93_酌み交わされる信頼
俺たちはヘンセンに戻って来ていた。
この町を守ってから、領都アーベルの奪取までを数日で終えたのは、軍事行動としてかなり異例だ。
あれほどの電撃作戦はそう見られない。
ここから先は、しっかり時間をかけた地固めも重要になってくる。
再軍備をはじめ、やること、決めることはあまりに多い。
それに王国側でも、失地奪還のために動く騎士団の決定から始まり、その編制やら出兵計画の作成やらで、時間がかかる筈だ。
その間にこちらも、しっかりと準備をしなければならない。
「まずは礼を言う。ヘンセン防衛、バラステア砦攻略、そして領都アーベル攻略。すべてお前が居てこそだ」
俺に頭を下げているのは、ヴィリ族の族長、アルバンだ。
いま俺は、アルバンの屋敷で彼と向き合っていた。
部屋には他に誰も居ない。一対一だ。
俺を信用することを示すため、敢えてこうしているのだろう。
「過分な評価、痛み入る」
そう言って、俺も頭を下げる。
魔族の家屋では椅子も使われるが、床の敷物の上に直接座る形が一般的だ。
いま居る部屋もそうだった。
俺は敷物の上に胡坐をかいて座り、両膝に手を当てて頭を下げている。
慣れぬ所作だが、上手く出来ているだろうか。
「そんなに深々と頭を下げなくて良い」
「む、そうか。これぐらいか?」
「おう、そんなもんだ」
にかりと笑って太鼓判を押すアルバン。
この頭の角度を覚えておくとしよう。
「それじゃあ早速、どんどん決めていこう。まず煤の剣だが、お前が今後も使ってくれ」
俺にとってかなり重要な議題のひとつが片付いてしまった。
えらくあっさりと許可が出たことに戸惑いを感じる。
「有り難いが、良いのか?」
「お前は文化や風俗を重んじる男のようだから、祭儀的な意味を持つ剣を占有することに抵抗を感じているのだろうが、問題ない。他の者たちも賛同している」
重低音の声で静かに語るアルバン。
彼の言葉は、厚みのある人となりを感じさせる。
「むしろお前が手に持って戦ってこそ、その剣は意味を全うできる。だからこれからも、煤の剣と共に在ってほしい」
「分かった。期待に応えられるよう、微力を尽くそう」
そう言って、頭を下げて謝意を示す。
今度は深々と下げ過ぎないように注意した。
「ふ……。では次に行こう。お前には将として一軍を率いてほしい」
魔族は、王国で言う大隊規模の集まりを一つの軍として、それぞれに将軍をつけている。
リーゼとフォルカーがそれだ。ベルタもそうだった。
「お前に将器があることは既に証明されている。よろしく頼む」
「光栄だ。謹んで拝命する」
王国と戦うことを決意している以上、俺に否やは無い。
まだまだ俺への不信を拭えぬ者は居るだろうが、これからの働きで信頼を得ていこう。
「ただ、将軍の任命には議会の承認が要る。もう根回しは済んでいるから問題ないが、顔見せは必要だ。次の議会にはお前も出てくれ」
「俺が議会に……分かった。出席する」
ヴィリ族を含む多くの魔族が議会制を敷いていることは知っていた。
どういうものなのか興味があるので、良い機会だ。
「ちなみに、将軍だからといって後ろで大人しくしてろとは言わん。自分で斬り込んで行っても構わないからな」
なかなかに驚かされる物言いだ。
一軍の将に、自分で斬り込んで行くことを許す為政者が他に居るだろうか。
アルバンに初めて会った時、豪放磊落な印象を受けたが、それは間違っていなかったようだ。
「斬り込みたいって顔をしてるしな」
「俺が突入した方が戦術的に好ましい場合はそうする」
結果として、多くのケースでそうなる気はするが、かと言って自分を戦術的に運用することを前提にはしない。
そのあたりは責任ある行動を心掛けなければ。
「いかにも俺は慎重ですって顔してるが、バラステア砦の攻防じゃあ、敵が肉薄するや物見塔から飛び降りて斬り込んでったと聞いてるぞ」
「……ああ、斬り込んだな。そういえば」
「リーゼに聞いたんだ。それを伝える時のあいつ、えらく興奮してたぞ」
領軍を領都からおびき出した時、敵の先頭集団がバラステア砦の門に肉薄するところまで来た。
あのとき俺は、物見塔から飛び降りて門に駆け込み、敵と交戦したのだ。
それも最善手と判断された行動ではあったのだが、今後は今少し慎重に考えなければならないだろう。
