159_再会

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お待たせして申し訳ありません。

本日より第5部を最後まで投稿して参ります。

最初の10話は毎日投稿、それ以降は月曜・水曜・金曜の18時に投稿いたします。

楽しんで頂ければ幸いです!

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 旧アルテアン領の東側に隣接するラーム領。

 講和会談のため、俺たちはそこを訪れていた。


 この地は、中央の高官たちに乾燥領などと呼ばれている。

 雨が少ないというわけではない。

 つまらぬ地という意味での乾燥呼ばわりなのだ。

 流通においても軍事においても要衝とは言えない、重要度の低い地域なのである。

 強い産業も特に無く、そこには綿畑わたばたけばかりが広がっていた。


「それだけに目立つな……」


 そう呟いて見上げた先にあるのは、古びているが巨大な学院。

 唯一、この地の特色となっている存在、メルクロフ学術院である。

 王国で最も歴史のある学府で、ここでは多くの者が学問に励んでいるのだ。


 また近年、ある程度の独立性を認められたことも大きな特徴となっている。

 研究内容を中央へ共有する義務の緩和等が為されたのだ。

 万事に強権的なロンドシウス王国では珍しい。


 さらに特筆すべき点として、ほかの学府で定常的に行われている、ヨナ教団の神官による教戒が廃止されている。

 この点からも、メルクロフ学術院の独立性が稀有なものであることが分かる。


 とは言え、認められているのはあくまで"ある程度の"独立性だ。

 自由な教育が許されているわけではない。


 したがって、もちろん神学も教えられている。

 学問から神学が切り離される道理は無く、そして神学は即ち女神礼賛なのだ。

 教育が、ヨナ教による支配システムの一部であることは疑いなく、学府というものがそのくびきを逃れることは無いのだろう。


 しかし、或いはだからこそ、王国が学府の独立性を限定的であっても認めているという事実は、注視すべき点と言える。

 本来それを認める理由は、王国には無いはずなのだ。


 そして併せて注視すべきは、それが王女セラフィーナの執政によるものだという点である。

 簡単ではなかっただろうに、彼女は何を意図し、この地に一握いちあくの自由を与えたのか。


 彼女が何かに抗っているように見えるのが気のせいでないことを、俺は望む。

 ほかにも漏れ聞こえてくる幾つかの行動や、今回の講和が彼女のプランであろうという予測と併せて考える限り、王女セラフィーナには中央の意思から乖離した思いがあるようにも見えるのだ。


