165_単独行1
黒い刃を想う。
あの剣は、絶対に折れることは無い。
爆風や瓦礫をものともせず、どこかで俺を待っているはずだ。
加えて、比類なき重さを持つ剣である。
遠くへ吹き飛ばされてなどいないだろう。
講堂側に落ちたか、或いは尖塔内のどこかに引っかかっているか。
爆発はあくまで、尖塔の上部を半壊させたのみだ。
塔全体が瓦礫と化し、剣を埋もれさせている訳ではない。
まして、遠くからでもよく目立つ剣である。
見つけるのは難しくないはずだ。
もっとも、それは敵の目にも付き易いということ。
俺にしか
急がねばならない。
「…………」
さっきまで居た尖塔を見上げる。
それにしても爆破とは。
ずいぶんと雑に仕掛けてくれるものだ。
しかし防げなかったのは事実。
ここから巻き返しを図らなければ。
当然、リーゼ達との合流も急務である。
「……とは言え、だ」
物陰から講堂の方を確認する。
居る。敵だ。
四人から五人の哨戒班が、三つ……四つ。
講堂周辺は敵にとって重点区域なのだろう。
王女もろとも会談を潰しにかかってきた敵勢力。
彼らによる索敵は既に始まっているのだ。
煤の剣が講堂か尖塔にある可能性は高いが、一旦はここを離れて策を練らなければならない。
しかし仲間と剣を後回しにし、この学術院から離脱するという選択肢は、もちろん無い。まして両陣営とも要人が居る状況である。
もっとも、門は確実に封鎖されているだろう。
この学術院は外壁に囲われており、門は正門を含めて二つあるが、そこを通れると思うべきではない。
かと言って、仲間を心配して動き回るのも間違いだ。
今はリーゼというプロを信頼するのが正しい。
彼女が爆発による負傷で行動不能になっている可能性を、俺は迷わず除外出来る。
リーゼという人は極めて優れた戦士なのだ。爆発の時は俺の声に一瞬で反応していた。
それにアルバンも、かつては戦場に名を轟かせ、今なお剛毅の極みにあるような人物だ。無事に違いない。
事実、外側に投げ出されてしまったのは俺だけだったのだ。
最悪の状況にはなっていない。
そしてリーゼは俺と同じく、講堂から離れる判断をしているだろう。
文官らを守りつつ、きっと既に動いている。
それから王国側の出席者。
王女は無事だろうか?
そして。
「………………」
……とにかく、行動開始だ。
俺はもう一度尖塔を見上げてから、それに背を向けて歩き出した。
◆
講堂を離れた俺は、中央棟へ向かった。
狙うのは陽動だ。
尖塔と講堂で剣を捜索するために、その周辺から敵を吸い上げる。
そのために、別の場所で何らかのアクションを起こすのだ。
俺が選んだのは中央棟だった。
もう少し講堂から離れても良かったが、剣が無い今、会敵は避けねばならない。
ゆえに哨戒がかかっている中を、あまり遠くまで移動するのは悪手だ。
その分、せいぜい派手にやるとしよう。
俺は周囲を警戒しながら、中央棟へ到達し、中に入る。
そして一階の廊下を静かに進んだ。
途中、何人かの敵を確認したが、物陰でやり過ごす。
やはりいずれも、教会の者であるようだ。
さて、次の行動だが……。
陽動をかけ講堂を薄くして再侵入。そののち剣を取り戻して皆と合流する。
その大方針は決まっていても、確たるプランを持てている訳ではない。
戦う力を持たず、敵地に一人。
しかも負傷している。
「…………」
脇腹の傷がずきりと痛む。
だが、惑わず、かつ誤らず判断して行動しなければならない。そういう困難が要求される局面である。
「む。あれは……さっきの」
慎重に周りを確認する俺の目に留まったのは、両開きの大きな扉である。
会談場に向かう途中、食糧庫だと説明されたものだ。
再度周囲を見回し、安全を確認してから扉に手をかける。
重い扉はゆっくりと開いた。
食糧庫に入り込む無作法な学徒など居ないと見え、鍵はかかっていない。
中に入り込み、音を立てぬよう扉を閉める。
「たいした規模だ。さすが国内最大級の学府だな」
内部には所狭しと棚や木箱が並び、食糧がぎっしり保管されていた。
乾物、燻製肉、穀類、油。
「油……。オリーブオイルもあるな」
木箱の中に並べられたオイル瓶のうち、一つを手に取った。
けっこう上等なやつだ。貰おう。
俺はその場に座り込む。
「さて……」
