110_約束の待つその地へと

 ロルフらがタリアン邸を出て平原へ向かっている頃、領境の平原を離れて北へ向かう軍があった。

 エーリク・リンデルを含む第三騎士団の別動隊である。

 戦場を北に離れ、旧ストレーム領へ入るルートを進軍し始めたのだ。


 ユーホルトは、裏をかいてバラステア砦を突く策に出た。自らは平原で魔族軍を引きつけ戦っている。彼のプランはいつもどおり盤石で、軍を分けても彼が平原の勝者となることは疑いない。

 部隊長以下の者たちは、皆そう信じている。


 一方、この別動隊には総隊長クラスの上級幹部も複数名参加しているが、彼らはユーホルトの死を確信していた。

 リンデルの息がかかった者たちである。


 元より政治力に優れるリンデルだが、今やそれは図抜けたものになっていた。

 自身の所属ではない第三騎士団にシンパを持っている時点で、その力のほどが分かるというものだが、彼が目指すのは、その程度のものではなかった。

 中央に椅子を得て、さらに権勢を強め、高みへ昇りつめていくつもりなのだ。


 今回の戦で彼が目指すものは、第三騎士団トップの座である。

 団長、副団長含め、いま要職にある者たちは平原で死ぬだろう。戦敗の不名誉を抱えたまま。


 そして第一騎士団の幹部である自分がここで功を成し、シンパである幹部たちの推挙があれば、団長の椅子は自分のものとなる。

 リンデルは、そう目論んでいた。

 すでに中央への根回しは済んでいるのだ。


「あの、リンデルさん」


 隣の馬上から、仲間が小声で話しかける。

 二十代半ばの男で、名はハンネスといった。

 二年前に第三騎士団へ転属したが、もとは第一騎士団の所属で、その頃からリンデルと親交がある。

 リンデルと繋がりのある者は、王国の各所に存在するのだ。


「どうした、ハンネス」


「……平原の戦いで生き残った者が、余計なことを言ったらどうします?」


 陣形上、ユーホルトの死は確定的だ。

 だが、まさか一兵残らず壊滅するはずも無い。幾らかの敗残兵は帰るだろう。

 もしユーホルトが想定した伏兵作戦を知る者が生き残れば、リンデルたちを糾弾する可能性がある。ハンネスはそこを案じたのだ。


「問題ない。どこの戦場でも雑言は飛び交うもの。上には信じるべきを信じさせるだけだ」


 ユーホルトは万全を期すため戦術を秘した。バラステア砦を突くことはユーホルトの案で、彼は平原でも勝つつもりだった。彼は魔族軍の兵力を読み違えていたのだ。

 そう述べれば良い。


 如何様いかようにも主張できるし、信じさせることができる。

 すでに多くの幹部を抱き込んでいるし、細部の辻褄合わせもできている。

 そしてシンパは中央にも居る。


 ユーホルトが敵を読み違えるというのは、通常なら信頼性の低い話だ。

 だが各所に仲間を得て環境を整えれば、その話に真実味を持たせることが可能になる。


 何のことは無い。盤外で有利な状況を作り上げてから動くという振る舞いは、軍事でのやりようと変わらない。

 戦略と政略の要訣ようけつは同じなのだ。


 にも関わらず、ユーホルトはなまじ軍人として長い経歴を持っていたため、視線が戦場に向きすぎ、政治に頭が回らなかったのである。

 そこをリンデルに出し抜かれたのだ。


「これで次の団長はリンデルさんですね。まあ、ユーホルト団長も長く務めましたし、このへんが引き際ということで良いでしょう」


「十五年も居座らんで欲しかったがな」


 リンデルは急進的な思想の持ち主で、古い体制を嫌っていた。

 王国が問題を抱えているのは、このタリアン領を見ても明らかだ。

 女神への尊い信仰は変えずとも、国には変化が必要なのだ。

 そう考えており、そしてその思いが求心力になっているのだった。


 また、ハンネスらシンパは皆、王国への忠誠を誓っているし、女神への信仰にも偽りは無い。むしろリンデル同様、相当に強い信仰心を持っている。

 だが、彼らも権威に凝り固まった体制には嫌気が差している。体制の古さに拒絶反応を示すのは若者の常だ。

 リンデルのシンパは、その多くが若者だった。


 神を奉ずる集団のうち、急進的な者たちが、過激主義にる一派を形成する。

 それは人の歴史において、ありふれた光景でもあった。


「変化が訪れるぞ、ハンネス」


「やはり戦局は変わりますか?」


「ああ」


 ハンネスの問いに首肯を返すリンデル。

