166_単独行2
食糧庫を出た俺は、周囲を確認する。
敵影は無し。
外の巡回に人員を割いているのだろう。
なおのこと、棟内に敵を吸い上げたいところだ。
そのための陽動。
上手くやらなくてはな。
まずは、この建物の構造を把握する必要がある。
「外に出る扉は向こうと、それと正面と……」
動線となる扉をチェックする。
正面玄関と、俺が入ってきた東側の扉、それから正面脇にも一つあった。
その正面脇の扉を慎重に開ける。
「こっちは……井戸か」
外に通じる扉の先には、井戸があった。
だが、今は水に用は無い。
「いや……だが敵はその限りではないな」
構内のどこに何があるかを、敵は把握しているだろう。
ここに井戸があることも知っているはず。
ならば利用できる。
「内庭の方も見ておこう」
会談場に向かう時、目についた内庭。
そこも確認する必要がある。
俺は扉を開けて、その内庭へ踏み出した。
「ここを挟んで、反対側の廊下にも扉か……」
棟に挟まれた内庭だ。この構造なら敵を誘導できるかもしれない。
俺は頭の中で展開をイメージしつつ、視線を足元へ移す。
「ここ、いけそうだな」
少し見回し、地面を確認した。
それから俺は、食糧庫から持ってきていた木片で地面を掘る。
土は柔らかく、そう苦労せずに掘ることが出来た。
そう深く掘る必要は無い。
ただその分、数は欲しい。
俺は位置を見定めながら、三十センチほどの穴を幾つか掘っていく。
「よし……こんなものだろう」
あとは、上階の確認だ。
二階建てであることは分かっているが、その二階の構造も頭に入れる必要がある。
俺は廊下に戻って階段を上った。
そして周囲を注意深く観察する。
「……話し声だ」
人が居る。
敵は廊下を巡回してはいないが、奥の部屋に何人か詰めているようだ。
俺はそこを避け、今度は渡り廊下を渡って反対側の棟へ。
そちら側には人の気配が無かった。
「ここに誘い込むか。階段がこの位置だから……」
階下に戻り、上を見あげて梁の位置を確認。
それから改めてプランを固める。
最初に考えた枠組みに、そのあと確認した諸々の事象を当て嵌めていき、計画を精緻化するのだ。
そのうえで、どういう展開が想定されるか、展開に応じてどういう対応が必要か、そのパターンを想定していく。
食糧庫に戻ってきた時には、頭の中で青写真が描きあがっていた。
「やれそうだ。取りかかるとしよう」
◆
………………
…………
その後、準備を終えた俺は、油紙を手に取っていた。あのハムの包み紙である。
この紙がいちばん丁度よかったのだ。
「ふむ。これは結構得意かもしれん」
油紙を細く裂いて、こよりにしていく。
俺はこんな風体をしていながら、こういう細かい作業が中々に達者だった。
従卒時代の雑用の経験が活きているのかもしれない。
程なく、長いこよりが出来上がった。
油紙の導火線である。
この食糧庫で事を起こすのだ。
食べ物を粗末にするのは流儀ではないが、仕方ない。
四の五の言ってはいられないのだから。
覚悟を新たにした俺は、懐からあの竹筒を取り出した。
そして棚に設置し、そこへ油紙の導火線を挿しこむ。
それから、火打ち金を手に持つのだった。
「よし、やろう」
それにしても、こういう戦いになったか。
剣を持たぬまま敵地に一人。
だから俺を連れていけば良かったんだ、とシグに言われそうだ。
だが、俺もそれなりには、孤独な戦いを知っている。
こう見えて、一人の俺も手強いぞ。
やがてここに現れるだろう敵へ向け、胸中でそう言ってやるのだった。
◆
爆発音。
俺が食糧庫を去ってからしばらくした後、それが響いた。
尖塔でのものに比べると小さな規模だが、人払いの為された静かな学術院では、否応なく耳につく。
そして警戒中の敵たちが予期せぬ爆発を無視出来るはずも無い。
まもなく、この中央棟に敵が集まってくるだろう。
そのままここに敵を吸い上げ、講堂方面の哨戒網を薄くするのだ。
かくして、俺の陽動作戦が始まった。
「あとはこいつを……」
俺は梁の上に居た。傍らには木箱がある。
脇腹の傷が痛むなか、重い箱をここへ上げるのには難儀したが、泣き言は禁物だ。
そして、もう一押しで落ちる、という具合に木箱を設置する。
慎重に手を添えて位置を調整しつつ、バランスを探った。
設置し終えると、その出来に一人満足する。なかなか上手い塩梅に置けた。
そして箱を落とさぬよう、慎重に廊下へ降りる。
ここからはモタついたら命取りだ。
俺は素早く扉を開け、内庭の物陰に身を潜めた。
それと同時に、廊下の先から、どかどかと足音が聞こえてくる。
集まって来たようだ。
俺の額に、緊張による汗が浮く。
直接、戦闘することになれば、今の俺では勝てない。
万事を上手くやらなければ駄目だ。
俺は胸に手を当て、大きく呼吸した。
そんな俺をよそに、敵たちは一目で異変に気づいた。
食糧庫の大きな扉は爆発でひしゃげ、その隙間から煙が吐き出されているのだ。
「何事だこれは……!」
彼らは顔を強張らせ、警戒しつつ中へ入っていった。
索敵中に起きた異常事態である。
煙を吐いている扉であっても、内部を確認しないわけにはいかない。
「これは……やはり爆発か」
「まだ火が残ってるぞ!」