「まあ、魔族はそういう将を好む傾向が強い。リーゼもまさにそれだ。だから、そうした方が皆の信頼は得やすいだろうな。俺はそこんところは全然心配してないが」
たしかに、リーゼは直属の麾下だけを伴って斬り込むことが多い。
アーベルでもそうだった。
それにしてもアルバンは、くだけた口調で事も無げに話すが、俺の心情を尽く言い当ててくる。
実際、彼の言うとおり、率先して自ら戦った方が信頼の獲得につながるだろう。
そういう考えを軽挙の言い訳にしないよう心がける必要はあるが、煤の剣を託された俺としては、やはりこの手で戦うべきなのだ。
俺はこれからの戦いを前に決意を新たにするのだった。
「ま、そう重く考えるな。フォルカーやリーゼも助けてくれる」
破顔して俺の心を和らげてくれるアルバン。
他者の命を預かる重責を前にして、緊張が顔に出ていたようだ。
そうだな。彼の言うとおり、皆を頼るとしよう。
「今後の王国侵攻についても議会で話し合われる。タリアン領を攻めるのは既定事項として、諸々を決めていかないとな」
アルバンの言葉に俺は頷いた。
今回落としたストレーム領と隣接しているのはタリアン領とヴェサール領だが、後者との境は山岳地帯になっており行軍できない。
必然、侵攻先はタリアン領になる。
「それから、お前が言ってた
「俺の所見をここにまとめてある。所々に推測が含まれるものではあるが」
一通の書き付けを差し出す。
俺はバラステア砦に赴任して以降、秘奥について色々推考していた。
それを書き留めたものだ。
それを受け取り、書面に目を落とすアルバン。
さっきまでと一転して真剣な表情を見せる。
次第に、眉間の皺が深くなり、額に汗が浮かんできた。
「…………神疏の秘奥の正体は、契約魔法か。洗脳なのか?」
「いや、洗脳じゃない。皆に画一的な意識を植え付けてしまっては、人の世は立ち行かないからな。それがこのシステムの上手いところだ」
アルバンは低く唸って考え込んだ。
そして再び書面に目を向ける。
沈痛な面持ちのなかに、静かな怒りを滲ませていた。
「教義への
「実際、俺を認める者や同情的な者も居た。元から持っている思想や気質、好悪の感情によって差異が出るんだと推測している」
俺の脳裏に、何人かの顔が浮かぶ。
彼女たちは今、何をしているだろうか。
いずれ俺と対峙することになるのだろうか。
あのピンクブロンドの麗人などは、間違いなく俺より強い。
対峙したとして、太刀打ち出来るのか。
それと、すでに対峙した実の妹。
あの後、戦場から離脱出来たようだが、また敵として会うのだろうか。
……そして婚約者だった人。
幸せにする予定だった人と、戦う未来が待っているのか。
「何かに想いを馳せているようだな」
「すまない。つい別のことを考えていた」
「なぁに。戦いの後は誰だって感傷的になるもんだ。俺もそうだよ」
にやりと笑うアルバン。
彼にも語りつくせぬ戦いと迷いの歴史があることが、その顔から見て取れた。
案外、強い男なんか何処にも居なくて、皆そんなものなのかもしれないな。
「ロルフ。話を戻すが、では意志が強ければ思想誘導の影響も少ないと見て良いのか?」
「意志と言うか、魂の強度とでも言った方がしっくりくるかな……。まあ意志の強さと言い換えても良いんだが、それだけでなく、何と言うか、人としての自立心や清廉さなんかが重要になってくるように思える。上手く言えないが……」
「ああ、言わんとすることは分かる。お前はそれとは別口なんだよな?」
「別口だな」
俺は頷いた。
それにしても、我ながら説明が下手だ。
コミュニケーションを不得手としてきた事が尾を引いている。
部下を持つ身になるのだから、改善していかなければ。
「ただアルバン殿。この思想誘導に抗える強さとなると、それは生半可なものではない」
「うむ、そうだろうな」
これだけ作り込まれたシステムだ。
イレギュラーなど殆ど居ない。
ただし、殆ど居ないという事は、居るという事だ……。
「あと、秘奥を疑う根拠だ。ここに書いてあるとおりなんだな?」
「ああ。幾つかの事実から立てた予想であって、確証を得た話ではないが」
「このマリアというのは………ふむ、なるほどな」
