99_黒衣
「手斧を研ぐ場合は、このように斧の方を固定するんだ。そして砥石を手に持ってムラなく研ぐ」
庭先で薪を割ろうとしていたエマが難儀していた。
どうやら手斧の切れ味がかなり落ちていたらしく、薪に刃が殆ど通らない。
そこで俺が、研いだ方が良いと申し出たのだ。
「わあ、手際が良いですね、ロルフさん」
「戦う者なら刃物の手入れはできて当然だからな」
特に俺はエミリーの武器の手入れを五年もやっていたのだ。
これぐらいは朝飯前と言うもの。
「そうなんですか? うちの人はちっとも研いでくれませんよ?」
「どうやらフランクに悪いことを言ってしまったようだ。俺のせいで夫婦仲が悪くならなければ良いが」
「ふふ、大丈夫ですよ。うちの心配をするより、ロルフさんに良い人は居ないんですか?」
「これは手痛い反撃を受けてしまった。それよりほら、できたぞ」
手斧をエマに渡す。
それを使い、エマが薪を割った。
「わっ! すごい! さっきと全然ちがいます!」
「よく切れない刃物は不効率なだけでなく、危険だ。手入れはきちんとした方が良い。俺に声をかけてくれても良いから」
「助かりますロルフさん! わっ! わっ! すごく楽!」
やたらと楽し気に薪を割るエマ。
明らかに必要以上に割っている彼女の背後から、男が近づいてきた。
「来たぞロルフ」
「ああ、シグ」
「こんにちは、シグさん」
「おうエマ」
見ると、例によって頭にアルノーを乗せている。
「今日もシグさんはアルノーちゃんを標準装備ね」
「チッ、こいつが下りねーんだよ!」
「えへへへへ」
さらにシグの後ろから子供たちが四人。
彼らはアルノーの友達だ。
皆、木剣を持っている。
「ロルフさん! 今日も剣、教えてもらって良いですか?」
「ああ、構わないぞ。ただこれからシグと大事な話があるから、その後でな」
軍の再編はつつがなく進み、俺たちはタリアン領への侵攻を間近に控えている。
今日はそれを踏まえ、編制と作戦行動をシグに伝える予定なのだ。
「ロルフ、こいつがエマんとこの馬を見たいらしいから行って来る。ガキどもの相手しとけ」
頭上のアルノーを指さし、面倒くさそうに言うシグ。
エマがこっちよ、と言って歩き出した。
「そうか、分かった」
子供たちに剣を教えてほしいと言われた時は面食らった。
ロルフという人間はめっぽう強い、という噂があるらしい。
それでなくとも、将軍となれば憧憬を寄せる子供は居る。
ディタのように憎しみに囚われてしまう者も居る一方で、人間に教えを請おうと考える子らも居るのだ。
「このあいだ教えた、剣の握り方は覚えているか?」
「はい!」
俺は人に教えるほどのタマではないが、なんとか先生の真似事をしてみる。
もっとも俺が彼らに教えるのは、ごく基礎的な部分と、護身の範囲に留まる簡素な技術、そして心構えだ。
敵を倒す技術は、この子たちにはまだ不要だろう。
もう少し成長して、本当にそれが必要だと自ら判断したなら、改めて身につければ良い。
とは言え、彼らが長じるころ、きっとそれらの技は不要な世界になっている。
きっとそうなる筈なのだ。
◆
「でやあああああ!」
子供たちが、四人がかりで俺の足にとりつき、押し倒そうとしてくる。
皆、なかなかのパワーだが、これぐらいでは俺は倒れない。
剣術の指導中、膂力はどれぐらいあった方が良いのかと問われた俺は、あって困ることはないと答えた。
その後、いま皆にどれぐらいの力があるのか見てみようという話を経て、この形になったのだ。
「のおおおおおお!」
四人とも、気合十分に押し込んでくるが、俺は動かない。
ここで倒れて成功体験を与えるべきだろうかとも思ったが、見たところ四人とも克己心が強く、俺が立ちはだかった方が成長に繋がりそうだったのだ。
「うううおおおおお!」
「どうした? 俺はグラつきもしていないぞ?」
「くうぅぅぅぅおおお!」
「何してんだよそれ」
シグたちが戻ってくるまで、子供らは必死に俺の足を押し続けた。
その後、指導を切り上げると、子供たちをエマが送ってくれた。
アルノーはシグの頭から下りたがらなかったが、エマが大事な仕事の話だと言ったら引き下がってくれた。
それから、タリアン領での作戦行動についてシグと対話を持つ。
彼は特に役職を与えられているわけではないが、やはり立場が特殊だし、何より、大きな戦力なのだ。
領境の平原で第三騎士団とぶつかる際、彼に求める役割について話しておく必要があった。
「まあ遊撃が一番やり易いからよ。それで良いぜ」
「シグ。遊撃と言っても好き勝手というわけじゃないからな」
「分かってるよそんなもん」
遊撃を担当する者には、攻める相手と守る味方を戦況に応じて判断するという、高度な戦術眼が必要だ。
シグは、論理立ったそれを持っているわけではないが、代わりに戦場の勘所を押さえる嗅覚のようなものを持っていると思う。
それを活かし、なるべく自由に動いてもらうのが全体にとって有益だと俺は判断したのだ。
「ま、バシッと片付けてサッサと帰って来るか」
"帰って来る"。
シグはこの地を帰る場所と言った。
かなり順応性が高いようだし、魔族との生活に心配は要らないようだ。
「そうだな。片付けよう」
もっとも、このとき話した内容は、のちに結局不要になってしまうのだった。
