97_ありがとう

 ディタはこの場から連れ出された。

 そしてドゥシャンは顔に忸怩たる思いを浮かべ、俺に謝罪する。


「ロルフ殿、アルバン。済まない……! 俺としたことが、我が子の監督もできず、このような事態に……!」


 歯噛みした顔を俯かせ、絞り出すように言うドゥシャン。

 その悔しさは如何ほどか、握られた両拳が震えている。


「ディタは必ず厳刑に処する。かかる事態、決して、決して……軽視はしない……! 俺は、族長として……」


 ぼろりぼろりと、ドゥシャンの双眸そうぼうから涙が零れた。

 厳めしい顔をぐしゃりと歪め、嗚咽を喉で押し留めている。

 ディタがあの挙に及ぶまで、彼女の心情に気づけなかったという事実は、父親としてのドゥシャンを打ちのめしていた。


「俺は何ともない。厳刑の必要は無いだろう」


「ありがたい仰せだがロルフ殿、他氏族に対する刃傷沙汰だ。ディタの罪はあまりに重い!」


 叫ぶように答えるドゥシャン。

 声音に無念が滲み出ている。


「刃傷沙汰じゃない。負傷していないのだから」


「よしてくれロルフ殿! ゆるす理由にはならん!」


 ディタが処断されれば、それをもって俺を恨む者がまた出てくるに違いない。

 この公正なドゥシャンの胸中にも、何かが燻ってしまうだろう。

 そんな円環は断ち切りたい。

 赦すことも戦いなのだ。


「アルバン殿。この件について我々ヴィリ族側から要求することがあるだろうか?」


「無い。同盟さえ成ればそれで良い」


 本来、族長として貸しを作っておくべき場面ではあるだろう。

 だがアルバンも娘を持つ身。

 娘の母をうしなっている点もドゥシャンと同様だ。

 彼に対し、相通あいつうずるものを感じているに違いない。


「ドゥシャン殿。こちらの族長もこう言っている。貴方の差配に口出しはできないが、彼女を処断することは我々の未来に解決をもたらさないと俺は思う」


「し、しかし!」


「それに族長の責務より父親の責務を優先すべき時ではないだろうか」


「…………!」


 言葉に詰まるドゥシャン。

 彼が父親として娘を大切に思っていることは、見れば分かる。

 それでも族長として厳しくあろうとしているのだ。組織の長として公正な態度ではある。

 だが父親にも責務がある以上、常に公人の責ばかりを優先すべきとは限らないのではないか。


「まあ、子を持ったことの無い俺などに、親の何たるかが分かる筈もないが」


「ロルフ殿…………」


「ドゥシャンよ、ここはロルフの言うことを聞いておけ。ディタとよく話し合うんだ」


「………………すまない。二人とも、感謝する……!」


 頭を下げるドゥシャン。

 願わくばディタも赦しに至って欲しい。

 それを俺が願うのは筋違いかもしれない。

 だが心を憎悪に絡め取られれば、きっと俺たちは戦いに負けるだろう。


 ◆


「で、ディタって人はどうなったの?」


「さすがに秘書官の任は解かれるようだが、刑は科されないそうだ」


「そうなんだ。良かったじゃない」


 リーゼは、どこかあっけらかんと述べた。

 思えば彼女は、全くと言って良いほど俺に敵意を示した事が無い。

 彼女にも、胸に秘すものが皆無であるという事は無いと思うのだが。

 感情の受け止め方、感情の発露の仕方。

 それらは本当に人それぞれであるようだ。


「短剣で刺すぐらいじゃロルフを殺せるわけないのにね」


「いや、刺されたら死ぬと思うが……」


 訳の分からないことを言い出すリーゼ。

 俺を何だと思っているのだろうか。


「着いた。ここだよ」


「おお、これは……」


 背の高い書棚がずらりと並ぶ光景。

 そこにぎっしりと詰まった、大小さまざまな本たち。

 古びて色褪せた背表紙は、それが長く知を伝えてきたものであることを証明している。


「本当に書物が好きなんだね。目が輝いてるよ」


 俺は、ヘンセンの蔵書院に入らせてもらっていた。

 是非ともこの地の歴史や知識に触れたかったのだ。


 ドゥシャン以下ゴルカ族の面々は、しばらくヘンセンに残り、ヴィリ族の武官と細かい調整を行う手筈になっている。

 したがって、武官である俺たちはこれから更に忙しくなる。

 ここを訪れるなら今のうちだと思ったのだ。


 俺はぐるりと書棚を見まわす。

 予想以上の蔵書量、そして子供の頃から大好きな紙の匂い。

 ここが領軍に焼かれなくて本当に良かった。


「悪いな、案内を頼んでしまって」


「良いよ。私もここ好きだし。あ、これとかよく読んだな」


 リーゼが手に取ったのは、竜の伝説に関する本だった。

 あまり女性が好む本ではないと思うが、リーゼは好きらしい。


「さすがだ。良い趣味をしている」


「竜はロルフも好きなんでしょ?」


「ああ、一家言いっかげんあるぞ。美しく迫力ある伝説の数々と言い、圧倒的な存在感と言い、竜というものには実に夢想のしがいがある。一部には実在しなかったとする説もあるが、それは誤りだ。二柱の竜が実在したことは、今日まで残る様々な爪痕によって証明されているんだ。博物学者で竜研究の第一人者、ベネディクト・スヴェンソンが著した『大竜譜纂たいりゅうふさん』では、古代史に語られる竜の伝説と、各地に残る竜の痕跡の符合について詳しく説明されているな」


「そ、そう」


「竜の起源は、神代かみよの昔より更に太古へ遡る。竜以外の生命が無かった時代から世界に存在していたとも言われている。ここまで来ると浪漫主義が過ぎると言う者も居るが、重要なのは、竜が世界の観測者であるという論が持つ説得力であって、もしそうなら」


