91_王都会談1

 ────嘘……だよね……?


 ────エミリー姉さん……嘘じゃありません……。


 ストレーム辺境伯領から帰ったフェリシアの報告は、到底信じられるものじゃなかった。

 フェリシアに限って、こんな嘘や思い違いはあり得ない。

 それは分かってる。

 分かってるけど、信じられない。信じたくない。


 ────だって……そんな。え? だって……ロルフが。


 敵に、魔族軍にロルフが居た。

 それどころかフェリシアと交戦し、彼女に斬りつけたと言う。


 でも、そんなことってあり得ない。

 だってロルフはフェリシアのお兄さんで、そして私と。

 私と一緒に生きてくれる人なんだ。


 私は、あのバカげた審問会のことを謝って、それからロルフとやり直さなきゃいけないんだ。

 許してくれるまで何度でも謝罪して、何度でもごめんなさいって言って……。

 それなのに。


 ────エミリー姉さん。兄さまは………兄さまは………。


 そんなこと。

 

 そんなことって………。




「………………」


 馬車に揺られながら、私は先日のことを思い出していた。

 つい数日前の、フェリシアから報告を受けた日のことを。


 何度思い出しても、その内容は変わらない。

 私がどんなに認めたくなくても、決して変わらない。


 隣に居るフェリシアは、ずっと無言だった。


 そして馬車が止まる。

 王都レーデルベルンを走る馬車は、王宮の前に到着した。


 ◆


 王宮内にしつらえられた大広間に、私たちは居た。

 とても荘厳な作りの広間で、はるか高所にある窓から差し込む光が帯を作っている。


 ここを使えるのは国家の重鎮のみだ。

 いま、大理石のように磨き上げられたウォールナット製の巨大なテーブルについているのは、王国の騎士団長たちだった。


 第一騎士団 団長、エステル・ティセリウス。

 第二騎士団 団長、ステファン・クロンヘイム。

 第三騎士団 団長、マティアス・ユーホルト。

 そして第五騎士団 団長、私────エミリー・ヴァレニウス。


 それぞれの周りには、随行の幹部たちも着席している。

 私は、フェリシアとほか数名の幹部を連れて来ていた。

 梟鶴きょうかく部隊の面々は予定が合わず、今日は居ない。


「ブラントはまた欠席か?」


「ええ。申し訳ありませんユーホルト団長」


 第四騎士団の副団長が申し訳なさそうに答えている。

 第四のブラント団長は不在のようだ。

 元々この種の会合にはあまり出てこない人だけど、今日も欠席らしい。

 今回は王族による招集だというのに。


 私がそう考えると同時に、まさにその王族が入室してきた。

 全員が起立して迎える。


 私たちの視線の先に居るのが、この国の第一王女、セラフィーナ・デメテル・ロンドシウス殿下だ。

 長い銀髪とグレーの瞳、そして白磁のような肌が、最高級の磁器人形ポーセリンドールを思わせる。


 聡明さを感じさせる顔立ちのとおり、実際に優秀な御方だ。

 十八歳にして父王から政務の一部を任されるほどに、優れた知性とセンスを持っている。


「どうぞ座ってください」