外套の前を開け、上衣をたくし上げた。
そして傷口を確認する。
痛みは激しいが、出血はしていない。傷は癒着したままだ。焼灼による止血は強力だった。
しかし処置としては乱暴そのもので、治癒とは程遠い。
俺は、手に持った瓶の栓を抜いた。
そしてその瓶を、傷口へ向けて傾ける。
つ、と。金色の帯が瓶の口から降りていき、傷を覆った。
目に見えぬ微細な生物が、人の傷で悪さをするという説がある。
また、それを説く者たちによると、オリーブオイルはその生物を殺し、かつ皮膚修復効果を持つと言うのだ。
それらの説は今のところ立証されるには至っていないが、実際にオリーブオイルで傷の治りが早まる知見は得られていると聞く。
それならやっておこう。
打てる手は打っておくのが建設的行動というものである。
とろりと傷を囲むオイルから、柔らかな感触を感じる。
傷口に留まり続けた火照りが、拭われていくようだ。
こいつは良い。
「ふぅ……」
オイルを軽く塗りこめ、一息つく。
それから立ち上がり、改めて棚を見回した。
食品のほかに、食堂で使う備品も保管されているようだ。
「とは言え刃物の類は無いか……。いや、まてよ」
大量の木箱。
そこに使われている釘が目に付いた。
「素手でも抜けなくはないが……数が欲しいからな。よし、これで」
俺はオイル瓶を手に取り、静かに割った。
そして手ごろなサイズの陶器片を選ぶ。
次にその陶器片を釘の頭にかけ、木箱からえぐり出した。
「…………」
手に持った釘を、
硬く、よく尖り、そして真っすぐである。
大量に鋳造するような品にも、良い鉄が使われているのだ。
こういうところにも、ロンドシウス王国の国力が見て取れる。
「だが、今はそれが有り難い。使わせてもらおう」
こういうのが良い。
こういう小物が役に立つのだ。
「それと……。お、火打ち金があるぞ」
火はいつでも有用だ。
爆発の余波で講堂周辺に種火が転がっている状況だが、ここで手に入るならそれに越したことは無い。
それと、火打ち金があるということは……。
「あった。これだ」
薪である。
そして、薪の束を縛っているロープ。使えそうだ。数と長さも十分だろう。
「ほかには何か無いだろうか……」
色々と見定めつつ、食糧庫の中をがさがさと嗅ぎまわる。
倉庫荒らしなどという悪行も、思いのほか楽しい。
何でもやってみるものだ。
「む? これは」
油紙で包まれた、ずしりと重い棍棒のような形状の何か。
だが食糧棚に置いてあったのだ。棍棒のはずも無い。
悪の盗賊こと俺はそれを手に取り、遠慮なく油紙を引き剥がす。
「……おお、素晴らしい。こいつはお宝だ」
現れたのは、豚のもも肉を塩漬けにしたもの。
ハムである。高級品だ。
こんなものまであるとはな。
「いただきます」
俺はどかりと
乱暴に噛み千切り、
「やはり傷を治すには肉だ」
子供のころ読んだ物語で、傷を負った無頼漢がそんなことを言っていた。
彼は傷から流れる血を一顧だにせず、「肉でも食って傷を塞ぐか」と言って固い干し肉を噛み千切るのである。
妙に格好が良く思えたものだ。
俺はそれに倣うことにした。
食べることですぐに治る訳もないと、普通なら思うことだろう。
しかし、そうでもない。
あまり知られていないが、実は意外と治るのだ。
そんな話は聞いたことが無いが、治ると今決めた。
「血肉を食らうということは、血肉が身に付くということ」
そう口に出す。
そして血肉に補強されていく俺の体を強くイメージした。
脳に信じ込ませることが出来れば、痛みは緩和される。
「……よし、何もかも問題ない」
息を吐いて、精神を弛緩させる。
するとその拍子に、
「…………」
俺は今まで、つまみ食いというものをした事がない。
何かの折にその話をリーゼとした時、驚かれたものだ。
食うに困らぬ家に生まれたなら、普通は人生のどこかでやるものらしい。
今日ようやく経験することが出来たわけだ。
いや、この場合は盗み食いだから、もっとランクが上だろう。
「ふふ……さすが大逆犯だ」
敵地に一人、自然と笑みがこぼれる。
何にせよ言えるのは、旨いハムだったということ。
気力と体力の供給を終え、俺は立ち上がった。
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