「と、とりあえずこれ見てみる?」


 リーゼがさっきの本を差し出してきた。

 まだ語り足りないが、それを受け取ってページをめくる。


「ふむ。これには竜人伝説について書かれているな」


 熾竜しりゅうジュヴァには、人間との間に子をしたという伝説がある。

 この伝説は、ジュヴァと人間の恋物語や、その子供の冒険譚など、様々な形で今日まで語り継がれているのだ。

 いずれもあくまで創作だが、子を生したのは事実であるという説は根強い。

 この本は、その説を学術的に論考したものだった。


「かなり真面目なアプローチの本だな。リーゼは昔からこういうのが好きなのか?」


「いや、物語とかの方が好きだよ。でもジュヴァの子供の話は何か好きで、色々読んだの」


 竜と人間の子供。

 居るなら会ってみたいものだ。


「それってロルフだったりする?」


「俺ではないな、どう考えても。何故そう思うんだ?」


「だって色々普通じゃないし、その剣使えてるし」


 たしかに、俺が腰にく煤の剣は、竜の伝説の一部だ。

 これを持つことを許されているという点において、竜との縁を感じぬでもない。

 だがさすがに俺は竜の子じゃない。


「普通に歳をとっているぞ」


「竜の子は、ある時期までは普通に歳をとって、そこで止まるらしいよ」


「いや、俺は太古から生きていない。まだ生まれて二十年ちょっとだ」


 それにこの剣は、古竜グウェイルオルにゆかりのある剣だ。グウェイルオルの炎で炭化したものと伝えられている。

 ジュヴァはグウェイルオルと反目したというし、その子供が使えるのもおかしいような気がする。


「むー、残念。でもあんまり二十歳はたちに見えないけどね。特に中身が若者っぽくない」


 残念がられても困るうえに余計なお世話だった。


 ◆


 その後、数冊を借り受け、蔵書院を後にした。

 好きな本を持ち出して良いというのは有難かった。

 俺は魔族の武装に関する解説書と、この地の郷土文化に関する本、それと魔族社会に議会制を成立させた者たちの伝記を借りた。


「ずいぶん色んな分野から選んだものだね」


「狭く深く学ぶのも大事だが、今は魔族について広く知りたいからな」


 小ぶりなヤマイモを甘く煮たものを口に運びながら、茶を飲む。

 蔵書院を出た俺とリーゼは、茶店に来ていた。

 リーゼへの今日の礼だ。


 この町も、中心部は商店が多く、それなりに華やいでいる。

 飲食店と言えば酒場が多いが、茶と簡素な茶菓子を出す店も点在していた。

 喫茶文化の賜物であるようだ。


 俺たちは店先のテーブル席に向かい合って座っている。

 陽射しが暖かく、気持ち良い。


「あー、このお茶おいしい」


「良い香りだ」


 幸せそうに茶を飲むリーゼ。

 今日は終始笑顔でいる。

 戦場では凛々しいものだが、こうして見るとやはり少女だ。


「なに? じっと見て」


「いや……実はリーゼに相談がある」


「相談? ロルフが私に?」


 アルバンに相談しても良かったが、リーゼら同格の仲間もきちんと頼ると俺は決めているのだ。

 だから彼女に聞いて欲しかった。


「ああ。構わないか?」


「もちろん」


 一口、茶をすする。

 それから、椀の中で揺れる茶に目を落としつつ、俺は話し始めた。


「……収容所の戦いで、よく知る者と会ったんだ。具体的には、俺の妹だ」


「…………」


「覚悟を持って臨んだ戦い、のつもりだったんだが……」


 それから俺は、心情を語った。

 決意のもと国を捨てたこと。

 旧知の者とも戦う覚悟であること。

 それが家族や、それと同じぐらい親しい者であっても、戦わねばならないと思っていること。

 信ずるもののため戦場に立つ以上、戦えない、戦いたくないと言って覚悟をひるがえすつもりは無いこと。


 俺の話を、リーゼは黙って聞いてくれた。

 さっきまでとは打って変わり、真剣な表情をしている。


「だが、収容所で妹───フェリシアと戦った時、俺は彼女を斬れなかった」