アールベック子爵家の件で俺を信じ、頼ってきたエミリーの侍女、マリア。
あの時点で彼女は十四歳。神疏の秘奥を受けていなかったのだ。
「で、結論としては、神疏の秘奥による思想誘導は、女神信仰とセットになっていると。アーベルを唯物論者で固めたのも、そのためか?」
アルバンの問いに、俺は頷く。
領都アーベル───今は領都ではなくなったが、そのアーベルの統治は、地元の有力者による参事会を作らせ、彼らに行わせる形とした。
現地には総督としてフォルカーが残り、参事会を監督しているが、民衆の統治はこの参事会に行わせている。
やはり魔族による直接統治はまだハードルが高いのだ。
この際、参事には商会の有力者や銀行家、工学者など、なるべく信仰から遠い実利主義者を選んだ。彼らは魔族への差別意識が比較的薄い。
また利に
「アルバン殿。信仰を統治の手段に用いることは珍しくない。だがこれは悪辣に過ぎる」
「ああ、そのとおりだ。この事を敵方に喧伝する手もあるか?」
「いま話に出た唯物論者のような連中を引き入れる際には効果があるかもしれない。だが、信仰の篤い大多数の者、とりわけ戦場に出てくる者たちの耳には届かないだろう」
「まあ、そうだわな。信仰とはそういうものだ」
お前の信仰は欺瞞の産物だと証拠も無く言われ、そうなのかと得心する者など居ない。
信仰心という代物は、説得で
「少なくとも女神信仰という屋台骨にダメージを与えることは到底出来ない。それより俺たちが秘密に気づいていることを秘匿する方が重要だ」
敵は巨大で、人類社会全体に根を張っている。
その根幹を支える秘密。
それに気づいた者が居ると分かれば、どのような手を打ってくるか想像もつかない。
こちらが秘密に気づいているというカードはあまりに重要で、それはギリギリまで伏せておかなければならないのだ。
「確かにな。そうするとしよう」
言って、再び書面に目を落とすアルバン。
自分たちの居る世界が作為のもとに操られているという事実を知っても、彼は取り乱さない。
「そこに書いてあるとおり、最も肝心な、いったい誰が、という点もまだ分からない。教会と王国の結託は間違いないと思うが……」
「うむ。俺の方でも調べさせるが、難しいだろうな。それと俺が気になるのは、魔力が何処から来るのかってことだ」
そう。
神疏の秘奥によってもたらされる魔力。
十五歳以上の人間すべてに与えられるほどの膨大な魔力は何処から来ているのか。
一時的に身体能力を上げる等の加護を与える魔法はあるが、魔力そのものを与える魔法など存在しない。
しかも神疏の秘奥は、その者が死ぬまで永続的に魔力を与えるのだ。
契約魔法には分かっていないことも多いから、神疏の秘奥とはそういう特殊な契約魔法なのだと言われればそれまでだが、今ひとつ納得できない。
「それこそ神の仕業かもしれない」
「御業ではなく仕業か。辛辣だな。だがお前、女神を信じてないんだろう? ここにそう書いてあるぞ?」
「ああ、まあな」
だからこそ今、ここに居るのだ。
だからこそ俺の戦いは始まったのだ。
しばしの沈黙が満ちる。
この話題が終わったことを感じ、俺は頼みごとを口にした。
「その信仰の件だが、あんたたちの精霊信仰について教えて欲しかったんだ。だれか詳しく聞かせてくれる者は居ないだろうか」
これから共に在ろうとするなら、信仰に関する理解は必要不可欠だ。
同じ信仰を持つ必要は無いが、理解は絶対に要るのだ。
「それなら俺が教えてやる。長い話になるから酒を持ってくる。ちょっと待ってろ」
───その日は期せずして、夜を徹した酒盛りになった。
酒はあまりやらない俺だが、アルバンの持ってきた酒は実に口当たりが良く、つい杯が進んでしまう。
きっと良いものを開けてくれたのだろう。
精霊信仰の話が終わった後は、ベルタへ杯を捧げ、故人の思い出を聞かせてもらった。
それからリーゼの幼少期の話も面白かった。
俺と彼女がエルベルデ河で交戦した話は初耳だったらしく、戦いから始まった奇妙な縁を、アルバンは大いに喜んだ。
俺たちは時間を忘れて飲み明かした。
とても楽しい夜だった。
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