163_講和会談4

「ん? なに?」


 俺の視線の先、リーゼが言う。

 きょとんとした表情。

 そして張り詰めた空気にまるでそぐわない、いつもと変わらぬ調子の声。


「………………」


 俺は恥じた。


 王女が俺へ告げた提案は破格のもので、普通なら受け入れてもおかしくない。

 そう思った俺は、故にリーゼが不安を感じるのではないかと考え、彼女に目を向けたのだ。

 だが、そこには変わらぬ表情があるだけだった。

 彼女は、何も疑っていないし危惧していない。


 否応いやおうなく気づかされる。

 俺は期待したのだ。

 リーゼが不安を感じて"くれる"のではないかと。


 今日、リーゼが見せた怒りは、俺のためのものだった。

 そこは思い上がりではないと分かる。


 子供の頃は、褒められることが多かった。

 長じてからは、嫌悪や悲しみを向けられた。

 だが、誰かが俺のために本気で怒るという経験はあまり覚えに無く、それがどうも俺は嬉しいらしく。


 結果、調子に乗ったのだ。

 顔が熱を帯びる。

 浅ましきかなロルフ。

 新しい地で様々な関係性を得たは良いが、こんな考えも持つようになったらしい。


「ロルフ将軍」


「え、ああ」


 王女の声に意識を引き戻された。

 この大事な席で、何に思考を捕らわれているのやら。

 我ながら度し難い男である。


「そうですね。その提案はお断りします」


 声を平静に保ち、俺は答えた。

 国家が婚約の再履行を保証したうえで、広大な領地と侯爵位を与える。

 侯爵と言えば、アルの養父や、ここに居る宰相と同格である。

 それほどの提案を謝絶する俺に、王女は訊いた。


「……理由をお聞かせ願えますでしょうか」


「変革を為すために国外の者を迎え、権勢を与えると言えば聞こえは良いですが、やはり、俺の離間が主目的と思えるからです」


「…………」


「そして、貴国の提言が平和へ繋がっているかと言えば、それは疑わしい」


「平和のための道筋を示したつもりです」


 少なくとも、王女セラフィーナは悪意の人ではない。俺はそう感じた。

 だが、この提言に応じる気にはなれない。


「殿下。穏やかな日々を、共に在るべき人たちと共有する。それを平和と言うのです。思うに、その人たちの元を去った先に平和はありません。仮に平穏へ至っても、人の和が無ければ、それを平和とは言えないでしょう」