 ヴィリ族の戦勝を契機に、各地の魔族は大きく気勢を上げており、戦場は更に広がりを見せていた。


 戦いが新たな局面に突入しようとしているのではない。

 すでに突入したのだ。

 それはリンデルを含む多くの者の目に明らかだった。


「東部は第二が抑え切るだろうが……領軍頼みのアルテアン領は落ちるかもしれん。敵に面倒なのも居るようだしな」


「レゥ族のヴァルターですね。魔族の英雄。とんでもない強さだと聞きます」


「魔族が"英雄"とは片腹痛いがな」


 そう言いながらも、敵の力を鑑み、アルテアン領が失地となる可能性を考えるリンデル。

 また、それどころか今いるタリアン領は確実に落ちる。


 しかしリンデルにとってはそれで良かった。

 団長の椅子は埒外らちがいの英雄たちに占有されている。

 リンデルが騎士団長に至るには、そのいずれかに敗死してもらわねばならない。


 加えて、その団には半壊してもらうぐらいで丁度良い。

 それぐらいでなければ古めかしい愚物たちは危機感を抱かぬだろう。

 それに、その方がリンデルも新しい組織を作り易くなるというものだった。

 彼にしてみれば、むしろ感謝して欲しいほどである。

 相当数を落ち延びさせ、かつ砦を奪還し敵を潰そうというのだから。


「リンデルさん。調査によれば、バラステア砦は物流の中継地になっており、軍用の備蓄のほかにも物資が集まっているようです」


「知っている。近隣の集落から奪うこともできるし、我々が飢えることは無い」


 魔族軍はその逆だ。

 王国軍が砦を掌握してしまえば、魔族軍の補給路は完全に断たれる。


「あの強固な砦で少しのあいだ防衛に徹するだけで、魔族たちは自壊しますね。油断さえしなければ負けは無いでしょう」


 油断は論外だが、ハンネスのげんは正しい。

 激戦区にあって、戦力に劣る領軍でも、長きに渡って落とされることの無かった砦なのだ。二か月前の無血開城をただ一つの例外として。


 またリンデルには、もうひとつ踏み込んだ想定もあった。

 飢えた魔族たちが掠奪によって物資を調達するという想定だ。

 まさにわらうべき事態である。


 だが愚かな魔族軍は、組織として徴発に及ぶことは無いだろう。

 彼らはそれを選択できない。

 個人レベルで奪う者たちが現れるだけだ。それも極限まで飢えた末にようやく。

 それでは軍の継戦能力を確保することはできない。


 リンデルに言わせれば詰みなのだ。

 補給を失い、飛び地に取り残された時点で、魔族軍から勝ちの目は消える。


「一時的とは言え、タリアン領をくれてやる甲斐があるというものだ」


 領土が奪われることを、気にする風も無く言うリンデル。

 彼の思考は軍略家のそれとは違う。

 戦敗をすら政略に組み込んでいるのだ。


 そして自身が力を得たうえで魔族を根絶やしにする。

 その未来を、リンデルの目は見据えていた。


「ハンネス。エルベルデ河を覚えているか?」


「ええ、もちろん。それがどうかしましたか?」


「いや……もう三年になるのだと思ってな」


「?」


 三年前。

 リンデルはエルベルデ河で屈辱を味わった。

 彼にとって激しい嫌悪の対象であるロルフ・バックマン。

 そのロルフが、大功を成したのだ。


 中央では、ロルフの行いを戦功と捉えてはいない。

 だがリンデルは、ロルフが河の堰き止めを看破するのも、敵陣から帰還するのも、間近で見ていたのだ。

 リンデルは理解している。理解せざるを得なかった。ロルフが居なければ敗れていたと。


 これ以上ない恥辱であった。

 神に棄てられた加護なしが、神に愛されているはずの自分を救った。

 まるで体の中にけがれが宿ったかのような感覚だ。

 腹に手を刺し入れ、臓腑ぞうふを掻き出したくなる。


 以降、リンデルは刃を砥ぎ続けた。

 ロルフのように、剣技を磨いたわけではない。

 剣は目の前に居る敵しか殺せない。そのことをリンデルは深く理解している。

 リンデルは、それとは違う戦い方を選んだ男なのだ。


 そして三年の間に、人と組織への影響力を大幅に強めるに至った。

 彼は、動乱がより深まるこの時、機を逃すことなく動き始めるのだった。


「………………」


 ただ、心残りもある。

 次代の英雄、エミリー・ヴァレニウス。

 彼女は引き込んでおきたかった。


