109_絡み合う思惑

 響く怒声、叫声、そして剣戟音。

 ロルフ達がタリアンを討ったその頃。

 旧ストレーム領とタリアン領の境に広がる平原で、魔族軍と王国軍は激突していた。


 魔族側は、ヴィリ族とゴルカ族の混成軍となっている。

 ロルフは、新たに編制された自軍の指揮を執れないことについて部下たちへ詫びながら、その指揮をフォルカーへ依頼していた。

 フォルカーはこの戦いで全体の指揮を執る立場だが、その求めに応じる形で、ロルフの軍を直接の麾下として動かしている。


 元々フォルカーはアーベルの総督として多忙を極める日々にあり、それに加えて指揮官の責を全うせねばならず、負担はかなり大きい。

 それでも責任感と、そして世界が重大な情勢にあるという理解のもと、自身の士気を保ち、戦っているのだ。

 気力は十分であった。


 また、新たにゴルカ族から合流した者たちも意気軒高である。

 将兵ともに優秀な者が揃っており、彼らもまた、歴史が大きく動きつつある動乱のなか、士気を高めているのだ。


 魔族軍は、ロルフが居ない分、万全とは言えなかったが、それでも可能な範囲内では最良の状態にあると言えた。


 対して王国軍を構成するのは第三騎士団。

 王国の軍事の屋台骨であり、大樹とも称せられるマティアス・ユーホルト。彼が率いる精鋭たちである。

 彼らが魔族軍を迎え撃つために平原へ陣を張ってから、開戦まで十二日半が経過していた。

 普通なら無視できぬ疲れを蓄積させているはずだが、彼らに疲労の色は見えなかった。


 元々ユーホルトは、軍略は当然として、組織運営の能力を高く評価されるリーダーである。

 彼の指揮のもと第三騎士団は、糧食を途切れさせず、疲労を溜めず、士気を衰えさせず、そして規律を維持したまま、全軍規模の野営を乗り切っているのだ。

 ユーホルトの手腕は非凡きわまるものであった。


 また、彼にとって嬉しい誤算もあった。

 同行するエーリク・リンデルの存在である。


 この領境の平原には、遮蔽物がほぼ無い。

 奇策が入り込む余地の無い地形で、両軍は正面からぶつかるしか無いと思われた。

 だが平原と言えど、ただ水平な大地が広がるのみであるはずも無い。

 幾ばくかの起伏は存在する。


 野営開始から五日目の午後、リンデルは、この起伏の高低差が最も大きくなるポイントを見つけた。

 魔族側から視認できない位置に兵を潜ませることが可能なのだ。


 この報告はユーホルトを唸らせた。

 平原のスケールは大きく、普通に見まわしても高低差を見つけられるものではない。

 リンデルは戦場の見方を知っているのだ。

 第一騎士団の梟鶴きょうかく部隊を率いるだけのことはある。


 もっとも、早期に戦場に着き、陣を張りつつ地形をあらためさせたのはユーホルトであった。

 万事にそつが無いその仕事に、部下たちはいつもと同様の安心感を覚えるのだった。


 伏兵を潜ませることを前提に、ユーホルトは作戦を練り直す。

 旧ストレーム領の戦いでは、領都からおびき出された領軍が、伏兵に側面を突かれる展開があった。

 今度はその立場が逆転する。

 魔族軍はタリアン領に引き込まれ、そして伏兵の襲撃を受けるのだ。


 伏兵部隊の編制はリンデルの協力もあり、速やかに完了した。

 最も地形を把握しているリンデル自身も伏兵側に入った。


 魔族軍が攻めてきたら、王国軍本隊は退がりながら応戦する。

 そして魔族軍の隊列が伸び切ったところで伏兵が側面を突き、同時に本隊が反転攻勢に出るのだ。


 そのために最適な会敵ポイントや、後退時の陣形をしっかり計算する。

 ユーホルトは閃きのあるタイプではないが、ミスが無く、堅実の極みにある騎士だ。

 この種の計算を精緻に行い、誤りなく戦術に組み入れるのは得意とするところだった。


 そして彼らが平原に陣を張ってから十二日半が経過した早朝。

 旧ストレーム領側に魔族軍が現れた。


 今か今かと敵を待ち構えた王国軍の士気は、最高潮に達していた。

 彼らはまさに万全な状態にあったのだ。


 ◆


 平原の戦いが始まってから数時間が経過した。

 フォルカーはやや当惑している。


「やけに薄い……」


 王国軍の勢いが弱すぎるのだ。

 魔族軍は、予想以上の速度で前進し、敵陣へ押し入っていく。

 王国軍はそれを止められず、後退するばかりだった。


 魔族軍を奥まで引き込んで隊列を伸ばさせようとしているようにも見える。

 この広い平原で、軍が前後に伸びすぎてはマズい。