 王女殿下の言葉を受け、皆が着席する。

 そして上座に王女殿下が、その横に宰相が座った。


「此度の招集、応じて頂いたことに感謝します。クロンヘイムなどは遠いところを大儀でありました」


「殿下よりお召しにあずかったなら、臣下として何処へ居てもまかり越す次第です」


 第二騎士団のクロンヘイム団長は、三十代の前半。

 二十代前半と言われても通る、若い風貌をしている。

 明るい茶色の髪はさらさらの直毛で、女性たちの人気の的らしい。

 実力とフェアな精神を持った、正道を行く騎士として有名な人だ。


「ふふ……それだと、ここに来ていないブラントが不心得者ということになってしまいませんか?」


「殿下、恐れながら」


 第四騎士団の副団長が、ブラント団長の欠席について弁明しようとする。

 でも王女殿下はそれを制した。


「良いのです。あの者はそういうやり方で王国の役に立っています。それより本題に入りましょう。ルーデルス」


「はっ」


 五十代後半の男性、宰相フーゴ・ルーデルスが応えた。

 そして一同を見まわしたうえで、説明を始める。


かねて伝えてあるとおり、ストレーム辺境伯領についてだ。正確に言えば、ストレーム辺境伯領だった地について、ということになる」


 皆の表情が真剣さを増す。

 そう。ストレーム辺境伯領は、もう王国に存在しない。

 魔族の手に落ちたのだ。

 それはあまりにも重大な事態だった。


 つらい。

 私は今朝、不安に塞ぐ胸が苦しくて何度も嘔吐した。

 出来ることなら、この話をしたくないし聞きたくない。

 ここから今すぐ立ち去りたい。

 隣を見ると、私と同じ思いであろうフェリシアは俯いていた。


「この数か月、バラステア砦の戦況はかなり良好で、魔族軍の兵を大幅に削っていた。これを受け、辺境伯はかの地の魔族の本拠、ヘンセンを落とすために二千の兵を出したのだ」


 かつて死地とされたバラステア砦の戦況が大幅に改善されたことは皆も知っている。

 新しい司令官代理が着任してからそうなったということも。


「しかし結果は大敗となった。戻ったのは数騎のみ。バラステア砦の精鋭部隊も同行したが、全滅している」


 何人かが眉根を寄せた。

 それほどの敗北は、近年類を見ない。

 辺境伯は実力ある人物として知られている。魔族と領を接して戦い続けてきた人なのだ。

 二千もの出兵は、勝算あってのことだったのだろう。

 それなのに、そこまでの大敗を喫したのだ。


「反転攻勢に出た魔族軍はバラステア砦を落とした。さらに領都に残る領軍を街の外へおびき出し、これを撃破」


 一同がざわついた。

 ストレーム領が奪われたことは皆に知らされているが、詳しい経緯は伝わり切っていない。

 領都にこもって防戦すれば良かったものを、領軍は何故わざわざ領都の外へ出て戦ったのか。誰もがそう思っただろう。

 代表するように質問したのは、クロンヘイム団長だった。


「彼らは何故おびき出されてしまったのですか?」


「敵は、ヘンセンへ行った領軍が勝利し、いまだ健在だという誤情報を流したのだ。その領軍が、魔族軍によって制圧済みのバラステア砦へ何も知らずに戻れば、皆討ち取られてしまう、と」