 リンデルには、エミリーに対する個人的な興味もあるのだ。

 エルベルデ河で見た美しい雷光を、今でも鮮明に覚えている。


「…………まあ良い。今は私自身の権勢を強めることが第一だ」


「え?」


「なんでもない」


「しかしタリアン子爵は気の毒ですね。平原を突破されたら、どうにもならないでしょう」


「次代の礎になってくださる子爵に、せいぜい感謝するとしよう」


 リンデルは、恩義あるタリアンのためという名目でこの戦いに参加している。

 そしてタリアンは、そのリンデルの義心に感謝した。

 その信頼も、リンデルがタリアンの中に植え付け、育てておいたものなのだ。


「彼は良い友だった。まったく得難い存在だよ」


 にこりと笑うリンデルだった。


 ◆


「やはり……!」


 シグと共に平原に着いた俺は、予想通りの光景に迎えられた。

 王国軍が潰走し、戦場には勝利した魔族軍が残るのみだったのだ。

 それは魔族軍の将たる俺にとって歓迎すべき事態であるはずだが、今は違った。


「ロルフ! シグも!」


 リーゼが俺たちに気づいた。

 リーゼとシグは、すでに何度か顔を合わせており、互いを知っている。


「おうリーゼ。まあ見りゃ分るが、勝ったみてえだな」


「うん……でも」


 リーゼは困惑していた。

 彼女にとっても腑に落ちない展開だったのだ。


「王国軍が予想外に薄かったんだろう?」


「そうなのロルフ。まだ何処かに居るんじゃないかって、いま改めて周りを索敵させてるんだけど」


「この周りにはもう居ない。敵は軍を分けたんだ」


「え?」


「奴らの狙いはバラステア砦だ」


「え…………あっ!!」


 リーゼの顔が強張った。

 これが重大な事態であることに気づいたようだ。


「リーゼ。今すぐフォルカーに会わせてくれ」


 すぐにでもこの平原を後にし、バラステア砦に向かわなければならない。

 ストレーム領を落とす戦いでは、数日間の内に幾つもの戦いを繰り返す形になったが、今回もまた連戦する羽目になってしまった。


「再編の暇は無い。すぐに出なければ」


 本来なら危地にあっても、しっかりと時間を使って部隊を整理してから戦いに臨むのが常道だ。

 だが今は事情が違う。

 一刻も早くバラステア砦に行き、敵が掌握する前に砦を確保しなければ、俺たちはこの地で果てることになる。


「分かった。急ぎましょう」


 リーゼは額に冷や汗を浮かべながら頷いた。

 それにしても、またもやバラステア砦で戦うことになるとは。

 あの砦との間に奇縁を感じる俺だった。


 ◆


 私の隣で、妹のミアが大きな砦を見上げている。

 彼女が最初にこの砦を通ったのは、虜囚として馬車に押し込められていた時。

 魔族領からアーベルへ連れて行かれたのだ。


 二度目は逆方向に、アーベルから魔族領へ向けて通った。

 ある人に連れられて。


 そして今が三度目。再び一度目と同じ方向で通る。

 でも今度は、闇へ連れ込まれた一度目とは違う。

 人を探しに行くのだ。


 それでも妹が心配になり、声をかける。

 ここへ来ることで、彼女が辛い記憶に苛まれるのではないかと思ったのだ。


「ミア、大丈夫?」


「…………大丈夫だよ、おねえちゃん」


 ミアが最初にこの砦を通った時、もう一人の妹、ハンナが彼女と共に居た。

 でも今、ハンナはもう、この世界に居ない。

 ミアの返答が少しの沈黙を伴ったのは、それを思いだしたからだろう。


 でも私が居るからね。

 その思いを込め、ミアの手を強く握る。

 彼女は私を見上げて、小さく頷いてくれた。


 それからミアと共に、バラステア砦に入る。

 この砦は現在、ヘンセン及びその他の集落群とアーベルの間で、物流の中継地点としても機能していた。

 隊商もよく行き来しており、私たちは、その一つに同行させてもらったのだ。


 そういった事情があるため、この砦には現在、民間人も多く居る。

 軍事拠点らしくない賑わいを見せており、食堂のテーブルでは多くの人が会話に花を咲かせていた。

 

 中には人間の姿もある。

 聞いてはいたが、私はその光景に改めて驚きを感じた。

 隊商の人が言っていたが、現状、ヘンセン側への輸送等を人間が担うことは無いらしい。でも、この砦に詰め、アーベル側とヘンセン側の物流をコントロールする仕事には人間が就いているそうだ。