内部の惨状に声をあげる男たち。
その声を呼び水として、さらに多くの者が集まってくる。
帯剣しない俺のすぐ傍に、大勢の敵たち。
それでも俺は、努めて冷静さを保つ。
後戻りは出来ないのだ。
「……そろそろの筈だ」
そして俺が呟くのとほぼ同時、食糧庫の中から悲鳴があがった。
「うわ!? 駄目だ、おい! 出ろ!」
「落ち着け! 押すな!」
ぼう、と燃焼音がここまで聞こえてくる。
爆発の残り火がくすぶる食糧庫内で、さらに炎が燃えあがったのだ。
それに混ざって叫び声をあげながら、敵たちは右往左往していた。
時間差で炎があがるよう、食糧庫内に油を撒いておいたのである。
撒いたのは
食用油はさして燃えないものだが、この油はかなり強く炎をあげる。
「くそっ!! 何だと言うのだ!!」
騒ぎ立てながら、男たちは食糧庫から逃れ出てくる。
ある者は咳こみ、ある者は法衣の端を燃やしながら、転がるように扉から出てきた。
周囲は騒然となり、既に人だかりが出来ている。かなりの数の敵たちが集まってきた。
「ぐあぁ! どけ! どいてくれ!」
叫び声があがる。
声の主は、とりわけ強い炎に纏わりつかれていた。
仲間たちを押しのけながら、一つの扉へ向かっていく。
井戸へ出る扉である。
予想どおりの動きだ。
男が扉を開けると、仕掛けられた壺が落ちてくる。
壺の中身は、ここでも油である。
「ぎゃあぁぁぁ!」
男は油を頭からかぶる。
結果、炎は一気に燃えあがった。
火だるまになりながら、男はのたうち回る。
これによって火が周囲へ燃え移っていく。
「いかん! 延焼するぞ!」
「水だ! 急げ」
怒号をあげながら、敵たちが消火にかかる。
このタイミングだ。俺は再度、大きく息を吐いた。
「…………」
そして物陰から出る。
あの大勢の敵たちに、大逆犯の姿を見せてやるのだ。
廊下の窓から、内庭に居る俺はよく見える。
彼らはすぐに俺を捕捉した。
「おい! 居るぞ! そこだ!」
「間違いない! 大逆犯ロルフ!」
「貴様の仕業か!!」
誰もが顔を憤激で満たしていた。
そして俺を捕らえんと、内庭へ飛び出してくる。
俺は踵を返し、反対側の棟へ入っていった。
「づっ……!」
脇腹の傷が痛む。
だが、足を止めるわけにはいかない。
淀みなくプランを実行しなければ、たちまち捕まって殺されるのだから。
絶対にしくじりは許されない。
「逃がすか!!」
「待て貴様! 生かしては……ぐぁ!?」
「うあぁ!?」
俺の背後で、怒号は悲鳴に変わった。
内庭にはいくつもの穴を掘ってある。
それに足を取られたのだ。
扉と扉をつなぐ動線は一本で、つまり内庭を敵が通るルートは明らかである。
穴はそこに仕掛けてあり、結果うまく機能したようだ。
「ひ、ぐあぁ!!」
痛みに悶絶する声が三つ、四つと重なっていく。
穴には板を仕込んである。
それを踏み抜くことで、足が板に挟み込まれるのだ。
そしてその板からは、釘が何本も生えている。
「があぁぁぁ!!」
多くの場合、この罠は、釘に汚物を塗りつけて用いられる。
敵に感染症を起こさせ、長期の無力化を図るのだ。
準備が無いうえ、今回は不要なので、そんな事はしていないが。
もっとも敵がそれに感謝するはずも無く、あがる悲鳴は怨嗟を孕んでいた。
そして次々に響く絶叫で場は混乱を極めていく。
「逃げるぞ! 追え!」
「し、しかし消火を……!」
敵たちはすぐに動くことが出来ずにいる。
彼らは混乱のなか、指揮系統を保てていない。
それでも顔を見合わせ、拙い意思疎通を行うと、何人かがようやく走り出す。
そして内庭で倒れ込む仲間たちを踏み越え、俺を追ってきた。
若干、歩をゆるめ、彼らに姿を見せつつ、俺は階段を上がる。
それを追う敵たちは、階段の中ほどで衝撃に見舞われた。
前方から大きな塊に襲われたのだ。
塊は、薪の束である。食糧庫から持ち出したものだ。
薪の間には、鋭利な陶器片をいくつも挟み込んであった。
それが梁から吊るされ、振り子の軌道で敵たちへ向け飛来する。
「うわぁぁっ!?」
「がふっ!?」
振り子は二つ用意しておいた。
食糧庫の炎上と同様、トラップは時間差を施してやるのが効果的だ。
結果、一つ目を首尾よく躱した者たちも、二つ目の振り子に跳ね飛ばされていく。
「あぐっ!?」
どたばたと、昏倒して階段を転げ落ちていく敵たち。
陽動作戦ではあるが、少しでも敵を討ち減らしておけるなら、それに越したことは無い。
「ち……! やってくれる!」
その時、怒りで満たされながら、しかし自己を見失ってはいない声が聞こえた。
いや増す緊張と共に、俺は上階から階段を覗き込む。
階段の中腹で、幾人かが倒れることなく持ちこたえ、じりじりと上がってきていた。
やはり居た。
法衣の下に銀の
魔力障壁により罠の直撃にも耐え、かつ状況を冷静に把握しようとしている。
体は見るからによく鍛えられており、手には銀の
済生軍の者だろう。
俺は改めて気を引き締める。
そして、ことさら足音を立てて走り出した。
「まだだ……。付き合ってもらうぞ」
誰に聞かせるでもなく、俺は言うのだった。
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