「うまい手ですな。辺境伯は領軍を救うため、砦へ向けて出兵せざるを得ない」


 第三騎士団のユーホルト団長がそう評した。

 四十代前半の男性。

 彫りの深い端正な顔立ちで、短めの濃い金髪と無精ひげが特徴的だ。


 この人は、十五年以上ものあいだ騎士団長を務めている。

 用兵や自身の戦いぶりにおいても、団の運用においても、堅実でミスが無い。

 万事に安定的で重厚な、王国の軍事の屋台骨と言うべき騎士だ。


 そのユーホルト団長に向けて頷き、宰相が説明を続ける。


「そして辺境伯は出兵し、結果として七百ほどの兵を失った。ヘンセンで既に二千が失われていた事と合わせ、この時点で領軍の兵力は魔族軍を下回ってしまう」


「僕なら傭兵を頼ってでも兵数の回復を図りますが……」


「辺境伯も、クロンヘイム団長と同じように考えた。かの地にはザハルト大隊が滞在していたのだ」


 またも一同がざわつく。

 ザハルト大隊と言えば、王国中にその名を轟かせるほどに高名だ。


「エストバリ姉弟が率いる傭兵団ですな。二人とも気持ちの良い若者だ」


「ユーホルト団長は旧知だったか」


「昔、一度会った事があるだけですがね。で、その二人は……」


「残念ながら戦死した」


「そうですか……」


 ユーホルト団長は悲しそうに目を伏せる。

 自分より若い人の死は何度も経験してきた筈だけど、やはり慣れることは無いんだろう。


「辺境伯はエストバリ姉弟に領軍の指揮権を預け、自身はタリアン領へ脱出を図ったようだ。だが姉弟は敗死し、辺境伯も死体で発見されている」


「かくしてストレーム辺境伯領は魔族に奪われました。完全な敗北です」


 王女殿下がそう締めくくった。

 敗北を強調しながらも、表情に怒りや屈辱は見えない。


「本来、今日のこの場はバラステア砦の陥落を受けて、対応を話し合うためのものでした。会合を設定した時点では、領土を失うまでの事にはなっていなかったのです」


 ゆっくりと、噛んで含めるように王女殿下は語る。

 事の重大さを私たちに伝えようとしている。


「領軍がヘンセンへ向けて進発してから、領都アーベルが落ちるまで、七日しか経っていません。たったそれだけの期間で、ここまで事態が動いてしまいました」


 つまり、これからも怒涛の勢いで事態が進みかねないということだ。

 ひょっとすると、そういう時代に突入してしまったのかもしれない。

 動乱の時代に。


「かかる事態の要因のひとつが、さる王国兵の反逆だ。バラステア砦の司令官代理が、敵にくみした」


 宰相の言葉は、一同に改めて衝撃を与えた。

 反逆者の存在は、事前に出席者へ伝わってはいる。

 でも、人間を裏切って魔族に付くなんて、およそ考えられない話だ。

 多くの人が、信じられないという表情をしていた。

 出来ることなら私も信じたくはない。


「ロルフ・バックマン。男爵家の長男だ。その者が魔族側に回ったのだ」


 出席者たちのざわつきが大きくなった。

 団長たちは静かに考え込んでいるけど、幹部たちは気色ばんでいた。


「その者は、第五に居た加護なしではないですか!?」


「ああ、あれか」


「女神に棄てられたからと、人間を裏切るか! そこまで腐ったか!」


 何という不逞の輩、正義のもと誅すべし、といった声が次々に聞こえてくる。

 そんな中、クロンヘイム団長が静かに問いかけた。


「そのバックマンが裏切ったという証拠はあるのですか?」


「実際に交戦した者がここへ出席している。ロルフ・バックマンの妹だ。ヴァレニウス団長。報告させよ」


「……はい」


 私は、フェリシアに目を向けた。

 兄の反逆について証言するという任を帯び、ここに居るフェリシア。

 彼女は見るからに縮こまっている。

 その姿は、ロルフの後をついて回っていた子供の頃を思い出させた。


 ◆


「……そうして、私は退却に至ったのです」


 ぽつりぽつりと、フェリシアは半ば俯いたまま、抑揚の無い声で事実を伝えた。

 報告を聞いた騎士団幹部たちは、様々な表情を浮かべている。

 懐疑的な顔をする人も居れば、怒りをあらわにする人も居た。

 そのうちの一人が、改めて訊ねる。


「魔法を斬ったというのは、確かなんですか?」


「……はい」


「ほかに奴の戦いを目撃した兵の証言もある。事実のようだ」


 宰相が補足した。

 そう。ロルフは魔法を斬り、障壁も破ってみせたのだと言う。


