105_嗤う聖女1
「わざわざ首を差し出しに来るとは、殊勝な心がけですね」
シーラは、微笑を崩さぬままそう言った。
いつものとおり、穏やかな声音だった。
「首をくれてやるつもりは無い」
第三騎士団の者たちは、完全に俺を取り囲んでいる。
いつでも斬りかかれる体勢で、十人の騎士が俺を見据える。
そしてその輪の向こうで、静かに佇むシーラ。
「しばらく会わないうちに、口の利き方を忘れてしまったようですね」
「記憶力が悪いんでな」
「でも、そんな口調もカッコいいと思いますよ。出で立ちも、ずいぶん素敵になったじゃないですか」
「ああ。良いだろう、これ」
そして間合いを測りながら騎士たちを見まわすが、穴になりそうな者は見当たらない。
全員、一様に実力者で、油断も無い。
「とは言えやっぱり、私は元の従卒さんが好きですね。人は謙虚でなければなりません。特に、弱き者は
「なら、そうしろ」
「うふふ……ねえ、従卒さん」
たおやかな微笑み。
声音は、春の日射しを思わせるほどに暖かく、柔らかい。
「さっきまで貴方を討つつもりだったのです。でも、こうして久しぶりにお顔を見て、少し情も戻りました。五年間も一緒に居たんですもの」
「………………」
「投降なさってください。悪いようにはしません。助命されるよう口添えしましょう。エミリーさんも尽力してくれる筈です」
「折角の申し出だが、お断りする」
「人の善意は素直に受けるべきですよ? 本来、貴方のような方への
差し伸べた手を、相手が取るのは当然だと思っている者たちが居る。
好きにはなれない。
高みに居る自分が手を伸ばしてやっているのだから、相手は有難く応じるべきだと思っているのだ。そうでなければおかしい、と。
そういう話に付き合う道理など無いが、伝わっていないようだ。
"折角の申し出だが、お断りする" では行儀が良すぎたかもしれない。
ちょうど良い。このところまさに、行儀の悪い物言いに憧憬のようなものを感じていたところなのだ。
シグのように、品位など気にせず、ただ気持ちを言葉にできたら格好が良いのではないか、と。
俺はもう貴族家の人間ではないのだ。ああいう物言いもできるようになりたい。
「シーラ」
「はい。従卒さん」
「地獄へ堕ちろ。神の
「…………あらぁ」
シーラの目に、いつになく昏いものが宿る。
だがこちらの意志は伝わったようだ。
「従卒さん、魔法を斬れるそうですが、ここに魔導士は居ません。居るのは腕利きの騎士が十人。分かっていますか? 貴方の十倍です。このぐらいの算術は出来ますよね?」
シーラの微笑が、嘲笑に変わる。
心から楽しそうな顔をしていた。
「それに私の力をご存知の筈。いかに優れた剣技を持っていても、どうにもならない状況はあるのですよ。お分かりでしょう?」
「何と言われようと
「ふふ……そうですか。残念です」
騎士たちの目に、ぴりりと殺気が満ちる。
その目が、戦いの始まりを俺に伝えた。
そして次の瞬間、シーラが戦闘開始を告げる。
「
魔力光が騎士たちを包み、そして消えた。
後に残ったのは、能力を大幅に増大させた騎士たちだ。
支援魔法には様々なものがある。
腕力を上げるもの、瞬発力を上げるもの、持久力を上げるもの等だ。
シーラが使った
そのうえシーラの場合、その効果自体が非常に強力で、能力の上げ幅が通常とは段違いだ。
そんな魔法を、十人の騎士へ同時に行使している。
まさに精強きわまる軍団を、魔法ひとつで作り上げる。
これが出来てしまうのが、シーラ・ラルセンという術士なのだ。
そしてその力を証明するように、騎士たちは図抜けた速さで斬りかかってきた。
「せあっ!」
上段に構えた剣を振り下ろしてくる騎士たち。
四人が四方から同時に襲い来る。
俺はその一人、右前方の騎士へ踏み込み、剣と剣を横から重ね合わせた。
刃の擦り合う音が、しゅりんと響く。
そのまま
騎士は前方によろけ、斬り込んできていた他の三人と接触する。
「うおっ!」
これで四人を二秒か三秒、無力化できた。
俺は取り囲む六人に目を向ける。
やはり連携に優れていると見え、飛び込んだ四人をカバーするべく、二人が前に出ていた。
俺はそのうちの一人、近い方の騎士へ踏み込み、煤の剣を横薙ぎに振り抜いた。
「おぐっ……!?」
騎士は、四人の接触に注意を奪われていた。
