108_願いて叫ぶ

「来るな! それ以上近づけば、この者を殺すぞ!」


 アイナの首筋に当てた剣を見せつけるようにしながら、叫び声をあげるタリアン。

 明らかに、騎士団長を務めた者の振る舞いではない。

 だが信じ難いことに、この行為は彼の中で、おかしなものではないのだ。

 自分にはこうする権利がある、自分はこれが許された種類の人間である。

 そう思っている。

 そのタリアンへの嫌悪感に嘆息しながら、フリーダが近づいていった。


「来るなと言っている!! この女がどうなっても良いのか!!」


 口角泡こうかくあわを飛ばすタリアン。

 アイナの命が手中にあると必死でアピールするが、彼がアイナを殺すのは無理だ。

 短剣ならともかく、あんな大ぶりの剣を手元で操って首に刃を入れるのは、彼が思うほど簡単ではない。一瞬でできる事ではないのだ。

 彼がそうしようとしたら、アイナの首に刃が食い込む前に、フリーダがその腕を落とすだろう。


 だが、その必要は無かった。


「ぐぁっ!!」


 タリアンが悲鳴をあげる。

 アイナが彼の手に噛みついたのだ。

 剣を取り落とすタリアンの懐から脱出し、こちらへ駆けよるアイナ。

 同時に、カロラもこちらへ走る。


 タリアンは、二人が俺の背の後ろに隠れるのを、苦々しげな表情で見据えた。

 肩を震わせながら、血が滲む手を押さえている。


「人質の女に噛まれて出血かい。名誉の負傷もあったもんだね」


 冷たい声でフリーダが言い放つ。

 タリアンは、怒りと羞恥心で顔を真っ赤に染めた。


「早く剣を拾いなよ。それとも、その怪我が痛くて剣を握れないかい?」


 そう言って、タリアンに剣を拾い上げる時間を与えるフリーダ。

 いささか戦場にそぐわぬ振る舞いだが、彼女はタリアンに激怒しているのだ。

 自身へのではなく、アイナとカロラへの所業に対して。


 あの手紙によると、フリーダはアールベック家の事件より以前からアイナ達と知己であったらしい。

 そして事件のあとは、辛い記憶を振り払うべく助け合い、より親交を深めたとのことだ。


 そうやって寄り添い、日々を一生懸命に生きる者たちの努力を、タリアンは自身の欲望のために踏みにじった。

 かどわかされて悲劇に見舞われた彼女たちの過去を知りながら、なお拐かして閉じ込めたのだ。


 このような所業、激怒するに決まっている。

 特にフリーダは人のために怒れるひと

 タリアンへの怒りを抑えられるはずも無いのだ。


「どうしたんだい? 拾いなよ、早く」


「ぐ……賊が! 大逆犯の仲間だったとはな!」


 赤く染まった顔のまま、剣を拾い上げるタリアン。

 そして怒りに震える手で剣を構える。


「戦場で怒りに囚われるとはね。無様なことだよ」


 フリーダは自身のことを言ったのだ。

 剣士の自戒から出る言葉であった。

 だがタリアンは自分のことを言われたと思い、怒りを強める。


「死ねえぇぇーーー!! 卑賎の者めがァァーーー!!」


 剣を振り上げ、絶叫と共に向かって来るタリアン。

 フリーダは下段に構え、真っすぐ踏み込む。


 彼女のスピードは、タリアンの予測の範囲に収まるものではなかった。

 タリアンが剣を振り下ろした時、既にフリーダは彼の懐に入っていたのだ。


「なっ!?」


 タリアンの腕に隠れるように、細身のフリーダがその懐へ張りつく。

 そして、くるりと半回転しながらタリアンの背後へ出た。

 同時に、ひゅっ、と剣が閃く音がする。


「へえ……」


 シグが声を出した。

 彼には珍しい、驚きと感心を含んだ声だ。


「か……?」


 剣をぽろりと取り落とすタリアン。

 その腹は大きく裂かれている。


「が……ごひゅ……?」


 血を吐きながらゆっくりと膝をつき、そして倒れた。

 二度三度と床を掻き毟り、それから静かになる。

 バート・タリアン。

 かつて第五騎士団の団長を務め、タリアン領の領主であった男。


 今は骸になった。


「二人とも無事? ケガは無いかい?」


「フリーダ!」


 アイナとカロラが俺の後ろから出て、フリーダに駆けよる。

 そして抱き合う三人。

 骸の横たわる戦場にあっても、美しいものは美しい。


 あとは脱出するだけだ。

 まだ館の内外に敵は居るが、第三騎士団の護衛隊は殆ど残っていない。

 あとは衛兵ばかりだ。雇い主が死んでなお、騎士たちと同様に忠誠心を発揮する者はそう多くないだろう。

 突破は可能だ。


「あの……ロルフさんは、どうしてここに?」


 アイナが訊ねてくる。


貴女あなたたちが囚われたことを、フリーダからの手紙で知った。そして俺と、このシグは魔族軍に所属し、今タリアン領との戦に及んでいる。その関係もあって、ここに来ているんだ」


「ま、魔族軍? そうなんですか」


 俺の返答はかなり衝撃的だったはずで、実際アイナは目を見開いて驚愕したが、取り乱したり、不信を露わにしたりはしなかった。

 横に居るカロラも同様だ。


「あの……ロルフさん。詳しいお話は後にして、先に伝えたいことが」


「なんだ? カロラ」


「第三騎士団の者が言っているのを聞いたんです。軍を分けると。それ、ロルフさんにとって良くないことだったりしますか?」


 分ける?