 

 商圏が広がり、商機が増えた。

 人々は、どこか熱に浮かされたようにそんなことを話し合っている。

 そう言えば、以前は見かけなかった香辛料などをヘンセンで見るようになったと、イルマ院長が言っていた。

 そういう点において、戦いのあと世界は広がっているように見える。


 勿論、戦いは多くの爪痕を残していった。

 多くの人が多くのものを失った。私とミアもそうだ。

 そして今なお、失い続けている人たちが居る。


 それを思えば悄然とするばかりだけど、一方で砦の光景は慰めにもなった。

 隣のテーブルでは、卓上に書類を広げ、魔族と人間が会話している。輸送の話らしい。

 両者に笑顔こそ無いが、建設的な話ができているように見える。

 ひょっとしたら、彼らはいずれ友人になるかもしれない。私にはそう見えた。


「エーファさん、二時間後ぐらいに出発だよ」


「分かりました」


 隊商の人に告げられ、私は頷く。

 荷の積み替えを終えて砦を出るまで二時間。

 その間どうしようかと思った時、ミアに手を引かれた。


「おねえちゃん……」


「どうしたの? ミア」


 ◆


 ミアは、砦を見て回りたかったらしい。

 当然、民間人が立ち入れる範囲には制限があるが、その限りのなかで、彼女はゆっくりと周りを見まわしながら、砦を歩いていた。


 ミアは、なんでもない壁に手を触れたまま、しばらく佇んだ。

 階段を見上げたまま、物思いに耽った。

 訓練場を眺めながら、口のなかで何事かを呟いた。


 彼女が何をしているのか、私にはよく分かった。

 ここに居た人の息吹を感じ取ろうとしているのだ。

 その人は、ミアと共に暮らす間、毎日ここで働いていたのだから。


 会いたい人を求め、小さな体で歩き回るその姿を見て、私は申し訳ない気持ちになる。

 ミアを救ってくれたあの男。彼の名前を聞いておけば良かった。

 会った時、彼は名乗ろうとしたが、私はそれを遮ったのだ。


 ────人間の名前なんか興味ないわ


 当時、ミアと男の間には魔法による隷属契約があった。

 そのため、契約魔法を持つミアが男の名を知ったら、二人の間にある契約がどのような影響を発現するか、分からなかったのだ。


 その危険性と、王国法による定めもあり、ミアは男の名を知ることが出来なかった。

 しかし私にそんな制限は無い。それなのに名を聞かなかった。私はそのことを後悔している。

 名前が分かれば、ミアはもう彼に会えていたかもしれない。


 男に会った時は、集落を焼かれ、ミア以外の家族を全て奪われ、人間への怒りが私の胸を焦がしていたのだ。

 だから拒絶してしまった。

 そして今なお怒りは消えていない。


 でも、それは人間すべてへの怒りじゃない。

 あの男はミアを救ってくれた。


 それだけに、と私は危惧する。

 この情勢下で、生きているだろうか。

 もし、その死が判明してしまったら、ミアは……。


 いや、彼は只者じゃなかった。

 私に戦いのことは分からないが、もの凄く強い人であるような気がする。

 生きていると信じよう。


「そう言やあ、新任のロルフ将軍が……」


 近くで、魔族の男が軍の話をしている。

 私は、自分の中の怒りが火勢を増してしまいそうで、軍や戦いの話が聞こえてくると、どうしても耳を塞ぎたくなってしまう。

 皆のために戦ってくれている人たちには本当に申し訳ないが、自分のなかのドロドロしたものが恐ろしくて、戦いの話を聞きたくないのだ。


 それでもあの男を探すため、彼の部下だった人たちはここに居ないかと、砦へ来る道すがら隊商の人に聞いた。

 でも残念ながら居ないらしい。

 彼の部下たちは、砦を魔族軍が占領した時、武装解除のうえ隔離されたそうだ。

 そしてアーベル陥落後は解放されたとのことだった。


 もしアーベルで彼らを見つけることができたら、手掛かりになるだろうか。

 どうにかして、ミアの願いを叶えてあげたい。

 会わせてあげたい。

 妹の姿を見ながら、改めてそう思ったその時。


 叫び声が轟いた。


 ◆


 悲鳴と絶叫がこだまする。

 みんな、すごく取りみだして走りまわっていた。

 椅子がたおされ、荷がくずれ、書類がちらばる。


「王国軍だ!」


「なんでだ!? タリアン領で戦ってるはずじゃないのか!?」


 みんなが叫んでいる。

 来るはずのない敵が来てしまったんだ。

