104_温室の愚者
「バカみてえに広いな」
シグは廊下を走りながら、そう
子供の頃、貴族の屋敷には何度も盗みに入った。
ゴミと泥をすすって生きる浮浪児にとって、蜂蜜漬けの果物を毎日食べているような貴族たちは、怒りを向ける相手でしかなかった。
食べ物を盗みに入るなら市場のほうがよほど楽だが、あえて貴族から盗むのは、その怒りゆえだったのだ。
そしてこの館は、過去、盗みに入ったどの屋敷よりも広い。
何せ領主の館だ。シグが憎む、この地の金満貴族たちの首魁である。
子供の頃から繰り返してきた、奪い返すための戦い。
この館はその本命とも言えるのだ。
そんな思いが通じたのだろうか。
邪魔な護衛隊を斬り倒した先、ひときわ豪華な扉の向こうに、その男を見つけた。
帯剣しているが、出で立ちから明らかに貴族と分かる。
「ふん、俺がアタリ引いたか」
そう言って、美しく毛色の長い絨毯へ踏み入っていくシグ。
男の隣に居た若い女が
「貴様が侵入者か。ロルフ・バックマンではないようだが、何者だ。名乗れ」
「どうしてみんな名前を知りたがるのかねえ……良いけど。俺ぁシグだ。ロルフの、まあ……ダチだ」
それを聞き、ゆっくりと、芝居がかった動作で女は剣を抜いた。
そして剣先をシグに向け、朗々と告げる。
「私はタリアン子爵家が長女、ソフィ・タリアン。不埒な逆賊を、今ここで誅してくれよう!」
「あ? 一人で戦うつもりか? そっちに居るのが子爵だと思うが、騎士団長だったんだろ?」
「私が出るまでもない。娘ソフィはこの私が育てた傑物。貴様など敵ではない」
「そういう事だ。まあ、冥土の土産に剣というものを教えてやろう」
シグは訝しんだ。
冗談なのか、それとも何かの策なのか。
目の前の女は見るからに隙だらけで、とても強者に見えない。
もっとも、罠なら罠で食い破るだけのことだが。
「ふ……言葉も無いか? では行くぞ!」
ソフィが踏み込み、上段を振り入れてくる。
そして事も無げに、がきんと響く金属音。
シグが弾き返したのだ。
剣はソフィの手を離れ、後方に飛んでいく。
一瞬、何が起きたのか分からない顔をするソフィ。
それから慌てて跳び
「……い、一度のまぐれで調子に乗るなよ? もう容赦はしない!」
「容赦しねえのは俺も同じだぜ。雑魚でも、剣を持って戦場に立ってる以上はな」
「貴様! いま何と言った!!」
「ソフィ、やはり加勢しよう。女神と王国の名のもと、確実に神敵を排除せねばなるまい」
そう言って、剣を抜きながら近づいてくるタリアン。
口調に自信を
シグは概ね理解した。
この親子は自身の実力を解さない愚か者だが、取り立てて珍しい存在ではない。
慮られ、礼遇され、称揚され、道を譲られ続けるなか、限りなく自己を肥大化させてしまったのだ。
特権という刃に周囲がひれ伏す世界を生き続けた結果、自身には力と価値がある、自身は尊い存在だと思い違いをしてしまったのである。
タリアンが騎士団長まで昇ったのも、運と時流と家格があってのことなのだろう。
そして軍拡前の
「哀れっちゃ哀れだが、やっぱりムカつくってもんだ」
敵と見ればただ斬り伏せるシグにしてみれば、珍しい行動だった。
よほど腹を立てたのだろう。タリアンの腹に前蹴りを見舞わせたのだ。
「ごべ!?」
剣を振る間もなく蹴飛ばされ、派手に転がるタリアン。
ソフィは、その光景に理解が追い付かない。絶対的な英雄たる父が床を転がるわけがないのだ。
そのソフィを、同じくシグが足蹴にする。
「ぐぁっ!?」
ごろごろと転がるソフィ。
その横で、立ち上がったタリアンが剣を振り上げる。
「貴様ぁーーー!!」
シグは、振り下ろされてくる剣を半身になって躱し、片手でタリアンの腕を掴んだ。
そして思い切り捻り上げる。
「ひ、ぐぁぁーーー!!」
剣を取り落とし、膝をつくタリアン。
目に涙を浮かべている。
「であぁーーー!!」
ソフィが立ち上がり、斬りかかって来た。
シグはタリアンを放し、ソフィの剣を横合いから弾く。
そしてみぞおちに拳をねじ込んだ。
「おぶ!?」
父と同じく、涙を浮かべながら両膝をつくソフィ。
二人とも、蹲って唸り声をあげている。
やがて唸り声は静かな怒声へと変わっていった。
