164_落ちた先で

 熱波が俺を襲う。

 そして波濤のように押し寄せる瓦礫が、全身を打ちつけた。

 両腕を交差させて頭部を守るが、爆風に飛ばされたつぶてが、穿たんばかりの勢いで胸に激突する。

 同時に肩を、背中を、足を、石の群れが間断なく殴りつけていく。

 俺を取り囲む無数の瓦礫は、まるで意思を持っているかのようだ。

 俺を殺し損ねることが無いよう、念入りに全身を殴打してくる。


 次いで浮遊感。

 強烈な音と閃光に平衡感覚を奪われている俺は、上下も分からない。

 だが、自身が投げ出されたことは理解した。


 激しい痛みを浴びせられながら、俺は落下していく。

 硬い石が額を打ち、熱波が呼吸の邪魔をした。

 だが歯を食いしばり、意識は手放さない。


 直後、俺は何かに突っ込んだ。

 無数の何かが体を叩く。

 それが枝と葉であると気づき、俺は樹に突っ込んだことを理解した。


 それから、ばさばさと音を上げて樹の中を落ち、そして背中への大きな衝撃と共に落下は止まった。

 地面に落ちたのだ。


 ぼやける視界。

 耳鳴りがきぃんと響いた。


「かっ……はっ……!」


 酸素が要る。

 肋骨が痛みに叫ぶが、それを無視して思い切り空気を吸い込んだ。


「はぁっ……! はっ……!」


 俺は思考力を取り戻すため、必死で酸素を貪った。

 あの爆発を起こしたのは敵で、つまりここは今、敵地なのだ。


「はっ……! がはっ!」


 そこまでは分かる。

 それは間違っていない。

 ならば一刻も早く、行動を開始しなければならない。

 そのために、まずは現状を把握する。


 俺は仰向けに倒れたまま、周囲を確認した。

 最初は、ぼやける視界と土煙で分かり難かったが、視界が回復するにつれ確認出来た。

 ここは屋外である。

 尖塔は講堂に併設されたものだが、俺はその講堂の外側に落ちたようだ。


 そしてまず目に入るのは、さっきまで俺が居た、その尖塔である。

 頑丈な石造りの塔だが、上の方は爆発で半壊していた。


「歴史的建造物が……。バカなことを……するものだ……」


 その塔から崩れ落ちた瓦礫や木片が、周囲に散乱している。

 木片はどれも燃えており、一帯で炎が存在を主張していた。


 外側に落ちたのは俺だけのようだ。

 ほかの皆は内側、つまり講堂側か?

 向こうの方は損壊が激しくなさそうだが、何せ突然の爆発である。

 無事であってほしい。


 その時、気づいた。

 俺のほかにも、こちら側へ落ちた者が居るようだ。

 俺から数メートル離れた場所に、彼は居た。

 正確には、彼だったものだ。


 足である。

 その右足は千切れ、ひしゃげ、張りつく衣服が燃えていた。

 足の傍には、誘爆から免れたあの竹筒が一本、転がっている。


 あの足は、竹筒の持ち主、武官ミルドのものであろう。

 焼ける衣服からもそれと分かる。


「はぁ……、ぐっ……!」


 俺は、どうにか上体を起こす。

 骨は折れていない。僥倖である。

 どうやら肋骨にヒビが入っていそうだが、動くことは出来る。


 俺は二十メートルほどもある尖塔から落ちた。

 だが、外壁に体を打ちつけながら落下し、落ちた先に樹があったため、衝撃が緩和されたようだ。


「ぐぅっ!!」


 腹部が熱い。その熱と共に、激痛が走る。

 見ると、十数センチの木片が脇腹から生えていた。

 体内にどこまで食い込んでいるかは分からない。


 特製の外套は、熱や衝撃を大きく軽減してくれた。

 これを着ていなければ死んでいたかもしれない。

 だが隙間を縫って、この一本の木片が飛び込んできたようだ。


 ただでさえ、かなり出血しているが、木片を抜けば更に血は流れ出るだろう。

 下手にれない方が良い。


 そう決めた俺は、木片はそのままに、地面から腰を上げる。

 立てた膝に手をあて、腕に力を込めた。

 歯を食いしばって全身の震えを抑える。


「く……!」


 そしてそのまま立ち上がった。

 ここを離れねばならない。

 生き残った者を殺すために、敵が来る可能性がある。


 俺はよろよろと歩き出した。

 ミルドの足の傍で竹筒を拾い上げ、そのまま講堂の裏側へ向かう。


「どうってことは……ないさ……!」


 そう。どうってことはない。

 爆発が起きれば、このぐらいの負傷はする。

 分かっている。

 何せ俺は、爆発には慣れているのだ。

 爆発に、慣れる。ふざけた文章だが、実際慣れている。


 以前エルベルデ河の戦いで、三度もの爆発に遭遇したのだ。

 これで四度目。

 珍しいことを何度も体験出来て、たいへん幸運である。


 あの時は、巨大な橋を落とすほどの大爆発にも巻き込まれた。

 それに比べれば、今日のこれは、どうということも無い。

 たかだか吹き飛ばされて二十メートルほど落ち、腹にが刺さっただけだ。


 血と汗で汚れ切った顔に、誰に見せる訳でもないが笑みを作ってやる。

 こんなことで参りはしない。

 見ろよ。俺は、まったく何ともないぞ……!