 おねえちゃんが駆け寄ってきて、わたしの手を握った。


「ミア! 逃げるわよ!」


 手を握りかえして、わたしは頷く。

 おねえちゃんの顔もみんなと同じく、こわばっていた。


「突入された! 防衛隊急げ!」


「くそっ! ダメだ!! 北の門も押さえられたぞ!!」


 兵士のひとたちの、悲鳴まじりの声が聞こえる。

 砦のなかに、王国兵が入って来たらしい。

 北の門っていうのは、わたし達がさっき入ってきた、ヘンセン側の門のことみたいだ。


「誰も逃がさないってこと……?」


 おねえちゃんが小さく言った。

 顔にびっしりと汗をかいている。

 わたし達は、逃げ道をふさがれてしまったらしい。


 わたしの胸に、あの日の光景がよみがえる。

 集落が燃やされて、みんな、みんな殺されて。

 わたしの大切なものが、ぐしゃぐしゃに壊されてしまった日。


 それと同じことが起ころうとしてるって、わたしにも分かる。

 体がふるえる。

 息ができない。

 こわい。

 今すぐ、うずくまってしまいそう。

 今すぐ、考えることをやめてしまいそう。


 頭では、あきらめちゃダメって分かってる。

 あきらめたら、終わっちゃう。

 助けてもらった命が、終わっちゃう。

 もう、会えなくなっちゃう。


 それはイヤだ。

 それだけはイヤだ。


 でも。でも。

 どうしてもあの日のことを思い出してしまう。

 ぜんぶが変わってしまった、あの日のことを。


 こわい。

 こわいよ。

 会いたいよ。

 会えないまま、死んじゃうのかな?

 イヤだよ。

 ぜったいイヤだよ。


 自分がすごく危ない目にあってでも、わたしの心を助けてくれた人がいるんだよ。

 その人をうらぎりたくない。

 だから悲しくても、ちゃんと生きていこうって思ったんだよ。

 助けてもらった命で、ちゃんと生きていこうって思ったんだよ。


 みんなが怒鳴りあってる。

 王国兵が近くまで来てるんだ。

 剣と剣がぶつかる音が聞こえる。

 おねえちゃんが、真っ青な顔をしている。


 こわいよ。

 でも、あきらめたくない。

 会いたいよ。

 どうしても、会いたい。

 会いたかったのに、ぜったい会うって決めたのに、終わりたくないよ。


 ぼろぼろ、ぼろぼろと涙がこぼれる。

 あの日みたいに、涙が。

 ダメだ。おねえちゃんが、よけい心配しちゃう。

 いつだってわたしのために頑張ってくれるおねえちゃんを、心配させたくない。

 そう思ってるのに、涙が止まらない。

 体のふるえが止まらない。


 会いたいよ!

 大丈夫だミアって、言ってほしいよ!


 ◆


「遅れた部隊には後で合流させろ!」


 馬上で俺は叫ぶ。

 隊列を保って整然と進軍している場合ではない。

 足の速い者だけでも先行するのだ。


 今回、直接の麾下を持たない俺と、同じく単独のシグは、周りを気にせずひたすら先行して馬を走らせた。

 そこへ、元々スピードのあるリーゼとその部隊がついて来ている。


 俺たちは隊列を乱しながらも、軍の大半でバラステア砦へ向かっていた。

 平原にはフォルカーと共に少数が残り、敵が取って返して来たら気づけるよう、警戒態勢を敷いている。

 だが、その可能性はまず無いだろう。

 敵の狙いはバラステア砦だ。


 馬を急がせながら、俺は焦燥を強める。

 今のバラステア砦に、大した防衛戦力は無い。

 そう長くは持ちこたえられないはずだ。


 ……そして、俺をあせらせるのは、その点だけではない。


 予感がするのだ。

 正体不明の焦燥感が胸を締め付ける。

 俺は絶対にそこへ行かなければならない。急がなければならない。


 とにかくそう感じるのだ。

 叫び声が聞こえるのだ。


 待っていろ! 俺は必ず間に合わせる!!



────────────────────

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

第三部完です。


書き溜めと続刊の書籍化作業のため、また少々期間を頂戴します。

第四部の開始時期、書籍版やコミック版の情報など、お伝えすることがある場合は近況ノートにてお知らせして参ります。

良ければ時々覗いてみてください。


それでは今後とも本作を宜しくお願い致します!

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