「……貴方が言うのは、貴方にとっての平和では?」


「俺と、俺の大切な人たちにとっての平和です」


「…………」


 訪れる沈黙。

 リーゼは俺を見つめている。

 アルバンは太い腕を組んで瞑目し、頷いた。

 文官らは手元でペンを走らせている。

 王女は俯き、宰相は不機嫌そうにテーブルを指で叩く。

 武官は歯噛みしていた。


「……どうして、今それを言うの?」


 そしてエミリーはぽつりと言う。


「私の元を去ろうとする時に、どうしてそれを言ってくれなかったの?」


「すまない、エミリー」


 質問に謝罪で返す。

 頭の良い振る舞いではないが、それを言うほか無かった。


 確かにあの時、もう少し歩み寄るやり方もあった。

 俺は幼く、物を知らなかったのだ。


 そしてその後、出会いと戦いの数々を経て、おそらく俺は多少なりとも成長出来た。

 それで良いと思う。

 エミリーには悪いが、そうやって変わっていくしかないのだ。

 最初から道理がすべて分かっているべきであるなら、皆、老人として生まれてくれば良い。


「どうして来なかったの?」


 言葉は少ないが分かる。

 エミリーは、参謀長を募った時のことを言っている。


「どうして行っちゃったの!?」


 怒声。

 今度は、俺が騎士団を去った時のことを言っている。

 追放したのはエミリーで、これが理屈に合わぬ怒りであることを、彼女自身も分かっている。

 だが叫ばずにはいられないのだ。


「私は……!」


「ヴァレニウス、それ以上は……」


 諌めようとする王女。

 だがエミリーは叫びたてる。


「戻ってきて! 今度こそ、私は間違えない!」


 かつて。

 かつてと言うほどの昔日でもないはずだが、随分昔のようにも思える、一年半前。


 俺はアールベック子爵を排除した。

 それによりエミリーの安全は確保され、後顧こうこの憂いは無くなったと判断した。

 そして去ったのだ。


 また、ミアを彼女の姉、エーファと引き合わせることが出来た時。

 後はエーファが居れば大丈夫だと思った。

 戦いに生きる俺がミアの傍に居ても良いことは無いと考え、立ち去った。


 それらの別離は、自己満足ではなかっただろうか?

