158_嫌な予感
「まず、王国が講和を申し入れている相手は何処なんだ。同盟か? それともヴィリ族か?」
軍幹部たちが揃う中、問いかけたのはフォルカーである。
今もアーベル総督を務める彼だが、駐在武官たちとの顔合わせに、折よくヘンセンへ来ていたのだ。
そのフォルカーの問いは当然なものであった。
同盟成立の直後なのだ。
体制が整う前に離間工作を図ってくるのは必定と言えば必定。
王国が、氏族ごとの状況に差異を作ろうとしてきている可能性は十分にあるだろう。
だが、幹部の一人が答えた言葉は、想定に当て嵌まらないものだった。
「それが……ロルフさんなんです」
「え? 何それ?」
驚いたようにリーゼが問い返す。
俺としても意表を突かれた。
「そのままです。ロルフ将軍と講和したいと」
俺と講和?
意味が分からないが……。
いや、そうか。
「国是と教義から言って、魔族と何かを約すことは出来ない。王国が講和を取り交わす相手は、あくまでロルフという人間である、というわけだ」
フォルカーの冷静な指摘。
彼の言うとおりだろう。
忌むべき加護なしではあるが、俺、ロルフという男は人間だ。
そして同盟において権限をもつ将軍でもある。
そんな俺と、講和を約す。
そして俺が魔族と約す。
俺が同盟に矛を収めさせることを条文に含んだ講和条約になるはずだ。
三角貿易ならぬ三角条約である。
いや、二辺にしか線が無いのだ。三角ですらない。
あまりに馬鹿馬鹿しく、まさに欺瞞の産物と言える。
もっとも、政治と戦争が欺瞞に彩られるのは当然のこと。
この場にシグが居れば、「馬鹿馬鹿しくねえ政治があるかよ」とでも言っていることだろう。
「講和会談の場へ、直接ロルフ将軍に来て欲しいと」
「じゃあ罠じゃん」
リーゼが、ごく常識的なことを言う。
王国にとっては認めたくない話だろうが、俺は重要人物ということになる。
戦略に関わる将軍であり、しかもその男が、クロンヘイムを倒して反王国の旗印にもなり得る状況なのだ。
当然、排除したいだろう。
王国は俺をおびき出して殺そうとしている。そう考えるのが普通だ。
「戦場で勝てないから
幹部の一人が言った台詞には、幾ばくかの侮蔑が込められている。
だが戦争なのだ。
この種の策が必要な場合もある。
軍同士で戦うより、流れる血が少なくて済む訳でもあるしな。
とは言え、敵の思惑に乗ってやる理由は無い。
相手の狙いを少しでも正確に見極めなければ。
「申し入れの中身を詳しく共有してくれ」
「はい。条約の詳しい内容については追って知らせるとのことですが、講和会談はこの要綱で行いたいと」
幹部が書きつけをまわす。
皆が順に、そこに書かれていることへ目を通した。
「うぅむ、これは……」
「罠と疑われないよう腐心していることは伺えますね。だからこそ怪しいわけですが」
皆、同じような反応を見せている。
まず、会談の場はメルクロフ学術院。
中央とも教会とも関わりが薄い学府を選んできている。
旧アルテアン領と境を接する場所にあり、即ち王国領深くへ誘われるようなかたちではない。
また王国の方で事前に人払いは済ませるそうだ。
かつ、同盟側は会談の数日前より先発隊を現地に入れ、万事
「それに……会談に臨み、調印者の随行員は任意に選定して良い、とありますね」
「つまり魔族との同席を拒まないということだ。調印の相手こそ俺だが、会談の場に魔族が出てくることは構わないと言っている」
そうしないと、こちらが応じないと考えたのだろう。
国内の反対派を抑えるために、俺個人との講和というかたちを採るのは良いが、魔族の方へ顔を向けぬ外交非礼を、俺が看過するはずが無いのだ。