◆
日が暮れ、シグが帰った後、俺は軍の編制表を再チェックする。
戦いが近づくにつれ、緊張感が高まっていく日々だ。
俺は編制や作戦について、納得がいくまで何度も確認し続けていた。
「相手はユーホルトだからな……」
第三騎士団 団長、マティアス・ユーホルト。
十五年、騎士団長を務めている男。
その間、中央の期待を裏切ったことは一度も無いと言われている。
強大な相手だ。
「少し休憩するか」
思考に疲れを感じた俺は、馬乳酒の入ったポットを手に取った。
そして中身を椀にそそぐ。
こいつの苦みと酸味は、頭をキリっとさせてくれるのだ。
そして椀に口をつける直前、ドアがノックされた。
誰だろうか。立ち上がってドアを開ける。
そこに居たのは、先日、防壁の外で対峙した人だった。
「ディタ殿」
ゴルカ族の族長の娘、ディタだ。
ドアの外に、俯いて立っている。
「どうしたんだ? とにかく入ってくれ」
「ここで良い。これ」
ディタが差し出したのは、服だった。
戦場で着るタイプの、革の外套。
真っ黒で、かなり高級感のある風合いをしている。
「俺に?」
「そう。貴方が倒した
「
ディタはこくりと頷いた。
これは驚いた。
素材の希少性もさることながら、仕立てられる者が殆ど居ない。
銀の鎧よりも高価なのだ。
そして性能も素晴らしい。
全く動きを阻害しないほど軽いうえ、非常に丈夫な事で知られている。
「これほどのものを……縫製も意匠も見事なものだ」
手渡された外套は凄い代物だった。
美と深みを持った漆黒は、黒曜石を思わせる。
そして細部まで完璧な作りは、どこか執念を感じさせた。
仕立てた者の鬼気迫る感情が伝わってくるようだ。
まるで、憎い仇に刃を突き立てることを想像しながら一針一針を入れたかのような。
……いや、実際そうなのだろう。
「今もって、私は人間を、貴方を
「…………」
「苦しいのに……。憎くて憎くて、それが苦しくて仕方ないのに、憎むことから逃れられない。きっと私は、死ぬまでこのまま」
「そんなことは無い。時間は要るだろうが、その時間が、きっと貴女の心を解放してくれる。そしてそれまでの間、ドゥシャン殿はじめ、貴方を大切に想う人たちが助けになってくれる筈だ」
「………………」
「それから俺は、言葉で貴女を慰める術を持ってはいない。だが、俺の戦いは母君の鎮魂にきっと繋がる。それを信じて俺は戦うだろう」
「……そう」
「ああ、そうだとも。それとこれ、本当にありがとう。素晴らしい装備だ」
「別に。私は、助けられたことに対価を支払ってるだけ」
「そうか。だけどディタ殿、先に謝っておく。この外套は戦いの中できっと何度も斬りつけられ、傷だらけになる。俺はそういう戦い方をする男だから。だが俺は、どの戦場へ行ってもこれを頼りにさせてもらう」
「どうでも良い。あとこれ、鞘も作ったから」
「鞘も……助かる」
煤の剣はもともと剥き身で奉られていたので、鞘は間に合わせのものを使っていたのだ。
「じゃあ、帰るから」
「送ろう」
「無理。送られたくない。それに、この町はそのへんの治安は大丈夫だから」
そう言って、振り返ることなく立ち去るディタ。
俺は彼女のうしろ姿をずっと見つめていた。
「赦せるさ……いつかきっと」
◆
今日は色々あった。
感慨にひとつ息を吐き、馬乳酒の入った椀を手に取る。
そして椀のなかに揺れる白い液体を眺めながら、一日を思い起こす。
様々な示唆を得た日だった。
まだ何にも染まらず、そのため人間である俺を手放しで信用する子供たち。
憎しみに囚われながらも、赦したいと願うディタ。
人間と魔族は共に戦える。俺はそのことを再認識した。
俺とシグだけではない。この先、新たに人間と結ぶことは可能だ。
最も重要なのは、魔族排外主義が女神信仰と結びついているという点だ。
この推測は、かなり確度が高い。
実際、信仰心の薄い唯物論者たちを集めたアーベルの参事会は、今のところ上手く回っている。
つまりこの先、女神信仰から遠ざかっていて、かつ王国に盲従していない者たちが現れれば、
この戦いは
王国にとってはそうでも、俺たちにとっては理不尽からの解放をこそ目的としたものなのだ。
決して種族間の戦争ではない。
であればこそ、人間と協力することは可能だ。
「そのためには、俺がもう少し頑張らないとな」
真摯に戦う姿を見せることで、信じるに値する人間も居ると魔族たちに示すのだ。
そして、魔族と結ぶことを良しとする人間たちと出会うのだ。
今後の展望を考えながら、俺は馬乳酒の椀を口に運ぶ。
そして唇を付けようとした瞬間、またドアがノックされた。
「来客の多い夜だな」
そう言って、ドアを開ける。
今度は見慣れぬ男が立っていた。
「軍の者のようだが」
「はい。ロルフさん、貴方に手紙です」
「手紙?」
「アーベルの参事会に届いたんです。どうもタリアン領から来てるらしくて」
「ふむ」
手紙を受け取り、開封する。
そして差出人の名を見て驚いた。
「フリーダ……?」
そこにあったのは、アールベック子爵邸で共に戦った、忘れ得ぬ傭兵の名だった。
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