92_王都会談2

「……ごとき、とは辛辣な仰り様ですな」


 ティセリウス団長に対し、幹部の一人が不満げに言った。

 だがその声音は、やや気圧されたものになっている。

 ほかの幹部たちも、表情に苛立ちを浮かべるものの、追及できずにいた。


 なにせ相手は王国最強。

 纏う空気からして、私のような張り子の英雄のそれとは違っている。


 そんななか、幹部たちに代わるように、宰相ルーデルスが問う。


「ティセリウス団長。発言の意図を聞きたいのだが」


「言葉のとおりです。敵は強い」


「加護なしを恐れるのか? 女神から何も与えられなかった男だ」


「先ほどの報告を聞いたでしょう。総隊長を退けるほどの男です」


 がたり。

 椅子を蹴って立ち上がる音がした。

 幹部の一人が、怒気もあらわに起立したのだ。


「ティセリウス団長! 貴方を尊敬していますが、加護なしを恐れる言には同意しかねます!」


「然り。報告にあった黒剣の正体は分かりませんが、借り物の力を振り回しているに過ぎません。女神と共に在る我々が敗れる道理は無い」


「はははっ!」


 ティセリウス団長が笑声をあげる。

 幹部たちは困惑し、上ずった声で訊いた。


「何がおかしいのですか?」


「自分たちを棚に上げる愚かさだ。借り物の力で威を振るって来たのは我々の方だろう」


「なっ……!」


 幹部たちが絶句する。

 顔は怒りのあまり青ざめていた。


「彼はその借り物を、半ば無かったことにしてしまう。我々は、本来持っている人間の力で戦う場に引きずり出されたのだ。そしてその途端、右往左往している」


 悠然とテーブルの上で両手を組み、笑みを浮かべたまま、そう指摘するティセリウス団長。

 そして幹部たちを見据え、やや声を低くして言った。


「滑稽なことだ」


「ティセリウス団長! 君はどちらの味方なのだ!!」


 声を荒げる宰相ルーデルス。

 常に冷静な彼にしては、珍しい光景だった。


「無論、王国の味方です。私は王国の騎士なので」


「だったらそのように振る舞いたまえ!」


「戦う相手を侮るのが王国騎士であると? 私は敵を過小評価する愚を指摘しているだけです」


 言葉に詰まる宰相と幹部たち。

 幹部の何人かは、もはや隠せない敵意を顔に浮かべ、歯を食いしばっていた。

 それを気にしたふうもなく、ティセリウス団長は続ける。


「整理しよう。そもそもバラステア砦の戦況が好転したのは、そのロルフ・バックマンのおかげだ。彼が司令官代理に着任した途端、あの砦は勝ち始めたのだ」


 それが事実であることは、数々の報告が証明している。

 反論できる者は居なかった。


「そして、彼がひるがえした途端、王国はヘンセンで負け、バラステア砦を抜かれ、あまつさえアーベルを落とされて領地を失った。それらに彼の軍略が関わっていることは明らかだ」


 誰も口を差し挟むことが出来ない。

 ティセリウス団長の表情は柔らかく、所作は美しく、声は流麗だった。

 それなのに彼女には例えようのない怖さがある。


「そのうえ彼は、個の武勇も図抜けている。くだんの黒剣にのみ注視するのは浅慮というほかない。『凍檻』コキュートス『赫雷』イグニートスタブをすら斬るというわざが、どれほどの次元にあるのか、まともに剣を振ってきた者なら分かることだ」


