160_講和会談1

 確か騎士団から追放された日は、やけに晴れていた。

 追放される者の門出を祝うかのような陽射しを皮肉に感じたものだ。


 あのとき俺は、幹部たちに追い立てられるように門を出ようとしていた。

 そこへ蹄の音を響かせ、エミリーがやって来たのだ。


 ────団長、わざわざ加護なしの処分を確認しに?


 ────……ええ、まあね


 幹部の問いに答え、馬上から俺へ視線を向けるエミリー。

 俺は彼女に何か言葉をかけたと思うが、何と言っただろうか?

 こうも様々な出来事が起こる日々にあっては、記憶を掘り起こすにも難儀してしまう。

 確か……。


 ────それでは


 ────…………


 そう。

 最後にかけた言葉は、そんなものだった。

 言葉とも言えないか。

 何とも簡潔な別れの挨拶である。


 俺たちは初めて、互いの居ない人生を歩み出した。

 そして程なくして、俺は王国に弓を引いたのだ。

 それにより、エミリーとの別離は決定的なものになった。

 もし再会することがあっても、そこは戦場であろう。俺はそう覚悟していた。


 それが、このようなかたちで再会するとは。

 戦争の当事者として、テーブルを挟んでの対面である。


「こちらの出席者は、かねてお伝えしましたとおりです」


 俺の思考を中断させたのは、王女の台詞だった。

 王国側の出席者は、王女とエミリー、宰相フーゴ・ルーデルス。それから武官が二名である。


「こちらの出席者にも変更はありません」


 俺はそう応えた。

 王女を文官に数えれば、王国は文官二名に武官三名。

 こちらは文官三名に武官二名という構成だ。


 これより、歴史的講和に向けた会談が始まる。


 ◆


「まずは、わたくしからロルフ将軍に謝罪を」


「え?」


 それぞれの紹介を終え、王女が国王の名代であるという点、そして俺が連合の意思を代表するという点をそれぞれ明言した。

 これにより向こうが望んだ、三角条約の体裁は成される。


 そこまではスムーズに運び、そして講和に関する議題に入ろうかというところで、王女から発せられた台詞は、謝罪の申し入れであった。

 それはあまりに予想外のことであり、俺たちはある種、機先を制されるかたちとなった。


「貴方の追放は不当なものでした。陛下が下賜された馬の件について、子細は調査中ですが、貴方に責が無いことは判明しています」


 そう言って王女は胸に手を当て、僅かに俯いた。

 その横ではエミリーも同様にし、宰相は瞑目している。

 武官二名は、表情を変えぬよう努力していた。だが閉じた唇の向こうで歯を食いしばっていることが分かる。認め得ぬ謝罪に、怒りを堪えているのだ。


 この講和会談自体、今までなら考えられないことであったが、この謝罪も破格の事態である。

 しかし俺としては、王国側が望む返答は出来ない。


「王女殿下。こちらはそのような謝罪を求めてなどいません」


「宜しいか」


 俺の言葉を聞いて口を開いたのは、宰相ルーデルスだった。

 王女から発言の自由を与えられているようだ。

 彼は怜悧れいりな男という評判だが、確かに知性を感じさせる佇まいであった。


「貴公らは歩み寄るために来たはず。差し出された手を撥ね退け、よしみを結べるとお考えか」


 彼はよしみという言葉を、どうにか喉から絞り出している。

 口にしたくない言葉なのだろう。

 表情からは、やはり武官ら同様、怒りを堪えていることが伝わってくる。


 只でさえ認め得ぬ謝罪。

 であるにも関わらず、それを拒絶されたとあれば、怒りもひとしおであろう。


 しかし、不要な謝罪を交渉材料に使われても、こちらに益は無い。

 何よりこの謝罪は、不要を通り越して欺瞞である。


「俺には謝罪される謂れがありません。家を焼かれたことも、親兄弟を殺されたこともありませんので」


「…………」


 関係改善のための譲歩として、俺の追放を撤回するというのは妥当な線なのだろう。

 彼らの心情が、それに強い拒絶反応を示すという点を除けば。


 だが、俺はあの追放には大して興味が無い。

 連合にとっても関係の無い話だ。

 重要なことは他にある。


 王女の瞳に何かが揺らめいた。

 謝罪を受けるべき者たちは他に居るという俺の指摘に気づいたのだろう。

 それは隣に座る宰相も同じようだ。

 彼は激発しそうな情動を卓上の拳に握り込め、自身を落ち着かせるようにゆっくりと言った。


「戦では人が死ぬ。そのことについて一方的に不平を言われるお心算つもりか」


「民間人を害する行いを、一方的に正当化されるお心算つもりか」


 俺が問い返したそれは、本来、指摘するようなことではない。少なくとも俺が思う常識では。

 しかし彼らにとっては違う。

 魔族であれば、子供も老人も許すべきではないと考えているのだから。


「民間人への攻撃が貴公らの側に一切ない、ということはあるまい」


「それがもし確認されたなら、厳正に対処する。だが、それは王国の行いと同列に語れるものではない」


 宰相の意見に、俺はそう返す。