 まもなく領境の平原で、魔族軍と第三騎士団がぶつかるはずだが、騎士団は別動隊を用いた戦術を展開するつもりだろうか?

 戦いには、フォルカーもアーベル総督の任を一時離れて参加している。

 彼ならその種の策は看破してくれると思うが……。


「何か……第三騎士団の中でも、他の者には聞かせたくないように話していました。私も扉越しに立ち聞きしただけですが、北を突くとかって……」


 騎士団内で方針が食い違っているのか?

 それに北を突く……?


 ────!!


 背筋を汗が伝った。

 目の前に一瞬、横たわる暗流が見えた気がする。

 俺たちは敵に出し抜かれてしまったかもしれない。


「狙いはバラステア砦か……!?」


 ◆


 少女は、生まれ育った集落に戻ってきていた。

 彼女がヘンセンで保護されている間に、この集落に慰霊碑が建立されたのだ。


 集落の中心部にそれはあった。

 大きいが華美ではなく、ひそやかな佇まいの慰霊碑は、死者の平穏な眠りを妨げないよう、十全の配慮が為されたものであると分かる。


 刻まれた碑文は、精霊信仰に基づいて鎮魂を願うものだった。

 少女は幼いが、そこに書かれた切なる願いは理解できた。


 この慰霊碑は、新任の将軍が陣頭に立って建立したらしい。

 大人たちは少女を慮り、軍と戦いに関することは耳に入れないようにしていたが、その将軍の名前は漏れ聞こえてきた。

 ロルフと言うそうだ。


 その名に少女は、どこか暖かい響きを感じた。

 実際、将軍ロルフは人品に優れた者らしく、アーベルの収容所から犠牲者たちの遺骨を引き揚げ、この地に還してくれたのだという。


 犠牲者の中には他の集落の者も多いが、誰がどこから連れてこられたかまでは分からない。

 これに際し将軍ロルフは、最も悲劇の色濃いこの集落での合祀を決め、慰霊碑を建てたのだ。

 少なくとも犠牲者たちは、祖国の土で眠りに就くことができた。


 少女は慰霊碑を見上げ、それから視線を地面に落とす。

 ここに眠っている。父母も、兄も。

 そして収容所で命を散らした姉もここへ還り、家族と共に眠っている。


 少女は両膝をつき、慰霊碑に両手と額を当て、そして目を閉じた。

 瞼の裏に浮かび上がる、家族の笑顔。



 ──おとうさん、おかあさん、おにいちゃん、おねえちゃん。


 ──おはかをつくってもらえたよ。


 ──どうか、やすらかにねむってください。


 ──もっといっしょに居たかったけど、がまんするね。



 慰霊碑に当てた手のひらに、体温を感じるような気がする。

 向こうから、家族がそこに手を当ててくれているような気がする。



 ──わたしはね、かえってこれたよ。


 ──エーファおねえちゃんに会えたよ。


 ──だから、さみしくないからね。


 ──がんばって生きるからね。



 祈り、そして伝える。

 生きのびたこと。

 大好きな姉に会えたこと。

 この世界で、懸命に生きていくこと。

 そして………。



 ──あのね。


 ──わたしは、あきらめちゃってたんだけど。


 ──でも、たすけてくれた人がいるんだよ。


 ──くらいところから、たすけてくれて。


 ──いっぱい、やさしくしてくれて。


 ──いろんなことを、おしえてくれて。


 ──それから。



 ──それから…………。



「…………わたしに……こころを……くれたんだよ……」



 目を開ける。

 ぼろぼろ。ぼろぼろ。

 気づいたら、涙が頬を伝っていた。


 思い出すのは、大きな手と大きな背中。

 そして、途方もなく大きくて、暖かい心。

 涙で滲む視界の向こうに、彼が居るような気がした。


「……………………」


 それは、そこにあった。

 慰霊碑のもとに捧げられた、沢山の花に供物。

 その中にある、小さな四つの陶器瓶。


 ────ヘンセンでしか売ってない、レモネードっていう飲み物があって……家族みんなそれが大好きで…………


 ────それじゃあヘンセンに行ったらそれを買おう


 夜の森で、彼と交わした会話。

 間違いなくそれは、あのレモネードの瓶だった。

 ここに眠る少女の家族四人と、同じ数の瓶。

 あの話は他の誰にもしていない。

 エーファは、ずっと一緒に居たから違う。


 ヘンセンで探したが、会えなかった。

 もしかしたら、戦火に呑まれてしまったのではないかと。

 認めたくはないが、その可能性の前に、少女は深く悲しんでいた。


 だが違った。

 生きている。

 そしてこの地に来たのだ。


 少女の体が打ち震える。

 流れ落ちていた涙は、さらに激しく滂沱ぼうだとして溢れ出た。

 そして感情が爆発する。

 思いが、切望が、奔流となって少女の胸に押し寄せる。



 会いたい!! 会いたい!! 会いたい!!



 胸に叫びが木霊する。

 流れる涙もそのままに、少女は南の空を見上げた。

 ヘンセンに行ったようだが、向こうでは会えなかった。

 この集落に来たらしいが、今はもう居ない。

 ならば砦とアーベルのある南の方へ戻ったのではないか。少女はそう考えた。


 アーベル周辺は、もう王国領ではなくなったと聞いている。

 だが、北側こそ魔族領が広がるのみ。そちらへ行くとも思えない。

 やはり可能性があるのは南、あの砦の方なのだ。


 行こう。

 少女は胸の前で手を握りしめる。


 エーファおねえちゃんに相談しよう。

 あの人を探しに行く。

 だって会いたい。

 どうしても会いたい!


 少女の小さな胸に、とても大きな決意が灯った。

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