四人のカバーが仕事なので、彼らに注意を向けるのは誤りではないが、ほんの一瞬だけ、俺の動きを意識から外してしまったのだ。
俺はその意識の間隙を突くことに成功した。
腹を割かれ、骸となって崩れ落ちる騎士。
彼らは高いレベルで連携が取れているが、それだけに、一人が落ちれば全体が狂う。
当然、人数が減ったらすぐに陣形を組み直す訓練を積んでいるだろうが、それでも少しの隙は生まれる。
そこを逃さないことが肝要だ。
ほんの小さな取っ掛かりを作り、そしてそれを確実に掴む。
そしてそこから突破口を開く。
兵法の基本の一つだ。
騎士の一人が行動を選択すべく、一旦うしろへ退いた。
これがまさに小さな取っ掛かりだと気づいた俺は、騎士が呼吸を一つ
肉を貫く音がずぐりと響く。
黒い刃が喉を貫通したのだ。
騎士は吐血し、声も無く倒れ行く。
瞬く間に二人が倒れ、騎士たちが怒りと緊張に顔を歪める。
最初に斬り込んで来た四人は体勢を立て直し、残った騎士たちと共に陣形の再形成を図った。
「もう一度囲むぞ!」
いや、包囲はさせない。
いちばん近くに居た騎士へ、俺は一気に肉薄する。
「調子に乗るなァ!!」
そう叫びながら、騎士は下段を振り入れてくる。
シーラと騎士たちはそう思っている。
だが、それは誤りだ。
しゅりん。再び響く、刃同士が擦れる音。
俺が剣を合わせ、刀身に刀身を這わせて払うと、騎士の剣は彼の予定とまるで違う軌道を描き、誰も居ない空間を斬った。
「えっ……」
返す刀で、下段からの斬り上げを見舞う。
ざしゅりと音をあげ、刃が肉を断った。
絶命した騎士が崩れ落ちる。
それと同時に、別の騎士の剣が振り下ろされてくる。
だが既に俺はそこに居らず、包囲の外へ抜け出ていた。
騎士たちは悔しげに歯噛みする。
そして彼らの後ろで、シーラがやや目を見開いていた。
額には一筋の汗が見える。
それでも笑みを浮かべたまま、表面上は余裕の態度を崩さない。
「……なかなかやるじゃないですか。
「悪いが、俺を相手に
「…………」
いくらパワーとスピードが強化されていても、技量は変わらない。
技量は、研鑽と実戦を積み重ねて磨き上げるしかないのだ。
そして技量の伴わない剣に怖さは無い。
思い出すのはアーベルで戦ったテオドル・エストバリだ。
魔力で大幅に身体強化し、恐るべきスピードで挑んで来た難敵。
彼は、強化された能力に振り回されること無く、確かな戦闘技術で俺を追い詰めた。
目の前に居る騎士たちは、いずれも優れた使い手だが、テオドルとは比べるべくもない。
彼との戦いを経験していなかったら展開も違っていたかもしれないが、今の俺にとっては、難しい状況ではないのだ。
もっとも、俺としても若干、三味線を弾いている。
パワーとスピードが上がるだけでも面倒ではあるし、対応を誤れば敗れる可能性も当然ある。
俺は油断なく剣を構え、騎士たちを見据えた。
「……想像以上ですよ従卒さん。毎日朝晩、せっせと訓練していた甲斐がありましたね」
シーラは、俺の毎日の稽古について知っていたようだ。
だが、それを知っていても、実力を見誤っていては意味が無い。
「想像以上などと簡単に言うが、それで良いのか? たぶんシーラは客員参謀なんだろう? 俺を知る者として、知見を与えるために来た筈。それなのにあっさりと騎士を失っていては、第三騎士団に申し訳が立たないと思うが」
「ふ、ふふ……」
唇を僅かに震わせるシーラ。
笑みが、その顔から剥がれ落ちつつある。
「ところで算術が得意なら教えてくれ。十秒ほどで三人落ちた。残り八人、あと何秒もつ?」
シーラも数に含めつつ、そう言ってやる。
騎士たちが怒りに震え、一様に顔を歪めた。
音が聞こえてきそうな程に歯ぎしりをしている者も居る。
精鋭たる第三騎士団、それも領主の護衛を任される者たちだ。
気位が高いのは当然のこと。
挑発はそれなりに有効なようだ。
こちらとしては兵法で数的劣勢を埋めるよう意識しなければ、いつ足を掬われるか分からないからな。
打てる手はしっかり打っていく。
「
対してシーラが打った手は、支援魔法の重ね掛けだった。
怒声に近い声で放たれた魔法が、騎士たちの体を再び光で包み込む。
第二幕が始まるらしい。
ならばこの第二幕で終わりにしよう。
俺は息を吐きだし、剣を握り込んだ。
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