「貴様ごとき……どこの馬の骨とも分からぬ木っ端が……領主たるこの私を! 下賤の者は恥を知らぬから度し難い!」
「おのれ……!! 我らに対してこのような……! 許されると思っているのか!!」
ふらふらと立ち上がったのはソフィだった。
顔を憤怒に歪めている。
「
「あん? ロルフの仲間だから何だってんだ」
「奴は何ら他を益するところの無い無能者! 戦う術も持てず、逃げた先で怨嗟を募らせるだけの卑劣漢! まさに最悪の愚物よ! その仲間たる貴様も、礼を知らぬ屑ということだ!!」
「……あ?」
シグのこめかみに、びきりと力が入る。
ソフィの台詞は腹に据えかねるものであった。
礼を知らぬ屑などと言われたところで、彼にとっては取るに足りないことだ。
実際、礼など知らぬし、わざわざ怒るようなことではない。
だが、ソフィの台詞は聞き捨てならなかった。
どうしてか怒りが湧き上がる。とにかく腹が立つのだ。
「卑賎の剣では害せぬ尊びを知るが良い! 私は貴様を誅した後、奴の首を獲る!」
「……あのよ、俺は二人がかりでもロルフに負けたんだぜ。その俺に二人がかりで歯が立たないお前らが、どうやってあいつを倒すんだよ」
「だまれ! だまれぇ!!」
地団駄を踏むように怒り狂うソフィ。
タリアンは、ロルフがより強いというシグの言葉に、茫然とした表情を浮かべている。
「死ねぇ!! 野良犬がぁーーー!!」
剣を上段に振りかぶり、まっすぐ突っ込んで行くソフィ。
なおも自身が強者であるという確信を捨てられずにいる彼女は、自らの剣が弱者を斬り伏せることこそ、当然の帰結であると思っている。
だがその剣がシグに届くことはない。
かわって、シグの剣がソフィの胸を斬り裂いた。
「がっ……!?」
胸と口から血を噴きながら、前のめりに倒れるソフィ。
自分の身に起きたことが理解できない。
「悪りぃけど、戦いだからよ。それに、その綺麗な宝石が付いた剣は、誰かの血を吸い上げて
消えようとする意識が、かろうじてシグの声を聞き取った。
負けたのか?
でもどうして?
何故こんなことに?
強くて高貴な自分が何故?
必死で答えを求めるが、それに至ることなく、ソフィの命は消え去った。
彼女は結局、稽古相手が木剣の前に身を晒してくれる温室から出てこなかった。
その温室を真実だと思い込んだまま、世界に別れを告げたのだ。
「ひいぃぃいぃ」
情けない悲鳴がシグの耳に届いた。
声の方に目をやると、タリアンが這うように部屋を出て逃げ去るところだった。
「……いやいやマジかよ」
あまりのことに、追うことを忘れ立ち尽くしてしまうシグ。
娘の敗死を前にした父の行動として、
大抵のことに動じないシグも、これには呆れるしか無かった。
◆
シグと二手に分かれた俺は、館のなかを慎重に進む。
タリアンが居るとしたら角部屋だろうか。
そう思い、突き当りの扉から中を覗き込む。
人影は無いが、どうも気配がする。確かめた方が良さそうだ。
そう考え、俺は部屋の中へ入った。
ここは大きめの広間のようだ。
ちょっとした催事が出来るぐらいの広さになっている。
そこへ、幾つもの鎧の音。
柱の陰に隠れていた敵たちが現れ、俺を取り囲んだのだ。
どうやら皆、第三騎士団の者であるようだった。
「……ハズレか」
敵の数は十人。一階での戦いより厳しい状況だ。
腰を落として剣を構える俺に、騎士のひとりが声をあげた。
「大逆犯ロルフ・バックマン! 貴様は包囲されている! 投降せよ!」
既に俺の素性はバレているようだ。
まあ、問題ない。戦うだけだ。
そう考える俺の耳に、新しい足音が聞こえる。
騎士たちの後ろから現れた、十一人目の敵。
「従卒さん、お久しぶりですね。お元気そうで何よりです」
ころころと典雅な所作で笑う、美しい女性。
銀の
実際、回復術士だ。
しかも、俺が出会った回復術士の中で、最大級の技と魔力を持つ人物であった。
「シーラ・ラルセン……」
胸元で、銀のロザリオが輝いている。
そしてその上には、およそ戦場に似つかわしくない微笑があった。
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