 ◆


 講堂の裏手。

 狭い物陰を見つけ、俺はそこに座り込んだ。


 あまり尖塔から離れていないため、こちらにも瓦礫は散乱し、地面のあちこちで小さな火がぽつぽつと燃えている。

 だが塔の真下に居るよりは、敵に見つかり難いだろう。


「はぁっ……」


 少し移動するだけで、かなり消耗してしまった。

 全身を嫌な汗が覆っている。

 やはり出血を何とかしなければならない。


「…………」


 俺は意を決して、木片を掴む。

 そして、慎重に引き抜いていった。


「ぐ……!」


 ずぐり、と肉を噛む音を立て、真っ赤に染まった木片の先端が現れる。

 思ったとおり、内臓までは届いていない。

 しかし血はごぷりと溢れ出す。


 脇腹に開いた孔。

 そこから湧き出す赤い血。

 それをじっと見たあと、俺は傷の周りを片手で押さえ、圧迫した。


 一時的に、出血の勢いが弱まる。

 もう一方の手で血を拭うと、傷口が見えた。


 あの竹筒を手に持ち、歯で抜栓する。

 抜いた栓は、そのまま口内に噛んでおく。

 舌を噛まないようにするためである。


 そして、ごく少量、竹筒の中から火薬を傷口へ落とす。

 ぱらぱらと、黒い粉が赤い傷口に付着していった。


 それから、近くで燃える木くずを拾い上げる。

 ここはあまり迷わず、勢いで行きたいところだ。

 そう思い、俺は火を傷口へ押しつけた。

 ばちりと音を立て、炎が爆ぜる。


「ぐ、ぐぅぅぅぅっ!!」


 凄まじい痛みであった。

 脳天に突き抜けるような激痛のあと、熱がそれを追って現れる。

 痛く、そして熱い。

 脇腹の傷にすべての神経が集中する。

 口に噛んだ栓は、音を上げて砕けた。


「が……うぐっ……!」


 しゅうしゅうと音を残して炎が去る。

 あとに残ったのは、癒着した傷口であった。


「はぁ……! はぁ……!」


 行使したのは、焼灼しょうしゃく止血法と呼ばれるものだ。

 治癒を目的としたものではないが、出血は止められる。

 回復魔法を受けられる環境にあるなら不要な知識である。しかし騎士団時代の俺には必要と思えるものだったのだ。

 やったのは今が初めてだが。


「ぐ、ふぅ……。さあ、行こう……」


 これで人心地つくという訳にもいかない。

 気配も近づいている。


 俺はそれを察知し、痛みに耐えながら再び立ち上がった。

 そして角から、先ほどの尖塔の方を覗き込む。


「…………」


 そこに居たのは、数名の人間。

 まあ、敵だ。間違いなく。

 いったい何処に隠れていたのか。

 索敵にかからなかった理由は不明だが、それを考えるのは後だ。


 彼らは法衣に身を包んでいた。

 どうやら騎士団の者ではない。

 当然、王女の近衛でもない。


「教団の者か……」


 うち何人かは戦棍メイスなど持っている。

 僧兵が好んで使う武器だ。

 また、それを持つ者たちは、体つきと佇まいも違う。普段から戦いを生業なりわいにしていることが分かる。

 おそらく、済生軍の者ではないだろうか?


「…………」


 その済生軍と思しき者たちの、袖口をよく観察する。

 そこには、銀の帷子かたびらが見え隠れしていた。


「ということは……戦っても勝てないな……」


 そう。勝てない。

 少なくとも、あの何人かの上位兵と交戦することは出来ない。

 理由があるのだ。


 とにかく、教団がこの件に関わっている。

 そこは間違いなさそうだ。


 そもそも、手段は分からないがミルドは自爆したのだ。

 そんな行動に人を駆り立てるものの一つが、狂信であろう。

 であれば、やはりヨナ教団の影が見えるというもの。


「…………」


 だが、そうシンプルな話なのだろうか?

 敵は王女セラフィーナをすら殺そうとしたのだ。

 彼女は融和路線を採りたがっていた。

 ゆえに邪魔なのは分かるが、主戦論のみを背景にここまでやれるのか?


 ……いや、それも後だな。

 今はとにかく動かなければ。

 傷の痛みを頭から追い出し、俺は行動を開始する。

 まずやることは決まっている。

 戦う力を取り戻さなければならない。


 久々に味わう孤独感だった。

 俺は腰に手をやる。

 脇腹に刺さる木片より先に気づいていたのだ。

 あるべきものが無いことに。


 俺は煤の剣を失っていた。



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