 厳正な対処と口にしたが、これはアルバンに確認せずとも、俺が約して問題ない。

 もし軍内で敵国の民間人に害をなす行為があったなら、それを処断する権限は将たる俺にある。


 戦場で暴走した者が起こす無体。

 あってはならない事であり、俺は決して許さない。


 だが、軍命によって民間人へ剣を向ける暴虐は、それとは別次元のものだ。

 王国は、それを国是によって肯定している。

 その罪科を矮小化することなど、考えられない。


「ロルフ将軍。国や種をたがえている以上、価値観を違えるは必定ひつじょうです」


 俺と宰相の間で空気が冷える中、王女が口を開いた。

 信教と、それによって形成されてきた価値観。

 異なる国、異なる種族でそれを違えるのは、彼女の言うとおり当然のことだ。


 そして信教や価値観を、条約やらでどうにか出来るはずもない。

 それは分かり切っている。


 だが、何らかの言質は得ておかなければならない。

 それは連合にとって、この講和における最も重要な条件である。

 そこを有耶無耶うやむやにしたまま講和に至っても、それは砂上の楼閣というもの。講和はすぐに崩れるだろう。


「殿下。今すぐでなくとも、将来的にその価値観を変えていくと約して頂きたいのです」


「……約そうにも、空手形しか切れません」


 王女の視線が、少しの悲憤を帯びる。

 中央の高官たちを納得させてこの会談に至るまで、彼女は並々ならぬ努力をしてきたに違いない。

 そのうえ会談相手からも困難を強いられては、やはり憤るというもの。


 長く常識とされてきた価値観を変えよと言われても、ではどうすれば良いのかと叫びたくなることだろう。

 だが、こちらもここは退けないのだ。

 その思いを新たにし、俺は王女へ伝える。


「殿下におかれましては、民の安寧をこそ最優先にお考えかと存じます。それはこちらも変わりません」


「理解しているつもりです。ですが、出来る事とそうでない事は、区別するより他ないのです」


「区別するべきは、出来る事とそうでない事、そして譲れぬ事です」


「譲れぬものを譲れぬと主張するばかりでは、対話は成りません」


「だから俺は剣を取った」


「!」


 王女の肩がびくりと震える。

 俺の声が不意に低くなったのは、わざとではない。その種の交渉術は俺には無い。

 だが、声は怒りを帯びてしまった。


 怒らずにはいられなかった。

 大切なものを奪われた人たちのことを、思わずにはいられなかった。

 ミアの涙を、思い出さずにはいられなかった。


「…………」


 言葉を継げずにいる王女。

 額に汗を浮かべている。

 そこへぼそりと発せられたのは、エミリーの声だった。


「……王女殿下。発言しても宜しいでしょうか?」


 エミリーは、伏せた目を卓上に向けていた。

 しかし、長く共にあった俺には、彼女が何かを決意したことが分かる。

 そういう顔をしていた。


「この場での発言は許可してあります。どうぞ」


「ロルフ将軍に王国への帰順を願う件、私から申し上げたいのです」


「構いませんよ」


 そう答える王女の横で宰相は表情を変えず、武官らは不快感を露わにしていた。

 エミリーは俺に、ロンドシウス王国へ戻れと言っているのだ。

 彼女は続けて述べた。


「いま申し上げたように、当方にはロルフ将軍を改めて迎え入れる準備があります。そしてロルフ将軍におかれても、王国を変えたいのなら王国内にあってそれを為すべきです。こちらからは、そのために充分な権限を与えます」


「俺に対する貴方がたの感情は、それを許さない筈です」


「私が味方になります。今度こそ絶対に」


 出席者の一人、中央の高級武官と紹介された男が、ごく小さな舌打ちを漏らす。怒りに顔が歪み、つい出てしまった舌打ちであるようだ。

 それに気づいたエミリーは、武官を睨みつけた。

 そのまま瞬きもせず、雷の爆ぜそうな眼光を武官へ向け続ける。


 十数秒の間、誰もが無言であった。

 最初は視線を受けて立った武官であったが、やがて顔を汗で濡らし、俯いてしまう。

 そして、それを気にしたふうも無く、エミリーはこちらへ向き直り、発言を続けた。


「王国の信教や価値観が変えられるべきだと貴方は言います。なら、そうすれば良いでしょう。貴方が貴方自身の手で。ロルフ・バックマンは元々臣民であり、当事者なのです」


 エミリーは俺の目を見据える。

 武官へ向けたそれとは別種の、しかし強い意志の込められた視線がそこにあった。


「少なくとも騎士団内において、貴方を害することを私は軍命に戒めるでしょう。破る者があれば、即刻軍法会議にかけ、私が斬ります」


「俺を害するものを斬る? ヴァレニウス団長が直接?」


「必ず。だってロルフは、王国へ戻るべきだから」


 そこまで言って、エミリーは一つ息を吐いた。

 そして力のある視線で再び俺を捉え、告げる。


「戦争を終わらせたいと本当に願うなら、そうするべきよ」



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