まあ、彼の言うとおり、怪我に気づけたから思慮深い、などということも無い。

 経験上、俺は人より怪我に詳しいだけだ。不本意なことに。


「そんなことより処置をしてやったらどうだ。俺に触れさせたくもあるまい」


「当然だ!」


 男は立ち上がり、倉庫内を物色し始めた。

 そして布と木材を見つけると、侍女に近づいてその手を取る。


「隊長。私と妹をお救い下さったこと、感謝に堪えません」


「……言っておかねばならん。本職は貴様らを見捨てようとした。救うべしと主張したのはそこの大逆犯だ」


 ビョルンは絞り出すように言った。

 その表情は忌々しげである。

 彼も、憎むべき大逆犯の功を伝えたいとは、まったく思っていない。

 だが、誤解によって感謝されることには屈辱を感じるのだろう。


「…………」


 結果、近衛の男も屈辱を感じることになった。

 ビョルンが感じたそれより、さらに大きな屈辱であろう。

 侍女に治療を施すその手を止め、彼は悔しげに俺を見据えた。


「利害の一致があってのことだ。礼は要らないぞ」


「……元より礼など言うつもりは無い」


 そう言って男は視線を外し、治療を再開した。

 その姿には、名状し難い感情が見え隠れしている。

 一方で、妹に向ける感情は明白であった。

 彼は優しく、丁寧に、妹の指へ布を巻いていく。


 妹のために……か。


 ◆


 治療を終え、二人は立ち上がった。

 そして男は上官へ目を向け、その命令を待つ。

 だが上官ビョルンが口にしたのは、男が望む言葉ではなかった。


「お前らはどこかへ隠れるのだ」


「し、しかし……」


 男は何かを言い募ろうとして、次に侍女へ視線を向ける。

 それから俯き、彼はすぐに引き下がった。


「……承知いたしました」


 自身も戦いたくはあるようだが、妹を放ってもおけまい。

 それでも無念そうにしている兄と、申し訳なさそうな妹。

 その二人に向け、俺は問いかけた。


「爆発時の状況を教えてくれないか」


「…………」


 近衛の男は、ビョルンへ向き直る。

 許可を求めているようだ。


「構わん。必要ゆえ答えろ」


 ビョルンが促すと、男は苦々しげにしつつも話し出した。


「尖塔の爆発で、講堂に居た者たちは混乱した。立ち込める埃や土煙で、視界もまったく利かない状況だった」


 その光景が目に浮かぶ。

 誰もが混乱したに違いない。

 皆、警戒はしていただろうが、あの爆発は予想外だったのだ。


「だが、講堂に複数の者たちが入ってくるのは分かった。あの爆発に関わる敵たちが仕掛けてきたのだと、すぐに気づいた」


「ビョルンから、王女殿下は無事に講堂を離れたと聞いたが」


「……ああ、そうだ」


 隊長を呼び捨てにされ、男は顔に不快感を滲ませるが、それでも首肯して続けた。


「塔は崩落した訳ではないからな。無論それでも大変な事態ではあったが、殿下はご無事だった。ヴァレニウス団長らもだ」


 男が語ったそれは、ビョルンから聞いた話と符合する。

 ビョルンや、恐らくほかの随行員が敵と交戦するうちに、王女はエミリーらに守られつつ離脱したのだ。


「大逆犯」


 ビョルンが声をあげた。

 腕を組んだまま、俺を見ている。


「いま部下が言ったとおり、爆発の被害は中途半端なものだった。何故だ」


 塔の上部にあっては、石造りの壁を半壊させたのだ。決して小さな爆発ではない。

 だが敵は、王女とそこに居た全員を葬るつもりだったに違いない。

 しかし、そうはならなかった。


「爆発は武官ミルドの自爆によるものだ。それに対し、現場で可能な対処が為された」


 そう答える。

 あの時、リーゼに斬られても、ミルドは尚、自爆しようとしていた。

 それに対して俺は、王女をミルドから引き剥がしつつ、テーブルを跳ね上げて皆の盾とした。

 そしてミルドを壁際まで蹴り飛ばしたのだ。


「対処か。ふん……」


 その対処は誰によるものなのか。

 ビョルンはそれを問おうとしなかった。

 ただ、じろりと俺を睨んでいる。

 それに構わず、俺は近衛の男へ続けて問いかけた。


「俺の仲間たちのことは見ていないだろうか?」


「見ていない」


 男はすげなく答える。

 少しでも情報が欲しかったが、そうもいかないようだ。


「あの……」


 やや残念に思っていたところへ、侍女がおずおずと口を開く。

 それから、上目遣いでビョルンへ視線を送った。

 ビョルンが頷くと、彼女は話し始める。


「その、講堂の中では、あちこちで皆さんが戦ってました」


「うん」


 散発的に、講堂内の複数個所で戦闘が行われたのだ。

 視界が悪くてよくは見えなかっただろうが、皆が戦っていることは侍女にも分かったらしい。


「セラフィーナ様たちがお逃れになった後も、敵の人たちは講堂に残って戦っていました」


「王女の離脱に気づけなかったのだろうな」


 当然、気づけば王女を追ったはずだ。

 しかし視界の利かない講堂での戦闘に終始する羽目になってしまった。

 自分たちの起こした爆発で、戦場が混乱することを敵は予測し切れなかったのだ。


 というより、会談の出席者が生き残ること自体、予想外だったのだろう。

 講堂に来た敵たちの主目的は、爆発の"成果"を確認することであったはずだ。