 全体の連携がとれなくなってしまう。


 なにより、もし側面を突かれたら大きな損害が出るだろう。

 この平原に、伏兵が潜める場所があるようにも思えない。

 だが、ここは敵地なのだ。地の利は向こうにある。


 迷いながらも、フォルカーは前進を選択した。

 敵の策を警戒するあまり積極性を失うのは、避けるべき失敗のひとつだ。

 ゆえにフォルカーは、警戒をしつつ、かつ隊列が伸び切らないようコントロールに腐心しつつ、慎重に攻め入っていく。


「みんな! 前以外にも気を配って! 他にも敵が居るかもしれないわ!」


 前線近くで指揮を執るリーゼも、フォルカーと同じ思いだ。

 敵の布陣は一貫して薄く、それを破って進む魔族軍の勢いが増すばかりである。

 誘われていると思ったリーゼは、どこかに敵の策があると疑った。


「……どういうこと?」


 だが、いつまで経っても何も起こらない。

 現れるかもしれないと思った伏兵も、一向に現れない。

 魔族軍はどんどん敵を押し込み、王国軍はただ後退を繰り返していた。


 結果として王国軍の行動は、ただ薄い布陣で魔族軍と正面衝突し、そして後退するだけというものになっている。

 リーゼは攻撃を続行しながらも、困惑を深めた。


 そのリーゼと四十メートルほど離れた地点。

 もはや目と鼻の先に、ユーホルトは居た。

 部下たちがついぞ見たことの無い焦燥を、その顔に浮かべている。


「どういうことだ! なぜ動かない!」


 伏兵として潜ませていた別動隊が来ない。

 彼らはとっくに敵の側面を突いているはずだった。


「ユーホルト団長! 第六小隊、壊滅です!」


 傍らで副団長が叫ぶ。

 彼らの有様は、いまや後退ではなく、潰走と言って差し支えないものになっていた。

 そして遂にユーホルトの元へ、魔族軍が大挙して押し寄せてくる。怒涛の勢いであった。


「くっ!!」


 剣を手に踏みとどまるユーホルト。

 それは英雄の名に恥じぬ振る舞いであった。

 だが一騎当千を謳われる英雄が本当に千の敵を討ち破れるのは、恐らく物語の中だけでの話なのだ。


 ◆


 ユーホルトの死は、劇作家によって大いに脚色されることだろう。

 何故ならそれは、英雄の死としては物足りない、あまりにありふれたものだったのだ。

 いつの間にか、不特定多数の骸のうちの一つとして、戦場に転がっていたのだから。


 彼の濃い金髪が土に塗れている。光を失った目はただ中空に向き、破れた唇を蠅が這っている。

 その死は戦いの無情を伝えるものであり、また、誰かの悪辣な野心の結果でもあった。


 ◆


 俺とシグは、急ぎ馬を走らせる。

 多くの衛兵が逃げ去る館から無事脱出した俺たちは、フリーダたちと近日中の再会を約し、領境の平原へ向かったのだ。


「要するによ! 敵は軍を分けて、バラステア砦を落としにかかってるんだよな?」


 疾走する馬上で、シグが声を張り上げる。

 彼の言うとおり、敵の狙いはバラステア砦だ。

 カロラが聞いた"北を突く"という言葉が指すものは、それしかない。


「ああ、そうだ!」


 俺は頭のなかで、再度状況を整理する。


 ヘンセンの南には森を挟んでバラステア砦があり、その更に南に、アーベルのある旧ストレーム領。

 その旧ストレーム領の東側に、タリアン領が隣接している。


 王国騎士団が普通にバラステア砦を突こうとしても、タリアン領内で挙兵が見られた時点でアーベルの哨戒網にかかる。

 結果、ヘンセンから出た魔族軍が先にバラステア砦を固めることができるわけだ。

 バラステア砦がかつて頻繁に攻撃を受ける死地であったことからも分かるとおり、ヘンセンとバラステア砦はかなり近い。一日で行軍可能なのだ。

 よって有事の際、ヘンセンの魔族軍は速やかに砦やアーベルに移動できる。


 だが今、旧ストレーム領とタリアン領の境に広がる平原で、魔族軍と第三騎士団が戦っている。

 第三騎士団はその戦いを隠れ蓑に、軍を分け、平原を北へ上ってから旧ストレーム領へ入り、バラステア砦を突こうとしているのだ。


 いま戦いが行われている以上、哨戒も何も無い。既に有事なのだ。

 第三騎士団は、この機に乗じることで砦を突くことができる。


 そして最も重要な点として、ヘンセンから砦を固めに出る魔族軍は居ない。

 深くタリアン領にまで侵攻してしまっているのだから。


「ヘンセンはカラなんだぞロルフ!」


「分かっている!」


 シグが歯を食いしばる。

 馬上にあっても、ぎりりと音が聞こえてきそうな表情だ。