 まもなく、その王女と会談することになる。

 王女は俺を指名したのだ。

 彼女は俺の中に何を見るのか。

 俺は彼女の中に何を見るのか。


「ロルフ。改めて索敵させたけど、やっぱり何もかからなかったみたい」


「そうか、分かった」


 リーゼに答えて頷く俺。

 王国側が許したとおり、連合は先遣隊をこの地に入れて周囲をあらためさせたが、敵が潜んでいるようではなかった。

 そして会談出席者の現地入りに際し、再度索敵が行われたが、やはり何も見つからなかったようだ。


「まあ、周囲は綿畑しか無いからな」


「そうだね」


 これだけ大きな学術院なら、多少なりともその周囲は拓けるものだ。

 いわゆる学院城下町が形成され、商店や食堂などが軒を連ねることだろう。


 だが、ここには学術院以外に建物の類がほとんど無い。

 事前に誰かを潜ませておけるような場所が無いのだ。

 それでも細かい地形の死角に敵が潜んでいる可能性はあるため、索敵が行われたが、怪しいところは無かった。


 また学術院の構内についても、先遣隊が確認済みだ。

 そちらにも敵は確認されなかった。


 どうやら伏兵は居ないらしい。

 ここまでの状況を見る限り、王国は、まともに会談へ臨もうとしているように見える。


「油断は出来ないけどな」


「もちろん」


 そして俺たちは学術院構内へ入ってゆく。

 歴史上、あまりに重要な話し合いが、これより行われるのだ。


「…………」


 にも関わらず、俺は不意に、会談の目的とは関係の無い思いに囚われる。

 感傷にも似たその思いは、大きく青い目と亜麻色の髪を俺の胸中に浮かび上がらせた。

 会談の場に彼女が居ることは事前に伝えられている。

 忘れようの無いひとが、今から向かう場所に居るのだ。


 ◆


 院内に入り、係の者の案内で最も大きな中央の棟へ。

 棟内を通って、会談場へ向かう。


「うむ……。良い造りだな」


 唸るように言ったのはアルバンだ。

 講和会談の出席者の一人である。


 彼の言うとおり、学術院はその外観の大きさだけでなく、建物内の造りでも目を引いた。

 壁ひとつ、廊下ひとつ取ってみても、歪みの無い、しっかりとした造作になっている。


 学府ゆえ当然だろうが、王都の建物のように荘厳な印象は無い。

 しかしどの場所でも、硬く上等な建材があらの無いよう組み上げられている。

 質実剛健と言って良い造りであった。

 アルバンはそれを観察しながら言う。


「樫に……こちらは花崗岩かこうがんか。古い時代のものであるのに綻びた箇所も無い。やはり王国の技術は大したものだな」


「ねえ、あっちの扉はなに?」


 リーゼが指さす先には、両開きの大きな扉があった。


「食糧庫です」


 案内の者はそう答える。

 王国の女性だが、こちらからの質問には応じてくれるようだ。

 必要最低限の言葉による回答ではあったが、差別意識を態度に示してはいない。

 王女から言い含められているのかもしれない。


「食糧庫?」


「はい。学徒用です」


 かなり大きな食糧庫だ。

 それが学府に置かれている。


「…………」


 アルバンが押し黙った。

 教育施設自体、魔族の支配地域にはそう無い。

 しかし王国には、古くから、これほど大きくて見事な学術院が存在している。

 そのうえ、そこでは学徒用の食糧まで大量に確保されているらしい。


 ある将軍の逸話に、敵国の者が紅茶に砂糖をたっぷり入れるのを見て慄然とした、というものがある。

 貴重品の砂糖を惜しげも無く使うその様に、相手の強大な国力を悟ったのだ。


 恐れを与えてくるのは、戦場で向けられる剣ばかりではない、ということである。

 口を強く引き結ぶアルバンの思いは、俺にも分かるのだった。


「こっちは……内庭まであるのか」


 そう言って俺が視線を向けた先、食糧庫から廊下を挟んだ反対には内庭がある。

 棟内の窓から美しい植栽が見えるのだ。

 こういうところに、文化レベルの高さが窺い知れるというものだった。


 ロンドシウス王国。

 言うまでも無いことだが、大国である。

 足取りに緊張感を増し、俺たちは奥へ。

 そして中央棟を出て、その隣にある講堂に向かう。


 索敵済みとは言え、部屋数の多い中央棟では、何者かが潜む可能性を払拭できない。