 いまティセリウス団長が言っていることは、私が言いたかったことだ。

 ロルフは凄いんだよって、本当は私が言いたかった。

 私が誰より知ってたことなんだ。


 それをティセリウス団長が言っている。

 私じゃない人が言っている。


 だって、団内ではどれだけ言っても相手にされなかった。

 本当に何度も言ってきたんだ。

 でもタリアン団長や皆は、ロルフが何かしたとして、それは彼を従える私の功として数えられるべきだって言っていた。


 私が団長になってからだって、彼を叙任するよう求めたり、差別しないよう下知を出したり、ちゃんとやってきた。

 私はロルフを見捨てなかった。


 それなのに。

 私はいま、劣等感を持ってティセリウス団長を見つめている。


「エストバリ姉弟を倒したのも彼だよ。賭けても良い」


「ど、どのような根拠があって……!」


「私には分かるのだ」


 その言葉に、私の心が少しささくれ立った。

 ロルフのことは私の方が分かっている。

 その筈だ。そうでなきゃおかしい。


「まあ要するにだ。この期に及んで彼を過小評価したがる者らは、王国の命数を縮めるだけの愚者に過ぎんよ」


「ぐ……くっ……!」


 幹部たちは、屈辱に震えていた。

 ここに居るのは皆、騎士団で栄達した人ばかりだ。

 ここまで面罵された経験は無いだろう。


「……言いたいことは分かった。だが言葉の選び方には気を付けた方が宜しかろう。滑稽だの愚者だのという言葉は、君には合わんだろうな」


「失礼、宰相閣下。団長お三方のご意見は?」


 ティセリウス団長が、私たちに話を振って来た。

 思考が脇道にれていた私は、少し焦ってしまう。


「僕はティセリウス団長に同意します。ロルフ・バックマンは危険な男だ」


「私は……条件付きの同意ですかね。侮ってはなりませんが、過度の警戒は戦略面での消極性を招きましょう」


 クロンヘイム団長とユーホルト団長が答えたあと、場の視線が私に集まった。

 私は空気に気圧されながら、どうにか口を開く。


「ロルフ……ロルフ・バックマンは、武にも知略にも優れた者です。視野が広く、機知に富み、そして強固な意志を持っています」


 私は王族を含む国家の重鎮たちの前で、ロルフについて語る機会を得た。

 まったく望んでもいなかった形で。


「極めて強力な…………相手です」


 "敵"という言葉を口にすることが出来なかった。

 王女殿下が私の目を見る。

 私の中の葛藤を見透かすような視線だった。

 それからティセリウス団長の方へ向き、問いかけた。


「エステル。彼は王国に復讐しようとしているのだと思いますか?」


「ヴァレニウス団長に聞いてみては? 彼女は上官であったのみならず、かつての婚約者なのですから」


 その言葉には少し棘があったように感じられた。

 婚約者だったのに何をしていたのかと、私を問い詰めるもののように思えた。


「ヴァレニウス、どうですか?」


「……復讐ではないでしょう。それは彼の行動原理から外れます」


 そこは断言できる。

 個人的な復讐心などでこんな行動を起こす人じゃない。


 幹部の誰かが鼻で笑った。

 王女殿下は顎に手をあてて考え込んでいる。

 その横で宰相が、皆に向けて言った。


「では、ここまでの話を踏まえて今後の対応を決めたい」


「ストレーム領に隣接するタリアン領へ騎士団を派遣します。ヴァレニウス。第五騎士団が行ってくれますか?」


 王女殿下が、私の方を向いてそう言った。

 質問の形式をとっているが、当然これは命令だ。

 ロルフと戦う。

 考えたくもないことだけど、命令を拒否することは出来ない。


「タリアンは第五騎士団の前団長。貴方たちと旧知です。それに何より、貴方たちはバックマンの事もよく知っている。適任でしょう」


「そう……ですね。勅命とあらば」


 王女殿下は、この場において国王陛下の名代だ。

 彼女の命令は陛下の命令であり、王国の意志ということになる。

 引き受けるしかない。


「セラフィーナ王女殿下。発言の許可を賜りたく」


 私が思考できなくなっている横で、部下がそう言った。

 新しく第五騎士団の参謀長になったエドガーだ。

 半白頭の男性。歳は四十代。

 第四騎士団に六年在籍し、その後、中央で経験を積んできた人物だ。


「貴方は……………エドガー・ベイロンでしたね。この場では都度、発言の許可を取る必要はありません。どうぞ自由に発言なさってください」


「恐れ入ります。申し上げたいのは、第五騎士団では純軍事的に不利だということです」


 エドガーはちらりと私を見た。

 このまま発言して良いかと問うているらしい。

 私は頷いて、先を促す。


「魔族側……かの地の魔族はヴィリ族ですが、彼らは今回の戦勝を材料に他氏族に協力を要請する筈です」


 そのとおり、という声が聞こえた。

 ユーホルト団長のものだ。


「結果、騎士団のうち最も寡兵である第五では、兵力において不利を強いられることになります」


 五年ほども前。騎士団に入ったばかりの頃。

 戦略と戦術についてロルフから教えてもらった。

 戦場の外でやるのが戦略。戦場の中でやるのが戦術。


 そして、戦略の重要性は戦術のそれとは比べ物にならない。

 勝敗の八割は戦場に着く前に決まると、彼から教わったものだ。

 兵力で劣ることが分かっている状況での出兵など、本来あってはならないのだ。


「また、第五騎士団の場合、距離の問題があります。本拠と戦場の距離は最も警戒すべき問題のひとつ。ノルデン領とタリアン領は離れ過ぎています」


 第五の本部は、ここ王都の隣、ノルデン領にある。

 辺境近くのタリアン領は確かに遠い。

 以前、エルベルデ河への遠征で失敗したことを思い出す。


「お話を聞く限り、魔族軍は戦略レベルでのさかしさを持っています。遠征の疲弊を突かれる可能性は十分にありましょう」