「バックマン総隊長。疑うわけではないが、『赫雷』イグニートスタブを斬ったというのは間違いないだろうか?」


「はい」


 クロンヘイム団長の問いに、フェリシアが答える。

 実際に魔法を尽く斬り捨てられた彼女の報告には真実味があった。

 団長たちも考え込み、場にしばらくの沈黙が下りる。

 それを破り、ひとりの幹部が口にしたのは別の課題だった。


「その男と魔族軍への対応も考えねばなりませんが、先にハッキリさせるべき事があるでしょう。バックマン家はどうするのですか?」


 周りの幹部たちが頷いている。

 そう。大逆犯の家族について、その扱いを考えなければならない。

 ともすれば、上官であった私についてもだ。


「それは軍務とは別の話だぞ」


 ユーホルト団長が窘めるように言う。

 確かにそのとおりだけど、皆は納得しない。


「ですが、ここには彼の妹のフェリシア殿も居るのです。バックマンに連なる者の処遇を決めないまま話を進める事は出来ないでしょう」


 そうだな、と肯定する声が周りから上がる。

 フェリシアは口をつぐんでいた。

 皆の視線が、王女殿下に集まる。

 それを受け、彼女はゆっくりと口を開いた。


「大叔父様……先代の国王は、弑逆しいぎゃくを企図した者の家族をゆるしたことがあります。その際、罪を家族に問う王国法を廃しました。であれば此度こたびも家族は赦されるべきでしょう」


「殿下。仰せのとおり、罪人の血縁者に対する罪科を規定した法はありません。しかしそれは赦すことを示すものではあるまいと存じます。事は国家への反逆なのです。赦せば貴族らの不満を招きましょう」


 宰相が冷たい声でそう言った。

 彼は怜悧で、かつ非情なことで知られる為政者なのだ。


「分かっています。バックマン男爵夫妻には蟄居ちっきょさせ、代わりに執政官を遣わすことになるでしょう。ただ、それ以上の刑を強いることはありません。男爵家自体は存続させます。そしてフェリシアさんはこれからの戦いに必要な方。排除する理由がありません」


「臣としましては、いま少しの峻厳しゅんげんさが必要と愚考します。罪はすべての因果を含めてただされるべきものでありましょう」


 なおも食い下がる宰相。

 彼は役割を全うしようとしてるだけなのかもしれないけど、やはりどうにもイヤなものを感じてしまう。

 王女殿下が赦すと言っているのに。


「宰相閣下。それを言い出したら、その者をかの地へやった第五騎士団の責を問いたがる者も出てきますよ。それは避けねばならんでしょうな」


「ユーホルトの言うとおりです。ヴァレニウスは王国にとって重要なのです。必要以上に騒ぎ立てて国体を揺さぶる事、まかり成りません」


「……は」


 宰相が引き下がる。

 これで、フェリシアと私が罪に問われることは無くなった。

 バックマン男爵夫妻は……まあ仕方がない。

 バックマン領に居た頃は良くしてくれた二人だけど、ロルフの廃嫡や婚約解消を経て、彼らに対する親愛の情は正直薄くなっている。


「ではその件はそれで良いとして、本題に入りませんか?」


 クロンヘイム団長の言う本題とは、今後私たちがどうするか、という話だ。

 私やフェリシアの罪を問う話以上に、私が一番したくなかった話。

 魔族軍とどう戦うか。そして、ロルフをどう倒すかという話だ。


「騎士団を出すのは既定事項だ。ロルフ・バックマンは捕えられれば最良だが、殺してしまっても構わん」


「……っ」


 宰相の口から語られた基本方針は、この状況においてごく当然のものだった。

 でも、ロルフを殺すというそれを実際に聞いて、私は全身の血が一気に冷えるのを感じる。


「捕えましょう! 処刑台に引っ立てるべきだ!」


「民に石を投げさせてやれば良い! やったことを存分に後悔させるのだ!」


「加護なしの分際で何を思い上がったのか知らんが、身の程を教えてやる!」


 幹部たちがいきり立つ。

 第五騎士団の幹部も当然のように声をあげていた。

 聞きたくない言葉が次々に飛び交っている。

 あの審問会を思い出す光景だ。

 いつだってロルフは嫌悪の対象なのだ。




「出来るのか? 貴公らごときに」




 そこへ、凛とした声が響き渡った。

 今日初めて発せられたその声の主に、皆の視線が集まる。

 軽いパーマのかかったピンクブロンドを僅かに揺らし、彼女はそこに居た。


 第一騎士団 団長、エステル・ティセリウスだ。

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