そんなことでは俺も、講和の意思を信じることは到底出来ない。
それを読み切ったのなら大したものである。
そしてバランスを取り、王国として出し得る最適解を探り、結果これに落ち着いた。そんなところだろうか。
だが、そうなると当然、向こうの調印者も魔族と同じテーブルに着くことになる。
その調印者というのが……。
「相手はセラフィーナ・デメテル・ロンドシウスか……」
フォルカーが口にしたのは王女の名である。
王国側の代表者は彼女なのだ。
講和の調印となれば、出てくるべきはトップだが、国王は長く病臥している。
だが現在の王国では宰相の権限が非常に強く、多くの国事は彼が対応しているのだ。
よって今回も宰相が出てきそうなものだが、王女がやって来るという。
加護なしとの調印に王族が出てくる。
しかも、同じテーブルに魔族が着いているのだ。
本来、王国にとって考えられなかった話である。
「正直言って……ここに至り、これを決断出来るということに少し驚かされる。王国にこんな柔軟性があるとは思わなかった」
俺の口から零れる感想。
フォルカーが「同感だ」と言って頷く。
追い詰められているから、と言えばそれまでだろう。
採り得る選択肢の中から最良のものを選んだに過ぎない、と言えばそれまでだろう。
だが、大逆犯に握手を求めることも、間接的とはいえ魔族と講和に及ぶことも、あり得なかったことなのだ。
あまりに思い切った判断と言える。
「いや、だからやはり罠なのでは?」
「だとしても、王国の判断が今までと別種のものになってることに変わりはないわ。罠の餌として、王族が魔族の前に出て来るという選択をしてるんだから」
リーゼの言うとおりだ。
どちらにせよ、今までの王国ならあり得なかった判断、あり得なかった行動。それを、このスピードで選んできている。
つまるところ中央は、思ったよりずっと手強いということだ。
「恐らく、この講和自体、王女の発案であろうな」
発言の主に、皆の視線が集まる。
腕組みも絵になる金髪の美形がそこに居た。
彼は中央の事情に詳しいため、同席してもらっていたのだ。
「アルは王女を知ってるの?」
「ああ。面識もある。聡明な人物だ」
侯爵家、しかも霊峰を擁するイスフェルト家の次期当主であったアル。
イスフェルト家と中央の繋がりは深かったのだ。
王女とも会っているだろう。
若いが、極めて優秀とされるあの王女と。
「そして思慮深い。だが、為政者としては無用な思慮に捕らわれるきらいもあった」
「えっと、どういうこと?」
「お嬢、聞いたことがあります。王女セラフィーナは自身の専横を忌避したと」
「うむ。だが父王が病臥し、まともに決断できない状態にある以上、ある程度の独断専行は必要であったのだ。しかしそれが出来ず───」
「その弱腰が国の乱れを招いた」
フォルカーが結んだ言葉に、アルが頷いた。
俺もそんな話は聞いたことがある。
「しかし此度は、そうも言っておられぬ。故にこの講和を決定したのだ。それだけ焦りがあるのだろう」
「霊峰の陥落はそれほどに重大ってことね。それに、クロンヘイム撃破が大きかった」
リーゼが俺を見ながら言う。
立て続けの領地失陥に続いての、霊峰ドゥ・ツェリン陥落。
あまりに大きな事態である。
更にその中で、ユーホルト、クロンヘイムと、国の重鎮が続けざまに死んだ。
そしてリーゼが言うとおり、クロンヘイムは特に重要だ。
おそらく領地を失ったことよりも、彼の死の方が王国にとって重大だろう。
英雄というものも厄介で、つまり人心への影響が大きすぎるのだ。
クロンヘイム自身も言っていた。
────僕は王国の軍事におけるひとつの記号だ
────知っている。それが?