 彼女に肉薄し、その身に剣が届くところまで行った。

 彼女は『冷刃』チリィブレイドで近接戦闘にも対応してきたが、それは俺にとって、恐らく脅威と言えるものではなかった。


 だが俺の剣は、彼女の肩口を掠めただけだったのだ。

 あの時、本来なら彼女を倒せていたのではないか。

 俺の心はフェリシアを斬ることを拒絶したのではないだろうか。

 つまり自身の覚悟を否定したのだ。


 俺は修羅になりたいわけではない。

 だが、俺を迎え入れようとしてくれている魔族たちを裏切るような行動には、やはり恥を感じる。


「俺は、覚悟ができたつもりになっていただけの男なのかと……」


 そこまで言うと、リーゼが対面から背伸びして手を伸ばしてきた。

 そして掌を俺の頭に乗せ、撫でる。


「ふむ……これはどういうアレなんだ?」


「ちゃんと相談できて偉いなって」


 そう言って、リーゼは座り直し、また茶をすすった。

 俺に向けた目を優し気に細めている。


「ロルフは、我慢しちゃう人なんじゃないかって思ってた」


「実際そうかもしれん。頼ることの大事さを知ってはいるつもりだが、中々な」


「我慢できちゃうのも考えものだね」


 薄く微笑み、正面から俺を見つめるリーゼ。

 長い金髪が、午後の陽光に美しく照らされている。


「迷うのは当然だよ。揺らぐのは当然。それは裏切りでも何でもないと思う。魔族にせよ人間にせよ、心を持ってるんだもの。でもロルフの覚悟はひたすら気高くて、そこには嘘もまやかしも全然ないよ」


 優しく、どこまでも優しく俺を肯定するリーゼ。

 声音は綿毛のように柔らかく、暖かい。


「かつて一緒に居た人たちとの戦いを、私たちはロルフに強いたくなんてない。もし戦えなくなったら、いつでも私に言って欲しい」


 目の前の少女は俺より二つほど年下だが、大きな責務を与えられて久しい。

 人より多く、そして深く、物事を理解しているのだ。

 それがよく分かる語り口だった。


「ただ知ってて欲しいの」


「何を?」


「私たちからの感謝を。国を捨ててでも立ち上がってくれた、私たちのために怒ってくれた人。そんな普通じゃない、あんまり笑わないけど物凄く優しい人。そんな人に対する、心からの感謝を」


「………………」


「本当に言葉では言い表せないんだよ。本当に、本当にありがとうって思ってるんだよ」


「リーゼ……」


 熾火おきびのようなものが胸に灯るのを感じる。

 これさえあれば戦える。そう思わせる類の、小さいが力強い炎。


「相談してもらえて嬉しい。私を信頼してくれてるからだよね」


「ああ、そうだとも。おかげで少し楽になったよ」


「ふふ……私も信頼してるからね。みんなそうだよ。父さんだってそう」


 族長である彼女の父、アルバンも、どうやら俺を信頼してくれている。

 俺の居場所は出来つつあるのだ。

 ディタのような人たちとも、きっといつか分かり合えると信じよう。


「そう言えば父さんと飲み明かしたんでしょ? 私が当直で留守だった日に」


「ああ。色んな話を聞かせてもらったよ。リーゼの話も」


「えっ? 私の話ってどんな?」


「幼いころの話だ。なんでも外で小用を足す癖があったそうだな。なんとも変わった癖で───」


「わああああああああああ!!」


 ◆


 まさに激憤だった。

 だがこれは俺が悪い。

 俺にはどうも無遠慮というか、道理が分からない部分があるようだ。

 幼少期の話であるなら、礼を失したものにはならないと思っていた。

 鼻をグーで殴られるほどの事だとは知らなかったのだ。


「クソ親父コロす!!」


 別れ際、リーゼはそう叫んでいた。

 アルバンの命運が尽きてしまった。

 彼には悪い事をしたかもしれない。


 とにかく反省し、今後に活かすとしよう。

 顔を押さえながら帰路につく俺だった。

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