「一理あります。ベイロンは、より近い騎士団が向かうべきと考えるのですね?」


「御意にございます。ただ殿下の仰せのとおり、タリアン子爵やバックマンと旧知の者が第五に居るのは事実。居ればお役に立てましょう。該当の者を遣わすのが良いかと」


「ふむ。旧知の知見を役立てるのに、何も一軍をる必要は無い、と。ヴァレニウス、どうですか?」


「……ベイロン参謀長の言うとおりかと存じます。団長時代のタリアン子爵とも、バックマンとも面識のある者を派遣します。梟鶴きょうかく部隊の者が適任でしょう」


 王女殿下は私の答えに頷いた。

 梟鶴部隊から誰を行かせるかは後で考えれば良いだろう。

 とにかく今はロルフのことで頭がいっぱいだ。


「それで、タリアン領に向かう騎士団ですが、ルーデルス」


「は。距離で言えば、最も近いのは第二です。しかし……」


「いま第二騎士団は動かせませんね」


 第二騎士団の任地の周りは、現在情勢が不安定だ。

 今回のヴィリ族の戦勝に刺激を受けた魔族が動きを活性化させる恐れもある。

 第二は任地から離れられない。


「申し訳ありません」


「謝ることなど何もありませんよ、クロンヘイム。では、そうなりますと」


「ウチの出番ですな」


 口元にどこか余裕のある笑みを浮かべながら、ユーホルト団長が応えた。

 タリアン領に赴くのは第三騎士団に決まったようだ。

 絶対の安定感を持つ、大樹のような存在、マティアス・ユーホルト。

 彼がロルフと戦うのだ……。


 こうして、一通りの事が決まった。

 とても一息つくような気分じゃないけど、とにかく議題はすべて片付いたようだ。

 そう思った時、一人が声をあげた。


「よろしいですか?」


「リンデル。なんでしょうか」


 第一騎士団 梟鶴部隊 隊長、エーリク・リンデルだった。

 第五騎士団の参謀長に名乗りをあげた彼だったが、私はエドガーを採用した。

 その後、彼は今までどおり第一騎士団に籍を置いている。


「私はタリアン子爵とは以前より親睦が深く、良くして頂いています」


「そう言えばそうであったな」


 宰相が思い出したように応える。

 確かに渡河作戦の時、以前からの知り合いだと言っていた。


「どうか恩を返す機会を頂戴したく、私もタリアン領へ行かせて頂けないでしょうか」


「旧知の者を助けたいと言うのであれば、私に否やはありません。エステル、構いませんか?」


「御意のままに」


 そう応じるティセリウス団長。

 私としては、ロルフが居る戦場へリンデル隊長が向かうことに、あまり良い予感がしない。


「では決まりですね。魔族軍を討つためにタリアン領へ向かうのは、ユーホルトら第三騎士団。第五騎士団からはタリアンやバックマンを知る者を客員参謀として派遣。並びに、第一騎士団からはリンデルが合流。良いですね?」


「はっ!」


 全員が起立し、返事をした。

 今までの人生で最も気の重い会合が、ようやく終わってくれた。


 ◆


「団長、申し訳ありません」


 宿へ戻る馬車のなか、エドガーが謝罪してきた。

 王女殿下に、第五騎士団の出兵を翻意させた件だ。

 事前に私の合意を得ず、あのような話をした点に対する謝罪だろう。


「いいのよ。私も行きたくなかったし」


 本音だった。

 とにかく、ロルフと戦わずに済んだのだ。

 それだけでも本当に有難い。


 でも、代わりに第三騎士団が戦うという点を思えば気が気じゃなかった。

 もはや私は、物事を考えられなくなっている。

 どうすれば良いのか、まったく分からない……。


「……あの、エドガーさん。馬の件は何か分かりましたか?」


 フェリシアが思いつめたように訊く。

 いや、実際に深く思いつめている。

 彼女はロルフと戦ったのだ。

 ……そして、その身に剣を受けた。


 私たちの世界に何が起こっているというのか、まったく理解が追いつかない。

 あの幸せな子供時代はぜんぶ幻だったんじゃないかって思えてくる。


 本当なら、彼が魔法を破ったというのは嬉しいことだ。

 ロルフと言えども常軌を逸している。

 でも、彼ならやってのけても不思議じゃないって思う。

 会って称賛を贈りたいし、喜びを分かち合いたい。


 だけど彼は王国にひるがえした。

 フェリシアを相手に剣を振るった。

 そして、自らは敵であると、彼女に告げたのだ。


 一体どういうつもりなのか、私も会って話したい。

 でも、会うのが怖い。


 だから、第五の出兵が無くなったのは有難かった。

 逃避でしかないって分かっているけど、それでもとにかく有難かった。

 ロルフと戦うなんて、とてもじゃないけど心がもたない。


「調査は進めていますが、馬が逃げたのは、なにぶん数か月前のことですし、今のところ何も……。申し訳ありません」


「いえ、こちらこそ何度も急かすようなことを言って申し訳ありません」


 数日前、帰還したフェリシアから報告を受けた後、私は彼女に、マリアから聞いた話を伝えた。

 ロルフの追放が完全に冤罪によるものであったという話だ。


 話を聞いた後、フェリシアは光を失った眼で虚空を見つめていた。

 そしてその眼のまま、私の呼びかけにも反応せず、口元で何事かを小さく呟き続けた。

 それから数分ののち、私の方を向くと、彼女は眼の奥に影を深め、訊ねてきた。


 ────じゃあ、誰が馬を逃がしたんですか?


 私はその点をエドガーに調べさせていた。

 彼は当時、第五騎士団に居なかったし、万が一にも馬の件には関わっていない。

 調査には適任と言えた。


 それを聞いてからというもの、フェリシアは折に触れ、調査状況をエドガーに聞いているのだった。

 仮に何か分かったら、その時彼女はどうするつもりなのだろうか。

 私はそれを聞けないでいる。

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