 会談は、死角が少なく、襲われる心配の少ない場所で行う必要がある。

 今回は講堂に併設された尖塔が会談場となっていた。


 尖塔と言っても大きな造りで、出入口は一つではなく、何かあった際の避難経路は確保出来ている。

 また、ほかより高い建物であるため、周囲から狙われる心配も少ない。


「凄い。立派な建物だね」


 隣を歩くリーゼが言う。

 彼女が見上げているのが、その尖塔だ。


 父から引き継いだ気質なのか、彼女もまた、敵国のものであっても、見るべきものがあれば素直に賞賛するのであった。

 もっとも、おそらく彼女は、ただ純粋に褒めており、そのあたりはアルバンと少し違うようだ。


 確かに尖塔は、いま通ってきた中央棟よりも、歴史と重厚さを強く感じさせた。

 尖塔は講堂の一角から、高く、真っすぐ伸びている。

 古いながらも美しい、見事な石造りの塔だ。

 その威容は、やはり王国の国力を改めて思い知らせてくる。

 それを考える俺に、リーゼは言った。


「アーベルは拓けた街って感じだったけど、ここは何か、ずっしりしてるね」


「ずっしり。ふむ、ずっしりか。ふふ、上手い表現だな」


 この地が纏う歴史や権威を、表音語ひとつで形容してしまうリーゼ。

 頼もしい人だ。

 まったく気圧された様子の無い彼女に、俺はつい破顔する。


「上手い表現? そう?」


「ああ、中々だ」


 そんなことを話しながら、講堂内へ。

 もともと講堂とは、僧たちが集まって説教やらを為す場を指す。

 学府にあっては、多目的の会合場所といった役割になるようだが、やはり宗教的意匠は見て取れた。


 特に目を引くのは、巨大なステンドグラスだ。

 併設される尖塔とは反対側の壁に、五メートル四方にも及ぶ美しいステンドグラスが嵌め込まれている。

 描かれているのは、女神ヨナであった。


「………………」


 穏やかな表情の女神。

 人々の拠り所である。

 それを見上げ、何かを考えようとする俺へ、声が掛けられた。


「皆さん、お疲れ様です」


 講堂内では、両陣営の随行員たちが待っていた。

 尖塔の上階にある会談場には、それぞれ五名ずつ、都合十名が入室するのみだ。

 ほかの者たちは上階には上がらず、講堂内に待機となる。


「…………」


 ステンドグラスから目を離し、彼らに目をやる俺。

 王女の近衛たちのほか、騎士団の者も居る。

 それから侍女と思しき少女が一人。

 王女ともなれば、その世話をする者が半個小隊ほども居て良い筈だが、一人か。


 次に俺の目はある人物で止まる。

 会談に騎士団長が出席する以上、梟鶴きょうかく部隊の者が来るだろうとは思っていた。

 果たしてそこには、俺のよく知る者が居たのだった。


「よう、でくの坊。久しぶりだな」


「ラケル・ニーホルム。第五騎士団からはあんたが来たのか」


「ここには居ないがエドガーも来てる。でくの坊、お前が蹴った参謀長の座に収まった奴さ」


「あれは応じる理由が無かっただけだ」


 参謀長エドガーか。

 名前は聞いている。有能なのだろうな。


「ほかは来ていないのか」


「まあな。イェルドは留守を預かってるし、シーラは……」


 そう言って、視線を強めるラケル。俺への怒りを燃やしている。

 彼女の僚友、シーラはタリアン邸で俺と交戦し、重傷を負ったのだ。


「ああ、礼には及ばない。それより彼女に、たまには外へ出ろと伝えてくれ。引きこもっていては健康を害するぞ」


「てめぇ……!」


 タリアン邸での戦いの後、シーラが生き延びて騎士団本部へ帰投したという情報は掴んでいた。

 だが、そののち彼女の姿は確認されていない。

 どうやら本部内に留まったままと思われる。


 彼女は俺との戦いで片腕を失い、同時に自尊心もくじかれた。

 心身ともに傷は深く、外に出られる状況ではないのだろう。

 彼女は今、戦力ではなくなっている。


 そう予測し、カマをかけるため少し挑発してみたが、当たりだったようだ。

 これから講和に及ぼうという相手の戦力を推し量ろうとするなど、矛盾した話だが、戦う者の性分である。


 結果、ラケルは握った両拳を震わせている。

 跳びかかっては来ないあたり、一応の分別はあるようだ。


「あ、あの……こちらへ。王国側はもう着いています」


「分かった」


 剣呑な空気に遠慮しつつも、魔族側の兵たちが声をかけてきた。