────敗北は許されないんだよ。まして大逆犯と斬り結んで敗れたとなれば
────戦局に影響するだろうな
────そういうこと
そして、彼の危惧した状況になったというわけだ。
「そういった情勢、王女の人品を鑑みれば、この講和は罠ではないと私は思う」
「アルさん。王女は信頼できても、ほかはどうなのか、という話になるぞ」
幹部の一人がそう言った。
当然の指摘である。
これに対し、アルは一つ頷いて答える。
「そのとおりだ。王国からは……いや、人の世からは居なくならぬ。自身の正義をまったく疑えぬ者や、忠誠の意味を履き違える者がな」
そして、戦いを止められては都合が悪い者もである。
そういう存在が、王女の思惑に反し、何かを企む。
大いにあり得ることなのだ。
「うむ……ロルフ。間違いなく随行員としてお嬢は行きたがるだろうから……」
「当然でしょ」
「……だから俺としては、どうにも不安だ。会談の場に何が待ち受けるのか。嫌な想像をせずにはいられん」
「ああ、同感だ。だが対話に応じぬ訳にはいかないだろうしな……」
決めるのは議会だが、会談に臨むことにはなるだろう。
俺たちは王国の打倒を目指しているが、その王国のように、敵の殲滅を目的としているわけではない。
同盟にとってこれは侵略戦争ではなく、何より優先されるのは、罪なき人たちが奪われ続ける日々を終わりにすることなのだ。
王国の現体制は敵であり、それがそのまま存続するようであれば、何かを約す相手として信頼は出来ない。
だが、条約によって体制へ
いずれにせよ同盟にとって、対話の機会を無視するという選択は、あまり考えられないだろう。
もっとも、王国の現体制だけでなく、歪んだ価値観を植えつけるシステムもまた敵である。
それをどうにかする方法も考えなければならない。
講和が成れば、そこへの道筋が見えるだろうか?
たとえば、
彼女が噂どおりの人物であるなら、協力することも可能か?
……いや、我ながら希望的観測が過ぎるか。
王国からの講和の申し入れという、まず考えられなかった事態を前にし、やや思考が飛躍しているな。
そもそも、こちらが望む条件が受け入れられる可能性は極めて低いのだ。
会談自体を良く思わない者たちが何事かを企む可能性の方が余程高いだろう。
それを思い、俺の目は書きつけの中の一文で止まった。
そこにはこうある。
"双方、帯剣を許可される"。
帯剣しての講和会談など考えられないが、今回はこうせざるを得ない。
何せ、煤の剣が無ければ、たちまち俺は無力化されてしまうのだ。
丸腰となれば、同盟側から俺が出ることは無い。
王女は、俺との会談を実現するために、俺へ帯剣を許すしかない。
だからこの一文を入れているのだ。
そしてそうなれば、王国側も帯剣することになる。
王女は強力な近衛を連れているだろうし、ほかに随行員も居るだろう。
敵意を持ちながらもそれを押し留め、しかし腰に剣を
そしてその背景では、様々な思惑が渦巻いているのだ。
それで何も起こらずに済むだろうか?
疑わしい。
そこに剣があるなら、きっと何かが起きてしまう。
誰もが、そして俺も、それを考えるのであった。
◆
「はぁっ……はぁっ……」
第五騎士団本部、訓練場。
引き締まった体を鍛錬の熱に上気させているのは、ラケル・ニーホルムであった。
元より自身の力を磨くことに余念の無い彼女である。
だが、ある時から、その訓練は更に激しいものとなっていた。
ある時とは即ち、僚友シーラ・ラルセンが敗北した日のことである。
負けるはずの無い戦い、負けるはずの無い相手に彼女が敗れた時から、ラケルの行動原理に復讐が加わったのだ。
ただ、それは友の敗北に対しての復讐ではない。
しかし何に対しての復讐であるのか、ラケル自身にも上手く言語化できないでいる。
確実なのは、決着させねばならない感情が、彼女の中から消えないということであった。
「精が出るな」
「ふぅー……。お、イェルド。お疲れ」
「疲れているのはラケルだろう」
顔を拭くラケル。
拭われた汗の下にあるのは、長い睫毛の美しい顔である。
粗暴な口調と態度に、ややそぐわぬ美貌と言えた。
戦鎚を振り回すラケルという人物が、かつて深窓の令嬢であったことを知る者は少ない。
「励むのは良いが、今度の件は戦いにはならないぞ」
イェルドが言う今度の件とは、講和会談であった。
確かに戦いにはならない。そのはずなのだ。
しかも、ラケルは講和会談には同席しない。
騎士団本部の留守を預かるイェルドらとは違い、彼女はメルクロフ学術院まではエミリーに同行する。しかし会談場への入室は許可されていないのだ。