 しかし当てが外れ、彼らは会談の出席者を取り逃がすことになったのだ。


「あの、それで、敵を倒して講堂から脱出していく一団を見たんですが、たぶんその人たちは魔族だったかと」


「とんでもなく速い者が居なかったか?」


「は、はい。よく見えませんでしたが、すごく速く動いて敵を倒してる人が居ました」


「じゃあそれだ。講堂をどちら側へ出たか分かるだろうか?」


「向こうです」


 侍女が指さしたのは敷地の南側だった。

 リーゼたちは、こちらとは反対側へ移動したようだ。


「分かった。有用な情報だ。ありがとう」


「い、いえ」


 侍女は恐縮したように俯いてしまった。


「どうするんだ、大逆犯。貴様は仲間を追うのか」


「いや、西側へ回る。そこで味方と合流出来るかもしれない」


 リーゼたちも、敵を避けながら移動しているのだ。

 この広い学術院を追いかけて探し回ったところで、そう簡単に合流出来るとは思えない。

 それより仲間の意を汲んで行き先を考えることが重要である。


 俺が騒ぎを起こした結果、中央棟には敵が集まってきているのだ。リーゼたちはそこを避けて進むことになる。

 講堂のある東側に戻りはしない。彼女たちが迂回して進む先は西側だろう。

 そこで合流出来る可能性が高いはずだ。


 そして、西棟には恐らく、敵にとって重要なものが存在する。

 今回の陰謀に深く関わる何か、或いは誰かだ。


「ビョルン。あんたの主君の為にも、俺に同行してほしい」


 俺がそう言うと、彼は顔を顰める。

 カイゼル髭が不快そうに揺れた。


「貴様は不埒極まる。良いか、殿下を質草に取るようなことを二度と抜かすな!」


 怒気を孕んだ表情と視線。

 そして声音には敵意が満ち満ちている。


「本職にとって許し難いことだ! 忠誠など知らぬ貴様が、本職の忠誠心を利用しようとしているのだからな!」


 その台詞は正論であった。

 言われてみれば確かにそうだ。


「済まなかった。だが言っておきたい。主君を持たぬ身でも、忠誠の価値を知らぬ訳ではない」


「…………」


「忠誠心を利用するようではあるが、正確にはあんたの忠誠心に訴えたいんだ」


「それが小賢しいと言っている!」


 ビョルンは怒りを隠さない。

 だが感情の発露としての怒りではない。

 彼は怒りを表明しているのだ。


「しかし、率直に頼まれれば受け入れるという訳でもあるまい」


「当然だ!」


 腕を組み、即答するビョルン。

 俺をじろりとめつけている。


「結局どうすれば良いのか分からんが……とにかく同行するということで良いんだな?」


 二度と抜かすな、と彼は言った。

 二度目があり得るということで、つまり俺に機会を与えるという意味である。


 ビョルンは眉間に皺を寄せ、更に視線を強くしていた。


 ◆


 兄妹と別れ、俺とビョルンは西側へ向かう。


「あの……お気をつけて」


 別れ際、侍女が口にした言葉。

 ビョルンへ向けられたはずの言葉だが、彼女は一瞬、俺へも視線を送った。


 見たところ、十五歳に届いていない。

 まだ神疏しんその秘奥を受けていないのだろう。

 無垢に見える侍女の姿に何かを感じる俺だった。


 ◆


「気になっているゆえ教えろ。貴様は先ほど、ミルドと言ったな」


 周囲を警戒しつつ、俺とビョルンは歩を進める。

 その最中さなか、彼が口にしたのは、武官ミルドのことだった。


「ああ、爆破の実行犯は彼だ。思い当たる点が?」


「……主戦派で、講和を歓迎しない者ではあった。だが、それは彼に限った話ではない」


 ビョルンの言うとおり、王国では大多数の者が主戦派にあたる。

 ほとんどの国民が魔族との戦いを聖戦と信じているのだから当然だ。

 霊峰陥落や英雄の敗死を経て、厭戦えんせんの気配もあるはずで、だからこその講和会談なのだが、主戦派が多数を占めている点は変わらないのだ。


「では何が気になるんだ?」


「随分と値の張る爆弾だ」


「ああ……」


 ミルドという男は、中央に席を持つ高級武官だったと聞いている。

 敵は、そんな者を爆破の実行犯とした。

 言い方を変えると、王女と同席出来る程の者を取り込み、しかもあのような行動を選ばせることが可能だったというわけだ。


「あるいは何らかの精神干渉でミルドを操ったのかもしれん。殿下に仇なそうとするような馬鹿者どものやりそうなことだ」


「そんな魔法があるのか?」


「知らぬ。だが教会が秘匿する魔法は、一つや二つでないと聞く」


「しかし彼は多分、魔法による精神干渉などされていなかったぞ」



 ───ふ、ふは。そ、そうか。そそそうなるのか。しし使命とは……か、かくも美しい!


 ───あああ、うう美しいぃ!!



 自爆直前の、ミルドの様子が思い出される。

 彼は真っ当だった。

 真っ当な、女神のしもべだった。

 彼をあの行動へ導いた誰かは、さして苦労しなかったことだろう。

 精神干渉など不要だったはずだ。


「ふん。だが悪辣な陰謀であることは変わらん。裏切り者がミルドだけという保証も無いのだ」


 言って、歯噛みするビョルン。

 笑い方を忘れたかのように、その表情はどこまでも険しい。



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