 エミリーのケースでは、彼女にも別れの意思表示があったから、まだ俺も自身を納得させることが出来る。

 だがミアの場合は、言い訳のしようが無いのだ。


 のちにエーファから聞いた話では、ミアはずっと俺を探していたそうだ。

 ヘンセンでは、俺の姿を求め、焼け落ちた町をいつまでも彷徨った。

 バラステア砦では、俺が居たであろう場所に触れ、虚空をずっと見つめていた。


 それを聞いた時、俺は頭を張り飛ばされたかのような衝撃を受けた。

 体ばかりが大きいこの男を、蹴倒してやりたいと思った。


 だから俺はもう、在るべき場所を去るつもりは無い。


「最初に言ったとおりだよエミリー。俺には約束がある。そして、いま交わされている約束を守りたい」


「古い約束をこそ優先するべきじゃないの!?」


 叫び、立ち上がるエミリー。

 対面に座る者が、続いて立ち上がった。


「いいかげんにして」


 澄んだ声は、しかし怒りと圧力に満ちている。

 リーゼは顎を引き、エミリーを射すくめるように睨んだ。


 今日、何度も衝突している二人。

 いよいよ感情の摩擦は激しいようで、リーゼの目つきは恐ろしげであった。


「騎士団長で英雄。だったらもう少しマトモに振る舞いなさいよ」


「自分の振る舞いが正常であるかのような口ぶりね」


「いい? 裏切ったのはロルフじゃないわ。貴方は分かってるけど分かりたくないだけでしょ」


「黙れ。黙りなさい。私の苦労を……知りもしないくせにッ!!」


 吐き捨てるような絶叫。エミリーは激情を叩きつけた。

 しかしリーゼは気圧されることなく応じる。


「苦労は誰もがしてるわよ」


「じゃあ誰もが騎士団長なんかやらされてるの!? 団長も! 英雄も! なりたくなんてなかった! そんなもの、少しも望んでなかった! 何も知らないくせに!」


 王女の前で、間違っても口にしてはならない言葉。

 もはや感情の制御を失ったエミリーに、王国側の面々は絶句していた。


「でも! 仕方が無かった! ほかに道なんて無かった!」


「………………」


 リーゼは黙り、しかしエミリーを見据えたまま言葉を受け止める。


「私が、どれほど……苦しいか……!!」


 自身の胸元を握りしめ、歯の間から漏らすように言葉を紡ぐエミリー。

 俺はゆっくりと立ち上がり、彼女へ語りかける。


「分かっているつもりだよエミリー。君に課せられた責務は、あまりに重い。自由に何かを想うことすら出来ぬほどに」


「……ええ、そうよ」


「君は傷つきながら、ずっとその責務と向き合っている。筆舌に尽くし難いほど苦しみながら、必死で立ち向かっている」


「………………」


「君は自身への評価を過大と考え、そのことにも苦しんでいる。だが過大ではない。君は敬意を与えられるに相応しい人だ。それを俺は知っている」


「ロルフ……」


「言っておくけど、この後"しかし"って続くから。珍しく長台詞を口にする時は大体そうよ」


「……しかし」


 気の利いた台詞など言えないし、アドリブも利かない。

 俺はそういう男なので、リーゼの無慈悲な茶々を上手く切り返すことも出来なかった。

 仕方ない。伝えるべきを伝えるのみだ。


「俺も、俺の責務を果たさなければならない。俺の責務は、俺の約束は……世界の、こちら側にあったんだ」


 和平を模索するこの席で、世界のこちら側という言い草。

 俺たちとエミリーたちの間にある線を、強調するかのような言い草。


 賢くないかもしれないが、しかし本音であった。

 俺は、そちら側には戻らない。

 俺の魂は、そちら側には無い。


「……っ」


 剣のほか何も知らぬ俺にとって幸いなことに、エミリーは落涙しなかった。

 今そこに涙があったなら、俺は考えることが出来なくなっていたかもしれない。

 しかし、沈黙が痛い。

 そんな俺を痛みから救ったのは、皮肉なことに王国の武官であった。

 彼はテーブルを強く叩き、立ち上がる。


「もう結構だ!」


「ミルド?」


 武官の剣幕に、王女が驚く。

 ミルドと呼ばれたその男は、憤怒に目を血走らせ、叫んだ。


「先ほどから聞いていれば、くだらぬ話ばかり!」


「ミルド、落ち着くのです」


「その言葉はヴァレニウス団長に言うべきでありましょう! 先ほどの言葉を聞いておられなかったのですか!」


 騎士団長や英雄になど、なりたくなかったというエミリーの言葉。

 たいへんな失言だが、少なくともこの席上で、王女はそれを咎めようとはしなかった。

 だが、ミルドは腹に据えかねたらしい。


「それに王女殿下! 私は言いましたぞ! 講和会談など出来るはずが無いと! そのとおりになったではないですか!」


「落ち着かれよ。講和の条件は既に伝えた。停戦と奴隷の解放、および魔族への迫害意識を改める約定。四領の返還は、それと充分に見合う条件であるはずだ」


 慌てる文官たちの横、アルバンは腕を組んだまま小動こゆるぎもせず、そう告げた。

 だがミルドは、なおも叫ぶ。


「見合うものか! そこの反逆者をゆるそうという、殿下のご海容かいようを拒みおって!」


「それも伝えたはず。将の離間によって一方的にこちらの戦力を削るという目的が明白である以上、停戦の条件として成立し得ぬ」