 この短期間で、彼にもあの地に守るべきものができたということだ。


 もっとも、敵にはヘンセンを突かないという選択肢もある。

 戦略上、彼らは立てこもるだけでも良いのだ。


 砦の備蓄に加え、以前と同様、集落から物資を掠奪することもできてしまう。

 いや、以前と違い、北側に点在する集落はもはや無防備なのだ。

 彼らはそうやって継戦能力を確保し、後はとにかく砦を固めれば良い。


 帰り道を塞がれた魔族軍は、物心ぶっしん両面から強烈な疲弊を強いられることになる。

 本国と分断されて飛び地に残った軍など、壊死するだけの存在でしかないのだ。

 アーベルはあるが、あそこでは当然、駐留軍を賄っている。

 まして、これから統治を軌道に乗せようという新拠点だ。新たに大軍を賄う余力など無い。


 そして俺たちは飛び地にあって為す術を失う。

 敵は守りに徹して、補給の無い俺たちが疲弊するのを待つだけだ。

 砦の外に居る方が兵糧攻めにあうという、あり得べからざる状況。

 彼らは砦を固めるだけで、魔族軍を壊滅せしめることが可能なのだ。


「く……!」


 対応策はある。それを思い、俺は唇を噛みしめた。

 敵と同じことをすれば良い。

 つまり、タリアン領で物資を現地調達するのだ。

 掠奪である。


 それは絶対にあってはならないこと。やってはならない過ちだ。

 それに手を染めた時、俺たちは戦う資格を捨て去ることになる。


 しかし、人は飢えをきわめた時、理性を失う。

 飢えというものは、想像を絶するほどに恐ろしい代物なのだ。

 その果てで激発に至り、過ちを犯す者が居ないとは断言できない。


「それを狙っている、ということもあるのか……?」


 考えすぎかもしれないが、これを企てた者は、魔族軍が飢えから激発する展開を望んでいるようにも思える。

 掠奪におよぶ俺たちを指さし、お前らも同じではないかと、お前らも戦えぬ者から奪うではないかと、そう突きつけるのだ。

 まさに俺たちは、戦いの正当性を喪失させられるのである。

 もしそこまで考えてのことだとしたら、この相手は悪魔の知恵を持っている。


 だが………。


「つってもよ、これマトモな戦略なのか!? タリアン領が落ちるんだぞ?」


「分からない! 正直、俺にもマトモとは思えない!」


 そう。シグの疑問はもっともだ。

 この作戦は、戦略上かなり極端なものと言える。

 正道を好む、少なくとも自身たちを正道に位置づける王国騎士団が用いる策としては、特異と言って良い。

 なにせ王国は、平原での勝利を事実上、捨てることになるのだ。


 いま、バラステア砦に駐留する魔族軍は大した数ではない。

 当然だ。砦の両側とも自領なのだから、固める意味が無い。


 だが、それでも砦は砦。防壁をもつ軍事拠点だ。

 小隊規模の攻め手で落とせるものじゃない。

 バラステア砦を攻めるなら、第三騎士団は相当数の兵を砦方面に割かなければならないはずだ。


 当然、平原で戦う兵力は不足する。

 あるいは、それでも平原で勝てるとユーホルトは考えたのだろうか?

 しかし彼は堅実で鳴る男。そんな策を採るとも思えない。

 どうも細部が整合しない。不自然さを拭えないのだ。


 王国にとって平原での敗北は、シグの言うとおり、タリアン領の陥落を意味する。

 タリアンに自前の軍は無い。王国軍が平原で敗れれば、魔族軍はそのままタリアンの元へ攻め込めてしまう。そうなればタリアン領は終わりだ。

 もっとも、現時点でタリアンは既に敗死しているわけだが、これは王国にとって想定外であるはずだ。


 やはり、どう整理しても、敵の動きは極端に過ぎる。

 タリアン領を犠牲にしている。領土が失われることを前提にした作戦なのだ。

 それは馬鹿げている。

 中央の承認を得ての作戦行動とはどうしても思えない。

 ユーホルトとは別の者の思惑が働いていると考えるのが妥当ではないだろうか。


 それにカロラの言葉も気になる。

 騎士たちは、北を突くということを他の者に聞かせたくないように話していたらしい。


「味方をたばかったか……?」


 野心……それも、多分に悪意を孕む類のそれ。

 何か、そういったものの存在を感じる。

 それが交錯するのが乱世の常ではあるのだろうが、果たして俺はそれに太刀打ちできるのだろうか?


 剣とは違う武器を振り上げる敵の存在に、俺は背筋が冷えるのを感じた。

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