 それに答え、俺たちは尖塔へ入ってゆく。

 俺を睨みつけるラケルの前を通り過ぎ、上階への階段を上るのだった。


 ◆


「ロルフ、先ほどの者は旧知のようだな」


 長い螺旋階段を上がりながら、アルバンが問う。


「ああ。俺の物言いは幼かったな。すまない」


「あのぐらい良いでしょ。向こうも感じ悪かったし」


「リーゼの言うとおりだ。我々に恭順の意思は無い。そこはめいに示さねばな」


 アルバンの言葉に、文官たちが頷く。

 こちらの出席者は、俺とリーゼ、それから文官が三名である。

 文官のうち一人がアルバンだ。


 向こうが講和会談の相手として指名してきたのは俺だが、王女が出てくる以上、こちらも盟主たるアルバンが出る必要があった。

 王国は魔族との直接の調印を避け、俺を指名した。その非礼に対してアルバンが出ることはないという意見もあったが、彼自身が出席を主張したのだ。


 非礼に非礼であたっては、何も進まぬとのこと。

 彼の言うとおりだろう。

 今回の会談が、貴重な機会であることは確かなのだから。


 だが、今アルバンが言ったとおり、こちらに恭順の意思は無い。

 わざわざ膝を折りに遠くまで来たわけではないのだ。


「とは言え、やはり荒事あらごとの気配はありますね」


「ええ。もう一人ぐらい、武官のかたに来て頂くべきでしたかな」


 文官らが、やや申し訳なさそうに言う。

 彼らも使命感を持ってくれているが、状況が状況だ。

 アルバンを除き、今回の出席者を武官で固めるというプランはあった。

 有力候補としてアルが挙がったが、本人が謝絶したのだった。


「次期侯爵であった者が会談に赴くというのは牽制を効かせた策ではあるだろう。だが私は新参ゆえ駄目だ。それに、人間が出ては今回の目的にそぐわぬ」


 事ここに至って、人間が、魔族がと考えねばならないのは悔しいが、彼の言うとおりである。

 王国は、調印の場へ魔族が出席することを認めた。

 代表は俺だが、魔族同席での調印が行われるのだ。

 その意味を薄めるべきではなく、従って俺以外の出席者は魔族となった。

 また、やはり調印に文官が不要なはずも無く、彼らには居てもらわなければ困る。

 文民統制は我々のって立つところなのだ。


「それじゃあ俺に任せろ。ひと暴れしてきてやるぜ」


 と、何が"それじゃあ"なのかまるで分からないシグの発言を却下し、俺たちは今日を迎えたのだった。

 待つ者たちの元へ向かい、螺旋階段を上がっていく。

 石の階段を靴底が打ち、その音が塔の中に響いていた。


 いつまでも続くように思えた長い階段も遂に終わり、俺たちは尖塔の最上階へたどり着く。

 いよいよである。

 俺たちは頷き合い、そこへ入室した。


 それを受け、待っていた王国側の出席者たちは、起立して俺たちを迎える。

 たったそれだけの、当たり前の振る舞いだが、本来は魔族への礼儀などあり得なかったものなのだ。

 その振る舞いを周囲に厳命していたであろう、先方の代表が口を開く。


「ロンドシウス王国王女、セラフィーナ・デメテル・ロンドシウスです。此度は呼びかけに応じて下さり、ありがとうございます」


 噂どおりの美しい女性であった。

 だが、若い。

 若輩である点は俺も同じだが、しかし俺より若い身の上で、一国を背負わされている。

 瞳に悲哀があるように見えるのは、それ故だろうか。


「ヴィリ族将軍、ロルフです」


 そういった思いを押し留め、まずは言葉を交わす。

 それから、視線を王女の隣に向けた。


「…………」


 そこに居た。

 いや、本当は部屋に入った時点から、彼女に意識を取られていた。


「ロルフ……」


 久しぶりに聞く声。

 幼少の頃からずっと、彼女は俺の日常だった。

 会わぬ日が珍しいほどであった。

 それが、一年半の別離を経た再会である。


 お久しぶりです、ヴァレニウス団長。

 本来なら礼儀に則ってそう言うべきだろう。


 だが、彼女はその種の言葉を望んでいない。

 今なら俺にもそれが分かる。

 分かるが、しかし何かほかの言葉を用意出来ているわけでもなかった。


「……エミリー」


 だから俺も彼女と同様、ただ名を呼んだ。



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