「言わせて頂く! 力を比べれば、未だ我が王国が明らかに優勢なのだ! それを忘れ、多少の流れがそちらの味方をしている程度で奢るその様、醜態というほか無い!」


 動じないアルバンと対照的に、ミルドは、より感情を燃え上がらせる。

 そして赤黒く染まった顔を怒りに歪め、テーブルの横へ歩み出た。

 連合側の者へ掴みかかれる位置だ。


「ミルド!」


 王女が立ち上がる。

 その王女へ向け、ミルドは理解を求めるように言い募った。


「王女殿下! 御意は無下にされたのです! この者たちには、何も伝わりはしない!」


 アルバンも椅子から立ち上がった。そして文官たちを背後に下げ、ミルドを見据えて言う。


「それは違う。王女殿下に強い思いがお有りであることは理解した。そして貴方には認め得ぬことであるようだが、騎士団長閣下におかれても思いは強くあられる」


 なおもげんを否定され、ミルドは震えだす。

 しかし、いかに相手が激発へ至ろうとしていても、おもねるようなことを口にするアルバンではない。

 果たして彼は、低く思い声で告げた。


「だが、唯々諾々いいだくだくと貴国に従うことを講和と捉えるつもりは無いのだ」


「…………」


 鞘から現れる白刃。

 もうミルドは怒号をあげなかった。

 彼は怒りの赴く先、ただ沈黙と共に剣を抜いたのだ。


 ミルドは中央の高級武官で、いわゆる軍人官僚であるようだが、どうやら戦場を離れたのちも訓練はする男であるらしく、抜剣の姿勢は美しかった。

 そして速い。

 抜いた剣を即座に構え、アルバンへ振り入れる。


 同時に、ミルドの手首が飛んだ。


 左足の一歩でテーブルの横に出て、右足の一歩でミルドとすれ違う。

 彼が剣を振り入れる間に、俺はそう動いた。

 そして、すれ違う瞬間に煤の剣を走らせ、ミルドの手首を落としたのだ。


「ぐぅあああーーーっ!?」


 絶叫するミルド。

 残った一方の手では剣を把持はじ出来ず、それを取り落としながら両膝を着く。

 王女は口元を両手で押さえ、絶句した。


「何が!?」


 叫びを聞きつけ、扉の外で待機していたビョルンが入ってくる。


「分かっているはず! 理はこちらにある!」


 すかさず、王国側へ向けてアルバンが叫んだ。

 ミルドは会談の場で剣を抜き、斬りかかってしまったのだ。

 そのうえ相手は帯剣しない文官で、かつ盟主たるアルバンである。


 しかもエミリーとビョルンが、つい先ほど、抜剣しかけるという不始末に及んでいる。

 こちら側はその時、次は無いと警告しているのだ。

 責は完全に王国へ帰する。


「だが……! き、貴公ら……!」


 それが分かっているからか、宰相は二の句を告げずにいた。


「ビョルン! ミルドが負傷しました! 人を呼んでください!」


「はっ!」


 王女の指示を受け、ビョルンが走り去る。

 同時に、王女はミルドへ駆け寄った。

 そして装束が血で濡れることを厭わず、彼の傍に膝を着く。


「ミルド! 術師が来るまで、手首を縛って止血します! この布で……」


「ふ、くくく……」


「ミルド?」


 痛みと出血によるものなのか。

 自失したかのように、不可解な笑みを浮かべるミルド。

 いや、自失ではない。

 狂おしい何かに身を委ねている。


「ふ、ふは。そ、そうか。そそそうなるのか。しし使命とは……か、かくも美しい!」


「貴公、何を……?」


「あああ、うう美しいぃ!!」


 訝しむ宰相をよそに、叫び声をあげるミルド。

 そして彼は、上着の前をばらりと開けた。


 上着の裏には、何本もの竹筒がびっしりとぶら下がっていた。

 それらが水筒であるはずも無く、竹筒の中に詰まっているのは、順当に考える限り火薬ということになる。


「あっ!?」


 後ろから襟首を掴まれ、王女は声をあげた。

 俺が彼女を掴んで後ろへ放り投げたのだ。同時にテーブルを蹴り上げる。

 アルバンは文官と共に、伏せながらテーブルの陰へ。

 そして一瞬でミルドに肉薄していたリーゼが、双剣を閃かせる。


 ミルドは喉笛を掻き斬られ、血飛沫しぶきをあげた。

 即死である。

 どのような着火手段を用意していたか分からないが、彼はもう、それを行使出来ない。


 だが、ぞくりと背筋を走る悪寒が、去っていない危機を俺に告げる。


「リーゼ!!」


 俺が叫ぶと、リーゼはすぐに察し、大きく跳び退すさった。

 裂けた喉の先で、ミルドの顔は天井を向いている。

 そして、そこにある瞳が、白目の中をことりと動き、こちらへ向いた。


 俺の胸中に警鐘が鳴り響く。

 時が引き延ばされたかのような感覚。すべてがゆっくりと動いて見えた。


「こ、この所業の……何が神仙と!」


 妙にハッキリと聞こえる王女の声。

 俺はその声を背に聞いていた。ミルドへ向け、跳び込んでいたのだ。

 そして全力で蹴りを見舞う。

 遺体を蹴り飛ばすことに罪悪感を感じている場合ではない。

 ミルドの体は壁際へ転がっていく。


 次いで爆音が轟いた。


 それはまさに哄笑こうしょうであった。

 平和を嫌う者の、歴史を手放したくない者の、あまりにもおぞましい笑い声。


 哄笑は熱と光を伴い、俺たちの居る尖塔を破壊した。



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