第五騎士団から会談に参加するのはエミリーのみであり、それ以外は場から除外されている。
王女セラフィーナの差配であった。
「分からないだろ。戦いになるかもしれない」
「願望だろう、それは」
「イェルド。こんな時代だぜ。どこでだって、戦いは起きてくれる」
戦いは起きてしまう。
通常ならそう表現するであろうところを、彼女は言うのだ。
起きてくれる、と。
「次こそアタシの出番だと思ってるのさ」
「シーラがやられたから今度はラケルが行くと? それは悪党の側の考え方じゃないか?」
「そんで向こうが主人公だって? は、笑えないね」
吐き捨てるように言って笑うラケル。
捨てられぬ嫌悪がそこに滲んでいた。
「……クロンヘイム団長を倒したってことはさ、あいつ、アタシより強いってことだよな」
「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。勝敗は強さだけでは決まらんからな」
「弱かったよな、あいつ。何も出来なかった。そして逃げた」
「そうだな」
「エミリーが呼んでも来なかった。いじけてやがったんだ」
「…………」
戦鎚を握るラケルの手に、力がこもる。
重くなる空気。
そこへ通りかかる者があった。
「ああ、これはお二方」
柔らかい笑顔を見せる半白頭の男。
参謀長エドガーであった。
訓練場の横合いにある廊下を、数人の騎士を連れ、やけにゆっくりと歩いている。
原因は、恭しく手に持った箱であるようだ。
箱の豪華な装飾からは、それが貴重なものであることが見て取れた。
「エドガー、それは?」
イェルドが問う。
それに対し、エドガーはやや悪戯っぽい笑みを見せて答えた。
イェルドらよりずいぶん年上の四十代だが、妙に人懐こい表情を見せる男であった。
「ほら。神器ですよ。例の」
「ん……ああ、そうか。丁重にな」
「神器って?」
状況が掴めていないラケルに、イェルドは呆れたような表情を浮かべる。
そして嘆息して言った。
「この間、エミリーが言っていただろう。情勢を鑑み、神器は各地に分散して保管されると」
「
つまり、いまエドガーが持つ箱に入っているのは、凄まじい力を人に与える
伝説の存在を手に、エドガーは興奮しているようであった。
「いやあ、私も神官立ち合いのもと、中を
「へえ、凄いって言うと?」
ラケルの視線が、エドガーの持つ箱に固定されている。
イェルドは、その視線に嫌なものを感じた。
だがエドガーは、ラケルの視線に気づく様子も無く、ただ答えている。
「まったく起動していない状態でも、漲るような力を感じます。これを使う者は、まさに女神の奇跡を知ることでしょうね」
「ふーん」
ラケルの声音には、平素との違いは無いように思える。
だがイェルドは、冷たい汗を背筋に感じた。
元より力への渇望、或いは力への信奉が強いラケルである。
しかし、無力であったはずの男により、僚友の腕が理性もろとも斬り飛ばされて以降、ラケルの渇望に昏いものが混ざっているようにも見えるのだ。
と言っても、あくまでそんな気がするだけ。ほんの僅かに、そう感じることがあるというだけだ。
竹を割ったようにシンプルで快活なラケルのこと、それは思い過ごしであろうとイェルドは考えていた。
だが今、どうにも嫌な予感が振り払えない。
その思いに気づいたふうも無く、エドガーは続けた。
「神器ともなれば当然のことなのでしょうが、やはり神威の存在を感じますな」
やや苛つくイェルド。
ラケルの感情に混ざっているかもしれない粟立ちは、付き合いの長いイェルドですら僅かに感じ取れるというだけのものである。
エドガーが気づけないのは無理からぬこと。それは分かっている。
だが、力に関する話を、今のラケルにこれ以上して欲しくなかった。
「エドガー。神器を手に無駄話もなかろう。行ったらどうだ」
自身が引き留めておきながら、やや勝手な物言い。
だがエドガーは恐縮したように応じた。
「そうですな。失礼しました。これは西棟の保管庫で厳重に管理させますので」
そう言って、立ち去るエドガー。
そして、その背を見つめるラケルであった。
「………………」
イェルドの脳裏に、亡父の姿が浮かび上がっていた。
父はかなりの
だが、いつからなのか、気づけばイェルドも、どこか厭世的な感情を持て余している。
どうしても親には似てしまうものらしい。
そんなことを考えながら思い出すのは、その父が口癖にしていた言葉だった。
記憶に
嫌な予感は当たる。嫌な時代においては特に。
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